ママのお家は保育園
ママのお家は保育園 ― 仕事と育児に悩む母が暮らす奇想な暮らし ―
も く じ
第一章 山下建築設計事務所
一 コンペ
二 嵐
三 写真撮影
四 出発
第二章 告白
五 審判の時
六 帰宅
七 安息日
八 絵里子
九 お昼休み
十 ピラミとオカマ
十一胎内
十二告白
十三安穏の日々
第三章 新転地
十四三人のおばさん達
十五予言おばさん
十六家電おばさん
十七淳子の悩み
十八ピラミ祭典
十九デビルとゴッド
二十バンちゃんの本音
二十一愉快な仲間たち
第四章 再会
二十二再会
二十三葛藤
二十四緒子の熱
二十五以外な結末
二十六夢の始まり
二十七お兄ちゃんと呼ばれる昌央君
二十八遺言1
二十九遺言2
三十 旅立ち
第一章 山下建築設計事務所
一
「ねぇ、模型まだかな」
コーヒーフィルターにエスプレッソを入れながら、私はつぶやいた。
「すみません………。あと十五分くらいかかります」新人スタッフの伸子が叫んだ。新入社員は任された仕事があと何分で完成するのか時間が読めない。私もかつてはそうだった。もうだいぶ昔の出来事に感じるのは、この仕事の勤務時間が長いからだろうか。三十を過ぎると深夜の仕事が辛い。それに加えて先週から体調も芳しくない。連日の徹夜のせいだろうか。このごろ凄まじい吐き気が私を襲ってくる。
時計は午前二時を指していた。とにかく今日を乗り越えれば、一ヶ月続いたこの辛い日々も終る。エスプレッソにお湯を注ぎながら、そう自分を奮い立たせた。これで何杯目になるのだろう。私の胃は悲鳴を上げている。
「今日だけ我慢してください」
自分の胃に言い聞かせ、できたばかりのエスプレッソを飲み込んだ。それから私は伸子に聞こえる声で「小野さん、そろそろ来るわよ」と小さくつぶやきデスクに戻った。エスプレッソは思った以上に不味かった。
この四月で私は入社して七年目を迎えた。設計事務所もいろいろあるが大雑把にいえば、組織とアトリエの二つに分類される。私の勤務するこの事務所はアトリエで世間ではデザイン重視の設計事務所だと理解されている。普段の勤務はおよそ十時から始まり終電前に終る。始まりと終わりの時間こそ曖昧だが、勤務時間は長い。その割に給与が安く入れ替わりが激しいのも特徴だ。趣味でもない限りこんな仕事は続かないだろう。当然社員のほとんどは独身社員だ。別に望んだわけではないが、入れ替わりの激しい事務所で、気がつくと私はナンバー4になっていた。
今日は一ヶ月続いたはコンペの最終日だ。午後には提出先物を持って事務所を出発しなければならない。最後の一踏ん張り。当然力も入る。
コンペとは設計競技のことで、一定の基準を越えれば誰にでも応募資格がある。当然日本全国、何十社、何百社からの応募がある。その中で選ばれるのはたった一社だ。
私たちはこのコンペに一ヶ月前から取り組んでいる、失敗すれば膨大な損失になってしまう、ギャンブルのような仕事だが、そこには夢がある。コンペはこんな小さな設計事務所でも大規模建築が設計できるビッグチャンスなのだ。だから、私たちは連日遅くまで働き必至になってこの仕事をしている。
「シュプシュー、シュシュ」
深夜の事務所にスプレー音が響く。コンペ以外の社員は既に帰ったあとで電話も鳴らない。事務所は静寂そのものだった。しかし、これが嵐の前の静けさであることを私は知っていた。このあと起こる嵐のために、今は体力を温存しておきたい。この静寂ができるだけ長くが続くよう私は祈った。
二
気がつくと私は天井を眺めていた。エスプレッソは既に冷めている。この事務所で働くようになってから、椅子に座って眠れるようになった。今もどうやら眠っていたらしい。
若手の様子を見に模型室に行ってみたが、畳一枚もある大きな模型のせいで、ほとんど進展はなかった。気分転換に私はバルコニーに向かった。
外はまだ肌寒く、遠く本牧ふ頭の照明だけが煌煌と光を放っていた。私はこの場所が事務所で一番好きだ。昼間は賑やかなこの通りも、さすがに深夜になると車も少ない。私は煙草を吹かしながら静かな夜景を眺めていた。
遠くで「ブロロロロ」と、遠くでメルセデスのエンジン音が聞こえる。きっと小野さんだろう。嵐はもう目前にまでやってきた。私は気合いを入れ直し、バルコニーの扉を開けた。
「小野さんが到着されました」大きな声で誰かが叫ぶと、新人スタッフが小野さんを迎えに走った。
小野さんは建築専門の写真家で、業界では名の知れた人物だ。いろんな雑誌に小野さんの写真が掲載されている。
私は所長である山下さんの部屋に向かった。「失礼します。小野さんがいらっしゃいました」と言いながら部屋を覗き込んだ。
山下さんは世間でも名の知れた建築家だ。ファッションセンスが抜群で、いわゆるセレブリティーで通っているが社外と社内で顔が違いすぎる。今日も終電で戻ってくるなり、ヴィトンのカバンを枕代わりにソファーで眠ってしまった。きっと、その姿は世間のイメージからは遠くかけ離れているだろう。私はそういう山下さんが大好きだった。いつかは、ああいうキャリアウーマンになりたいとも思っている。
小さな声で小野さんの到来を伝え、すぐに私は模型室に向かった。山下さんは眠そうにしていた。その姿は、まるでおばあちゃんだった。
「カツカツカツ」とハイヒールを鳴らし、山下さんは不機嫌そうにやってきた。
ところが小野さんに気付いたのか、軽く会釈をしてどこかに行ってしまった。暫くして戻ってきた時には彼女はいつもの建築家、山下に変身していた。アルバイトの学生達も山下さんが目の前にいるので多少緊張気味だった。
「小野さんは?」と山下さんが尋ねた。
「小野さんは新入社員と一緒に車の荷物を取りに行きました」と私は答えた。
ほどなく小野さんが戻ってきた。新入社員も重そうに荷物を持っている。山下さんに気付いたのか、「それじゃ始めます」とひとこと言うと、山下さんもそれに応え、自室に戻っていった。
小野さんは模型撮影用の部屋に入るなり、新人スタッフを隅に立たせた。二メートル近くあるブルーバックを彼に持たせて、小野さんはその端部をつまみながら部屋の反対側に歩き始めた。一瞬のうちに壁一面、青色の世界へと変貌した。その後、新入社員が持ってきた折りたたみ照明と、レーザー光線をセットし、最後にフラッシュ用の傘を勢い良く広げた。あっという間にスタジオが完成した。
「模型、持ってきて」と小野さんは、伸子の方を見た。
私が、山下さんがOKを出している模型なのかと尋ねると、伸子は慌てて山下さんを呼びに走った。程なくやってきた山下さんは、突然顔を赤らめ大声を出した。
「この表現じゃ、建築の伝えたいことがわからないでしょ」と、伸子を呵っている。嵐が始まった。眠そうにしていた学生達も一瞬で目を覚ました。山下さんは、いろいろと注文をつけたあと、自室に戻って行った。その後も、何度か山下さんがやってきては模型表現の指示を続けた。小野さんはじっと椅子に座って待っている。
ようやく満足したのか「それじゃ、お願いします」と小野さんにいうとまた自室に戻っていった。おそらく仮眠を取るのだろう。もう六十を越えているのだ。さすがに夜は辛そうだ。私たちも相当身をを削っているが。それは山下さんも同じだろう。コンペ終盤はやはり体力勝負になる。若手が頑張ってくれないと身が持たない。
伸子たちが四人掛かりで撮影台に模型をセットすると、小野さんが学生達に色々と指示を始めた。高さ五ミリの人間が微妙に曲がってたりしてるのだ。写真はありのままを写し出す。だから嘘がつけない。小野さんは修正箇所を次々と指摘した。
三
小野さんが模型を確認しながら何度も頷いている。学生達にお願いした模型の修正が終ったようだ。小野さんはこちらに歩み寄り「それでは、始めます」ひとこと告げるとスタジオの扉を閉めた。
中からシャッター音が聞こえてくる。やっと一つ山を越えたようだ。撮影が始まった。必要な人数を除きスタジオから所員は締め出されていた。皆眠そうな顔をしている。私はねぎらいを込め八人分のコーヒーを作った。時間をかけて飲んだつもりだったが、撮影は続いていた。当初予定していた時間を大幅に過ぎており、私は焦っていた。
二杯目を飲み終わる頃、ついにスタジオの扉が開いた。急いで撮影した画像をパソコンで確認すると、百枚前後の画像が表示されていた。一度目の撮影は露光、露出、アングルを確認するために様々な場所から撮影する。小野さんが撮影した画像を山下さんと所員が相談しながらアングルを決めている。小野さんが笑った。どうやら意見がまとまったようだ。小野さんは再び若手所員を引き連れスタジオの扉を閉めた。
スタジオの外でも作業が始まった。締め切りまで時間がないため、採用した数枚の写真を全て印刷している。あとで手戻りがないよう事前に何度も確認するのだ。
印刷が終ると山下さんがやってきて、パネルと写真を見ている。最終的には写真を一枚に絞りパネルに大きく写真を貼付ける。山下さんが一枚の写真を指差した。
「いいわ。これで進めて。私帰るね。明日は九時に来ます」
そう言い放ち、山下さんは始発で帰っていった。
写真の選定は思いのほか早く決まったが、模型表現のトラブルが足を引っ張り、写真撮影は小野さんと約束した時間より二時間遅れで終了した。突然のトラブルと深夜にお願いした、お詫びとお礼を小野さんに伝えると、私は駐車場を後にした。時計は五時を指していた。既に予定より二時間遅れていた。
事務所に戻ると、急に慌ただしい雰囲気に包まれていた。怒声が飛び交う中、若手が急ぎ足でプレゼンパネルの準備をしている。山下さんが戻ってくるまであと四時間しかない。完成させなければならないプレッシャーからだろう。万が一、間に合わなかったら、この一ヶ月間を棒に振ってしまうばかりか、ここにいる全員がクビになる可能性さえある。所員達はわかっているのだ。
とりあえずパネルは任せて、私は先に提出資料のチェックをした。一通り目を通すと七時半を過ぎていた。山下さん到着まであと一時間半しかないパネルが気になった。
模型室では若手が、印刷した紙を粘着性のあるボードに貼付けている。絹製の手袋にベビーパウダーを付けた所員がパネルとボードの間に空気が入らないよう慎重に作業をしている。先程、罵声をあげた所員がいたからだろう。作業は急ピッチで進行し、何とか間に合いそうで、私は安心した。反対側の部屋ではパネルを入れる特注のケースが作られていた。
四
「おはようございます。おつかれさま」
定刻の九時より早く山下さんがやってきた。きて早々プレゼンパネルの進行状況を伸子に尋ねている。定刻には間に合いそうだが、まだ未完だと伸子は答えた。山下さんは落ち着かない様子で自室に向かった。気になってしょうがないらしい。
程なくパネルは完成し、伸子が山下さんを呼びに行った。緊張の瞬間である。山下さんが最終的確認にやってきた。パネルの置かれたたテーブルに座ると、バッグから老眼と筆箱をを取り出した。
「まぁ、これでいいかなぁ………」とつぶやきながらパネルを丁寧に見始めた。出勤してきた所員達も一緒になって出来具合を確認している。グラフの表現が少し気になったのか、文字を追っている鉛筆が止まった。突然山下さんは油性ペンに持ち替えキャップを開けた。全員の表情が凍った。
このパネルは提出用なのである。もし、パネルに何か書き込まれたらこれまでの作業が台無しだ。時計を見ると出発まで残り二時間しかなかった。山下さんはそんな事、お構いなしにパネルにスケッチを書き始めた。「こうしたらどうかな。この方がわかり易いかなぁ」とつぶやきながら伸子を見る。伸子も時間がない事がわかっているので、泣きそうな顔をして山下さんとやり取りをしている。一難去ってまた一難である。また振り出しに戻った。伸子はあたりをふらふら歩き始め、パニック症状を起こしたようだ。見かねた私は伸子に四十五分でグラフを修正するように指示を出した。
伸子には悪いがここで予想外の事はよく起きる。私がそういった背景には確かな裏付けがあった。万が一の場合に備え、パネル作成にかかる時間を私は測っていた。レイアウトを一枚印刷するのに二十分かかる。用紙をカットしパネルを作成するのに十分かかる。持ち出し用のケースはさっき完成している。他の事は全てできている。だから、図面の修正には一時間半だ。たいてい図面作業は予想の倍の時間がかかる。だから、私は伸子に半分のは四十五分と伝えるのがベストだったのだ。そのうち伸子も慣れるだろう。
パネルは出発十五分前に何とか完成した。ギリギリであろうと完成させるところは流石に優秀な社員だ。頑丈に作られた提出用ケースにパネルを入れ、スペーサーを挟んだ。後は無事に提出できるよう祈るだけだ。まもなくスーツ姿の所員が急ぎ足でやってきた。彼はこれから広島にパネルを持って行く。提出先の確認と、山下さんへの挨拶を済ませると、彼は慌ただしく事務所をあとにした。
十一時に事務所を出たので、広島駅には三時半に着く。提出先の市役所には五時までには入れるだろう。写真撮影の後、提出係には事前に睡眠を取らせてあるから、電車で寝過ごす事もないはずだ。
私たちは力尽きてダンボールの上で寝ている学生や、発泡スチロールを枕にしてるスタッフたちを起こし、バルコニーから担当者を見送った。
コンペはこうしていつもデッドラインからの逆算でスケジュールが組まれる。「ギリギリにならないと良いアイデアが出ない」というのが山下さんの持論だったからだ。こうして一ヶ月に渡るのコンペは幕を閉じた。
第二章 告白
五
事務所に戻り、あたり見回すと一面ゴミの山だった。体力のない私たちにあと片付けが重くのしかかる。コンペの最後はいつもこうだ。私たちは、最後の力を振り絞り何とかこの困難を乗り越えた。四十五ℓ入りのゴミ袋が十袋近くになっていた。
デスクに戻ると、山下さんがやってきた。
「コンペお疲れさま。今日はみんなを早めに帰らせてあげて」と労いの言葉をかけてくれた。ほっと一息、肩の荷が下りた瞬間体調が急変した。我慢していた私の体がついに悲鳴を上げた。これまでに経験したことのない吐き気が私を襲う。一目散にトイレに駆け込んだ。
コンペ終盤の追い込みで自分のことは後回しにしていたが、思い起こせば昨晩から具合の悪さは頂点に達していたのだった。深夜に伸子に指示したあと少し眠ろうと椅子を並べていると、急に嘔吐を催すほど具合が悪くなった。さすがにコーヒーも飲みすぎたと反省したが、コンペ終盤のイライラしを沈めるにはそれしかなかった。加えて、先週から食欲もなく寝不足のせいか、好物だったスープカレーも食べれなくなった。一ヶ月もこんなことが続くと体もおかしくなる。当然と言われれば当然だ。
ところが、いつものコンペの体調不良とはどこか様子が違う気がしていた。ついに私の体は故障してしまったのだろうか。明日は病院に行かなければ、大変な事態を招くかもしれない。そう思ったが、とにかく今は目前の吐き気をなんとかしなければならない。私は近くの薬局に向かった。
昼間の日射しは寝不足の私には堪える。目眩を感じつつ木陰づたいに歩いた。いったい何が問題だったのか薬局に向かう途中、フラフラになりながら私は考えた。昨日食べたもの、一昨日食べたもの、時間をさかのぼっても特に原因は思い出せない。正面を見ると横断歩道の青色が点滅している。いつもなら走るところだが今日は無理だ。信号待ちの間、私は何度も目を強くつぶった。日光を浴びた私のまぶたが、赤色に染まっているのが見える。心臓の鼓動が肌を伝って聞こえてくる気がする。外の世界の音もだんだんと小さくなって行く。全神経が自分自身の内面に向いた瞬間、全身の血液が凍り付く寒気を私は感じた……。
原因はあの日の出来事かもしれない。あわてて事務所に引き返すと、クロスバイクのチェーン鍵を解錠し、今度は事務所から一番遠い薬局に向っかった。誰にも見られたくなかった。眠気はいつの間にか覚めていた。薬局屋に着くと同僚がいないかを入念に確認し、私は胃薬と店で二番目に安いそれを買い癒鬱な気分で事務所に戻った。
この日一番の修羅場はコンペではなくこの事務所の小さなトイレの中だった。薬局で買ったそれを誰にも見られないように、こっそりとポケットに忍ばせてトイレに持ち込んだ。途中、伸子と一瞬目が合ったが気づかぬ振りをしてトイレに向かった。
トイレブースに入り、とりあえず座り大きく深呼吸した。説明書を読んだあと、袋を破り中身を取り出した。細いスティックには丸い穴が二つあいている。その穴に線が入るか入らないかで私の運命が決まるらしい。
1ヶ月続けてきたコンペの結果を待つより、この結果を待つ方が余程恐ろしい。
「陰性、陰性、陰性、陰性」と心の中で叫びながら、私は検査した。
審判はは一瞬で下された。丸い穴には線が一本づつ入っている。説明書をもう一度確認した。何度も説明書を見直したが、結果は陽性だった。私は妊娠していた。
「あってはいけない」
「そんな事ある筈がない」
「ありえない」
不安とともに眠気が私を襲ってくる。このまま眠気とともにどこか、遠くに行ってしまおう。亜子混乱の中は意識を解放した。
六
「コンコン、亜子さん大丈夫ですか」ノックする音で目が覚めた。トイレブースの向こう側で伸子が心配そうにしている。
「大丈夫よ、少し寝ちゃったみたい」と笑いながら私はこたえた。伸子は安心して戻って行った。検査の痕跡が残らぬよう寝入りに辺りを見回し、私はトイレをあとにした。
デスクに戻ってスマートフォンから彼氏の九太郎にメールをしたが、何時になっても返信はなかった。その日、私は体調不良を訴え早めに帰宅した。
コンペから解放された喜びも束の間、いきなり襲ってきたこの不意打ちに私は成す術がなかった。とにかく九太郎に伝えようと、何度も電話したが一度も繋がらなかった。こんな重要な時に限って、どうしてつながらないのだろう。
イライラしながら考え事をしているうちに、気がつくと自宅の前まで歩いていた。ドアを開けると、珍しく私の部屋には夕日が差し込んでいた。カーテンの隙間から夕日を眺めていると、太陽に何かの終焉を告げられているような気がして、自然と涙がこぼれた。私は不安を断ち切るかのように、勢いよくカーテンを閉めた。
とにかく今日は何も考えたくなかった。シャワーを浴びた後髪も乾かさずに、布団に潜り込んだ。うずくまったままスマートフォンに手を伸ばし、「九太郎、わたし妊娠したかも……」と短いメールを打って記憶は途絶えた。
あれからどれくらい経つだろう。睡魔から私を連れ戻したのは九太郎だった。今頃電話をしてくる九太郎に無性に腹が立った。振動する電話を見つめながら、私は沈黙を続けていた。しばらくすると、諦めたのか電話は震えなくなった。カーテンの隙間から見える空は、オレンジ色に染まっていた。
朝、ふ頭に向かうトラックの音で目が覚めた。ベッドから起き上がり、カーテンをゆっくりと持ち上げると、雲一つない青空が広がっていた。いつもなら爽快な朝だっただろう。しかし、私の表情は曇っていた。時計に目をやると十一時を少し過ぎている。だが今日はもう少し寝たい。現実から逃れるように私はまた布団に潜り込んだ。
七
再び目を覚ますと午後二時を過ぎていた。コンペの翌日は午後の出勤が許されている。今だけは誰からも拘束されない至福の時間だ。この時間を精一杯満喫したい。そのつもりだった。そう昨日までの私なら絶対に………。しかし、いま解放されたらきっとあの事を考えてしまうだろう。自宅で遅めのランチを取ったあと私はそのまま事務所に直行した。
事務所に着くと、予想通り何もする事はなかった。インターネットで新聞を読んでいたが、デスクにいるとついつい考え込んでしまう。私はコンペの残務処理を後輩に代わってすることにした。三十近く作った模型を一個づつ撮影したり、ホワイトボードから図面を剥がしたりした。なるべく目の前の事に集中しようと努力したが、やはり時々あのことを思い出した。感情が急激に上昇すると、私はトイレブースに駆け込みで心を落ち着かせた。この事務所には悩みを打ち明ける相手はいない。もう、この後どうしたら良いか私にはわからなかった。
昨日に続き、今日も私は早く帰ることにした。気分転換にクロスバイクで帰途についた。七時を過ぎだったこともあり、辺りは華やかだった。海岸通りには今も文明開化を感じさせる建物がいくつも残っている。海岸沿いに真っ直ぐ走るこの通りが私は好きだった。十一月には銀杏が綺麗に色づく。その通りを突抜けこの辺では老舗のホテルを通り過ぎた。中国人の歓呼客がカメラを持って記念撮影をしている。スピードを緩めながら私は右にハンドルを切った。暫く走ると中華街の門が見えてきた。昼間は観光客でにぎわう中華街も夜は別の顔を持っている。夜の中華街は、横浜でも指折りの老舗のバーが建ち並ぶ酒場でもあるのだ。私はその中の一軒のバーに立ち寄った。カウンターの長い店だった。ドライマティーニを頼んだあと、私は九太郎からのメールに目を通した。メールのは全部で十五通届いていた。九太郎から一日にこんなに沢山のメールをもらったのは初めてだった。全てに目を通したが、メールを読むごとにどんどんとマティーニが少なくなっていった。どれもつまらない内容だった。九太郎も私と同様に悩んでいるのがおかしかった。
九太郎から電話がかかってきてきた。少し話したが事実確認ばかりで誠意が感じられなかった。私は理由をつけて早々と電話を切った。半分は九太郎の責任なのに悩みを私一人が抱えるのが不満だった。
マティーニはゆっくりと私の怒りを沈めてくれた。アルコールのおかげで随分気が楽になった私は、手当り次第にメールを送った。他愛もない内容だったが、元所員の絵里子からすぐに返信があった。私は絵里子に週末会う約束をとりつけた。
八
翌日も九太郎は私にメールを送り続けてきたが、私は適当な返答を繰り返した。日曜日の午後、絵里子と私は桜木町で待ち合をしていた。久しぶりに会う絵里子は以前と変わらぬ抜群のスタイルでやってきた。職場結婚した絵里子は妊娠を機に退職し、今は専業主婦をしている。絵里子の旦那からは様子を色々と聞いていたが、こうして会うのは久しぶりだった。最近の関心事はソーシャルネットだという。「スマートフォンでもできるから、亜子もやってみなさいよ」と絵里子は私を半ば強引に会員にさせた。
絵里子は有名大学を卒業したいわゆるエリートだ。折角の学歴が勿体ないと思った。私は絵里子にもう一度働かないのかと尋ねると、絵里子は子供が大きくなるまでは働かないと答えた。働きながら子育てするのは大変なのだという。絵里子が言うのだから本当なのだろう。「世間では子供が熱を出すと職場に電話がかかってくるのよ。それで仕事を切り上げて迎えにいくのよ。信じられないでしょ」と絵里子は真面目な顔で私にいった。私は山下さんにそんなこといえるだろうか。どう考えても無理そうだ。また不安になった。
絵里子は他にもお金の事、保育園の事、絵里子はいろいろと話をしてくれた。専業主婦になると普段あまり話をしないから、こういう時こそたくさん話がしたいのだと言う。絵里子の話はとても参考になった。本当はもう少し聞きたかったが、妊娠を悟られるのではないかと思いそれ以上聞くのはやめた。
つい先日まで一生無縁に思えたことが、今は我が身に降り掛かかる試練に思えて仕方ない。絵里子の話を聞いている間、私は出産するのか、中絶するのかを同時に考えていた。私は絵里子みたいに潔くない。今のキャリアを失いたくない。
自宅に帰り、珍しくお風呂をはった。帰りに買ったバスバブを入れて、お気に入りのキャンドルを付けて私は大きくため息をついた。結論はまだ出ていない。
九
コンペが終わってから毎日お昼休みが確保できている。最近、ついに外で食事をするようになった。絵里子が勧めたソーシャルネットに、いつの間にか私も没頭していた。どういうわけかソーシャルネットでは暫く縁のなかった友達がたくさん連絡をくれた。最近の日課は、このソーシャルネットに目を通し、そのあと妊娠の勉強をすることだ。
私も踏ん切りがついたのか、次第に落ち着きを取り戻し、今後の事を少しづつ調べるようになっていた。どうもそろそろ病院に行った方が良いらしい。しかし、出産するのかどうか私には決断できていなかった。気付くと私は両方のメリットとデメリットを書き出していた。こういうことは職業病なのようだ。本当を言えばは子供を産みたいと思っている。女性に産まれたからには是非ともその特権を使ってみたい。しかし、そのためには沢山のことを犠牲にしなければならない。いまさら、建築家の夢を諦めるわけにもいかない。必死の思いで積み上げたこのキャリアを、絵里子みたいに棒には振る勇気が私にはなかった。
ある日、私は勇気を出して妊娠サイトに悩みを打ち明けてみた。期待に反して何の反応もなく、そのうち私も忘れてしまった。ところが先日一通のメールが届いた。差出人にはGODと書いてあった。本文には「行く先は横浜最古十一面観音、探す品は古の英知。されば道は示されん」と謎掛けのような言葉が書かれていた。私はこの文章がどういう意味なのか全くわからなかった。どう返信したら良いのか困り果て、文章ごと検索してみた。すると株式会社ピラミという会社と関係があるようだった。詳細を確認すると、ピラミは出産をサポートするの集合住宅であるらしい。場所は弘明寺観音から徒歩三分と書いてある。メールに書いてあった、「行く先」とはここのことだろうか。「古の英知」とはこの建物の形状か?。何となくマヤのピラミッドに見えなくもない。「されば道は示されん」というのは………問合せろということか………。
せっかく頂いたメールだったので、とりあえず私は問合せをしてみた。すると、すぐに返信があった。「おなじ悩みを抱えた人たちがいるから、一度見に来たらどうですかネ」と早速勧誘された。メールには地図と建物写真が貼付されていた。ここから地下鉄で十五分の場所だ。建物の内観写真も面白そうだった。
赤ちゃんのことは確かに気になったのだが、どちらかというと添付された建物写真が気になって私はピラミに行くことにした。見学は木曜日だった。
私は仮病を使って行くことにした。用意周到に月曜日からマスクをして出勤し、木曜日には予定通りの熱を出した。朝、会社に電話すると伸子が出た。高熱が出て体調不良で今日は仕事を休むと伝えたが、事前工作のお陰で疑いを持つものはいなかった。ピラミでの待ち合わせは十三時だったが、私はマスクをして少し早めにピラミに向かった。
十
弘明寺に行くのは初めてだった。横浜最古の寺院、弘明寺観音があるせいか改札を出ると、下町情緒の残る雰囲気だった。弘明寺駅から真直ぐに伸びる弘明寺商店街はレトロな雰囲気の商店街で、印象は悪くなかった。待合せにはまだ時間があったので、国宝の弘明寺観音を見に行くことにした。弘明寺観音は商店街をを抜けた先にあるという。アーケードを真直ぐ進むと、大岡川をが見えた。川沿いには桜の木が並び、春はきっと観光名所になるだろうと思った。さらに進むと、ついに弘明寺観音が見えてきた。観音様を拝見し拝殿にて、これ以上混乱しませんようにとお祈りを済ませたあと、私はピラミに向かった。
ピラミはお寺から徒歩三分の場所にあった。ピラミは街中にあるせいか、異物感とも言える異様な存在感を醸し出していた。時間があったので周辺を散策し、ピラミを何枚か撮影した。隣の建物が入らないようにアングルを調整し、人がいなくなった隙に何枚かシャッターを切った。あまり写真を撮りすぎると不審に思われるので、先に待合わせ場所である一階の中国茶カフェに入って待つことにした。
学生時代によく中華街の中国茶カフェに行ったのを思い出す。私はジャスミン風味の花茶を注文した。初対面の人に会うのはどうも落ち着かない。私はオーダーが来る前に先にトイレに向かった。トイレには、ルームシェアー募集のポスターが大きく貼ってあった。戻って見回すと、確かにルームシェアーの相談をしている若者達もいた。このお店ではそういうサービスもしているのだろうか。占いの道具が置かれている場所もあった。このカフェはいろんな用途で使われているようだった。
店員さんが、花茶を持ってきてくれた。 お茶を入れてくれたのは、背の高いスタイルの良い店員さんだった。少し頼りなさそうだったが、腕前は確かだった。店員さんは謝謝といって奥の方へ消えていった。
中国茶にはいろんな茶具がある。風味を楽しむための湯呑みや、お湯を捨てる茶船など、こうして見ているだけで私を楽しませてくれる。中国茶の中でも私は、花茶が一番好きだった。ガラスのティーポッドに咲く花がたまらなく美しかった。さすがに中国のお店だ。壁一面に茶箱が並んでいる。プーアル茶や、ウーロン茶だけでなく、知らない名前のお茶がたくさん並んでいる。ディスプレイの向こう側に数カ所窓が開いて内部が見える。あれがピラミの内部だろうか。定刻まであたりを見回し楽しんだ。
そのうち私のスマートフォンが震え出した。慌てて取ろうとすると先に電話が切れてしまった。向こうにいる店員さんと目があった。店員さんは微笑みながらやってきた。
「ニイハオ、あなたが亜子ちゃんネ。よろしくネ。私、バンちゃん。皆そう呼んでいるネ」
私の友達にはいないタイプの人物だった。軽い調子だったが決して嫌いではない。むしろ、今の私にはその方が助かる。
お茶を飲もうとしたらマスクをしている事に気付いて私は恥ずかしくなった。笑いながらマスクを外すと、バンちゃんもは
「なんだ病気なのネ。顔色良さそうだけどネ」
と私をからかった。バンちゃんは笑いながら厨房に行きピラミ資料と、黒いお茶を持ってきた。
「このお茶はネ。体にいいお茶なのネ、体あったまるネ」
「一気に飲む、もっと効くネ」
私は一気にお茶を飲んだ。お茶は少しアルコールの香りがした。
「今、子供たち寝てるネ。もうすぐ起きるから少し待ってネ」と言いバンちゃんは席を立った。資料を眺めながら、ふと目を上げるとバンちゃんが紹興酒を飲んでいる。仕事中にお酒を飲む人が山下さん以外にもいることに私は驚いた。
どういうわけかバンちゃんとはすぐに打ち解けた。いつしか花茶は紹興酒にかわり、いつの間にか私達は饒舌になっていた。バンちゃんは仕事中にもかかわらず長時間、話を聞いてくれた。外国旅行の話。お金の話。中華街の悪口。仕事の話。関帝廟も気に入った。家からもそんなに遠くないし、今度は、絵里子を連れて来ようと思った。
ほとんど愚痴だったが、バンちゃんは嬉しそうに私の話を聞いてくれた。私はずっと誰かに話を聞いてほしかったのだ。心の中に溜め込んだ悩みをバンちゃんに向かって打ち明けることができた。
そう、妊娠の話を除いては…………。
十一
これまで私の話を聞き続けていたバンちゃんが、初めて私に質問をした。
「それで亜子ちゃん……どうするつもりネ」バンちゃんは核心を突いてきた。いきなり本丸を攻撃された私は意気消沈してしまった。子供は産みたいけれど仕事も続けたい。この矛盾を解決する方法は一向に見いだせてなかった。「どう思いますか」と反対に私はバンちゃんに質問を返した。
「そんなの簡単ネ。産んでから考えるネ。ピラミの連中みんなそうネ。私たちがサポートしてるネ。無理しないネ」
私が真剣に悩んでいるのにバンちゃんは軽い調子で返答され失望した。私は質問するを間違ったことを後悔した。突然、後ろから声が聞こえた。
「あら、バンちゃん。この方なの。見学に来るって………」そうだった。すっかり話し込んでいたが、私は見学にきたのだった。「あぁ、そうネ。忘れていたネ」バンちゃんがいうと、後ろの女性はあきれた顔をしている。
「亜子です。お邪魔しています」私は立ち上がって挨拶をした。
「私は淳子、ピラミにようこそ」と女性は返事をしてくれた。
三人で暫く雑談したあと、バンちゃんは私にヘルパーさんを紹介してくれた。私はそのヘルパーさんと淳子と三人でピラミを見学した。
まず始めにピラミ内部の大きな空間に案内された。そこでは子供達が遊んでいた。この場所はクワイヤと呼ばれており、普段はフリースペースとして利用されていた。私はヘルパーさんにクワイヤの意味を尋ねた。クワイヤとは教会の内陣を指し神聖な場所なんだとヘルパーさんはいう。確かに夕暮れ前のクワイヤは天窓から夕日が差し込みで幻想的な雰囲気を醸し出していた。クワイヤは勾配天井で大きな窓の代わりに、天窓があちこちにちりばめられていた。長方形の空間の中心から周囲を見回すと中庭と、小部屋がいくつもあった。床は所々ガラスになっていて地下の様子が見えたり、金色の花瓶が飾ってある。通りに面して窓がないため、か外の賑やかな音は聞こえてこなかった。
中庭は決して大きなものではなかった。しかし、数が多く風通しも、採光も良さそうだった。中庭の一つで子供達が水浴びと日光浴をしている。プールまで完備されているのかと感心していると、ヘルパーさんがあれは浴槽なのだと苦笑いしながら、教えてくれた。
クワイヤの両側には幅一m程の廊下が続いていた。小さい部屋はそこにも並んでいた。クワイヤに面する場所の小部屋には沐浴室、洗濯室、調乳室、中庭が計画されていた。一方、廊下沿いの小部屋には赤ちゃんが眠る乳児室が面していた。決して大きい部屋ではなかったが、それぞれの部屋ごとに特徴的な飾り付けが施されていた。乳児室の壁面は二面がガラス張りになっており、乳児室越しに隣地の塀が見えた。
「亜子ちゃん、このお部屋の向こう側にガラスの壁があるでしょ。あそこがお母さん達のおうちよ」とヘルパーさんが説明した。乳児室と呼ばれる赤ちゃんの部屋はそれぞれが個室になっていて、そのまま住宅につながっていた。私は目を細めた。ガラスの反射で見にくかったが、確かに乳児室の向こう側に、もう一つ部屋が見える。
「こんな住まい、今まで見たことがない」私は驚いた。
奥に見える部屋は壁沿いに収納が伸びているようだった。しかし、手前のガラスが反射してよく見えない。家具を利用して功名にプライバシーも確保されている。向こうに人影が見える。このまま凝視してよいのか、わからず、私はちらちらと横目で見ていた。やはり誰かいるようだった。ヘルパーさんがそんな私に気付いたのか、「廊から見えるものは全て見て構わないわよ」といった。
いくら反射で見にくいからといっても、寝室までオープンにしている住宅を私は知らない。この人達はどこで寝ているのだろか。気になってわたしが尋ねると、ヘルパーさんは一列に続く収納の奥側を指差した。なるほど向こう側にも、もう一つ部屋がありそうだった。そこにはシャワールームはトイレもあるらしい。
ピラミの住宅は、プライバシーの確保された寝室ゾーンと開放性の高いリビングゾーンの二つに分かれていた。しかし、ここまでリビングを開放する必要があるのか私には疑問だった。ヘルパーさんに尋ねると、
「いま、虐待は住宅の中でたくさん起きているの。善良なお母さん達の中に、つい魔が差して子供に手を上げてしまう人達がいるの。だからピラミではそんな過ちが起きないよう、できるだけオープンにしているのよ」とヘルパーさんはいった。
私たちはもう一度クワイヤに向かった。廊下には新型のお掃除ロボットが徘徊している。子供が誤って食べないよう、清掃は二十四時間態勢でやっているのだという。おばちゃんがガラス戸の下を指差した。十センチ程空いている。ロボット型の掃除機が通る穴だという。これでピラミ中を掃除をしているのだという。家電オタクのヘルパーさんがが猛アピールして、バンちゃんに購入させたらしい。
ヘルパーさんはクワイヤに面する家族風呂、洗濯室、沐浴室、調乳室など一通り説明してくれた。そして最後に私は関帝廟の調理室に案内された。ここではカフェのオーダー以外にもピラミ住民の食事の準備もしているという。壁にメニューが貼ってある。朝食、昼食、夜食。夜食はお昼にメールが各住民に届くそうで返信があれば作ってくれるらしい。無理して頼まなくて良いのだが、栄養管理もされていて人気だという。弁当も作ってくれるらしい。私は料理が苦手だった。最近は毎日コンビニ弁当だ。入居するなら是非お願いするだろうと思った。
その後、カフェに戻りバンちゃんと契約について話をした。一番気になるのはやはり家賃だった。ピラミには二人用と四人用、二種類の住宅があった。しかし、どちらも思いのほか高かった。バンちゃんに理由を聞くと、ピラミは住民達でヘルパーさんを雇い、供用スペースを運営しているのだという。従って、それにかかる費用を折半すると提示した金額になるのだと教えてくれた。家賃はこの辺りの相場に一部屋足した金額に近かった。家賃と諸経費を合計するとそんなものだろうか。遠くの保育園にまで送迎しなくて良いのは魅力的だった。
バンちゃんは私に、必ずゼロ歳児から保育園に入れる確証はないし、保育園もいつ閉園になるかわからない世の中だ。少し高いと感じるかもしれないが、すぐ仕事に復帰することを考えるとこっちの方がはるかに得だとバンちゃんはいった。
最後にバンちゃんは女性の生涯年収を調査したグラフを私に見せ、
「要は未来への投資ネ。二十年後どちらが幸せになっているかを想像して決めてほしいネ」といった。
私はその場でどうするか結論を出すのはさけてきたくした。感触は悪くなかった。
つづく
ご一読有り難うございました。本当に嬉しいです。
何度も見直しているつもりですが、誤字脱字ありましたらお詫び申し上げます。
さて、ここから先、ピラミでの本格的な住まいが始まります。
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有り難うございました。
坂東 雄二
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