第〇七話 パトリシア・ギルメール侯爵令嬢
「別にいいけど……このお茶まだあるかい?」
「ありますよ……! コップをいただけますか?」
パトリシアは妙に嬉しそうな顔で私が出した木製コップを受け取ると、焚き火にかけていた少し大きめの鍋から先ほどの液体を汲んでコップへと注ぐと、笑顔でそれを渡してくる。
受け取ったコップから軽くお茶を口に含んだ後、どうしてもタバコを吸いたくなり帝国印の箱からタバコを取り出して口に咥えると、上目遣いで彼女を見る。
その視線に気がついたのかパトリシアは、気を使ってくれたのだろう『気になさらずに』と優しく私へ微笑む……綺麗な笑顔で見ているこっちが気恥ずかしくなる。
指を鳴らしてティンダーを発動させた私はタバコに火をつけて軽く紫煙を燻らせていると、彼女は頃合いと見たのか焚き火をじっと見つめながら話始めた。
「先ほどの反応でご存知かと思いますが……わたくしの家はギルメール侯爵家です」
「……知っているよ魔術師の名門……帝国貴族で知らなかったら偽物だ」
「アーシャさんって……貴族家の出身なんですね」
「見えないだろ……大したことない零細貴族だけどね、末席にはいるよ」
魔術師の証明である星の徽章を手にじっとそれを見つめるパトリシア……それを手にするまでにどれほどの研鑽を積んでいるのか、私には想像がつかない。
彼女達魔術師は文字通り、前世でいうところの魔法使いに相当する連中だ。
帝国の場合は『星屑の塔』と呼ばれる魔術師しか入れない養成所に幼少期より預けられ、専門の教育を受け卒業と同時に星の徽章を与えられる。
逆にこの星屑の塔に入れなければ、私のように簡単な生活魔法程度の術しか扱えず、本格的な魔術の真髄や知識は手に入れることは難しい。
「幼い頃に魔力の検査を受けて星屑の塔に入ることになったんですけど、どうも魔術師の仕事というのが合わなくて……」
「星屑の塔出身なら引く手数多じゃないのか? 少なくともエリートコースには載るだろ」
「それは優秀な人材だけですよ……わたくしは何をやってもうまくいかなくて……」
パトリシアは少し寂しそうな表情で星の徽章を見つめているが、魔術師も人間である以上優劣が存在し、仕事を簡単にこなすものもいれば上手くできないものがいるのは当然のことだ。
得手不得手は人間である以上どうしても発生する問題だからな……かくいう私も事務仕事などは本当に苦手だし、細かいチェックなどはそれほど得意じゃない。
ついでに言うなら私の料理の腕は壊滅的と言っても良いらしく、一度戦場で作った食事を食べた同僚がその場でぶっ倒れて帝国軍では初めて「まずい食事で同僚に危険を与えた」という間抜けな理由で懲罰房に入ったことがある。
「……人間なら仕方ないんじゃないか? 私も出来ないことの方が多いよ」
「そうなんですかね……」
「できる人間なら軍をクビになっていないさ」
「あはは……って笑い事じゃないですね、申し訳ございません」
自重気味な私の笑みに釣られたのかパトリシアは少しだけ微笑むが、それが失礼に当たるかもと思ったのか急に表情を変えて、頬を赤く染めて下を向いてしまう。
どこか儚い感じがするパトリシアの横顔は私の中の庇護欲を掻き立てられるな……金色の髪は少し長く腰のあたりまで伸ばされており、焚き火に照らされてキラキラと輝いている。
白い肌は貴族令嬢らしく透き通るようなきめ細やかさを持っているし、青く深い瞳には知性とそして儚いまでも高貴さを感じる光が宿っている。
「わたくしは魔法工学を専門に勉強していたんですけど、いざ仕事に入ってみると同僚があまりに優秀で……」
「ほう?」
「バーナビー・レミントンって方を知っていますか?」
バーナビー・レミントン……レミントン侯爵次男だったかな、確か。
帝国最高の魔術師と呼ばれ帝国中央軍の魔法工学研究に多大な功績があったとかで、皇太子であるレオニドヴィチ・ディル・ゼルヴァイン直々に勲章を授与したという弱冠二二歳の俊英。
評判はそれほど良くない……加虐趣味があるとかで、侍女を虐待したって訴えられてたが金でも積んだのか気がつけばその噂も立ち消えてたな。
近衛連隊にいるときに護衛任務で一度会ったことがあるが、貴族然とした男前で緑色の髪に赤い目をしたちょっと鼻持ちならないエリートって感じの男性だった。
私の胸を見て何事かよからぬことを考えていたようで、あの視線は本当にねちっこくて嫌だった記憶がある。
「……名前は知っている、有名人だったね」
「彼ほどの才能が同僚にいると自信がなくなってしまうんですよね……」
パトリシアは何事かを思い返したのか、はあ……と深く長いため息をつく。
まあ帝国は超実力主義の国なので、実績さえあれば昇進は思いのままだしバーナビーのように皇太子自ら勲章を渡しているとなると、将来は圧倒的な地位に上り詰めるかもしれない。
もしかしたら年も近いことがあって比較されたのかもな……人間てやつは優劣をつけたがるものだし、異世界であってもそれはたいして変わらない。
しかし……私はそこまで聞いて少し疑問を感じて彼女に尋ねることにした。
「……ちょっと聞いていいかい?」
「はい」
「それで……どうしてアンタの行き先がライオトリシアなんだ?」
疑問に思っていた……ライオトリシアは帝国でも辺境と呼んでも差し支えない場所だ。
帝都に残っている方がよっぽどいい待遇になるだろうし、魔術師であるからこそ、魔法工学の研究や魔法理論の追求、そして軍における特殊な役割など引っ張り凧になるはず。
確かにライオトリシアは辺境にしちゃ大きな街ではあるが、それでも魔法研究などをするのであれば帝都に残っていたほうが便利なこともあるだろう。
特にギルメール侯爵家の令嬢ともなれば、多少出来が悪かろうが婚約を申し込んでくる人間は後を絶たない。
私の問いかけにパトリシアはギョッとした表情を浮かべたのち、話していいのか少し逡巡していたものの、思い切って話すことにしたのだろう。
彼女は私の目をじっと見ながら、少し悲しそうな顔でぽつりぽつりと話し始めた。
「実は婚約の申し込みがあったのですが……レミントン侯爵家からだったんです」
「あー……もしかしてその、バーナビーがアンタの婚約相手か?」
私の言葉にこくりと頷くパトリシア……まあでもギルメール家からすれば渡りに船の申し出だったんじゃないかと思うな、それは。
貴族の令嬢はより良い婚姻を結び子を産むことで家を存続させる……この価値観は帝国だけでなく、大陸各国共通の認識だ。
女性は子供を産み家庭を守り、そして良き母として家を支えるという価値観が根付いている以上、貴族に生まれた女性というのはそれを否応なく押し付けられてしまう。
戦争中は戦う女性も多かったとはいえ、基本的には価値観は対して変わっているわけじゃない。
私のような、戦場を駆け回り婚約者候補が全滅した令嬢にも興味本位の釣書は来たりするわけだしな……もう今からじゃ遅すぎるのと、私自身が妻になるということが想像できずに断ってるけど。
当たり前だが男性としての意識が強い私なので、性的な興味は女性を対象にしているんだ……男性に触れられることすら嫌悪感を感じるのに結婚なんか出来るわけがない。
実家であるリーベルライト男爵家は実子の兄が一人いるので、彼に継がせりゃいいかって話になってるし、気楽なもんではあるが。
「わたくし、彼のことが怖くて……」
「そっか……まあ、確かに望まない婚約なんかしたくはないよな……」
だいたいわかった……パトリシアは婚約者から逃げるためにわざわざ辺境であるライオトリシアに逃げてるというわけか。
確かにそう簡単に追ってこられない場所ではあるが、それでも帝国領だぞ? 逃げ切れるわけではないだろうに。
逃亡中の令嬢か……アニメや漫画ならよくある話だけど、世間知らずのお嬢様がそう簡単に逃げ切れるような場所でもないんだよな、この世界。
パトリシアは私の手をぎゅっと握ってから懇願するような目で訴えてくる。
「アーシャさんは貴族出身とのことですが……わたくしのことを黙っていて欲しいんです!」
_(:3 」∠)_ トリシアは優しいですが、それは自信のなさにもつながっています
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