第五二話 ライオトリシアの支配者
「……エミリー・エゼルレッド、女伯爵閣下の副官を拝命し、御前に罷り越しました」
「遠い辺境まで疲れたでしょう? 座って楽にしてね」
ライオトリシアの中心にあるムヒ・パレト城の一角にある執務室。
辺境都市の実質的支配者であるマルガリータ・カリェーハ女伯爵が使う部屋にしては随分と落ち着いた雰囲気なのだな、とエミリー・エゼルレッド元帝国軍中尉は内心驚きを隠せなかった。
仕事柄どうしても抜けない癖ではあるが周りに視線を配ってから、女伯爵に向かって帝国式の敬礼をして勧められた通りにソファへと腰を下ろす。
すでに自分は軍人ではない、という事実はあるが長年染みついた所作はそう簡単に抜けるものではない。
「あらあら……エゼルレッド伯爵令嬢はお堅いのね」
「あ……そ、その……申し訳ありません、自分は軍生活が一〇年以上あるもので、どうしても癖が抜けず」
「そうなのね、わたくしは軍人ではないからそう堅くならずに」
マルガリータ・カリェーハ女伯爵……『辺境の女狐』という悪名すら持つ帝国大貴族の一人であり、女伯爵という肩書きではあるが、帝国貴族の中でも長い歴史を持つカリェーハ家の女主人である。
彼女が女狐と呼ばれる所以はその見事な手腕に他ならない……ライオトリシアはマルガリータの手によって辺境とは思えないほどに発展し、巨大な経済圏を手に入れている。
人形騎士の開発拡大なども彼女の先代から加速し、今では辺境随一の建造能力を誇っている。
政治家としての手腕、そして判断能力は他の追随を許さず外交などの手腕においても帝国貴族の中でも実績が非常に高い。
女狐という悪名は彼女をやっかむ他の貴族からつけられた悪口に他ならないのだが、彼女はそれを嬉々として受け入れそしてカリェーハ女伯爵の家紋をわざわざ狐の紋様へと変更してしまった。
「女伯爵閣下の副官についてですが……自分は何をすれば良いでしょうか?」
「そうねえ……まずはこの街を知ってもらうところかしら」
「知る……ですか?」
「そうでしょう? 軍人も敵地を偵察し知るところから始まるの、それは政治の世界も一緒よ」
「そ、そうなのですね……」
エミリーはテーブルに置かれたカップを手に取ると、その中でゆったりとした湯気を立てているお茶を軽く啜る……ハーブをふんだんに使用したライオトリシア特産のお茶はホッとする味でほんの少しだけ気分が落ち着く。
自分が落ち着かない理由はもう一つあった……カリェーハ女伯爵の佇まいが政治家貴族という印象ではなく、歴戦の兵士にも似た独特の雰囲気を持っているからだ。
元々軍人であるエミリーは事務方の仕事が多いながらも前線勤務の経験が長い人物である……本能的に目の前で微笑みを浮かべる女伯爵の放つ雰囲気に呑まれている、という警戒感を感じていた。
「グラディス坊やからはアナスタシアと共に貴女をお願いする、という依頼を聞いているわ」
「殿下がですか?」
「おそらく……坊やの目には何かが写っているのでしょうね、帝国が変わる何かが」
マルガリータは手に持ったカップから立ち上る湯気を見つめながら、少しだけ寂しそうな表情を浮かべる……五年前に戦争終結するまで、彼女の治世においても数多くの犠牲者が出ている。
ようやく掴んだ終戦と勝利、だが帝国の内部はあっという間に腐敗し、権力構造は複雑かつ奇怪なものへと変化してしまった。
それまで健康そのものだった皇帝ドリスタン・フォレ・ゼルヴァインが病に倒れたことで、皇子たちの権力闘争に歯止めが効かなくなったことも影響している。
レオニドヴィチ皇太子は武に傾倒し過ぎており、テーオドリヒ第二皇子は冷厳で官僚には人気があるがバランス感覚を欠いている。
「殿下はお二人の皇子は国を知らないとお話になられておりました」
「そうでしょうね、わたくしが坊やについているのはそれを理解してくれているからよ」
「この先何が起きるのでしょうか……」
「少なくともレオ坊とテオ坊どちらが皇帝に即位しても国が荒れるでしょう、グラディス坊やはそれを見越しているんでしょうね」
食えない皇子だ、とマルガリータは内心ため息をつく……彼は人並みはずれて聡すぎるのだ、昔から。
我を忘れるほど怒り狂う時もあるが、根本的にはすべて計算しながら行動している打算の塊のような皇子、だがその野心を見せずに行動することなど造作もなくやってのける。
その割には自分の目をかけた人物に何かが起きると、損得勘定抜きで助けに入ったりと矛盾の塊のような行動を見せる。
そこが気に入っている部分ではあるが、必要な情報をすべてまとめずに丸投げしてくるところだけは、非常に皇帝陛下にそっくりなのが腹立たしい。
「説明をしたがらないのは陛下そっくりなのが腹立たしいわねえ……」
「……それは確かに……」
「でもまあ、優秀な副官は欲しかったのよ、おそらく坊やの目的のためにライオトリシアとアナスタシアは必要なのでしょうから」
「彼女は今お元気ですか?」
「衛兵隊で活躍しているわ、グラトニア討伐で信頼も得たようね」
アナスタシア・リーベルライト、戦時中に赤虎姫の異名で活躍した人形使いであり、本人はそこまで認識していなかったが帝国最強とも言われた存在である。
帝国軍の人形使いで名のあるエースは基本的に変わり者が多いが、彼女はその中でもトップクラスに変人である……軍の記録によれば貴族令嬢でありながら粗暴な言動が多く、ちょっかいを出してきた男性兵士を殴り飛ばすくらいは平気でやってのける。
黙っていればかなりの美女であるため、婚約者候補がいたこともあったが、すべて戦死で失ったことで婚約を拒否している……これは貴族令嬢としてはあり得ない行動とされている。
なお、料理の腕は壊滅的で意図せずだが所属小隊を全員食中毒にして懲罰房に叩き込まれた経験がある……などなど、最終階級が少尉だったのは男爵家出身ということもあるが、本人にも多くの問題があったことからだ。
「よかったです、近衛ではちょっと浮いてましたので……」
「改めて彼女に釣書を送る手合いが増えているそうよ」
「……怒るでしょうねえ、それは」
「この間はなんとかしてくれって、男爵家を通じて泣きついてきたわ」
マルガリータはクスクス笑うが、その表情からしてエミリーには二人の関係性がなんとなく見えてきた気がした……第三皇子は何も言わなかったが、カリェーハ女伯爵はアナスタシアの理解者の一人なのだ。
自分が共闘できる人物のもとに信頼できる副官を送り込んだ、と思えばまあ理解できなくもない……軍生活が長かったエミリーからすると強制的な除隊は歓迎できないのだが。
マルガリータは少し考え込むような仕草をしてから、エミリーに向かって優しく微笑む……目はまるで笑っていないのが逆に彼女に背筋を伸ばさせるきっかけになったが。
「エミリー・エゼルレッド伯爵令嬢にもう一つ仕事をお願いします、衛兵隊参謀を兼任してください」
「え、衛兵隊参謀?」
「副官業務と言っても私には長年支えてくれているセバスチャンがいるし、正直貴女を遊ばせておくのはもったいないと思ったの」
エミリーは彼女の後ろに控える侍従であるセバスチャンという初老の男性へと視線を動かす……表情はまるで変わっていないが、とにかく隙がない。
いざという時は女伯爵の護衛としても動ける人物なのだろうが、さっきから感じる視線は彼のものなのだろう。
エミリーはカップをテーブルに静かにおくと、静かに立ち上がり……そして帝国式の敬礼を持って女伯爵へと返答を返した。
「承知いたしました閣下……私にできることであれば何なりとやらせていただきます」
_(:3 」∠)_ ようやくエミリーさん再登場
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