願いの壁
「あれは……こんなところからでも見えるのか」
ラブホ街を離れた俺は、ビルの屋上を八艘飛びのように身軽に飛び回って、あてもなく逃げ回っていた。
すると、あるものが俺の目に入った。
「『願いの壁』……こうしてみると本当に高いんだな」
ビルの屋上から見えたのは、都市の数区画をまるまる囲っている壁だ。
壁は下の方がコンクリートで、上の方が鋼鉄製になっている。
壁には等間隔に無人の監視哨がもうけられており、
AI制御の機関砲と対人ミサイルが装備されている。
近くの6階建てのビルと同じくらいの高さだから……。
壁の高さは18メートルくらいか?
だいたいガ◯ダムと同じ高さだな。
東京で始めてモンスター化が確認された時、
あの壁が建てられた。
この国で最初の「分離壁」だ。
モンスター化の感染拡大を恐れた政府がアレを作った。
だが、あとになってわかったことだが、
モンスター化は感染するものではなかった。
感染しないと言っても、モンスターそれ自体は極めて危険だった。
なので、政府の判断は正しかったといえよう。
封鎖の巻き添えになった人が、モンスターの餌食になったことに目をつぶれば。
あの壁が「願いの壁」と呼ばれるのは、悲しい理由がある。
あの壁が建てられた時、たくさんの人が中に取り残された。
その人たちの家族は、今でも彼らが生きていることを願っている。
そうした家族は、あの壁の前に色々なものを置いていく。
使っていた物から、その人の写真。好きだった飲み物、食べ物まで……。
だから「願いの壁」というわけだ。
「エミ……」
俺の妹の愛美もあの壁の中に取り残された。
ほんのちょっと買い物に行っただけなのに、封鎖に巻き込まれたのだ。
連絡を聞いた俺が向かったときにはもう手遅れだった。
エミとスマホで連絡を取れたのも数時間だけ。
すぐに電池が切れたか、スマホが壊れたかで連絡がつかなくなった。
俺が裏社会の仕事をしているのは、これが理由だ。
あの壁の中には、一般人は決して入れない。
通常の手段では入れない。
だから普通じゃない手段で入る方法を探した。
一般人は「願いの壁」の向こうに入れない。
だが、政府の特殊部隊といった、ごく一部の人間は話が別だ。
彼らはたびたび、モンスターの血清を得るために壁の中に入る。
だが、その特殊部隊の指揮官は、たいていヤクザと癒着している。
ヤクザはモンスターの血清を、指揮官から買い付けているのだ。
彼らは壁の中で破損した血清を廃棄する。
それをヤクザたちは現地で回収しているのだ。
ヤクザはそういった仕事を「奪い屋」に出している。
だから俺は「奪い屋」になって、ヤクザとコネを作ろうとしたのだ。
これまで「奪い屋」としての俺は順調だった。
我流とはいえ、訓練に訓練を重ね、武器も手に入れた。
隠れ家も作った。
もうすこしだった。
今回の依頼がうまくいけば、ヤクザに太いコネができるはずだった。
なのに……何で俺はこんな姿に!
「クソッ!」
俺はいらだち、力任せに屋上の手すりを殴った。
こんな錆びた手すり、以前の俺なら力任せにねじ切れただろう。
しかし、今は逆に俺の手が痛んだ。
エミが今も生きているはずはない。
だが、最期の場所を探して、遺品のひとつでも見つけてやりたかった。
人は俺のことをバカだと思うだろう。
とっくの昔に死んだ人間のために何でそんな事を? ってな。
あぁ、自分でもバカだと思う。
でもあの時――
エミは不安そうな声で俺に「助けて」と言った。
でも俺は壁の向こうにいて、何も……何も出来なかった。
最期まで聞くだけだった。
あいつのところに行ってやって、後悔にけじめを付けたかったんだ。
なのに……本当にバカみたいなことになってしまった。
「はは……俺たちが何したっていうんだよ!」
俺は加減を忘れて手すりの鉄の格子を殴る。
手の皮が切れて、血がにじんで痛みに顔をゆがめる。
奪い屋として人を傷つけたことはある。
なら、これはその報いなのか?
「終わりだ。もう、何もかも……」
「それは違います。今この時は、あなたの始まりです」
「――ッ?!」
俺は背中に声をかけられて振り返る。
いつの間にか俺の後ろには、赤髪の女性が立っていた。
女性は美人と言っていい形の整った顔をしている。
だがそれは性的な魅力とは違う。
彼女に感じる美しさは、整った機械のシルエットに感じるそれだ。
女性は下は黒いスーツパンツで、上はワイシャツを着ている。
ぱっと見はビジネスウーマンって感じにみえる。
だが、彼女が首にかけているものを見て、俺は表情を固くした。
彼女が首に下げている銀色のプレート。
それは彼女がある職業についていることを意味していたからだ。
「――その首にかけてるもの……あんた、壊し屋か?」
俺の言葉に、彼女は鋭い眼光を返した。
射すくめられるとはこのことか。
そこらのヤクザなんか話にならない気迫がある。
視線だけで殺されそうだ。
「その通りです。私は壊し屋――モンスターを狩るのがお仕事です」
俺は拳の血をぬぐうふりをして手を下げる。
腰のホルスターに入っているはずのピストルを探すためだ。
だが、ホルスターにあるはずの銃がない。
……しまった。
ギルマンとのドサクサで落としたか?
「ルイ。あなたはアワブロ・ヤクザクランに懸賞金をかけられています」
「それで壊し屋が来たわけか」
「はい――あなたには消えてもらいます」
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ディストピア要素のおかわり入りまーす。
キャッキャ!
ところで壊し屋さん? スルタンは殺すなっていってなかった……?
続きの更新は今日のお昼に!