僕と殺戮の魔女
よろしければ、お読み下さい。
今僕は、ある屋敷の前に立っている。昼間なのに薄暗い森の中に立つ大きな屋敷。僕は、緊張しながら門に備え付けてあるベルを鳴らした。
しばらくすると、メイドらしき金髪おかっぱの少女が門まで出てきた。
「マイロ・エバンズ様でいらっしゃいますね。私、メイドのハンナと申します。どうぞお入り下さい」
無表情で挨拶すると、ハンナは僕を屋敷のリビングまで案内した。
僕が一人リビングで待っていると、二人の人間がリビングに入って来た。
「やあ、待たせたね。エイブラム・ブラックウェルだ。よろしく」
「マイロ・エバンズです。宜しくお願い致します」
挨拶をしながら、この家の当主であるブラックウェル侯爵をチラリと見る。三十代後半くらいの男性で、柔和な笑顔が印象的だ。
僕は顔立ちの整った侯爵様にしばし見とれていたが、彼の後ろにいる少女に気が付き慌てて挨拶した。
「あの、エイブラム様のご息女のノエル様でいらっしゃいますよね。僕は、エバンズ家から参りましたマイロと申します。……僕のような婚約者では不足でしょうが、宜しくお願い致します」
僕がそう言うと、ノエル様は一歩前に進み出て、華麗なカーテシーを披露する。
「ノエルと申します。不足だなんてとんでもない。今後共よろしくお願い致します」
彼女は、僕より一つ年上の十八歳。父親に劣らず綺麗だった。長いストレートの黒髪に赤い瞳が魅力的だ。赤いワンピースが良く似合っている。
「疲れただろう、今日は屋敷を案内するだけにしようか。領地経営については明日から学ぶと良い」
「ありがとうございます」
僕が侯爵様に礼を言うと、いつの間にかハンナが現れ、僕を客室に案内してくれた。
その夜、ベッドに横になりながら、僕は今後の事について考えていた。
僕は伯爵位を賜るエバンズ家の次男。しかし、妾の子である為、家での扱いは良くない。僕だけ小屋のような離れで寝泊まりするよう言われているし、食事も固いパンと水しか与えられない。
その癖育ててやっている恩を返せと言われ、事務仕事を手伝わされている。長男である兄は仕事を覚えようとしないばかりか、学園の成績が悪くても文句を言われないのに。
そして一ケ月程前、珍しく伯爵家の事務仕事を手伝った兄が失敗し、取り引きのある大きな商会に多大な迷惑をかけた。
両親はその失敗を僕のせいにして、僕を家から追い出す事で事態を丸く収めようとした。
その騒ぎを聞きつけたエイブラム侯爵様が、追い出すのなら僕をブラックウェル家に婿として迎えたいと申し出てくれたのだ。
正直、あの実家を離れられるのはありがたい。両親も乗り気だし、僕は喜んでこの話を引き受けた。せっかく婿に迎えようとしてくれているのだ。失望されないようにしなければ。そんな事を考えながら、僕は眠りに就いた。
翌日、僕達が朝食を終えるとノエル様が笑顔で言った。
「早速ですが、マイロ様を婿に迎えるに当たって領地経営を学んで頂きます。執務室にいらして頂けますか?」
「え、侯爵様ではなくノエル様が教えて下さるのですか?」
「ええ、この家には父と私とハンナしかいないので、私が事務仕事など領地経営を手伝っているのです」
「そうでしたか。宜しくお願い致します」
執務室に移動してから、僕は事務仕事について教えてもらった。一通り基本を教えてもらった後、ノエル様は一冊の帳簿を僕に見せて聞いた。
「マイロ様、このページの収支報告ですが、おかしい個所があるのがお分かりになりますか?」
僕は、隅々まで収支報告を見た後に言った。
「これは、去年の収支報告ですよね。この年は豊作だったはずなのに、税収がこんなに少ないのはおかしいです」
「さすがですわ」
ノエル様は、ニッコリと笑って言った。
「これは、国からの補助金を騙し取ろうとした他の領地の収支報告書です。マイロ様の実力を確認する為に用意致しました。やはり、私の目に狂いはありませんでしたわ」
「『私の目』……?まさか、僕を婚約者に選んだのは、ノエル様ご自身なのですか?」
「ええ、そうです」
「僕は実家を追い出されるところだったので、婿入りは情けをかけて頂いたのだと思っておりましたが……」
「いいえ、私は、あなたの実力を買ったのですわ。エバンズ家の言い分では、あの仕事を失敗したのはあなたという事でしたけど、本当は、失敗したのはあなたの兄上なのではなくて?」
僕は目を見開いた。
ノエル様の話によると、彼女は優秀な婿を迎えたかった為、学園での成績優秀者をリストアップしていたらしい。その中には僕の名前もあった。
そんな僕が仕事に失敗したと聞いたノエル様は不審に思い、密かに調べたところ、兄の不始末の責任を負わされた可能性に辿り着いたという事だ。
「エバンズ家があなたを追い出すと聞いて、これはチャンスと思って父にマイロ様が欲しいと強請ったのです。エバンズ家は愚かですわ。あなたのような人材を手放すなんて」
僕の目には涙が浮かんでいた。今まで、僕の実力を認めて褒めてくれる人なんて誰もいなかった。例え僕を領地経営の為に利用しようとしているだけだとしても、この先ずっとノエル様を支えていこうと心に決めた。
それから僕は、ノエル様に教えてもらいながら領地経営について一生懸命勉強した。覚える事が多くて大変だったけど、新しい知識を吸収するのは楽しかった。
そんなある日、事件は起きた。
「お嬢様、マイロ様、大変です!この森に大量の魔物が出現しました!」
僕とノエル様が朝食を取っていると、ハンナが勢いよく食堂のドアを開けてそう叫んだ。
「え、魔物!?ど、どうしましょう、ノエル様。どこかに避難しますか?」
僕が狼狽えながら聞くと、ノエル様は余裕のある笑みで答えた。
「大丈夫ですわ、マイロ様。この森には以前から度々魔物が出現するので、この屋敷には魔物除けの結界を張ってあります。そうそう魔物に襲われる事はな……」
ノエル様が言い終わらない内に、食堂の窓ガラスが派手な音を立てて割れた。食堂の中に、人間の倍はありそうな大きさの黒い狼が何匹も入って来る。――魔物だ。
「あらまあ、お父様ったら。あれほど『毎日結界を補強するのを忘れないで下さいね』と言っているのに、忘れてしまったのね」
ノエル様が、頬に手を当てて言う。なんだか呑気に見える。
「マイロ様、お逃げ下さい。私が隠し通路を案内致します」
ハンナがそう言って僕の背中を押し、食堂の入り口まで連れて行く。僕は、魔物と対峙しているノエル様を見た。
もしノエル様にあの魔物たちが襲い掛かったら、確実に彼女の命は無いだろう。……嫌だ。ノエル様が死ぬのは嫌だ。僕に希望を与えてくれた人。僕を認めてくれた人。
ハンナは戦闘訓練を受けていないし、結界の補強を忘れたエイブラム侯爵は今仕事で遠方にいる。
――彼女を守れるのは、僕しかいない――
「ノエル様、下がって下さい!」
僕は、食堂に飾ってあった剣を構えてノエル様の前に立った。
「あらまあ……」
ノエル様が、驚いたような声を出す。
「僕は、学園で高度魔法の授業を選択してなかったし、剣の授業の成績だけは悪かったけど、あなたを守らせて下さい!!」
狼たちが一斉に僕達に襲い掛かって来た。僕は飛び出してきた一匹の狼を斬ろうとしたが、狼は僕の持つ剣をその強靭な牙で噛むと、パキリと折った。
「あっ……!!」
剣が使い物にならない。狼は今にも僕に噛みつきそうだ。僕が死んでも、せめてノエル様には無事に逃げて欲しい。そう思いながら、僕はぎゅっと目を瞑った。
……しばらくしても、僕の身には何も起きない。そっと目を開けると、僕の目の前には狼の首が転がっていた。
「え……?」
「全く、命知らずですわね」
振り向くと、そこには剣を右手で握ったノエル様がいた。剣にはべったりと血が付いている。まさか、ノエル様がこの狼を斬ったのか。
まだ生きている狼たちが、次々と襲い掛かってくる。ノエル様は僕の前に出ると、振り向きもせずに言った。
「マイロ様、ご自分の命を粗末にするのは感心しません。でも……私を守ろうとするその心意気は称賛に値しますわっ!!」
ノエル様は駆け出すと、次々と狼を斬っていった。ノエル様の剣から凄まじい魔力が溢れているのが分かる。
狼たちの断末魔を聞きながら、僕はある噂を思い出した。
僕の通う学園は基本的に飛び級は無いが、ある女子生徒は魔力が強すぎて一年早く卒業したとか。その女生徒は卒業後、個人的に王家に雇われ、副業として魔物退治をしているとか。彼女が魔物退治をした現場は、魔物の血で凄惨な事になっているとか。
魔物の返り血を浴びる彼女を見て、人々は彼女にこんな二つ名を与えたという。
――殺戮の魔女――
狼は、全て倒されたようだ。僕は、返り血を浴びて佇むノエル様を放心状態で見つめていた。もっと正確に言うと、見とれていたのだ。
「……ノエル様が、『殺戮の魔女』……」
僕の呟きを聞き、ノエル様は笑顔で振り返った。
「驚きましたか?」
「ええ。今学園は長期休暇中なので、ノエル様がずっと屋敷にいる事を不思議に思いませんでしたけど……もうご卒業されてたんですね」
「ええ。マイロ様を怖がらせたくなかったので、マイロ様が『殺戮の魔女』の正体をご存じないのなら隠し通そうと思ったのですけれど……この状況では無理でしたわね。私の事、お嫌いになりました?」
「……いえ、嫌いになるどころか、どんどんあなたに惹かれていきます」
ノエル様は、一瞬目を見開いた後、ニッコリと笑って言った。
「では、これからもよろしくお願い致しますね、婚約者のマイロ様」
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