第二二話 リーベルライト男爵家
——ライオトリシアの中心街から外れた場所、少し小高い丘の上に貴族地区があり、その地区の外れに私が幼少期に育った男爵家の屋敷がある。
「一〇年以上戻らずか……」
リーベルライト男爵家の屋敷は、貴族地区の中でも少し外れた位置に存在している。
前世の日本で考えると凄まじい広さの土地には一面の花畑と小さな小川が流れており、美しい風景の中にこれまた結構なサイズの屋敷がポツンと建てられている。
帝都に移住してからこのサイズでも全然小さく、むしろ慎ましい大きさだというのを嫌ってほど思い知らされたわけだけど、それでも私の感覚からすると全然大きな屋敷だと思う。
実家であるリーベルライト男爵家は、本家からすると全然縁遠い家にもかかわらず本当に何不自由なく暮らせるくらいの財産があるから、本質的に私はかなり恵まれた生活を送っていたと言えるだろう。
緩やかな風に煽られて花畑から花びらが舞う……美しい光景だが、すでに子供の頃に見た光景とは少しだけ違っている気がするのは、私自身の時間が経過しているからなのだろう。
屋敷を見て、パトリシアがわぁ……という表情をしているが、何が言いたいのか大体察しているので貴女の実家もっとデカいもんな! と内心私は思っている。
「……なんて申し上げればいいのか、可愛いお屋敷ですね」
「言葉を選ばないでいいよ、男爵家としては平凡な屋敷さ」
「申し訳ありません……」
「なんで謝るのさ……トリシアが良家のお嬢様なのは理解しているよ」
パトリシアは侯爵家の出身であって、帝都の貴族とはいえ彼女の住んでいた屋敷はこの数倍大きいし、土地なんか地平線の向こうに屋敷の一部が見えるくらいだろう。
それに対し一般人、つまりは帝国臣民の家は驚くほど小さく隙間風だらけなのだ、というのを軍に入ってから嫌というほど知ることとなった。
戦場で訪れた村に建っていたのは随分小さな小屋だらけだったもので、なんだこの掘立て小屋は? と思ったらそこで家族一〇人が暮らしてると聞いて仰天したものだ。
ある意味私も異世界転生して貴族の生活に毒されているのかもなあ……それも軍隊生活の過酷さでもう遠い過去の恥ずかしい記憶になっているが。
リーベルライト男爵家の使用人は昔からそれほど多くないのだけど、それでもたまたま庭を手入れしていた初老の男性が私たちに気がつき、こちらに向かって小走りに走ってくるのが見えた。
見ない顔なのでここ一〇年くらいの間に雇われた人なのだろう……灰色のくすんだ髪をした男性は、私たちの前へと到着すると一度頭を下げた後話しかけてきた。
「あ、あの……こちらはリーベルライト男爵家のお屋敷になりますが……何か御用でしょうか?」
「ああ、娘が帰ってきたと伝えてくれないか?」
「娘……?」
「アナスタシアが帰ってきた、と言ってもらえれば伝わるよ」
私がそう告げると初老の男性は訝しげるような表情を浮かべていたが、私の後ろにいたパトリシアを見るとなぜか納得したかのような顔で、声をかけた私ではなく彼女へと頭を深々と下げた。
そして、『お連れの方と一緒にこちらでお待ちください』とパトリシアへと話しかけた後にすぐに屋敷へと小走りに走っていく。
これもしかして私がこの家の娘だということを理解できておらず、どう見ても貴族然としたパトリシアが男爵家のお嬢様だと察したということだろうか。
貴族末端である男爵家の令嬢なんかそこまで貴族貴族してないと思うんだけどな……それでも臣民からすると雲の上の存在であることは間違いない。
まあ冷静に考えてみれば、普通の貴族令嬢ってやつは軍服なんか着ないんだよね、当たり前だけど……パトリシアは魔術師のローブを着用しているけど、仕立てが良い高級品だったりするのでやはり貴族にしか見えないわけで。
そう考えると私って貴族令嬢には絶対に見えないんだろうな、自覚はあるけど。
「ま、まあ一〇年も経過すればね……私の顔を知らない使用人も増えるか」
「申し訳ありません……アーシャさんのご実家ですのに……」
「気にしていないから大丈夫……ちょっと悲しいけど」
普通の人は貴族令嬢という言葉で思い浮かぶのは、パトリシアのように品のある佇まいや雰囲気を醸し出す人だと思うし、今の私のようにタバコ片手に草臥れた軍服を着ている女性ではないのは確かだ。
私は軽くタバコをふかすが、花畑が静かに風に揺れるのを見て少しだけ懐かしい気分になっている。
転生したことを理解した当初はこの屋敷の生活にかなりの違和感を感じていたが、それでも生まれ育った場所というのは郷愁の念を感じるものなのだろう。
小さい頃の私が走り回った庭も、花畑も……全てが変わっていないような気がするしね。
そんな感じで待っていると、屋敷の方から先ほどの初老の男性に連れ立つように、白髪の男性が歩いてくるのが見えた。
「まだ仕事してたか……」
「あの方は? 歩き方が綺麗ですね」
「男爵家の執事だよ、サリヴァン・ファイローニ……変わらないね」
リーベルライト男爵家は貴族会議員という役職を担っているが、その実かなり内情は苦しい……領地は持っているが、小さな村だし税収などないようなものだからだ。
貴族と名乗る者の大半は五年前まで起きていた戦争のために財産をかなり食いつぶされており、中には没落してしまった貴族家も多い。
ギルドの職員が没落した貴族家の令嬢という話をしていたが、あれは誇張でもなんでもなく本当にそういう人たちが続出していたという現実に過ぎない。
まだ実家があるだけマシなんだろうな……それとサリヴァンのように有能な執事が残ってくれているのも幸運だろう。
彼はリーベルライト公爵家預かりの執事で、本来は男爵家などに仕えていいレベルの人物ではないが、私が公爵の実女であることから態々公爵家から派遣されてきたのだ。
まだ男爵家に残っているというのは、公爵家と実家のつながりは切れていないということなのだろう。
白髪なのは子供の頃から何も変わっていないが、ほんの少しだけ目元の皺が増えたかな、という些細な違いしかないサリヴァンは私の前に立つと姿勢を正し恭しく頭を下げた。
「お嬢様……お帰りなさいませ、先振れがあればお迎えに上がりましたのに」
「サリヴァン、久しぶりね……こっちはトリシア、訳ありでうちに呼ぶことになったんだ」
「ごきげんよう、わたくしパトリシア・ギルメールと申しますわ」
「ギルメール……そうですか、アナスタシア様のご友人であれば歓迎いたします、こちらへ」
サリヴァンはパトリシアにも改めて頭を下げると傍で状況をよく理解できていない初老の男へと手招きをすると歩き出し、彼は慌てて一度私たちへと頭を下げるとサリヴァンについて歩き出した。
私はトリシアに合図すると花畑の中を歩き出す……風が吹くたびに色とりどりの花が揺れ、それを見たパトリシアはわあ、と感心したような声を上げる。
リーベルライト男爵家の花畑というとライオトリシアでは一応有名で、年に数回平民相手に解放し、子供に花を贈呈するなんて催しを行ったりもしていた。
偽善だと罵る人物も多かったが、それでも花をもらった子供の笑顔はいまだに忘れられない。
「うちの花畑はライオトリシアでは一応有名だったんだ」
「そうなんですね、家にも花畑はありましたが魔術で使う触媒だらけでした」
「錬金魔術師のか」
「ええ」
錬金魔術師は魔術師の中でも錬金術に特化した連中で、様々な触媒や人形騎士に必要な生命の水を生産する役目を担っている。
彼らは貴族家に雇われたりして一生を研究に費やしていく……まあ、国家の命運を担う人形騎士に必要な素材を作れるってなったらそう簡単に手放さないのがこの世の常だ。
ギルメール侯爵家も多くの錬金魔術師を雇っているし、育成を続けていると言われているのでパトリシアの実家にも研究棟のようなものがあるのかもな。
もちろん我が家はそんな資金力はないため、今私たちが歩いている花畑は完全に趣味の範囲で育てているものだとお父様は話していたっけ。
「少し落ち着いたら花畑で好きな花を探すといいよ、貰われるために育ててるって昔話してたし」
_(:3 」∠)_ 一応ですが男爵家とはいえ、屋敷は一般の人に比べたらはるかに巨大な住宅に住んでいます。
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