第五六話 惑いの日々
『おい、赤虎姫ッ! そっちに追い込むぞ!』
「ん? ああ……わかった」
タラスの駆るヴィギルスが両手で持つ戦斧を振るが、その攻撃をギリギリで躱したケルベロスが私に向かって走り出す。
この魔物は三つ首の黒い狼の姿をしているが、その大きさが尋常ではない……体高は四足歩行の状態でも四メートル近くある上に、瞬間的には時速四〇キロ以上で走る厄介な存在だ。
当然のことながら人間は彼らにとって捕獲しやすいおやつみたいな存在なので、恐れることなく人里近くまで出てくることでも知られる。
軍隊でも結構この魔物を追い返すなんて仕事をやったけど、大きさが大きさであり人形騎士の操縦席ごと食いちぎられるなんてケースもかなり発生したので、人類にとって脅威とも言える魔物であると断言しても良い。
……この世界こんな化け物ばっかりだな、とは内心思うけど。
『アーシャさん! この個体結構大きいです!』
「ん、そうだね……大きいねぇ」
『ちょっと、聞いてますか?!』
通信用魔道具からパトリシアの声が響くが、私はヴィギルスの操縦席に乗った状態で、どうにも集中できずに赤い瞳を輝かせてこちらを睨みつけるケルベロスの姿を見ていた。
三本あるうちの一つがぐったりとしているが、よく見ると首に大きな裂傷がつけられておりタラスが一撃を入れているのがわかる。
タラスが乗るヴィギルスは私の乗機と少し違い、多板装甲と名付けられたケレリスのような装甲システムが導入されていて、見た目が全然異なっている。
それはそうと、幼馴染であるアルフレートに婚約を申し込まれたことも思考を乱しているのは確かだが、パトリシアが嫉妬からなのか妙に積極的な態度を見せたことに混乱したままだ。
唇を指でそっとなぞると、先日パトリシアの唇が触れた柔らかな感触が蘇ってくるような気がして、心臓がドクン、と大きく脈打った気がした。
なんであんなことを……私はあまりに違うことを考えながらも、体に染みついた人形使いとしての本能で、ヴィギルスを身構えさせる。
『赤虎姫そいつを抑え込め、俺がさっき切り付けたことで弱ってるはずだ!』
『アーシャさん! なんか動きがおかしいですよ?!』
「そんなことない……ないよ、多分」
『お、おい大丈夫か?! パトリシア様、どうなってる?!』
『アーシャさん!? 聞いてますか? アーシャさん?!』
アルフレートは良いやつだ、それは幼い頃に兄のような存在としてよく遊んでもらってたし、仲の良い友人としてこれからも付き合いたいと思う人物である。
ただ、彼はそう思ってなかったのだろう……子供の時にはまるでそんな目で見られているとは思ってもいなかったんだよな、それが余計に集中力を乱す原因にもなっている。
ヴィギルスが長剣と小盾を身構えたことで、ケルベロスは怒りに満ちた表情で牙を向いた。
唸り声が周囲に響き渡ると共に、魔物の体表に赤いラインが浮かび上がっていく……ケルベロスは地獄の番犬、と言うのは前世のイメージだが、この世界では炎の魔力を宿していることが知られている。
体に浮かび上がったラインに沿って、ボワッ! という軽い音と共に炎が噴き出すのが見えた……ケルベロスが吐き出す『炎の息』は直撃すれば人間など消し炭になる厄介なものだ。
「……いや、それだけじゃないか……」
「ゴアアアアアアアアッ!」
叫び声と共にケルベロスの口から炎が撒き散らされる……思考が乱れている私はほんの一瞬だけ反応が遅れてしまい、咄嗟にヴィギルスを横っ飛びさせて難を逃れる。
それまで私が立っていた場所に渦を巻く炎……精霊の力にも似ているが、単に炎を放つだけでなくその形状も変化させる能力は非常に強力だ。
前に出ようとした私の視界に、装甲馬車の屋根から上半身を出したパトリシアの姿が入った……その瞬間、彼女のイメージにはそぐわないが妖しくも美しいあの表情が脳裏に浮かぶ。
あの時感じた羞恥心とほのかに灯った熱の感覚が、自分の下腹部に蘇った気がして、思わず息を飲み込んだ。
その一瞬の隙をついてケルベロスの姿が消える……人形騎士の視界は頭部にある目に映るものを操縦席内のモニターへと投影している。
当然のことながらその視界はそれほど広くなく、戦術教本などでは常に敵を正面に捉えることとされているのだ。
「消え……どこへ……!」
『上ですッ!!』
「ッ! うわあああっ!」
悲鳴に近いパトリシアの声に反応して上を見上げると、太陽の光を遮るように巨大な黒い影が視界を覆い尽くす……次の瞬間凄まじい振動と衝撃で私は悲鳴をあげる。
ヴィギルスはケルベロスにのしかかられた状態で身動きを取れなくなっていた……強い衝撃で頭がくらくらするなか、唸り声を上げた魔物が頭を食いちぎろうと人形騎士の顔に当たる部分に牙を突き立てた。
ズガン! という鈍い音と共に再び振動が操縦席を振り回す……獲物を食いちぎるために相当な重量のある人形騎士を振り回そうとしているのだ。
こいつ……! と私は操縦桿を操作して魔物の腹へと拳を叩き込む……メキョメキョッ! という鈍い音と共にヴィギルスの拳が砕ける音と、それでもケルベロスは頭部へと喰らいつくのをやめて慌てて地面を転がっって距離を離す。
『何をやって……足を止めます!』
「……い、いや……ちょっと……」
『……冬の静寂より現れよ、氷の槍よ。我が敵の心臓を貫け! 氷の槍ッ!』
パトリシアの詠唱と共に、彼女が突き出した手を始点に空気を凍り付かせてケルベロスへと鋭い氷が幾重にも伸びた枝のように広がっていく。
空気を凍てつかせる氷は、魔物の体へと絡みつくと触れた皮膚を一瞬にして凍り付かせていくのが見えた。
なんて威力……普通の魔術師ではあれほどの速度で、氷の槍は伸びていかないし超高熱の炎を吹き出すケルベロスの炎を凍てつかせるなどできないはずだ。
悲鳴をあげたケルベロスだが、魔術の力に対抗しようと炎を全身から吹き出していく……だがその動きを止めた瞬間、ようやく追いついてきたタラスの一撃が魔物の首を一つ切り落とした。
『オラアアアアアアアッ!』
「ギャアアンッ!」
「タラス、危ないッ!」
一撃で切り落とされた首から大量の血液が吹き出していく……もう一本残った首は怒りと共にタラス機の左肩へと喰らいつく。
バキバキバキッ! という鈍い音と共にヴィギルスの装甲が一撃で噛み砕かれる……損傷箇所から青く輝く生命の水が一瞬舞い散るが、すぐに器官閉鎖を行ったのかその勢いは一瞬で収まっていく。
私は一気に機体を前に出す……その瞬間だけは何も考えずに、ただ目の前で苦悶の表情を浮かべて唸るケルベロスの顔にだけ意識を集中させた。
損傷して視界の一部に欠損があるなか、右手に握った長剣を一気にケルベロスの心臓があるであろう胸へと叩き込む。
ドンッ! という鈍い音と衝撃、そしてその一撃でケルベロスはびくん、と大きく体を振るわせた後、赤く光る瞳から失せていく輝きと共にその巨体が崩れ落ちていく。
「……やった、か?」
『……なんとかな……』
魔道具からタラスの不機嫌そうな声が響く……私はほっと息を吐くが、先ほどの一撃でヴィギルスには大きな損傷が生まれているのか、各部から軋み音が発生し始めていた。
集中できない、というのは人形使いとして生活してから初めてのことで、私はなぜ戦いの最中にあそこまで違うことを考えていたのか、自分がどうにも理解できなくなっている。
ため息をついて顔を覆う……だめだ、こんな状態で何も整理なんかできやしない……操縦席に座ったまま黙り込む私に向かって、パトリシアが心配そうな声をかけてきた。
『あの……アーシャさん? 本当に大丈夫ですか? 先日からどうにも様子がおかしくて……もしお疲れなら少し休む方が良いかと』
_(:3 」∠)_ TSならではの葛藤……か?
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