19-04 刺客の残影、復讐の決意
ドク視点
共和国中央病院。
内科病棟最上階にある、貴賓個室。
静まり返ったその病室で、私はひとり、壁に設置された大型スクリーンを凝視していた。
窓のブラインドも、病室の照明も、すべて落としてある。
今、部屋を照らす唯一の光は――
青白く瞬きながら、ゆっくりと切り替わっていく、映像データだけだった。
私はベッドの上で半身を起こし、呼吸も浅く、喉の奥で空気を噛みしめるようにして画面を見つめ続けていた。
――再生。停止。巻き戻し。再生。
ただ、それを繰り返す。
動いているのは、ほとんど指先だけだ。
まるで感情の抜け落ちた機械のように、同じ操作を、何度も、何度も、繰り返していた。
スクリーンに映し出されているのは、帝国皇帝と、その近習たちの映像――。
マーガレット君から託された、極秘の監視素材だ。
件数自体は多くない。
屋内の儀式風景、会議の合間、護衛付きで歩く廊下。どれも短く、断片的な記録ばかりだ。
映像に映り込んでいる人物は、ちらっと背中が映っただけの者も含めて、せいぜい三十人弱。
一人ひとり、髪型、表情、癖、歩き方――映るたびに、注意深く確認している。
だが、それでも。
――奴が、いるはずだ。どこかに、きっと。
この映像のどこかに、あの男がいる。
そのはずなのだ。
グレン・クレッグ中尉。
十七年前。
あの、天体衝突直前の、3区コロニー管理エリア。
あの場所に私を孤立させ、殺害しようと迫ってきた、あの男。
目を閉じれば、あの姿が、いまだに網膜の裏から立ち上がってくる。
怒りに歪んだ目元。口元に浮かぶ、侮蔑と軽蔑の笑み。
整った軍服の胸元から、隠し持っていたナイフを抜き取る、あのしなやかな手つき。
私は、あの日のクレッグ中尉を忘れてなどいない。
十七年という時間を隔てても、なお――私の脳裏には、鮮明すぎるほどに焼き付いているのだ。
だが。
目を凝らしても、映像にいる誰とも一致しない。
髪型、体格、肌の質感、骨格、目つき……すべてが違う。
いや、違って「見える」のだ。
それは、奴が別人のように変貌したのか、あるいは――そもそも、すでにこの世にいないのか。
そんな考えが、頭をよぎるたびに、私は唇を噛んだ。
だが、そのとき。
思い出す。あのときの、彼女の言葉を――
「皇帝にとっても危険な人物を、監視下で囲っている可能性はあるんです」
マーガレット君が、あの真剣な眼差しで言った言葉だ。
それは、理屈や証拠とは別次元の――直感だった。
だが私は、その直感を、妙に信じてしまったのだ。
天啓と呼びたくなるほどの、核心。
いや、もはや願望だったのかもしれない。
“まだ、間に合うかもしれない”。
“奴は、生きていて、どこかに潜んでいるかもしれない”。
私は、その希望に、縋っている。
そうでなければ、何のために生き延びてきたのか。
ここで奴を見つけなければ、私は一生……あのときの後悔から解放されないだろう。
再び再生を押そうとしたその瞬間――
パチン、と。
突然、部屋の明かりが点いた。
眩しさに思わず顔を顰め、私はゆっくりと振り向いた。
扉の前に、クロ――クロミシュが立っていた。
無表情の中に、ごくわずかに、静かな気遣いが滲んでいた。
「ドク。限界まで来ているようですね」
クロは静かに歩み寄ってくると、私の指先を見つめた。
スクリーン操作用のリモコンを、私がいつの間にか強く握りしめていたことに気づいたのだろう。
その手に、そっと自分の手を重ねる。
そして、一つ一つ――私の指を、ゆっくりと外していった。
「少し休みましょう。ドク。
あなたの処理能力は、機械ではありません」
言葉は無機質だが、トーンは柔らかい。
気遣いと命令の間をすり抜けるような声だった。
「……コーヒーを淹れてきます。しばし、お待ちを」
そう言ってクロはリモコンを預かると、病室に備え付けられたミニキッチンへと向かった。
私は背をもたれさせたまま、何も言わず、その背中を見つめていた。
数分後――。
コーヒーの香りが、部屋の緊張を緩めた。
カップに注がれた濃い液体が、まるで瞳の奥にこびりついた記憶を、少しずつ溶かしていくようだった。
私はそれを受け取り、口をつける。
「……相変わらず、美味いな」
ようやく少し笑みが漏れた。
「そう仰っていただけて、光栄です。
で――進捗の方は?」
「……駄目だ」
私は静かに首を振った。
「奴の姿が、記憶から抜けない。だが――映像の中には見当たらない。
目を凝らすほど、かえって見えなくなる。
焦りが、逆に視界を曇らせている」
言葉にすることで、ようやく自覚できた気がした。
私は、何かを間違えていたのかもしれない。
クロは黙って私の言葉を受け止めていたが、しばらくして、言った。
「ドク。ひとつ、質問してもよろしいでしょうか」
「……何だ」
「あなたが探しているクレッグ中尉――
それは、“十七年前のままの彼”ですか?」
私は眉をひそめた。
何を言っているのか、すぐには理解できなかった。
「つまり……あなたの記憶にある彼は、健康で、均整の取れた肉体を持った軍人の姿。
五体満足で、威圧的な表情の男――そうではありませんか?」
私は言葉に詰まった。
反論しようとして、できなかった。
「あなたの記憶に焼き付いた“あの時の彼”と、
今、この帝国で身分を偽って生き延びている彼とが、同じ姿であるはずがないのです」
クロの声には、確信があった。
私は――ようやく、その意味を理解した。
「……そうか」
私は呟くように言った。
「私が思い出せなかったのは、十七年前の“最後の彼”を、思い出していなかったからか」
クロは静かに頷いた。
「クレッグ中尉は――中佐、あなたが爆破した床板の破片を、左膝に受けました」
唐突に――私の中で、あの場面がよみがえる。
あの日。
マックバーン少尉と共に、クレッグは私の元へ迫ってきた。
口の端を吊り上げ、狂気じみた目でナイフを構える。
『バートマン中佐。貴方には、死んでもらう』
『何故だ』
『トラシュプロスの事を、嗅ぎ当てただろう。
あれと、今ここに迫ってくる氷塊、そして……”クロップス宙賊団”。
ここまで言えば、分かるだろう』
その言葉と同時に、私は行動した。
クロミシュを隠していた床下――
あの構造の死角を利用して、彼の足元の床板に小型の爆薬を仕込んでいたのだ。
タイミングは一瞬だった。
クレッグ中尉がその床板を踏もうとするタイミングで、私はスイッチを押した。
爆発音。
破片が舞い、煙と粉塵が立ちこめる。
そして――クレッグ中尉の左膝に、床板の欠片が深々と突き刺さるのが、見えた。
「そうだった……奴は、あの場で、左膝を……」
「ええ。命は助かっても、膝関節を損傷していれば、完全な回復は困難です」
クロは淡々と答えた。
「今の彼は――完璧な軍人ではない。
何かを庇い、何かを隠しながら、生き延びているはずです」
私は、震える手でカップを置いた。
肺の奥に溜まっていた淀みが、一気に吐き出されたようだった。
――そうか。
私は、思い出すべきことを忘れていた。
「……ありがとう、クロミシュ。
ようやく、目が覚めた気がする」
「でしたら、次は――彼を“今の姿”で見つけ出しましょう」
クロは再びリモコンを私の手に戻し、そっと、画面へと目線を戻した。
クロと私は、スクリーンの前に並んで座った。
視線を交わす必要はない。ただ、呼吸のリズムを整えるように。
二人とも自然と前を向き、リモコンの再生ボタンが再び押される。
画面に現れるのは、また別の映像。
皇帝の周囲に控える者たち――その中に、一人。
何かが、引っかかった。
「……クロ。止めてくれ。その男だ」
映像の一角にいた男を、私は指差した。
一見して、クレッグ中尉とは似ても似つかない。
短く刈った髪、穏やかで人当たりの良さそうな顔立ち。
中年太りの兆しも見える、柔らかい体つき。
だが――
その男は、左脚をほんのわずかに庇うように歩いていた。
意識しなければ見過ごしてしまう程度の引きずり。
だが、私の目には、それが決定的な“兆し”に映った。
クロが、無言で操作を開始する。
男の姿を画面に拡大し、スロー再生に切り替え、角度を変え、繰り返す。
私は呼吸を止めて、映像に喰らいついた。
無意識の仕草。
わずかな眉の動き。
人前では決して作られない、“素”の一瞬――それを、私は探す。
──悔しそうなとき、片側だけの奥歯を見せる笑い方。
──苦笑の際に唇の右端だけがわずかに吊り上がる。
──怒りをこらえるとき、左手の人差し指の付け根を噛む癖。
それらが、確かにそこにあった。
「……これは……間違いない」
私は、呟くように言った。
腹の底から、冷たい熱が込み上げてくる。
「クロミシュ。これは――奴だ。グレン・クレッグだ」
クロはうなずき、端末に目を落とす。
「アーカイブ映像と照合した結果、無意識動作の一致率は89.2%。
服装で誤魔化しているようですが、骨格の一致率は92.1%。
同一人物である可能性は極めて高いと判定します。
骨格の不一致部分は、加齢による減退の影響が想定されます」
私は口元を引き結び、深く息を吐いた。
肩から、何かが剥がれ落ちるような感覚がした。
「……生きていたのか。十七年――ずっと、皇帝の側に……」
あの瞬間から、奴の姿を追い続けていた自分がいた。
マーガレット君が私の自己暗示を解いて、記憶を取り戻させてくれたが。
私自身の刻はまだ……あの十七年前から、動いていなかった。
――だが、それも今日で終わる。
ようやく、輪が閉じる。
私は、背もたれに身体を預けて、音もなく笑った。
皮肉だな、と心の中で呟く。
奴の生存が、私の人生の“意味”になるとは思わなかった。
だが、今は違う。
マーガレット君がすでに保管している、あの音声記録。
その暗号を解除のに必要なのは、奴自身の声と、もう一つ。
――”あの言葉”を、奴の口から言わせること。
それが、全ての鍵になる。
それを言わせて、奴に吠え面をかかせることこそが、私の復讐なのだ。
「ふふ……ありがとうな、クレッグ中尉。お前が生きていてくれて、助かったよ」
クロが、静かに問いかけてくる。
「……どうしますか、ドク?」
答えは、決まっていた。
私は背もたれから起こそうとして、まだ身体に力が入らず、肩を揺らした。
だが、構わない。
力が入らずとも、私の目には、確かな決意が灯っていた。
「……治療は途中だが、構ってはいられん。
私は、もう一度――帝国に行く。あの男がまだそこにいるのなら」
私は椅子に背を預け直しながら言う。
「今度こそ……決着をつける」
クロは頷いた。
彼の動作に迷いはない。
「アコスタ議長に随行申請を。いまから連絡しますか」
「頼む」
私は再び、スクリーンに映るその男を見た。
十七年越しの再会だ。
奴が皇帝の影で生き延びていた理由も、目的も、どうでもいい。
今の私はただ――
声を聞き、記録を解除し、復讐を果たす。
過去に終止符を打つために。
私自身を、過去のまま埋もれさせないために。




