第〇五話 第三皇子は赤虎姫(ティグレス)がお気に入り
「帝国の若き太陽、第三皇子殿下にご挨拶申し上げます」
「……楽にして良い、そこに座れ」
エミリー・エゼルレッド中尉は背中を伝う冷たい汗が流れるのを自覚しつつ、目の前で自分を見つめる偉丈夫の男性が放つ視線に射すくめられていた。
グラディス・バルハード・ゼルヴァイン第三皇子……ゼルヴァイン帝国における最高権威である皇帝の実子にして帝国軍元帥の地位にある若者は、ゆったりとした帝室専用の白いローブに身を包み、不遜な表情でソファーに腰を下ろしていた。
白銀の髪に榛色の瞳……身長は一九〇センチメートルを超え大柄かつローブに隠された肉体は鍛え上げられており、彼自身が皇子という立場に胡座をかいているような人物ではないことを窺わせる迫力があった。
ゼルヴァイン帝国は絶対的な君主である皇帝を頂点とした君主制を敷く国家だ……先の『統一戦争』において帝国は一〇〇年に及ぶ激戦に勝利し、近隣諸国を平定して戦争を終結に導いた覇権国家として大陸に君臨している。
帝国は緻密な官僚機構と議会政治による運営しているが、その実絶対的な権力者である皇帝とその親族が帝国法そのものに近く、一部の例外を除いて帝室の出す命令は法を飛び越えることがままある、とされている。
エミリーが敬礼をした後用意された椅子に腰を下ろすとグラディス皇子は口を開いた。
「……それでエミリー、報告を聞かせよ」
「は、はい……自分も初耳でしたが……」
エミリーはことの次第を自分が見聞きした範囲で説明を始める……近衛連隊へと配属されたアナスタシア・リーベルライト少尉とグリン・リー・クラーク大佐との折り合いが日頃から悪かったこと。
クラーク大佐の公私混同甚だしい命令をアナスタシアが断ったこと、そしてそれを機に大佐が彼女を敵視し、何度か嫌がらせじみた行動を起こしていたこと……そして先日大佐が議会承認と官僚を動かして彼女を軍から強制除隊させてしまったこと、など。
できるだけ他の兵士からも状況を聞き取ったものの、少尉の側にはあまり瑕疵はなく、どちらかというと近衛兵からは尊敬されていたこともあって、今回の騒動は緘口令が敷かれているものの、情報提供には好意的な人物が多かった。
そこまで聞くとグラディス皇子は両手を組んで眉を顰めると、絞り出すような声で話し始めた。
「……可愛い赤虎姫に安全な場所にいてほしいと考えて転属に許可を出したのが間違いだったか……」
「彼女はひどく前線向きの人物です、近衛の証言でも居心地が悪そうにしていたことは聞いております」
「戦争が終わって奴の真価を見極められん輩が増えた、ということか……」
グラディスがアナスタシア・リーベルライトを気に入っていることはエミリーも理解している……寵姫として囲う気はないのだが、実働戦力としての彼女は極めて有能であると認識しているからだ。
いや、彼女のスタイルの良さを考えるとある程度の実績を積ませてから、第三夫人くらいにしてしまおうと考えているかもだが、肉親同士による血みどろの政争に明け暮れるグラディスがアナスタシアを単なる情婦として考えているわけではないことは理解できた。
リーベルライト公爵家の隠された令嬢……帝室に関わることになったエミリーはそれをグラディスから教えられ、流石に驚いた。
エゼルレッド伯爵家だけではないが、ご落胤の類や育てられない子女を別の家に養子にやるというのは特段珍しいことではないが、そんな令嬢が戦場で活躍しあまつさえ一部からは英雄視されるなど前代未聞の事態だからだ。
「あいつはな、本物の猛獣なんだ」
「……も……猛獣ですか?」
「そうだ、あいつが戦場で暴れ回る姿を見たことがあるか? 俺は昔あいつに助けられてな……それ以来あれだけの怪物が他の兄弟の手駒になるなどまっぴらごめんだと思っている」
赤虎姫という異名はアナスタシア・リーベルライトの戦いぶりから呼ばれた二つ名だが、驚くことに、この愛称は敵国であったヴォルカニア王国の兵士から付けられたものだという。
今でも王国の兵士たちはアナスタシアの戦いぶりを覚えているようで、彼の国では『悪いことをすると赤い虎がやってくる』という噂話をして子供を寝かしつけるとさえ言われている。
それ故に帝都の守り、帝室を守る最後の盾として彼女を近衛へと配属させたのだが……今回は一部の暴走と、彼女を疎ましく思っていたであろう軍属、軍官僚により解雇されてしまったということなのだ。
「それであいつは何をしている?」
「それが……先日ギルドに出向いたところまではわかったのですが」
「なんだそれは……貴族令嬢がギルドで職探しをしたのか?」
「は、はい……そこでどうやら平民出身の職員から大変失礼な扱いを受けたそうでして」
「……失礼な扱いだと?」
「そ、その……娼婦の斡旋を……」
恐る恐る発したエミリーの言葉が終わるか終わらないかのタイミングで、グラディスがソファのアーム部分を素手で握りつぶし、バキイイッ! という音を立てて砕け散る。
ヒイッ! と悲鳴をあげて慌てて自らが座っていたソファの影に急いで隠れようとしたエミリーを見て、グラディスは怒りを隠しもしない凶暴な表情で彼女へと一瞬で詰め寄り、片手で彼女の首根っこを掴んで持ち上げた。
ミシミシという音を立てて首が締まるのを感じたエミリーは必死に争おうとグラディスの腕を引き剥がそうとするが、圧倒的な筋力を持つ皇子の腕はまるで動かず彼女は次第に視界が狭まっていくのを感じた。
だが……すぐに冷静になったのだろう、グラディスはすぐに彼女を離すと彼女の小柄な体が床にどすん、と落ちエミリーは必死に咳き込む。
「……娼婦の斡旋だと?! あいつが身を売るなど俺が許さんッ!」
「ゲホッ……ゲホッ……! だ、大丈夫です殿下……彼女はそれを断り職員と揉めて……!」
「それを早く言えッ! 俺の赤虎姫……アーシャが有象無象に汚されるなど……その職員の家族郎党を百度皆殺しにしても飽き足らぬわ!」
どれだけ執心しているのだと咳き込みながらエミリーはグラディスの行動に呆れ返るが……それでも本当に彼女が娼婦にでもなっていれば、帝国ギルド支部の職員は秘密裏に消されていた可能性すらある。
帝国における絶対的な無法……それがゼルヴァイン帝国の帝室というものだ、それが許される故に彼らはその権力の使い方を徹底的に学ばされ、よほどのことがない限り無法に振る舞うことはない。
だが……一度タガが外れれば、無法の極みと化すどうしようもなく獰猛で残酷な支配者、それがゼルヴァイン帝国の皇帝一族なのだ。
歴史に埋もれた秘密の中には、無法と暴虐に彩られた様々な悲劇が記録されているが、それを普通の人間が知ることは決していないだろう。
ふうううっ! と深く息を吐いたグラディスは怒りを鎮めるかのように何度か深呼吸を繰り返す。
「それで? アーシャはどこへいったのだ」
「最後に確認されましたのはライオトリシアに向かう乗合馬車だそうでして……」
「アーシャの故郷か……」
グラディスは顎に手を当てて何事かを考えるが、エミリーは先ほど殺されかけたこともあって怯えから体の震えが止まらない。
冷静であれば非常に公明正大な判断を下し、慈愛に満ちた笑顔を浮かべることのできるグラディスの真の性格をまざまざと見せられて彼女は目の前の皇子もまた怪物であることを理解した。
少しの時間黙っていたグラディス皇子はエミリーへと視線を向けると、他所向きの柔和な笑顔を浮かべて笑い、彼女へと言葉を投げかけた。
「よし……まずはアーシャが故郷に戻るのであれば男爵家がどうにかするだろう、その間に愚か者どもの所業を洗い出すとしよう」
_(:3 」∠)_ 権力持ってる狂犬皇子様って厄介だよね
「面白かった」
「続きが気になる」
「今後どうなるの?」
と思っていただけたなら
下にある☆☆☆☆☆から作品へのご評価をお願いいたします。
面白かったら星五つ、つまらなかったら星一つで、正直な感想で大丈夫です。
ブックマークもいただけると本当に嬉しいです。
何卒応援の程よろしくお願いします。