第〇六話 深い夢の中から現実へ
——それは少し薄暗い、でも私にとって馴染みの場所で聞いた言葉だった。
『俺たちが勝ったぞ! あのくそったれのヴォルカニア王国が降伏した……!』
通信用魔道具から聞こえる仲間の喜ぶ声、初めて戦場に出てから五年目のことだ。
私と仲間が聞いた戦争の終わりは案外あっけなく、そしてひどく現実味のない言葉に聞こえた。
転生してすぐゼルヴァイン帝国が大陸全土の国と戦っている、と聞いた時は何やらかしてんだよと素直に思っていたし、それでもなお戦線を維持し続けてきた兵士たちの血と汗と涙は如何程の宝石に例えれば良いのだろうか? とさえ思う。
敵国であるヴォルカニア王国は『統一戦争』において帝国にとって最大の、そして最後の敵であった。
保有戦力はほぼ互角、そして幾度の総力戦を経て王国首都を包囲した帝国軍は幾多の犠牲を払った結果、敵国の降伏を受け入れることになった。
戦争が終わる……それは兵士として戦い続けてきた自分の人生が一つの区切りを迎えるということだ。
だが戦争が終わった今、私は何を次に成せば良いのだろうか?
「……本当に終わった? 終わってどうすればいい?」
『何言ってやがる赤虎姫……クソみたいな戦争はもう終わりだ、やっと故郷に帰れるぞ』
「故郷か……ああ、でも私の故郷はもう……」
『お前ライオトリシア出身だって言ってたじゃねえか、何言ってんだ?』
「あ、ああ……そうだったか、そうだったよね……でも私にとっては……」
そうだ、私......いや俺という人格の故郷にはどうやって戻ればいいのかわからない、どうしてこの世界にいるのかもよくわからない。
ああ、いやだ……自分が暮らしていた世界において戦争とはひどく遠くの出来事に過ぎなかったはずなのに、この世界に転生してから命をかけた戦いは目の前にあった。
人間だけじゃない、凶暴で人を喰らう魔物もそうだ……幾度となく殺されかけた日々を思い返すと、私は突然嘔吐感に見舞われ慌てて口を押さえる。
胃がひっくり返りそうな気分‥…ふと自分の手を見ると、そこには今まで私が殺した人たちの血液が、ドロリとした感触とともにこぼれ落ちるのを感じて思わず悲鳴を上げてしまう。
もうすでに私の手は血に汚れてしまった。
平和な世界に暮らしていたはずの私の日常は、殺し殺され合う狂気の世界へと塗り替えられてしまった、平和に戻れない、帰りたくても帰れないんだあそこへは。
「もう戦いはしなくて……でも手から血が取れなくて……吐きそうだ、気分が悪い、悪すぎる」
『赤虎姫、外に出て深呼吸しろ……ひどく混乱しているぞ、落ち着け』
「あ、ああ……そうだな……何もかもぐちゃぐちゃだ、もうあそこへは帰れないんだ」
ゆっくりと重い鉄製のカバーを押していくとある一点から急に手応えが軽くなる……それまで半密閉されていた空間に光が差し込んでくると、血腥いながらも少し冷たい空気が中へと入ってくる。
少し高い場所から見る光景には、包囲していたヴォルカニア王国首都ガランサスの一部で炎が上がっているところが見える。
炎の下ではどれだけの人が死んでいるのだろうか? そしてその暴力と狂気の中心に俺はいたのだという罪悪感が心を押し潰しそうになる。
帝都に負けず劣らず巨大で荘厳な城塞都市……何ヶ月もかけて包囲をした中で仲間たちも多く失った、戦争に勝ったことで平和が訪れる。
だけど俺は歴史で学んでいる、力による平和はまた力によって奪われる可能性があることを、前世の記憶で知っている。
俺は通信用魔道具で少し気分が落ち着いたことを伝えようと、それに手を伸ばした……その瞬間、魔道具から聞き覚えのあるクラーク大佐の声が響く。
『アナスタシア・リーベルライト男爵令嬢……お前を追放するッ!!!』
「あ……っ……夢か……」
目が覚めると、視界には月明かりに照らされた夜空が広がっていた……この世界の夜空は美しい、星が幾重にも瞬き、二つある月がぼんやりと辺りを照らしているのだ。
やはり元の世界には戻れないのか……と私が深いため息をついて身を起こすと、乗り合い馬車に乗っていた乗客たちは思い思いの格好で寝息を立てているところだった。
帝都から辺境であるライオトリシアへと移動するには馬車だと数日かかるため、街道沿いを進む乗り合い馬車は道中何度か休憩を挟んで目的地に到着する。
街で休めれば本当は良いのだろうが、それはよほど運が良い場合であって大半はこうして野営する必要が出てくるのだ。
「……うなされてましたね、大丈夫ですか?」
「……お嬢ちゃんか……大丈夫だよ、いつもこんなさ」
パトリシア・ギルメール……魔術師にしてギルメール侯爵の令嬢は心配そうに焚き火へと枯れ木をくべながら、私へと話しかけてきた。
首筋がひどく冷たいのは汗をかいていたからだろうか……手を使って拭ってから気になって手のひらを見るが、そこには夢で見たのとは違って血は付着していなかった。
ほっと息を吐くと、トリシアは音もなく立ち上がって私へと近づくと、黙って少し奇妙な匂いのするお湯で満たされた木製のカップを渡してきた。
「落ち着きますから飲んでください」
「……あ、ああ……」
カップに満たされたお湯……それは薬草などを煮出したお茶らしく、思い切って軽く口に含むとほっとする暖かさと、少し爽やかな感覚のある香りが喉の奥を通り抜けたような気分になった。
ひどく疲れてしまっている私の心を満たすような、そんな心地よさを感じる……軽い苦味がこの液体が体に良いのだということを教えてくれているかのようだ。
温度も熱すぎず微温すぎずちょうど良い塩梅……自分が淹れたお茶はこんなに飲みやすくはないな、とカップに入った液体を飲み干す。
カップから口を離した後、深くため息をついた私を見たトリシアは、少しだけ優しく微笑むと再び焚き火へと視線をむける、
だがどうしても好奇心が勝るのだろう、遠慮がちに何かを言い出そうとして言い淀むと、決意したのか私を見て話しかけてきた。
「あの……アーシャさん、戦争はそんなに辛かったんですか?」
「そんなにうなされてたか?」
「ひどく苦しそうでした、声をかけようかと思ったのですが……」
野営するとどうしても見る夢……戦場の空気を思い出してしまうのだろうか? 私は宿舎で寝ている時にはあまり見ない夢を、野営ではどうしても見てしまう。
戦いが終わったあの日のことを、そこで自分が何をするべきなのだろうか? と悩み出してしまったことを……最後のクラーク大佐は初めてだが。
近衛を解雇されても大して辛くないかと思っていたが、私もどうしてそう言われることに少なからずショックを受けていたということか。
はぁ……と自嘲混じりのため息をついた私の様子がおかしかったのだろう、トリシアは不思議そうな表情できょとんとしたまま私を見つめる。
「いつもの夢だよ、戦争なんか行くもんじゃない……」
「そうなんですね、わたくしが学園を卒業したのは昨年なので、すでに戦争は終わっていたものですから……」
「昨年……? じゃあアンタまだ一九かそこらか」
「え、ええ……」
そりゃ若いはずだ……だがそうなってくると彼女の立場がよくわからない。
魔術師も騎士学園と同じで、専門の養成所があるのだが、そこは学園と違って幼少期から入学し世俗から離れて生活しなければいけない場所だったはずだ。
この辺りは大陸の国々ではあまり状況が変わらない……通常の兵士と違って育成に莫大なお金がかかる魔術師は貴重で、帝国では黙っていても錬金術のような魔法工学を司る技術官僚としての終身雇用が約束されていたりする。
気になるな……特にギルメール侯爵家の令嬢がどうして辺境の地であるライオトリシアへと向かうんだ? そんなことを考えているとトリシアが意を決したように私へと話しかけてきた。
「……あの、少しお話ししませんか?」
_(:3 」∠)_ 夜の身の上話タイム
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