魚氷に上る【陸】
気が付くと、私の目の前に
一人ぼっちで泣きじゃくる幼い女の子が見えた。
あれは、幼い頃の私
母が消えて、途方に暮れていた頃の私
泣きじゃくる幼い私の頭を
二人の女の子が優しく撫でている。
あれは…
。。。。。。。。。。。。。。
「んん…っ」
ひどく重たい両の瞼を開く
視界が霞んで、自分がどこに居るのか
すぐには分からなかったが
桜の香りを運ぶ風に頬を撫でられ
ここが白藤神社なのだと気付く
「目が覚めましたかな、主殿」
「雲路…私は…。」
「主殿の身を案じてとはいえ
勝手に姿を現してしまった事、誠に申し訳ない。」
「いや、いいさ…
雲路がここまで私を運んでくれたんだろ?」
「はい、桃殿と桜殿も
神社にいらっしゃっております。」
「月姫と星姫はどこに…」
「はて?何を仰っているのか…
お二人は、あの廃神社から
離れられぬと主殿が仰っていたではありませんか」
「あぁ、そうか…でも、どうして…」
「きっと夢でも見ていたのでしょう。
さぁ、早く桜殿の元へ参りましょうか」
「そう、だな…。」
やけに重たい体を雲路に支えてもらいながら起こすと
私は、桃ちゃんたちの案内された部屋へ向かった。
私が部屋に顔を出すと桃ちゃんが心配そうな顔をして
私の元へ駆け寄ってきた。
「琴音さん、大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫さ
ごめんな、ちょっと急に眠くなっちゃってさ」
心配をかけないように
無理矢理笑顔を作ってそう答えると
桃ちゃんは怯えた様子で私に聞いてきた。
「桜の手首を見た途端、琴音さん
なんだか様子がおかしくなったから
何かあったのかと思って
私も桜の手首を見てみたんですけど…」
「君には何か見えたかい?」
「一瞬だけ、桜の手首に
何か巻き付いてるような…」
私は驚いた。
てっきりあれは桜ちゃんと私にしか
見えていないものだと思っていたのに
くいなには見えなかったものが
桃ちゃんに見えていたなんて
だが、そんな事を考えている暇はない。
私は、部屋の中で桜ちゃんの姿を探したが
桜ちゃんの姿が見えない
「あれ、桜ちゃんは…?」
「桜は、朧さんの所にいます。」
どうやら桃ちゃんの話によると
白藤神社の鳥居を潜ろうとした時
大人しくついてきていた桜ちゃんが急に暴れだして
騒ぎを聞きつけた朧様が桜ちゃんに眠りの術をかけて
今もまだ眠った状態だそうだ。
私は、すぐに朧様の所へ向かった。
「朧様…!」
「あぁ、琴音
目が覚めたのかい?」
「すみません、私とした事が
急に意識を失ってしまって…。」
「お前がそうなったという事は
何かただならぬ事が起きているのだろう。」
朧様の視線の先では
桜ちゃんが静かに寝息を立てている。
私は、桜ちゃんの元へ行くと
桜ちゃんの枕元に置いてある
ピンク頭のお人形を撫でた。
「さっきは、教えてくれてありがとう。
お前も桜ちゃんを守りたいんだよな
でも、ここからは私の仕事だ。」
そう言って、布団から桜ちゃんを抱きかかえると
私は朧様に一礼をしてから
昔、私が使っていた部屋へと向かった。
もう、外はすっかり暗くなっている。
私は、部屋に桜ちゃんを寝かせると
一本の蠟燭に火を付けた。
蝋燭の小さな灯りだけの薄暗い部屋の中で
私は、ヤツが現れるのをじっと待った。
刻一刻と時間が過ぎていき
今か今かとその時を待っていた時
遂にヤツが現れた。
ゆらゆらと揺らめく灯りの中で
桜ちゃんの布団の影から
ゆっくりと小さな影が立ち上がった。
そしてそれは、大きなハサミを掲げて
ケタケタと笑い出した。
「よう、お前があぶちゃんだな」
私が声を掛けると一瞬黙って
またケタケタと笑い出した。
そして
「トモダチ…トモダチ…」
と同じ言葉を繰り返す。
「他の子供たちはどうしたんだ?」
「トモダチ…トモダチ…イッパイ…トモダチ」
そう言うとひとつだった影が
ぶわぁっと何十人にも増えていき
部屋の中は影で埋め尽くされて真っ暗になった。
「そうか、子供たちは影の中に連れ込んだのか」
そう言いながら立ち上がると
私はニッコリと笑ってやった。
「良かった、ならまだ生きてるんだな
じゃあ、みんな返してもらおうか」
そう言って、私は古びた懐中時計に触れ
雲路を呼び出した。
「雲路、お前の力が必要だ。」
「御意でございます。」
そう言うと、雲路は迷う事無く
影の中に飛び込んでいった。
雲路が影の中に飛び込んだ途端
あぶちゃんの苦しむ声が部屋中に響く
そして、一人
また一人と、小さな子供たちが
影の中から飛び出してくる。
影の中から雲路が子供たちの魂を探し出し
影の外に出しているんだ。
そして、雲路が救い出した子供たちの
魂の穢れを私が素早く祓っていく
そうしている内に
影はどんどん小さくなり
最初に現れた時の桜ちゃんの影ひとつになった。
「ヤメロ…!ヤメロ…!トモダチ、カエセ!!」
そしてただの影だったものが実体化し
あの大きなハサミの切っ先を私に向けて
襲い掛かってくる。
だが、その刃が私に届くよりも早く
雲路がハサミを掴んだ。
「岩霊砕!!!!」
雲路がぐっと両の腕に力を込め
腕が岩のように大きく膨れ上がると
その筋力でハサミはバラバラに砕け散った。
「これ以上、子供たちの魂を奪うのは
やめてもらおうか!!」
私がそう叫ぶと
あぶちゃんが乗っ取っている桜ちゃんの影に
雲路が飛び掛かる
そうして奪われかけている桜ちゃんの魂を
影の中から引っ張り出そうと
雲路が必死に影に手を突っ込むが
影の抵抗も激しく、なかなか影と桜ちゃんの魂を
引き剝がすことが出来ない。
小さな子供の魂だけあって
雲路の怪力を全力で使う訳にもいかない
どうしたら―
そんな時だった。
突然、私たちの目の前に
小さなピンク髪の女の子が現れた。
その子は目にいっぱいの涙を浮かべながらも
怒りの表情を影に向けている。
『私の大事なお友達、連れていっちゃダメえええええ!!!!』
そう叫びながら、その女の子は
物凄い勢いで影の中に飛び込んでいき
あまりの勢いで必死に影にしがみ付いていた
雲路が吹き飛ばされた。
そして、吹き飛ばされた雲路を
私が受け止めた瞬間、影から強い光が放たれて
目の前が真っ白になった。
辺りに静けさが戻った時
私の目の前から、あの影は消えていて
目を覚ました桜ちゃんがきょとんとした顔で
こちらを見ていた。