01 はじまりの日
道端で竜が倒れていたらどうすべきだろうか?
マリーにとってやる事は一つだ。
近づいて声をかける。
「もしもーし。大丈夫?」
周囲の人は遠巻きに見つめている。
「マリー様危険です!」
お付きの人間たちが慌てて止めるが、近寄ろうとはしない。
それも当然だろう。
今では竜に出会う事などめったにない。
恐ろしくて危険な動物。
多くの人にとってはその程度の認識なのだから。
だが、祖母のミリアムは言っていた。
竜はとても賢くて高貴な生き物で、人間の言葉がわかるのだと。
「怪我してるの?病気?おなか空いてるの?」
白銀の体毛と鱗。
小さな体と幼い顔からして、子供の竜のようだ。
(本物だ……本物の竜なんだ!)
マリーはその竜にそっと手を触れた。
すると急にやわらかな光に包まれる。
その白銀の竜が目をあけた。
マリーをじっと見ている。
「こんにちは!元気になった?」
マリーは笑顔でたずねる。
竜も微笑み返したように感じた。
それから軽く頭を下げると、飛び去っていった。
「マリー様!」
お付きの人間たちが急いで近づいて来る。
今更ながら、衛兵もやってきた。
口々にマリーを心配する声をかける。
だがマリーは
(竜だ……私、竜に触っちゃった)
(いつか私も竜に乗りたい)
(竜に乗って大空を飛び回れたら楽しいだろうなぁ)
王宮へ向かう馬車の中で、ただひたすらその事だけを考えていた。
王宮、謁見の間――
「来たか、マリー」
父王のジェイムズが言う。
「どこをほっつき歩いてたの?」
義母のイーディスは、やや苛立った口調だった。
「すいません、お義母様。ちょっと弓の練習に」
「またですか?お前も十五歳なのにまったく……とにかくお父様からお話があります」
父王は、重々しく口を開いた。
「竜人国から要求があったのだ。妃として姫をよこせとな」
周囲がざわつく。
竜人国は近年、著しい発展をとげた強国だ。
その名の通り、竜に変身できるという種族の国であった。
「まぁ表立っては、新しく作る大学の留学生にという事ですけどね」
義母が口を挟む。
竜人国とマリーの生まれ故郷であるルガール王国とは、このたび同盟を結んだらしい。
今回の一件は、両国の友情の証にという事のようだ。
だが政治的・軍事的な必要性と、好き嫌いとはまた別であった。
「私は嫌ですわ、お母様。あんな野蛮な国に行きたくありません」
妹のイザベラが言う。
今年十四歳になるはずだ。
十五歳の儀式で、火の精霊の加護を受けるのは確実と言われている。
マリーの生まれたルガール王国には十六人の王子と王女がいる。
マリーは十二番目の子供であり、第十王女だ。
そしてイザベラは第十一王女になる。
「もちろんですよ、イザベラ。私だってあなたを、竜人国なんかにやりたくありませんよ」
義母が眉をしかめながら言った。
マリーの母ベアトリスは、マリーを産んでまもなく亡くなった。
弟と妹たちは全員、義母のイーディスの子供だった。
「といってなぁ。大学に行く年頃の王子や王女もうちにはあまり」
父王がぽつりと呟く。
マリーの兄や姉たちは、結婚していたり婚約している者が多い。
「竜人国なんて、文化果つるところではありませんか」
一つ年上の姉、マーガレットがいささか軽蔑したような口調で言う。
水の精霊の加護を受けており、去年から王都の魔術学校に通っていた。
「わしの娘や息子たちは皆、頭脳明晰で魔力に優れておる。竜人国で学ぶ事などないだろう」
父王の言う事も一理はある。
ルガール王家の一族は全員、程度の差はあれど魔力に秀でている事は有名だ。
ただ一人を除いては。
広間に集まった者たちは顔を見合わせている。
「困りましたわね、本当に」
「といって無下に断れば、向こうの心証が悪くなるだろう、イーディス」
父や義母や周囲の人間たちは、ざわざわと話し合っていた。
竜人国は強国であり、同盟を結んだばかりである。
できれば相手の機嫌を損ねたくはない。
同盟を強化するには婚姻政策が一番良い。
とはいえ王子王女は、政略結婚の重要な駒である。
この大陸には、人間の他にも、竜人、長耳族、矮人族といった種族がいる。
異種族同士の婚姻は禁忌ではないが、珍しい事でもあった。
「マリー。あなたが竜人国へお行きなさいな。大学に寮とやらもあるからちょうどいいわ」
義母が言う。
最初から結論は決まっていたようなものだろう。
「そうそう。『無能のマリー』には竜人国が合ってると思うわ」
姉のクリスティンがそう言い、周囲も同調したように笑い声を立てる。
彼女は今年十八歳で、ヒベルニア王国の王子との縁談が決まっていた。
ルガール王家では、伝統的に魔力が重視されていた。
幼少の頃に魔力を測定し、得意な魔法の系統を調べる。
そして十五歳の儀式で、地水火風の精霊の加護を受けるのが通例だった。
とはいえ、基本的には男であれば政治や軍事方面に携わる。
女であれば他国に嫁ぐことも多い。
実際に魔術師として活躍する事は珍しかった。
ルガール王家の中で唯一魔力を持たず、魔法を使えない者。
それが第十王女のマリーであった。
そのためついたあだ名が『無能のマリー』である。
「え?いいんですか?私、行きます!」
だがマリーは、義母の言葉に笑顔で答える。
無能と言われる事はもう慣れた。
魔法が使えたらいいなと思った事はある。
ただマリーには、魔法が使えない事の何が悪いのかよくわからない。
『あなたはそのままでいいのよ』
とは、祖母にいつも言われている。
だが父母や兄妹たち、家臣や使用人達も陰で『無能のマリー』と嘲っているらしいのは、何となく感じていた。
「そ、そうか」
父王は意外そうな声を出した。
周囲の兄妹たちから安堵の声が漏れた。
誰も竜人国などに行きたくはないのだろう。
「では、決まりですね。入学は四月なので、一月くらいはありますが、早速竜人国へ出立する準備を」
義母が言う。
マリーの気が変わらないうちに、さっさと事を進めたい様子だった。
「はい。竜人国を見てみたいです。それに私は竜に乗ってみたいんです!」
マリーの宣言に、居並ぶ王子王女や家臣たちは奇異な目を向ける。
マリーがこういう事を言うのは初めてではない。
ルガール王家の人間が他国に留学する事は珍しくはない。
竜人国の軍事力は恐れられてはいる。
だがなぜ文化も伝統もないそんな国に行きたがるのか。
居並ぶ人々には理解できないようだった。
「さすがに一人でというわけにはいかないでしょう。ルガール王国の権威に関わりますからね」
義母は一同を見渡す。
マリーの侍女達の一角に目をとめる。
「そこのあなた。そう黒髪の。名前は」
「は、はい。私でございますか。アリスと申します」
マリーと同じくらいの背丈の少女が、一歩前へ進み出て礼をする。
「あなた、マリーについて竜人国へお行きなさい」
アリスの顔は真っ青になる。
他の侍女達は気の毒そうな、ほっとしたような顔でアリスを見ていた。
「……ご命令、謹んでお受けいたします」
義母のエリザベスは、アリスを冷たく一瞥する。
「では決まりですね。一人くらい竜人国へ行く者がいてもいいでしょう。何しろこの国には十三人も王女がいますからね」
お父様からお話があると言いつつ、結局は義母がすべての段取りを仕切っていた。
まぁ、いつもの事だ。
こうしてマリーは、竜人国へと向かう事になった。
そしてその噂は、またたく間に王都中に広まった。
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