狙撃
朝日が昇り大よそ一時間ほど経っただろうか。明るくなり始め、目的の時間が近づいた男は、そっと冷たいコンクリートの上に伏せる。既に朽ち果てて役目をはたしていない、元コンクリの壁のあたりに設置された、M82A2のスコープを覗きこむ。固定されたバレットのスコープには、それなりの大きさを持ったスタジアムが映っている。
「いいか、標的は一組の売買を行う男二人だが、実際に狙うのは売る方のこの男だぞ」
隣で伏せてスポッティングスコープを構えていた男が、大きめに印刷されている写真を立てかける。写真に写っていたのは、正面から撮影されている、口のまわりを髭が覆った目つきの悪い男だ。通称フェニックス、本名イワン・ペドロヴィッチ・マルコフ。幾度となく脱走を繰り返してきた、様々なものを様々な人物に売り飛ばす男で、普段よく扱うのは薬物類や兵器類。しかし、今回は訳が違う。
話は二日ほど前に遡る。幾度目かわからぬ脱獄を成功させたマルコフ。今回は作業中に掠め取ったと思われる幾つかの物を合わせ、独房の壁を吹き飛ばしたらしい。捜索を続けたところ、全滅しかけた捜索チームの一つが、命からがら生還。成果を報告した。その報告を受け、司令部は極秘裏に暗殺を行うべくある2人に狙撃を依頼した――――
「いいか、フェニックスと呼ばれるマルコフが発見された。奴は脱獄後アメリカを高跳び、祖国であるロシアを経由してヨーロッパをしばらくうろついていたと情報があった。そして件の捜索チームが追い付いたころには、奴はチェルノブイリにいたという。どういうことかわかるな?」
「核物質……ということですか」
「その通りだ、ジャクソン大尉。奴は無人のチェルノブイリで核物質を入手、それをどういう用途になるかは不明ではあるが、誰かに売り渡そうとしているらしい。今までは麻薬や兵器であったから逮捕でどうにかなった。しかし今回はそうはいかん。そこで、ジャクソン大尉、パスカル少尉……君達二人には、このマルコフの暗殺を行ってもらう」
「手段は?」
「手段は問わない。君達の得意な狙撃でも構わんし、潜入してからの殺害でも構わない。だが、あくまでも当事者以外に知られないことが条件だ。あくまで、非公式任務であることを忘れないでほしい」
そして2人は、取引現場を見渡せる遠くにある廃マンションからの狙撃を行うことを決めた。スタジアムを含め、この街は基本的にゴーストタウンとなってしまっている。チェルノブイリほどひどいわけではないが、この街も核汚染の被害に遭ってから、人がいなくなったのだ。近隣地区にて行われた核実験で予想外の暴走、そして重なった強風という天候により、街を死の灰が覆った。それが原因で人が住める範囲の数十倍強い放射線量が測定されるようになり、避難地区に設定されている。二人が伏せている場所、そして二人が狙っているスタジアムなどは、比較的放射線量が少ない場所だ。おかげで、防護服なしでも、数日位なら問題ない量の放射線量である。とはいえ、暮らすこととなると別問題だし、区域を外れれば数日と言わずに危険な量を浴びることになるから、2人はもちろんギリースーツの下にガイガーカウンターと、アルミなどの薄地で簡易式ではあるが、防護服に近しいものを着用している。取引に現れる者達も、防護服か何かを着ていることだろう。
「バレットを使うとはいえ、ここからスタジアムまでは1km近くある。風速や湿度、様々な要素が影響するはずだ。この距離ではコリオリの力も大きな要素だろう。だが、お前には問題ない範囲のはずだ」
そう、今バレットを準備し終え、再びスポッティングスコープを覗いているパスカル少尉は、狙撃の名手ということでSASでも有名だった。そしてジャクソン大尉は、SASに入隊した当時から暗殺においては定評があり、このビルに潜入するまではジャクソンが先導、狙撃に関してはジャクソンが観測手を務めるものの、ほとんどパスカルの単独狙撃に近い。
「ジャクソン大尉、標的が何で来るかは分かります?」
「いや……だが、こんな場所だ。恐らく車かヘリか……」
「もしヘリだったら、こちらから狙えないところに止められる可能性が」
「そうじゃないことを祈るしかないな。流石に、対物ライフルとはいえこいつだけでヘリとやり合うには分が悪い」
「一世代前のだったらまだキャノピーを撃ちぬけるんですけどね」
「さらっととんでもないことを言うな。攻撃ヘリだったらどうするつもりだ?」
「撃たれる前に……いや、照準を合わせられる前にこっちが撃てばいい話ですよ」
SAS内ではよくバディを組む2人は、お互い友人のような間柄であった。だからこそ、こういった状況でも、こんな会話をして緊張をほぐせるのだ。
「そういえば大尉。逃走経路の確保は大丈夫ですか?」
「仮にこのビルの屋上からが危険になっても、予備のルートが3つある。すべてダメになることはそうそうないだろう。脱出はすべてのルートにおいてヘリを使う。万が一敵がSAMでも持ってたら、お前と俺で先に片付けるしかないだろうな」
「考えたくない状況ですね。このバレットは使った後は爆破処理ですから、まともな武器と言えばM21、それとMP5K位ですよ?」
「C4やクレイモアもあるだろう。もっとも、SAMそのものじゃなくても、射手を殺ることが出来れば問題ない。そもそも、スティンガークラスなら射手を殺る以外に方法もないだろう」
そんな会話をしている間も、ジャクソンは時計を確かめたり、パスカルはバレットを弄ったりと時間を無駄にはしない。
数十分後。2人の覗いていたスポッティングスコープに変化が映った。
「車……ですね」
「ああ。恐らくマルコフじゃない方だろう。マルコフは取引時間ギリギリまで待つことが多い」
「取引相手ですか。そういえば、マルコフの狙撃に成功した後、取引相手は逃がすんでしたね」
「ああ。銃弾をそうそう捨てていては、握りつぶせる証拠も握りつぶせなくなる。あくまで暗殺だということを忘れてはいけない」
「そのためにわざわざスニーキングして、敵の排除も極力ナイフで行いましたからね」
「そういうことだ……見ろ、来たぞ!」
本当に諜報が調べたとおりの時間キッチリに、マルコフの乗っていると思わしき車が到着する。その車から黒いコートを羽織った男が出てきた。パスカルはバレットに持ち替え、スコープでその男を確認する。
「……奴だ。マルコフだ。一応身元を確認するまで待ってくれ。その間、あの車についている旗を見て、風を確認しておくといい」
ジャクソンはスポッティングスコープについている映像の送信機能を使って、SASの司令部に画像を送る。しばらくして、本部から身元を確認したという旨の連絡が入った。
「よし、身元を確認できた。タイミングはお前に任せる。だが、絶対に逃がすな」
風の特徴を読み終えたパスカルは、静かにトリガーガードからトリガーに指をかけ直し、全神経を狙撃に集中させる。一度大きく息を吸い込み、呼吸を止めて更なる集中を生む。次第にスコープの中に、弾が飛んでいくコースがイメージから視覚化されて、そのコースにマルコフの心臓部が重なる。ここまで3秒ほどだ。標的が動きを止めていたその隙を狙い、トリガーをゆっくりと引く。肩にガツンと衝撃を覚えたと同時に、ビルの中に火薬の爆ぜた音が響く。次いで、おおよそ一秒と少しという時間をかけて、弾道が少し右に曲がって着弾。見事、マルコフの胸部を撃ちぬいた。
「ビューティフル! よし、逃げ――――しまった! ハインドDだ!」
「落とします!」
どこかで護衛についていたのであろうハインドDが、ビルの方へとやってくる。旋回を行いながら近づいてきたそれを、こちらに完全に振り向いた瞬間にキャノピーに照準を合わせたバレットのトリガーを引く。大きなひびの入ったキャノピーの向こうでは、攻撃を担当するパイロットが跡形もなくなったのが見える。次いで、少し照準をずらし、今度は操縦手を射ぬく。すぐオートローテーションに入ったハインドDが落ちていく。
「ナイスショット!」
「いや……まずいですよ!」
異変に気付いたパスカルが走りだし、直後に気付いたジャクソンもまた後ろに走り出す。ハインドはそのまま落ちることなく、こちらに向かって突っ込んできていた。オートローテーションに入ったとはいえ、垂直に降下するとは限らない。
「まずい! ビルが崩れる! 予備のルートだ、そこのロープを使え!!」
素早くロープにカラビナをかけ、ビルを降下し始める2人。一度目に壁を蹴った直後、大きな音と共にハインドがビルの中層階に突っ込んだ。数秒後に十階近くという距離を降りた2人は、間一髪でビルの崩落に巻き込まれることを回避。撤退を始める。
「まずいな……一度隠れよう! ギリースーツなら何とかなるはずだ」
草むらに伏せた2人の傍を、敵が数人通り過ぎていく。心臓の音が早まっているのが分かる。体の下に構えているMP5Kのグリップは、もし素手で触っていれば既にぐしょ濡れになっていたことだろう。敵が通り過ぎ、ひと段落ついたところで、ジャクソン大尉は伏せから片膝立てに移行、無線機のスイッチを入れる。
「こちらホーク……敵に見つかった。予定のビルは崩れて使えない。α地点からβ地点への回収地点変更を頼む」
『こちらキャッチャー。了解した。だが、回収まであと20分が限度だ。それ以上は燃料が切れる可能性があるからな。それと着陸地点のクリアリングを頼むぞ」
「了解だキャッチャー。少なくとも対空武器は片付けよう」
『頼むぞホーク。無事帰ってこい』
通信を終えたジャクソンと共に、パスカルも行動を再開する。ここから回収地点までは、おおよそ800mと少しだ。しかし、あのスタジアムとは方角が違うが、もちろん追手があるはずだ。回り道などを考えると、1km程と考えていいだろう。
「間に合いますかね」
「さあな。間に合わなかったら、放射能の被曝量が限界を超えるだろう。急ぐぞ」
狙撃前の冗談を言い合っているような口調とは違う。ここでは本当に、暮らしていくにはきわめて有害な量の放射線が観測されている。絶対に、回収地点に間に合わせなければいけない。
「と……早速敵の団体さんだ。この距離で3人なら、連絡される前に殺れるだろう。俺は右を殺る。お前は左だ。その後、中央の敵はどちらでもいい」
「了解……」
2人はサプレッサーを装着してある迷彩を施したM21を構える。膝立てのまま大よその照準を合わせる。
「3秒だ。3秒後に同時に発射だ。行くぞ……」
2秒で息を止め、照準を頭部に合わせ……遠くで2人の男の頭から、血液などが噴き出す。その間にいた男が驚愕したその瞬間、胸部と頭部が紅い液体を勢いよく噴き出した。
「流石だ」
「お見事です」
ほぼ同時の着弾。僅かにパスカルが早かったが、コンマ一秒程度の差だろう。
「丁度あの敵兵の辺りに小さな教会がある。その教会を抜けていけば近道だ。ムーブ!」
立ち上がり、2人とも駆けだす。MP5Kに持ち替えて周囲のクリアリングをしながら移動しているため少々普段より遅いが、それでも先に向こうに見つかって増援を呼ばれるよりいい。
「よし、あの教会だ」
ジャクソンが指した教会は、一階建て、一部二階までというつくりの、確かに小さな教会だった。見張りなどはいないようだ。慎重に室内へ入り、死角を補い合いながらクリアリングする。
「よし……いいか、このあと墓地を突き抜けて、アパートを進む。それが、放射線量も距離も含め、一番安全な道だ」
「でも比較的?」
「そうだ。戦場に安全なんてもの、存在しない。さ、行くぞ」
教会を出てしばらく。アパートに辿り着いた二人は、少々焦っていた。
「まずいぞ……あと15分もない。そうそう距離はないが……」
「それなりに敵がいましたからね。アパートを抜けるにはどうするんです?」
「そりゃお前……ただのアパートに玄関口は二つもいらんだろ?」
「ええ。だから聞いたんですけどね」
「簡単な話だ。ここは一階部分は崩れかけてる。だから、二階部分から飛び降りるんだ」
「……本気ですか?」
「死ぬよかマシだろう。ぶら下がって降りれば、そうそう足が挫けるような高さでもないしな」
そういって、躊躇することなくジャクソンは飛び降りた。
「……ぶら下がってって言ってたような……っと」
そう言って、なんだかんだで後に続いてパスカルも飛び降りる。着地の際うまく膝を曲げて、衝撃を吸収して脚への負担を減らす。
「な、大丈夫だったろ」
「……ま、そうですね」
笑みを浮かべたジャクソンに、パスカルもまた笑顔で肩をすくめてみせる。すぐに2人は行動を再開し、回収地点を目指した。
それから、2人は何度かの敵の襲撃を切り抜け、どうにか回収地点までやってきていた。
「こちらホーク。回収地点に到着した。そちらはどうだ?」
『こちらキャッチャー。あと少し……そうだな、5分といったところだ』
「おい、マジか……」
『対空兵器はないか?』
「奴らもそんなものは持ち込まなかったらしい。持っていたのはアサルトライフルやハンドガンの類位だ」
『それならいい。周囲の安全を確保しておいてくれ。なるべく早く着くようにする』
「ああ――――まずい、またヘリだ!」
「狙撃します! テールローターを狙えば、撃墜可能です!!」
「よし、あいつを落とせば、それなりに時間も稼げるだろう」
そう言うと、2人は即座にM21のスコープを覗きこむ。発砲を開始し、向こうは向こうで機銃を撃ってくる。ビルの陰に隠れつつ、狙撃を繰り返す2人。やがてテールローターがダメージを受け過ぎたのか、ヘリがバランスを崩して落下を始める。
「よし……あばよ、おデブなハインドちゃん」
背にM21をしまったジャクソンが言う。すると……突如ビルの屋上に当たって方向を変えたヘリが、こちらに向かってきた。
「まずっ! 走れ、走れぇ!!」
「……生きてます? 大尉」
「ああ……何とかな」
ヘリに巻き込まれ、一棟のビルが倒壊。瓦礫を何とかかわした2人は、腰を抜かして座り込んでいた。
「まさかこっちに突っ込んでくるとはな」
「派手に転びましたけど大丈夫ですか?」
「なに……少し足を捻っただけだ。捻挫まで行っていない。普段通り走れるさ」
そう言って立ち上がったジャクソンは、その言葉を証明するようにパスカルに手を貸して立ち上がらせる。そのすぐあと、キャッチャーの者と思われるヘリの音が聞こえてきた。
「間に合ったようだな」
「ええ。ヘリを落とすのが間に合ってよかったです」
その後、2人はブラックホークに搭乗、無事この街を飛び立った。
無人の地と化した、この街では、時折子供の声が聞こえるという。プリピャチのように、何万という人民が避難し、もぬけの殻であるはずのこの地で。それは、怨霊の類か、それともこの地が持つ記憶の声か――――どういった理由かは定かではない。単に、感情移入による幻聴なのかもしれないが。人間は今まで、核の使用に関して様々な失態を歴史に刻んでいる。原爆、原発事故、主にこの二つがあげられるが、どんな形であれ、決着がつく日は来るのだろうか。ジャクソンとパスカルは、普段仕事終わりには考えたこともないようなことをヘリの中で静かに考えていた。