チンと鳴るたび、地球が10%ずつ死んでいく…100%に戻る村
✦チンと鳴るたび、
地球が10%ずつ死んでいく
――100%に戻る村――
………
この村では、
「足りない」という言葉を、
誰も使わない。
食材は減る。
命も減る。
それでも、
いつの間にか戻っている。
だから誰も、
空腹を心配しない。
そんな村が、
タイの山奥に、まだ残っている。
その夜、
電子レンジが「チン」と鳴った。
音は正確で、親切で、
いつも通りだった。
それなのに、
わしの体だけが、先に理解した。
――ああ、また何かが
戻らないまま終わった。
便利な音ほど、
終わり方がきれいすぎる。
地球が減るとき、
こんな音を立てるとは思わなかった。
………
★目次
■第1章 90%の同窓会
■第2章 山奥の住所
■第3章 減っても笑っている理由
■第4章 電子レンジの音、卵の音
■第5章 67歳、戻し方を持ち帰る
■第6章 面倒くさがられた男
■エピローグ 山の端から届いた手紙
✲あとがき
………
■第1章 90%の同窓会
高校の同窓会は、
紡績工場を改装した老舗ホテルで開かれた。
会費は、11,000円。
外観は歴史そのもの。
観光地のど真ん中に、
昔からそこにある顔をして立っている。
中に入ると、冷暖房は完璧で、料理は、
見た目だけは余るほど並んでいた。
「みんな、
かすかに残った青春を
思い出すために来とるんじゃろうな」
67歳のわしは、
円卓の端でグラスを傾けていた。
話題は決まっている。
血圧。
ひざ関節。
薬の量。
サプリの効き目。
誰かが言った。
「このサプリな、
1日3粒でええらしいで」
隣の男が、真顔で聞き返す。
「ほうか。
それ飲んだら、
お前は戻るんか?」
誰も笑わなかった。
会話は、何事もなかったように流れた。
その時、
わしだけ、少し息が詰まった。
料理は、きれいだった。
でも、なぜか舌が忙しくならない。
ローストビーフは柔らかい。
寿司は並んでいる。
ワインも、ビールも、焼酎もある。
それなのに、
どれも「遠い」。
そして「まずい…」。
噛んでいるのに、
どこにも着地しない。
「これなら、
5,000円でも
ちょっと高いな…」
そんな考えが、
自然に浮かんだ自分に驚いた。
食べ終わると、何も残らない。
満腹感はない。
皿だけが下げられ、
会話だけが、やけに賑やかになる。
その賑やかさが、
逆にこの部屋を空っぽにしていく。
ふと気づく。
この部屋にあるもの、
酒も、肉も、米も、
ここで生まれたものが一つもない。
全部、
どこか遠くから来て、
どこかへ消えていくものばかりだ。
それは、
わしの台所と同じだった。
包丁はある。
電子レンジもある。
でも、
「戻す手」は一本もない。
その時、
厨房から電子レンジの
「チン」という音が聞こえた。
正確で、親切で、いつもと同じ音。
なのに、なぜかその音だけが、
胸の奥に沈んだ。
あの音は、
終わりの合図だった。
料理の終わり。
青春の終わり。
そして――
戻れない生活の始まり。
わしは思った。
「これは100%の同窓会じゃない。
90%。いや、80%かもしれん。」
この部屋のすべてが、
二度と100%に戻らない気がした。
それが、
この同窓会で
いちばん怖かったことだった。
その日は、
今年いちばんの寒波が来ていた。
隣の県で雪が積もり、
高速道路では
車が何時間も動かなくなったという。
だけど、このホテルの中では、
雪の気配は一切なかった。
まるで、
世界から切り離された部屋のようだった。
■第2章 山奥の住所
その夜、
ホテルの部屋は、音が静かすぎた。
冷暖房は動いている。
テレビもついている。
それなのに、外の世界が、
最初から存在しなかったみたいだった。
窓の向こうは、ただの黒い背景。
世界が止まり、この部屋だけが
冷凍保存されている感じ。
落ち着くはずなのに、
なぜか長く居たくなかった。
理由は分からない。
ただ、
「ここでは何も戻らない」
そんな予感だけがあった。
そのまま、
無意識にテレビをつけた。
画面の中で、
空気の向きが変わった。
タイ北部。
ミャンマー国境近く。
カレン族の村。
その村に、住所はなかった。
郵便も来ない。
でも、その場所だけは
なぜか、はっきり分かる。
山の斜面。
谷をせき止めた小さな湖。
湖の上には、
妙に縦に長い金網の小屋。
小屋の上では、鶏が歩いている。
その下では魚が泳ぐ。
鶏の糞が落ち、魚が食べ、
人が捕り、骨が残る。
でも、
誰もその骨を捨てない。
干し、砕き、また鶏へ戻す。
野菜の皮も、
芯も、根も同じだ。
捨てず、戻す。
この村に
「ゴミ」という
言葉はなかった。
その時、
テレビの音の質が変わった。
それは、
チン、ではなかった。
「ぽとり」
何かが落ちる音。
でも、失敗の音じゃない。
次に、
水を割る
「ぱしゃ」という音。
そして、
硬いもの同士が触れる
「こつ、こつ」という音。
どれも小さい。
どれも急がない。
なのに、
その音には
人生の続きを感じた。
わしは、
画面から目を離せなくなった。
わしと同じ年頃の男が、
静かに言った。
「摂れば、減る。
それは自然の法則じゃろ」
「でもな、
元に戻さんのは
不自然じゃないか?」
「お前ら、
地球の法則を
忘れとらんか?」
その言葉は、
説明でも、批判でもなかった。
ただ、
事実をそこに置いただけだった。
それなのに、
胸の奥へゆっくり沈んでいった。
チン、と鳴って終わる部屋と、
ぽとり、と落ちて始まる村。
わしは、
はっきり分かった。
この村には、
地球に戻る音がする。
それが、
この村の住所だった。
■第3章 減っても笑っている理由
その年、村は日照りだった。
草が減る。虫が減る。
餌が減る。
普通なら、
卵が減り、肉が減り、
人の顔色が落ちてゆく。
だけど、村人は騒がない。
子どもは湖で遊び、
老人は火を起こし、
若者は魚を捕る。
まるで、遊んでいるように見える。
でも実際は、拾っているのだ。
湖の底。
水草の影。
小さな命。
減った分を、
別の場所から静かに拾う。
卵は少し小さくなる。
けれど殻は固い。
骨とミネラルが、
巡っているからだ。
理由は単純だった。
この村は、
減ったら必ず元に戻す。
日本は、
減った理由を
誰かのせいにする。
■第4章 電子レンジの音、卵の音
電子レンジは正直だ。
何を入れても、
同じ顔で「チン」と鳴る。
卵は、正直そのものだ。
食べたものが悪いと、
殻が割れる。
食べたものが良いと、
文句ひとつ言わず、
ただ固くなる。
卵は、
言い訳をしない。
隠しもしない。
どちらが
人間向きかは、
考えなくても分かる。
村の朝では、
卵が「ぽとり」と落ちる。
魚が「ぱしゃ」と跳ねる。
骨を砕く「こつこつ」という音。
その音は、
次へ渡った合図だ。
ここでは、
何も終わらない。
終わらせない、
という意思がある。
わしは気づいた。
100%とは、
減らないことじゃない。
減っても、
減ったままにしないことだ。
元に戻る速さは、
知識じゃない。
癖だ。
そしてその癖は、
頭より先に、体が覚えている。
■第5章 67歳、戻し方を持ち帰る
わしは、この村には住めない。
畑も湖もない。
けれど、
元に戻す癖なら、
この家に持ち帰れると思った。
卵の殻を洗い、乾かし、
すり鉢で砕く。
植木鉢の土に、
そっと混ぜる。
それを見て、
母が言った。
「あんた、
急にどうしたん?」
わしは少し考えてから、
こう答えた。
「仕事は辞めたけどな、
地球には、
まだ出勤しとるけぇ」
母は意味も分からず、
声を出して笑った。
でもその笑い声が、
この家でいちばん
長く残る音じゃった。
この家に、
劇的な変化はない。
テレビもそのまま。
台所もそのまま。
明日も、たぶん同じだ。
それでも、
何かが戻り始めとる。
減らしてきたものを、
少しずつ、元の場所へ返す。
それだけで、一日は終わらん。
だけど、
終わらんということが、わしには、
少しうれしかった。
■第6章 面倒くさがられた男
✲「日本版 カレン エフェクト」✲
最初にわしの街で起きたのは、
称賛でも共感でもなかった。
面倒くささだった。
ゴミの日の朝、
わしは集積所で少し遅れた。
分別が終わっていなかったからだ。
卵の殻を洗って、
乾かして、
袋に入れなかった。
それだけで、
いつもより5分遅れた。
後ろに並んだ人が、
小さく舌打ちした。
次に起きたのは、誤解だった。
「エコに目覚めたんですか?」
「意識高いですね」
わしは否定もしなかった。
説明もしなかった。
説明すると、
たいてい面倒になると知っていたからだ。
3か月ほどして、
目に見える変化は何もない。
わしの年金は同じ。
町も同じ。
病院も相変わらず人が多い。
ニュースも暗いまま。
わし自身も、
「何か変わった」
とは言えなかった。
ただ一つ、
ゴミ袋が軽くなったことを除いて…。
半年後、
近所の若者が、
同じように遅れてきた。
理由は単純だった。
「この前、
おじいちゃんが殻洗っとったじゃろ。
あれ、なんか気になって」
それだけだった。
思想も、信念も、
ビジョンもない。
町は変わらない。
行政も動かない。
制度も増えない。
それでも、
回収車の積載量が
ほんのわずかに減った。
誰も気づかない程度に。
1年後、わしは、
不思議と体調を崩さなかった。
良くなったとも言えない。
悪くもなっていない。
医者は言う。
「特に変わってませんね」
それでよかった。
壊れていないことが、
この社会では珍しいからだ。
変化は、広がらない。
正確には、広がり方が遅すぎる。
SNSでは映えない。
ニュースにもならない。
そうは言っても、消えもしない。
誰かが真似をして、
すぐやめる。
別の誰かが、
忘れたころに再開する。
その繰り返しだ。
わしは考えた。
「これ、広めるもんじゃないな」
広めようとした瞬間、
壊れる気がした。
わしがやったことは、
たったこれだけだ。
終わらせない。
説明しない。
急がない。
世界は変わらない。
それでも、
地球の壊れ方が少し遅くなる。
それで十分だと、わしは思った。
後から誰かが、
名前をつけるかもしれない。
「自己完結運動」
「新しいライフスタイル」
だけど、
それはたぶん、違う。
これは運動じゃない。
思想でもない。
終わらせない人の癖が、
静かに地球に残るだけの話だ。
■エピローグ 山の端から届いた手紙
――67歳のカレンの男より――
同い年の、
遠い町に住む友よ。
君の世界では、
ずいぶん多くのことが
「できない」と数えられるそうだね。
日曜大工ができない。
畑がない。
料理も苦手。
だから、
全部をスーパーに任せ、
天変地異が起きないことを祈りながら、
今日も誰かの作った食事を食べる。
それを
負けだと思ったり、
勝ち逃げだと思ったり、
君の毎日は とても忙しい。
でもね、安心してくれ。
こちらでは、それを人生と呼ぶ。
私たちも、
できないことだらけだ。
金は作れない。
時計は直せない。
都会の速さには、三歩で転ぶ。
だから、
できることだけを何度も触り直す。
それだけだ。
君は言ったね。
「100%にならない人生だ」と。
それも、
少し違う。
100%とは、
満たされている状態じゃない。
戻せる状態のことだ。
こちらの村も、
しょっちゅう80%になる。
70%の年もある。
雨が来ない日。
獣が多すぎる夜。
人が黙り込む季節。
でも、誰も慌てない。
戻し方を、忘れていないからだ。
君の町では、
“足りない”が怖いと聞いた。
こちらでは、
“戻れない”方が怖い。
私は67歳になった日、
特別なことはしなかった。
卵を拾い、魚を干し、骨を砕いた。
それで一日が、ちゃんと終わった。
年を取るとは、
減ることじゃない。
戻すのに、
少し時間がかかるようになるだけだ。
君は、ここへ来なくていい。
来たら、たぶん不便で困る。
でもね、
一つだけ持ち帰ってほしい。
やり方じゃない。
思想でもない。
君の癖だ。
殻を洗う癖。
皮を捨てない癖。
5分、触れ直す癖。
それだけでいい。
君が台所で卵の殻を乾かすとき、
私はここで笑っている。
同い年の男が、まだ地球に
出勤していると思うと、
少しだけ面白い。
人生は、勝ち負けじゃない。
終わらせるか、触れ直すか。
自分の癖に気づくか、
ただそれだけだ。
また書く。
山の影が、長くなったら。
■あとがき
――次の世代へ、
つまずきながら渡す話――
元に戻す、というのは
地球を完璧に回すことじゃない。
正直に言うと、わしにはそんな
器用なことはできん。
殻を一つ、落として割る。
皮を一枚、うっかり腐らせる。
5分のつもりが、10分かかる。
だいたい、
人生はそんなもんじゃ。
なあ、
笑うなよ。
そのうち、
あんたも同じことを
平気な顔でやり出すけぇ。
でもな、
それでええんじゃ。
その一瞬で、
生活は「正解探し」から
「ちょっとした遊び」に変わる。
うまくいかんから、次を考える。
忘れるから、また拾い直す。
それが、
あんたの生きとる感じなんじゃろ。
わしの暮らしは、今でも都会的だ。
スーパーに頼り、
食材がどこから来てるのか…
全く興味がない。
料理はただ 焼くだけ、
炒めるだけ…
実に 味気ない。
「まだ
小腹が空いとるわい(笑)」
そして、
たまに盛大に失敗して…
「ああ……なぜなんだ」
と、お酒を飲みながら
独り言を言う。
完成なんて、一生できん。
というか、
完成した人間なんて
わしは見たことがない。
でも最近、心だけが先に
思い出し始めた。
「これって
100%に戻る感覚かのう…?」
わしは、完全じゃない。
しょっちゅう間違える。
昨日やったことを、
今日もう一回忘れとる。
それでもな、
100%に戻る道が
ちょっとだけ見えた気がする。
若い人に、
一つだけ言うとしたら、
これじゃて…。
「わしの脳には癖がある」
そう思うだけで、
わしは前に進みすぎんで済む。
ちょっと面倒で、
ちょっと笑えて、
たまに恥ずかしい。
でもな、その癖は
ちゃんとあんたの中にある。
わしはそれを、
遅れて拾い直しただけじゃ。
もし、あんたが
人生が90%で止まっとる気がしても、
気にせんでええ。
残りの10%は、
たぶん戻す途中に落ちとる。
急がんでええ。
探さんでもええ。
そのうち、
あんたの癖を踏む。
踏んだ瞬間、あんたは
「ああ、これか」って分かる。
その時、
わしはたぶん
どこかでコーヒー飲みながら
ニヤニヤ笑っとる。
――
ほれほれ、
次はあんたの番じゃ。




