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信じる者の選択

作者: aonori

1992年、2月


新宿が、人と駅とビルで成り立つ、単純なかたまりに見えるようになったのは、俺がこの街に住んで3年が過ぎようとしていた頃だ。

金がなけりゃ何も出来ない、金があったって、大した楽しみもない。

よどんだ空気と、高くそびえる鉄筋と、派手な光の空間が、魅力の詰まった街と錯覚させ、そこで毎日を駆け足で働いていた。

カメレオンのような、そんな街の姿に気付き始めた俺の心の隅では、自然と次の自分の居場所を探していたのかもしれない。


「杉本くん、君はこのままでいいのか?

自分の可能性に満ちた魂は、この現世の餓鬼に満ちた世界で満足しているのか?

自分の心の中に聞いてみなさい」


喫茶店の片隅で、その男性は俺に言った。


一週間前、


知り合いがどうしても紹介したい場所があると言う事で、少しその話を聞くと、それはある団体の事だった。

話を聞いた限りでは、宗教のようだが、その団体が行う活動には興味があった。

普通、宗教とは、その教えを理解する事で心の安らぎなどを主に得ようとする。

おかしい宗教になると、高価な壺や、そんな何かを購入する事で運を得るなどをうたい、活動しているが、その宗教は少し違った。

その教団の教えを実行する事で、自らに力が生じて来るというものだった。

それは丁度学生時代に一生懸命になった部活動に似ていた。練習すれば、うまくなる、強くなる、そんな感覚だった。


髪は短く、白く薄い柔道着のようなものをまとった彼は、アパヤーナと名乗り、年は俺と同じ位、しかし妙に落ち着いている。


「修行をしたら、君も大きく変わる事ができるよ、人間の本当の力は現世においての生活では到底開花する事ができない、君も一度、ここに来るといい」


彼はテーブルに名刺を置くと、オレンジジュースを一気に飲み干して出口へ向かった。


「明日、早速、来たらいいよ」


彼はそう言うと、ドアを開けて喫茶店を後にした。

小柄で、華奢な体型の肩には、ショルダー形の黒い四角いカバンを少し重そうに持っていた。

携帯用の自動車電話だ。

そんな高価なものを持ち歩いている人間は、見栄を張っている金持ちか、よぽど忙しい人かどちらかだ。


「カルマ教・・・か…」


名刺にはそう書かれている。

カルマ教は、比較的有名な宗教団体だ。

マスコミにはたまに名前が出るが、悪いイメージはそれほどない。

彼らは超能力を使う団体とテレビに取り上げられ、昔流行ったユリゲラーなどの超能力ブームに少し便乗するような存在だった。


俺は彼の話しに全く無関心では無かった。

そこには、ほんの少しではあるが、興味を示している自分がいた。


日本で生活するということは、言わば日本という宗教団体を信じて生活しているようなものだ。

その日本という国で生活していく中で、納得できないことは多々ある。


国を動かす政治家が逮捕されるような世の中で、一体何を信じていいかも解らない。

国の頂点に立つ人間が、世界を破滅させるような爆弾を、国民の税金で作っているような世の中で、何が悪い事なのか。

争いが絶え間なく続くこの地球上で、いったい何が正義と呼べるのか。


戦前の軍国主義の余韻が残る日本人の社会で、都合の悪い間違いを追求すれば潰され、知らない間に様々な真実が隠される。


金の無い弱い者が泣き、金を操り上に立つものがふんぞり返り、時に胸をなで下ろす、そんな世の中を信じてこの先やっていく事ができるだろうか…。


日本が信じられなくなるような世の中で、信じられる世界を探す。それはこの時代を生きる人間にとって一種のブームであり、現代では自然な行動になっていた。


「好きな本を読んで座っていてください」


俺は、何時の間にか喫茶店で言われた世田谷のその場所に来ていた。

夜中の3時、そこは小さな体育館の武道場ほど広さの、何もない部屋に、白く薄い柔道服のようなものをまとった若者が半分、自分のように私服の若者が半分、総勢20人くらいの人が、おのおので本を読んだり、あぐらの姿勢で何か熱心に励んでいる。

彼らは、特に人には指示されていない、自分で自分のできる事をしているようだ。

宗教を行う場にしては、意外と自由な空間がそこにあるように思えた。


「最初は、共学の本を読んで、自分が我慢できる範囲で座禅を組み、修行を続けてください」


白い服の女性が俺に言った。 俺が手にした本には、ヨーガの姿勢が、写真付きで説明されていた。

それは呼吸法から始まり、塩水を3リットル飲んで吐く、胃の洗浄方法や、鼻から細いロープを入れ、口から出すなど、普通の生活をしているものには驚くような、修行方法が記載されていた。


「少し雰囲気は変だけど、まあ、宗教なんてこんなもんだよな」


そんな程度の不安と、しかし、大きな好奇心が自分の中で渦巻いていた。


その場所に、10日も通う頃、俺はすっかりのめり込んでいた。


ここで行う修行、主に本を読みながら座禅を組み、ひたすらその痛みに耐えるだけなのだが、それだけでも日々自分が強くなるような気がしていた。

普段の生活の中で、これほど自分の意思で我慢(耐える)すると言う事はない。

ここにいると、いかに普段の生活が無駄に食べ、無駄に寝て、無駄な時間を過ごしているかのような気持ちになってくるのだ。

そして体が軽くなったような、心洗われるような気持ちになってくる。


それは体にムチ打つ事で、その苦しみから解放される時の解放感が、麻薬のような快感を与える、丁度、マラソン等で感じるランナーズハイのようなものだった。


毎回その場所を訪れると、カルマ教の長なるものが、ビデオを通して説法を行っていた。


その内容は、これから起こる世界の状況や、自己を磨くための修行の方法、そして、現世は汚れているのだという事を強調して話している。

彼は、自分が修行を積んだことによって、未来も透視することができ、人の心も見ることができるという。

そして、この力は、誰もが持っているもので、それは、おおよそ間違って作り上げられた現代の常識や、生活を見直し、本来の自分に戻ることによって、身に付く力だという。


「君は、迷いを感じている人だね、もっと修行をしなさい、そして、オーガを信じなさい」


白い服を着た若い信者が、俺に問い掛けた。


「オーガって何ですか?」


君はそんな事も知らないの?

というような目で俺を見た彼女は、こう言った。


「オーガとは、この教団の一番偉い人よ、皮芝竜一先生」


「そうか、このひげの長い人がオーガと言うのか」


壁に貼られたポスターにも、ひげを生やした老人が写っていた。


彼女は続けて話した。


「彼は、凄い人よ、多くの修行を積んで、自分の意識を自在に操る事ができるのよ、肉体はそのままだけど、意識は過去へも未来へも移動が可能で、様々な未来を体験しているわ、貴方も修行をつんで、オーガの見てきた未来を自分の力で確かめられるまで頑張りなさい」


「はあ・・・」


その日、皮芝竜一氏による数日前に収録した説法が、初めてビデオで流された。

そこにいた信者たちは、食い入るようにテレビのモニターを見ていた。


「私たちの住むこの世界は、ほとんどすべての事において間違った方向へ進んでいる。

人は物に縛られ、物質的な豊かさを求め、心の豊かさという本当の幸せを忘れてしまっている。これからの時代、人々は、マスコミの影響によって、美味い物を食べ、スポーツに熱中し、娯楽の多くを求め、自分の徳というものを急速に削っていく。

人間が何度も繰り返してきた戦争という大きな過ちは、半世紀で忘れ去られ、現世での好き勝手な行動は、やがて大きな戦争という形で、悲惨な代償を支払う事になるだろう。

近い未来、1997年の終わり頃からだろうか、世界の状勢は急速に崩れ、大きな戦争が起こるだろう。

皆も分かるように、今度世界規模の戦争が起きた場合、助かる事は到底不可能に近い。

しかし、ここで修行をしている皆は、戦争で生き残る事は出来ないにしても、現世を離れた後、つまり、死んだ後で本当の自分の魂になった時、より高いレベルに導かれる事ができるであろう。

今いる現世は、魂の修行の場でもあるから、ここでの行動は大変重要な意味をもつのです。

残された時間はあまりありません。

皆は、この場で少しでも多く修行をつむ事が、自分にとってプラスになり、その事に気づいていない人々を導く事は、同時にその人を幸せにする事となります。

少しでも多くの人を助ける為に、この場で多くを学び、そして、教えてあげてください。

今となっては少々遅いが、私の言ってる事を少しでも理解する人がいれば、この場所につれてきなさい・・・」


 ビデオから流れるオーガの話は、一時間ほど続き、やがてマントラというじゅ文のような、歌が流れ、会場の信者は一緒になって合唱している。

俺もつられるように歌った。  


確かに、彼の言っている事は、説得力がある。

特に、宗教の教えを少しでも知っている者であれば、自分が抱いている基本的な考えを、再度言い聞かされているように思える。

キリスト教、仏教、ヒンズー教、どれをとっても、この世は修行の場であり、死後の世界の為、あるいは輪廻転生(死んでまたこの世に生まれ変わる)するために、常にこの現世は修行の場のように教えている。


この宗教では、人間の可能性も、その教えとして取り入れているのだ。

人間の本当の力を引き出す方法。

確かに、簡単な超能力のような力を使える人は、この世に存在するかのように思える。

テレビや、その他メディアでは、そんな力を持った者をよく取り上げ、面白く世間に公表する。

挙句は、その者の力が偽りだという事をネタに、視聴率を稼ぐような冷酷さだ。

メディアの中では、一体、何を信じていいのか解らない。

記者という人間が見聞きし、その情報を大衆に受け入れやすいよう報道し、報酬を得る。

そんなメディアの流す情報に100パーセント正しいものなど存在しないのだ。

そんな中、一つの事を信じて生きていける宗教という団体は、時として人間の迷いを取り払い、一つの事に自分の考えを統一する事ができる。

自分では何がいいのか悪いのか、考えなくてもいいのだ。

一度信じてしまえば、その教えに素直に従うことで自然と素晴らしい未来の自分に導いてくれる。

そんな魔力にも似た魅力が、ここにはあった。  

この“道場”という場所に通うようになり一ヶ月も経つと、俺はどんなに仕事に疲れていても寝ることを惜しんでここに通うようになっていた。

残業が深夜11時になっても、それからバイクを走らせ40分かけて道場に通っていた。


座禅もだいぶ楽に組めるようになり、1時間、じっと瞑想している事も苦にならなくなっていた。

宗教の考えをそのままコピーし、頭に叩き込み、それに従い体や頭を動かす。

そこにはどんな私情も私考も必要ない。

そこは俺にとって、何の疑問も悩みも無い、全てにおいて楽な世界。

それ無しでは生きていけない麻薬のような世界になっていた。

それ無しでは生きていけない麻薬のような世界。

一見すると、異常な世界のように聞こえるが、人間が皆、実はそんな世界を持ってしか生きていけない生き物だ。 家族を持つ、どこにでもいる平凡なサラリーマンはどうだろう。

会社というそれ無しでは生きていけない麻薬のような世界がある。安定した収入という呪縛に捕らわれ、多くのチャンスを棒に降り、つまらない人生だけを必死に築き上げていく。

自分が一本まっすぐ生けた花を、他人が寂しいからと回りに花を生けようとしてもことごとく抜き去り、その単純な一本の姿だけをひたすら大事に守ろうとする。

そんな世界を急に解雇されたらどうなってしまうか?

収入を失い、養育費・自宅のローンが重くのしかかる。経済的な悩みはもとより、自分が毎日積み上げて来たものが音をたてるように崩れて行くのに絶望感を感じる。


老いた自分を鏡に映し、誰も自分を必要としない事にさらに絶望感は増していく。


路上で仲間とダンスを踊る若者はどうだろう。

自由に楽しく汗をかき、最も自由な生き方をしているように見える。

しかし彼らからダンスを奪ったらどうだろう。

ダンスが生き甲斐ならば、ダンスに依存してこの世界を生きているという事だ。


バチンコに依存した者はどうだろう、無い金を借金や身売りなど、あらゆる方法で手に入れ、まるでトイレットペーパーを便器に流すように一万円札を機械に流していく。

金に価値などを考えられなくなり、末期になると機械の前に座り、金を使うことだけに生き甲斐を感じるようになる。


不景気、好景気は関係ない。

その時代にあった不満や不安を見つけ、人は何かを頼ろうとする。

国策の矛盾がそれを後押しし、人の感情は加速する。

誰もが何かに縛られながら生きている。

縛られている時に心が安定し、輝きすら放つ。

開放されると、また次に縛られる先を見つけるまで、夢遊病者のようにさまよい続ける、それが人間なのだ。


「君は何処に住んでいるの?」


「新宿です」


「最近真面目に道場に来ているね、修行は辛くないか?」


「辛いですが自分のためです、頑張ります」


「そうか、えらいね、君は着実に修行の成果が出ているよ、この前君を見た時にはグレーの光だったが、今は紫になっている」


「本当ですか?」


「ああ、いつか君も修行を積み、教典を理解していけば、私のように見えるようになる。今度私の部屋に来なさい。今後の事で君に話したい事がある」


俺に声をかけたのは、教団の中でもトップから十本の指には入るであろう幹部の上島さんだった。

教団ではブラフーと呼ばれていた。


チベット語で


ー行動ー


という意味だ。


この世田谷道場でもたまにしか顔を出さない、忙しい人だった。


「光栄です、話って何ですか?」


「君は世の中の現状を理解しているか?」


「はい」


「そしてこんな世の中の矛盾に疑問を抱き、ここに来たんだね?」


「はい」


「これから話す事は、教団の中でも幹部しか知らない事なんだ、君がこの事を知れば大きな責任を背負う事になる。それでもいいか?」


「はい」


「では話そう。

私たちはこうして修行し、欲望や煩悩を断ち切る事で、来世においての徳を積み、生きていくか、また、死んだとしても高い場所に導かれるだろう。

だが、普通に働く人々はどうだろう?

全て欲を満たすためだけに日々を生きている。

このまま世紀末が訪れ、死んだら深い地獄に落ちて行くしかない」


「そこで、私たちは、ある計画をたてている」


「世紀末に起こる核戦争で、命を落とす前に、私たちの力で少しでも多くの人々を高い世界に導く計画だ」


「それはどんな計画なのですか?」


「今研究しているある化学兵器がある、最終的には、これを東京になるべく多く散布し、多くの人々を高い世界に導きたいのだが、まだ研究段階でそこまでに至ってない。

先ずは段階を踏み、データを集めたい。そこで、一番人が集まり、密閉した空間を使って、第一の計画を実行する、それが、君の住む新宿だ」


「新宿の地下に、それを散布し、どの程度の効果があるか試したい」


「君は土地勘もあるだろう、手伝ってもらいたい・・・」


その日の帰り道、妙に落ち着いた気持ちを感じながら、俺は新宿を歩いた。


行き交う人々を冷静に見つめてみる。


普通に歩く事ができないほど人混みが行き交うアルタ前は、老若男女、外国人、実に様々な人間で溢れていた。

俺は教団幹部の話しに不審な疑問は抱かなかった。


近い将来、世紀末が訪れる。


それは、戦争と言う、人間が醜い故に起こす殺戮だ。

しかも、国を纏める責任者が起こす事だ。

それは例えれば、親が子供に殺人を教育するような世界と言うことだ。

多くの人間が、自らの手で殺し合い、自らを汚し、憎しみと共に地獄へと落ちていく。


世の中は、人間と言う生物が生きている事自体が間違っているとしか言えない。

現に国は間違っているのを知っていながらやめない事も多々ある。

タバコと言う麻薬を民衆に覚えさせ、命と引き換えに高い税収を得ている。

あるいはパチンコもそうだ。

最初は遊びではじめても、やがて多くの金をつぎ込み、子供に与えるミルク代は勿論、多額の借金をしてまでパチンコ屋に金を運ぶようになる。

どちらも、人間の欲を越えて欲しがる中毒症状を引き起こす。

こんな事が社会で一つでも許されてはならないのに、国は辞めさせるどころか、自ら好んで与えているように見える。


ほとんど役に立たない勉強しかしてこなかった人間が政治家や官僚になり、国を動かしていく。

一体何処に向かって日本は進んで行くのだろうか。

この世の中が間違えているとしたら、この組織が、この教団が正していくしかないだろう。

修行を積んだ教団の者が命を奪えば、教団にカルマ(悪いことをした時に生じる人徳の消失)が生じるが、教団は厳しい修行を行いそれを補える。

そして、命を奪われた者は高い世界に導く事ができる。

現世だけを見て生きている者にはわからないだろうが、死後の世界では感謝すらするだろう。

そんなことより、俺にはもうひとつ密かに沸き立つ喜びがあった。

それは、上の者に認められたということだ。


普段話もできないような人と、重要な話ができる自分がいた。

その事が、何より嬉しかった。


ーやりますー


俺はそう、上島さんに返事をした。


1992年5月


新宿都庁地下の駐車場7箇所に化学兵器が仕込まれた爆弾が仕掛けられ、通勤ラッシュのam8時、爆発した。


都庁ビルは半壊し、火災により多くの犠牲者がでた。

死者360人、重軽傷者1200人の大惨事となった。

事件に使われた爆弾は、製造が難しい特殊なものだと分かり、力のある組織の関与を匂わせたが、現時点では犯人は不明だった。


マスコミはこぞってその組織を取材した。

時には組織を避難し、時には組織を擁護する番組が流れた。

また、バラエティー番組にも取り上げられるという、視聴率が上がるのであれば何でも

行うような異常な雰囲気だった。


1992年8月


国家反逆罪でカルマ教を強制捜査。


新宿都庁爆弾事件から3か月後 前代未聞の総理大臣直属の事件という特別の体制で警察は動き、教団は徹底的に調べられた。


教団の代表 皮芝竜一と、その他複数の幹部逮捕 教団は、最終的に、東京の上空から、ヘリコプターで化学兵器爆弾をばら蒔く事を計画していた。

ヘリコプターも購入済みだった。


1993年9月


実行犯 杉本真也 21才 逮捕



2012年 6月


「杉本、時間だ」


看守が声をかけ、牢屋の鍵を開けた。


重たい音と共に扉が開くと、その長い廊下を歩いた。


歩きながら、俺は今までを振り返った。


長いようで、短い人生だった。


人生は40年だったが、その半分以上の時間に、自由はなかった。

あの教団に出会ってから、俺は今までを我慢と共に生きた。

教団を憎みもしているが、俺にとっては教団に出会ってから今まで、周りから受ける肉体的苦痛は変わる事はなかった。


それがやっと今日、解放される。


長い修行から、やっと解放されると言う事か。

皮肉なものだ。

憎みすらした教団の洗脳から解放され、現実を見ても、自分の行った罪の重さがのしかかってきた。

刑務所の中のくらしも、捕まる前と同じように瞑想し、現実を忘れる一瞬しか心の安らぎは持てなかった。


「長かった・・・」


廊下の突き当たりのドアを開けると、殺風景な部屋の中に入った。

大勢の人がガラス越しに自分を見ていた。

部屋の中央に立ち、神父が俺の為に祈ってくれた。


「何か最後に言い残す事はありますか?


最後に話す事が許された。


今さら何も無いが、俺は無意識にも似た感情がこみ上げ、いつの間にか口が動いていた。


「俺がこうなったのは、全て世の中のせいだとは言わない。

だが、100パーセントのうち、30パーセントは国のせいにしたい。

そしてその30パーセントという中途半端な確率が、多くの若者の信頼を裏切り、狂気の世界をすんなり信じさせてしまったのだ。

今は俺の事をただの狂った死刑囚のようにマスコミは扱っているが、あの当時、事件が表に出る前は、マスコミも面白おかしく教団を取材し、共感するような取り上げかたもし、視聴率を上げ喜んでいたではないか」


体の揺れに反応し後ろで縛られた両手の手錠が金属音を立てた。


「おれがそんなに狂気に満ちているか?

ナイフで通りすがりの人を刺していくような人間と同じに見えるか?

俺は、世の中を良く変えようと苦しみに絶え必死で努力しただけだ。

生きてきたなかで、ここまで努力した事はなかった、ただひとつ、誰にでもあるような、簡単な間違いをして、それが取り返しのつかない過ちに変わってしまった。

間違った指導者をふと信じた事で、多くの命を奪ってしまった。

誰が考えても悪いと判断できる過ちを、一つの宗教の世界によって、良い行いだと俺に思わせた。

この宗教に真剣に取り組んだばかりに、こんな簡単な判断も、正しくつけられなかった」


気分を害したのか、後方に座っていた女性が口を押さえながら席を立つのが見えた。


彼女は俺とどんな関係があるのだろうか。被害者の家族だろうか。


「あなたらは、バカな一人の男が、勝手に狂った思想を信じ、とんでもない事件を犯しただけと思っているだろう。

違うんだよ、俺はあんたらと何も変わらない、一人の人間なんだよ、あなた達と同じ、弱い一人の人間なんだよ。

ただ違ったのは自分を取り囲む世界だった。

異常な周りの世界を異常と気付けなかった。 そんな教団が、今だに活動を続け、日本に堂々と存在し、しかも信者が増えているというのはどういう事だ!

あれだけの事件が起きていながら、そしてあれから20年もたっているのに、まだ危険な考えに気づかせられないのか?

日本は、いつまで魅力無い国なのか!」


俺はどこを見て話していいかわからないでいた。

ただ自然に、目線は天井を見ていた。

目の前にいるあなたたちに言いたいのではない。

ただ、あなたたちに言うしかない。


「事務的にしか動けない警察のとぼけた体制や、将来に夢が見られない世の中を作り上げている政治や、民衆の無関心はあれから何も変わってないと言う事か?

自らこの世の中を、少しずつでもかえようという考えは無いのか?

そんな余裕はないのか、今の時代に」


無理やり怒っているように話す自分がいた。


なぜ俺はこんな事をここで叫んでいるんだ?


観衆の一人が腕時計をチラッと見た。

早く話を終わらせないかと言わんばかりに。

俺の死ぬ姿が早く見たいのだろうか。


「俺は身をもって体験した。

自分の考えの愚かさを植え付けられ、思考能力を無くしていく、そして神(指導者)と呼ばれる者の考えが全ての世界に身を委ね、代わりに与えられる心の安らぎ、そして思考の安らぎ。

それこそが宗教の怖さだ、見えないものを簡単に、真剣に信じてしまう人間の怖さだ。

この事に本当に気づいている人は少ないだろう。いや、身をもって体験しなければ、本当の怖さはわからない。

だからこそ、国の指導者が民衆を導かねばならない。

もっと希望を持てる日本にしなければ、また同じ過ちが起きる、どうしてそれができないのか?

これだけ豊かな、技術の進歩した日本という国に出来ないはずがない。

真剣に取り組まないだけだ!

具体的に利益がないから、動かないだけだろ!

しかし、そこに力を注げば、日本人は土台から変わり、将来、国を動かす人々が、豊かな心を持ち、結果豊かな国になると言う事を、どうか気づいてくれ。

この事件をただの狂気に満ちた集団の事件だけで済ます事なく、どうして多くの若者が共感し、間違った道を進んで行ってしまったのか、ちゃんと、突き詰めて行ってください・・・」


言い終わると、目を閉じ、深呼吸をした。

そして続けた。


「申し訳、ございませんでした・・・死んで罪を償うことをお許しください...」


言葉と同時に頭を下げた。


あるところまで来ると、後ろの手錠が引っ掛かった。

言い終えた瞬間、場内から女性のうめくような鳴き声がかすかにこだました。


それは憎しみも含まれた鳴き声に自分には聞こえた。

そちらを見ることはできなかった。

ただ、鳴き声を聞いた瞬間、全身が痺れるような感情が込み上げた。


"違う、俺はあの時から、人間なんかじゃなかった。 悪魔に魂を売った時から俺は、悪魔なんだ、人間には戻れないんだ・・・"


悔しさと同時に込み上げてきたそれは、生まれてはじめて感じたものだった。


「言い残すことはないか?」


「私はあの日、あんなに多くの命を奪ってしまった。そして今日は、私一人が死ぬだけだ・・・あの悲劇を起こしたこの私を作ったのは、教団と、それを野放しにした日本という国ではないのか。

当時の私は、誰よりも努力して、夢と希望を胸に上京した、ただそれだけだったのに・・・」


ごく小さな独り言のように、彼は呟いた。

最後の言葉は、すぐ横に立つ神父の耳に、微かに届くだけだった。



「・・・では、目を閉じて」



看護人にそう言われたが、彼は目を閉じなかった。

彼の頭には、麻ででできた袋が被せられた。


そして太いロープが、首に巻かれると同時に、微かに鳴き声に似た音が一瞬聞こえた。

彼のそばにいて、耳を棲ましていた神父にも、その音の真相は解らなかった。


そして、数秒の静けさの後、突然床が外れた。


さほど広くない部屋で、きしむような金属音だけが幾度も繰り返し響いた。



End




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― 新着の感想 ―
[良い点] 宗教という難しいテーマから出来ている小説が凄いと思います。 [一言] 何故だか、主人公が悪人には思えません。 それほど考えさせられる小説だと思いました。 この宗教で狂った?いろんな人の話を…
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