19-05 帝室の沈黙、静かなる決裂
トッド侯爵視点
帝都、皇帝執務室。
画面の映る向こう側、厳かで重厚なその空間には、荘厳な静けさが満ちていた。
儀礼用の長卓の上には、精緻な紋章を刻んだ通信端末。
そこと、中継を通じて接続されているのは。
クセナキス星系、トッド侯爵邸――私の邸に設けられている会議室だ。
こちらの空間には、華美な装飾は一切ない。
私は、全貴族総会の代表として、端末の前に静かに座っていた。
視線を逸らさず、だが威圧もせずに口を開く。
「それでは、帝国全貴族総会の名において、この臨時協議を開始いたします」
平静を装ったつもりだが、胸の奥には確かな怒りが渦巻いていた。
帝室への思いは複雑だっただろうが、それでも帝国法と自らの役目にあれほどの忠実であった、ラズロー中将。
宙賊団によって荒廃したクラターロ星系、最辺境クーロイ星系という難しい領地の統治を進めていた、冷静沈着なカルロス侯爵。
二人を、大義も正当な審理もなく拘束とは――。
「本題に入りましょう。
第二帝室の次期継承者、ヘンドリック・イデア=ラズロー特務中将閣下。
そして、クラターロ・クーロイ両星系の領主カルロス侯爵。
両名の拘束、その正当な理由をお聞かせ願いたい」
対面する映像の中、皇帝は一言も発せず、冷たく沈黙している。
その隣には皇太子。
そして代弁するように、政務筆頭のカエサリス宮廷伯が口を開いた。
「遺憾ながら、両名は現在、身柄を拘束中です。
詳細については、現在調査中であり、現時点での開示は差し控えたい」
「経過を聞いているのではない。拘束の”理由”を聞いているのだ。
”調査中”では答えになっておらん」
隣席のミツォタキス侯爵が、静かに、だが鋭く切り込んだ。
本来は、対立する譜代派閥の領袖であり、私よりずっと力のある筆頭侯爵だ。
だがこの場では頼もしい同志である。
「……帝国への叛乱の疑いがあったためです」
しばらくして、カエサリス宮廷伯は言葉を選ぶように理由を述べた。
「疑いを持つに至った根拠は?」
しかしミツォタキス侯爵は追及の手を緩めない。
「クーロイ星系にて、遺棄された採掘場から物資を横流ししていた形跡があったためです。
ラズロー中将もこの事実は既に把握しており、共謀の疑いがあります」
宮廷伯は淡々と容疑の根拠を述べる。
だがそれは、あの第四皇子が言っていた内容と何ら変わらない。
「ラズロー中将は、陛下自身の命でカルロス侯爵の内偵をしていたのではなかったのか。
であればその事実を中将が把握していてもおかしくはない。
内偵監査で知り得た事実で監査人を拘束しては、今後誰が監査に名乗り出ようか」
「それに内容はフォルミオン第四皇子の主張と何ら変わらない。
先ほど伯は調査中と述べたが、何の進展もないとはどういう調査をしているのか」
ミツォタキス侯爵と私が意見すると、カエサリスの取り澄ました顔が歪む。
「……現時点では、調査中です」
迂闊な発言を避けたのだろう。
カエサリスは、そう言うにとどめた。
「では逆に問おう。調査中というならば、拘束の法的根拠は何に基づくものか」
私は、逆にカエサリス宮廷伯に問うた。
カエサリスは一瞬だけ言葉を選び、それから言った。
「皇帝陛下の裁断。
それ自体が、帝国法においては法であると理解しております」
私は、ああ来たか、と思う。
「しかし、それは建前にすぎない」
ミツォタキス侯爵がさらに続ける。
「陛下のお立場は“統治の象徴”であられるはず。
立法・司法の分離は、現帝国法の成立時に帝室と貴族が歴史的に合意した原則ではなかったか」
「法による統治こそ、帝国が分裂せずに存続してきた根幹だ」
私はそう付け加える。強い言葉ではなく、確認するように。
だが、映像の向こう側は沈黙した。
待てども、一向に返答する様子を見せない。
私は深く息を吐き、提案の路線を変える。
「先日の公開聴聞会にて、我々から要求した事項の回答は、どうなっていますか」
「……何の話でしたでしょうか」
ミツォタキス侯爵の質問に、カエサリス宮廷伯が答えた。
「あの場に居なかった伯には聞いておらん。
卿は、犯罪者護送の任で不在だったはずだ」
ミツォタキス侯爵は、宮廷伯を無視して陛下へ質問を続ける。
宮廷伯は、クーロイからの犯罪者の護送中だったはずだ。
「陛下。聴聞会の場で我々から出した要求。
すなわち、帝室と全貴族総会双方の出席による、侯爵と中将、そして亡命者に対する公開での聞き取り実施の件です。
三日以内に回答、とあの場で返答頂いたが、その後何ら返答頂けていない」
「その件は、検討したが却下とする」
「理由は」
「現段階では、調査中だからだ」
にべもない、とはこのことだ。
だが、現時点でこれ以上踏み込むだけの論拠が無い。
「ではせめて、両名の身柄を中立機関に。近衛連隊への一時引き渡しは?」
やはり、向こう側は沈黙を守ったまま。
だがそのとき、思いがけず皇太子が言った。
「……それについては、私も検討すべきだと考えております」
僅かに空気が動いた。
しかし、その瞬間だった。
「……ならん」
皇帝の一言。低く、鋭く、刺すように短い言葉。
希望を与えた矢先に、それを容赦なく切り落とす、絶対の拒絶だった。
場が、凍りつく。
「……その必要はない。すべて、我が判断により執り行う」
そこに、一切の交渉余地はなかった。
「そんなことより――」
一瞬の沈黙を挟んで、陛下が続けた。
「我々には、帝国の国体を維持するため、さまざまな問題を解決していかねばならん。
こうした些事で、国事を揺るがすのはいかがなものかと思うが」
陛下はそう述べた。
つまり、中将や侯爵の身柄の拘束の事を――些事、と言いのけたのだ。
私は、ミツォタキス侯爵と顔を見合わせた。
彼の目にも、怒りが宿っていた。
今こうして、帝室と我々全貴族総会が対立している根本の原因。
第二帝室のラズロー中将と、領主貴族カルロス侯爵を勝手に拘束し。
継承権の低い第四皇子を、勝手に領主に任命して既成事実を作ろうとし。
そして、それらの問題をうやむやにする。
そんな皇帝陛下に……帝国法を超越した存在になろうする、独裁者の兆しを見たからに他ならない。
――それが、些事、だと!?
「では――陛下ご臨席のもと、正式な協議を。年明け、帝都にて一堂に会する場を設けてはいかがでしょうか」
怒りを押し殺したミツォタキス侯爵の提案に、皇帝は、淡く言った。
「体調が万全ではない。もうしばらく先に延ばしたい」
ミツォタキスが、静かに言った。
「それならば、陛下御療養として、皇太子殿下にご出席を――」
「外部が、帝位継承に口を挟むとは何事か!」
カエサリスが声を荒げた。
私は、その反応すら予測の範囲内だと感じていた。
だが結局、協議は「年明けに帝都にて会議を設定」という、曖昧な合意に落ち着く。
通信が切れた。
部屋に静寂が満ちる。
私は目を閉じ、そして静かに呟いた。
「……やはり、話し合いでは埒が明かん」
ミツォタキスが隣で言った。
「皇帝は最初から、引き延ばす気だった。
このまま、中将やカルロス侯爵の身柄ごと……なし崩しに済ませる積りだ」
「やはり――“あの日”で、すべてを終わらせる」
私が言うと、全員が無言でうなずいた。
言葉は必要なかった。
もはやこの国の未来は――いや、あの皇帝は、正論では動かせない。
だとすれば、我らの手で、終わらせるしかないのだ。




