第九八話 お姉様はライオトリシアにいる
「お兄様〜、グラディス兄様〜? いらっしゃいますか?」
「こ、これは皇女殿下……ッ! どうしてここへ?」
一人の少女は前触れもなく扉を開けて部屋へと入ってきたのを見て、ヴィンツェンツ・ヘルダーは慌てて椅子から飛び跳ねるように立ち上がり、そして帝国式の礼を持って彼女を迎えた。
ゼルヴァイン帝国現皇帝であるドリスタン・フォレ・ゼルヴァインには数多くの子供がいるが、その中で最も年若くまだあどけなさを感じる彼女の名はエリーザベト・ヴァイラ・ゼルヴァイン。
母はテオドーラ・ヴァイラ・ゼルヴァイン妃で、ドリスタン帝が最後に娶った妃として知られる人物である……その血脈はグラディスの母であるジークリンデ妃の家系に近く、エリーザベトもまた美しい白銀の髪を持ち、榛色の瞳を持つ齢一九歳の美少女であった。
身長は一七〇センチメートルと女性としてはかなり高く、兄よりは小柄とはいえスタイルの良さなどか貴族子弟からは女神のように憧れられている存在である。
「あれ? 今はヴィンツェンツだけなのですか?」
「は、はい……殿下は今特殊任務に赴くとのことで、自分が留守を任されております」
「なんだ……お願い事をしに来たのに、それじゃ仕方ありませんわね」
そう答えて直立不動の体勢を取るヴィンツェンツを尻目に、エリーザベトは物珍しそうな顔で兄が使用している執務用の机へと歩み寄る。
グラディスとエリーザベトの仲は非常によく、彼女は先ぶれなく執務室へと遊びに赴き、仕事中の兄を揶揄ったり時には政務の手伝いなどを行うことがよくあり、ヴィンツェンツはいつものことだと考え、書類作業へと戻ろうと視線を外した。
グラディスは基本的に机の上をあまり片付けない性格で、書類などの処理はきちんと行うのだが、執務以外の書類や重要な情報などが書かれた書面などをそのまま放置する癖があった。
もちろんヴィンツェンツなど優秀な副官がその後始末などを積極的に行っていたため、これまでは問題となったことがなかった。
しかし……本来グラディスが行うべき政務をヴィンツェンツに代行させたことで、若干キャパオーバー気味となっていた彼は執務机の上まで注意を払っていなかった。
エリーザベトは机の上から一枚の書類を手に取ると、興味深そうな顔でその内容を読み始めた。
「あら、お兄様は影までお使いになっているのね?」
「あ……お、お待ちください皇女殿下、そこはまだ片付けていな……」
「ふぅん……お兄様はまだアナスタシアお姉様のことを追いかけていらっしゃるのね」
エリーザベトは口元を美しく歪めて笑うと、書類を受け取りに立ち上がったヴィンツェンツを細く白い指先を突きつけるような格好で押し留める。
美しい少女ながらエリーザベトの雰囲気はグラディスのそれとあまり変わらず威圧感を感じさせ、思わずヴィンツェンツは立ち止まる。
その合間にも彼女は書類の中身を読み進めると、なぜか頬を美しく染めると一人にやりと微笑み……そして両手でその書類を大事そうに抱え込む。
「嫌だわ、お兄様ったら……お姉様のことを独り占めしようだなんて」
「こ、皇女殿下?」
「ヴィンツェンツもちゃんと教えてくださいな、お姉さまがライオトリシアにいるって」
「え、ええ……」
グラディスは近衛部隊からアナスタシアをよく借り出しその護衛に充てることがあったが、彼自身が戦争中に知己となった彼女を信用していたこともあったが、次点の目的として可愛い妹のためという側面を有している。
近衛部隊に配属される前からエリーザベトはグラディスから『赤虎姫』アナスタシア・リーベルライトの伝説を聞かされて育っていた。
エリーザベトは剣術に優れ人形使いとしても一流に近い皇室の中では珍しい『戦える淑女』である。
元々彼女の母親であるテオドーラ妃が女性騎士として皇帝の側仕えを任された経歴の持ち主であり、生家であるヴァイラ家が戦争での活躍で陞爵したこともあり、武闘派貴族とも言える存在であった。
そういった経緯もありテオドーラ妃は自らエリーザベトへと武器の扱い方を教え込んでおり、いざという時はグラディスを守ると公言して憚らなかった。
そして……その兄が最も信頼し溺愛しているように見えるアナスタシア・リーベルライトという女性に興味を持つのもおかしくはなかったのだ。
「ここ最近お姉様の姿を見なくて寂しかったの……ねえ、どうしてお姉様はライオトリシアに?」
「え、ええと……彼女は近衛部隊を解雇されまして」
「……は?」
「アナスタシア嬢は近衛部隊を解雇されたことで、ライオトリシアに帰り……ッ!?」
ヴィンツェンツの返答を聞いたエリーザベトの表情が固まる……美しい花のような少女ではあるが、やはり兄弟ということもあってその反応が似ているな、と彼は思った。
だが……まるで音を立てずにヴィンツェツのそばへと近づいたエリーザベトは、全く感情を見せない瞳で彼を見上げた。
まるで氷のような殺気を持つ眼光が彼の背筋にゾッとするような寒気を感じさせる……年は兄からかなり離れているのだが、その威圧感は彼に匹敵する恐ろしいものだ。
永遠とも言える時間が流れたように感じる……エリーザベトが怒りを滲ませる表情はグラディスによく似ているが、もっと直接的で直情的な強い意志を孕んでいる。
だが次の瞬間、エリーザベトは驚きと恐怖で黙り込んだヴィンツェンツへと微笑むと、何もしないとばかりに彼の肩を軽く叩いた。
「そう……あのチビハゲ無能クソ野郎のアホ大佐が、お姉様の価値を認めなかったのね」
「そ、そうですね……クラーク大佐が独断で、とのことでした」
「……あいつ殺そうかな、ノコギリで首を引いたらいい声で泣くかしらねぇ……」
「こ、皇女殿下……ッ!!!?」
「ブタは一度殺さなきゃ身の程を知らない……そうよね?」
クラーク大佐の名前が出た瞬間、あまりに強い殺気が彼女の全身から湧き出たことで、目の前でそれを見ていたヴィンツェンツは思わず硬直する。
心臓が早鐘のように鳴り響く……目の前の少女は自分よりも年若いはずなのに、その醸し出す雰囲気と殺気が『目の前に居続けると死ぬ』と本能的に感じ取っている。
それはグラディスも持つ帝室の人間が有する圧倒的な存在感と呼んでも良いもので、そういった意味でやはりエリーザベトもまたグラディスと同じ皇帝の血をひく至高の人物であるのだ。
だが……彼女が大きく息を吐いた次の瞬間、その場を圧倒するような殺気は消え失せ……ヴィンツェンツはようやくほっと息を吐く。
皇室の人間は大抵怒りっぽいところはあるが、その中でも驚くほど冷静に計算高く思考し自分を律する能力を有している。
「……あんなの殺しても意味ないわ、ねえヴィンツェンツ……お兄様はライオトリシアに向かったのね?」
「は、はい……」
「公式なものではないのね、お忍びってことかしら」
エリーザベトの言葉にヴィンツェンツは黙って頷く……いまだに背中はびっしょりと濡れている気がする。
齢一九歳の少女が持つような殺気ではない、ほとんどグラディスそのものと言える狂気すら感じるさっきに体がまだ震えている気がする。
彼が頷いたのを見て嬉しそうに微笑むと、エリーザベトはグラディスが陰から受け取った書類をもう一度見てから美しく微笑んだ。
美しく可憐な少女の顔……それは彼女本来の表情ではなく、外向きの貞淑で優しくそして帝室に連なる高貴なるものとしての演技の側面を持っている。
エリーザベトはヴィンツェンツへと優しく微笑むと、鈴のなるような美しい声で彼へと語りかけた。
「お兄様一人にアナスタシアお姉様を独占させるのはずるいのですわ……わたくし、公務でライオトリシアへと赴くことにします」
_(:3 」∠)_ お姉様……ッ!
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