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ジャンク屋メグの紡ぎ歌  作者: 六人部彰彦
第19章

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19-02 力を超えて、“在り方”を見つめる

マルヴィラ視点

 師匠が口にした「奥義」という言葉が、胸の奥でずっと燻っていた。


 何かがある。

 何か、まだ私は知らない“視座”のようなもの。


 今の私は、その手前の、扉の前にいるだけなんだと、どこかで分かっていた。


 

 修行は、さらに厳しくなった。

 断食は続き、流動食の間隔は三日に一度に伸びた。


 身体は、ひたすら軽くなっていく。

 だけどそれは、空腹の苦しみじゃない。

 むしろ、肉体が“透明”になっていくような、不思議な感覚だった。


 


 ある日、師匠はこう言った。


「“奥義”は、教えるものではない。

 見せることはできる。でも、掴むのはあなた自身」


 それから師匠は、細い竹枝を一本手に取って、私の前に立った。

 本来は、立っているのもやっとのはずの、師匠。

 だけど……。


「攻撃してきなさい。全力で」


 師匠は本気で、私を練り上げようとしてくれている。


 応えるべく、私は構えた。

 腕を振り上げ、竹刀を振り抜く――その刹那。


 私の視界から、師匠の姿が消えた。


 次の瞬間、私の背後に、師匠の気配があった。

 振り返った時には、彼女は竹枝を足元に突き立て、こちらを静かに見ていた。


「……いま、何が起きたか分かった?」


 私は言葉に詰まる。


「あなたの“意識”が振り下ろした瞬間、私はその意識の外に移動したの。

 あなたは、“相手をどう動かすか”ばかりに意識を置きすぎてる。

 本当に大切なのは――“自分がどう在るか”。

 力ではなく、意識の在りか。

 奥義とは、そういう“存在の型”に近いものなのよ」


 


 その夜、私はひとり、小屋の外で星を見ていた。


 ……“意識の在りか”。


 それは、戦いだけでなく、自分の生き方にまで通じるもののような気がしていた。

 私は、これまで“護る”ことを望んできた。

 でも、どこかで、誰かの後ろに、あるいは横に、立っていたかっただけじゃないのか――と。


 メグちゃんの傍で、“支え”になりたいと思っていたけれど。

 その実、自分の力を振るう理由が欲しかっただけじゃなかったのか。


 ……今度こそ、前に立つ。

 そして、今度こそ。


 


 その決意が、朝の稽古に変化をもたらした。


 師匠はまた、私に小石を投げてくる。

 今まで通り、私は手でさばこうとする――が、やめた。


 ただ、風の流れに乗せて、身体を数センチだけ傾ける。

 小石は私に触れず、頬をかすめて通り過ぎる。


 師匠の表情が、はっきりと変わった。


 口元が、わずかに綻んだ。

 それはこれまで見たことのない、静かな……満足の笑みだった。


「ようやく……入り口には、立ったようね」


 


 それからの日々、私は“力を使わない訓練”に没頭した。


 風を裂かず、風と並ぶ。

 岩を砕かず、岩の向こうに回る。

 自分の存在そのものを、相手の死角に溶け込ませる。


 そのための身体と意識を作る。

 それが、私の“奥義への道”だった。


 


 ある日、師匠が突然、立ち上がった。


 その表情には、迷いも疲れもない。

 すべてを伝えきる覚悟のようなものが、あった。


「マルヴィラ。今夜から、“型”に入るわ。

 これが……私の、そしてあなたの“生”を懸けた術」


 その声は、どこまでも静かで、強かった。


 


 私は深く、頭を下げる。


「お願いします、師匠」


 


 ――そして始まる、本当の修行。


 “受け流す”を越えて、“存在の位”に至るための時間が、動き出す。


 


 夜の空気は、どこか張り詰めていた。

 虫の声すら遠く、森が息を潜めているように感じた。


 師匠は、昼間まで使っていた稽古場とは別の、より奥まった斜面へ私を導いた。

 灯りはない。満天の星と、遠くの雲が月を隠したまま。

 だが、不思議と道に迷う感じはなかった。

 師匠の気配が、私を導いていた。


 


 そこに着くと、師匠は静かに言った。


「私も、こんな場所で、奥義の“初動”を学んだわ」


 そう言う師匠の声には、今までにない懐かしさがあった。

 何かを手放すような、あるいは何かを託すような響き。


 


「マルヴィラ。“型”というのは、動きじゃないの。

 それは“在り方”であり、“瞬間の選択”であり……“命の流し方”」


「命の……?」


「そう。“力”は命を削る。でも“型”は、命の流れを導くの。

 力任せに斬るんじゃない。

 相手の意志と重なる“一瞬”を見極めて――避けず、受けず、ただ“そこに在らない”こと」

 


 私は息を呑んだ。

 それは、まるで戦いそのものを否定するようでもあり、けれど極めて戦術的でもあった。


 師匠は、私の前に立った。


 始まる前、満身創痍で車椅子に座っていた、師匠。

 修行の間、治療をしていたわけでもない。


 立ち上がるのも大変なはずなのに、杖も使わず、まっすぐに立っている。


「一つだけ、教えるわ。“水鏡の型”。

 これは、私が命を懸けて受け継いだ技。

 後が無い場面で……命を()()()、“盾”の技」


 


 師匠の気配が、音もなく変化する。

 それは、動く前から“動いている”かのような――空間に“濡れた気配”を感じる。


 


「来なさい」


 私は深く息を吸い、踏み込む。

 竹刀を振るう。――いや、振るった、はずだった。


 ……だが、そこには誰もいない。

 私の目の前には、風の流れだけが残っていた。


「“届かせたい”と思った時点で、すでに遅れているわ」

 背後から、師匠の声。


 振り返った時、私の首筋に、小枝が軽く触れた。


 


「“在る”ことを消して、“成る”のよ。

 それが、この型の始まり」


 


 何度も、何十度も、私は繰り返した。

 踏み込むたび、姿が消える。

 攻めるたび、力が空を切る。

 まるで水の幻を追っているようだった。


 夜が明けるころ、私は膝をついた。


「……無理……」


 苦しい。足が動かない。腕も重い。

 でも、それよりも、心が折れそうだった。


「“水鏡”は、倒すための型じゃない」


 師匠の声が、そっと落ちてくる。


「あなたが“生きて帰る”ための術。

 メグさんを救い、そして帰ってくるための術なのよ」


 ――“生きて帰る”。


 その言葉が、心の奥に火を点けた。


 そうだ。これは戦うための技じゃない。

 誰かを助け、必ず生きて帰るための、“願い”の型。


 私は立ち上がった。膝が震えても、立ち上がった。


 


 その時だった。


 風が変わった。

 森の奥から、一本の枝が、カツンと地面に落ちた。

 ……あれは、師匠が背負っていた予備の杖だ。


 私は、直感的に理解した。


 ――今の師匠は、本気で来る。


 この夜の最後に、“奥義”の雛形を見せるつもりだ。


 


 私は、構えを取るのをやめた。


 そして、ただ“在る”ことをやめる。

 “動こうとしない”。

 ただ、“そこに在るもの”に、私自身を重ねる。


 


 瞬間――師匠が踏み込んだ。


 小枝が風を裂く。かすかに、右の首筋へ向かってくる。

 でも私は、そこにもういない。


 意識は、斜め前に“届いて”いた。


 すると、風の中で、師匠の手が止まった。

 彼女の目が、わずかに見開かれ――すぐに、優しく細められた。


「……間に、合った……」


 静かな、けれど確かな声。


 師匠は、そのまま膝をつき、小さく肩で息をしていた。


 私は駆け寄り、支える。



「師匠、大丈夫ですか……?」



「……私のことは、いい。

 それより、その“気”よ。いまの感覚、絶対に忘れないで。

 あとは……その感覚を、自分の時間の中で、何度も重ねていきなさい」


 その声に、涙が滲んだ。



 奥義――“水鏡”の型。

 それは、力を手放した先にある、静かなる戦の技だった。


 私が、それを“私自身の型”にできるかどうか。


 修行に入って、一か月と少し。

 残されたわずかな期間で、掴み切らなければ――メグと共に、命を落とすことになる。


 けれど、私は今、怖くない。

 初めて、“強さ”の意味を知ったから。


 この”在り方”で、私は、メグちゃんを護る。

 あの嵐を越え、必ず――生きて帰る。



 夜明け前の空が、群青から淡い藍へと変わりつつある頃。

 私は、稽古場に座していた。


 今は――私は独り、稽古場にいる。



 呼吸を静め、掌に意識を集中する。

 音はなく、風もない。けれど、世界は確かに“動いて”いた。



 ――“動かす”な。“届いている”と思え。


 ――“感じ取る”な。“変化を待て”。


 師匠の声が、耳ではなく、身体の奥から響いてくるようだった。


 


 そのとき。


 かすかな気配。足音もなく、小石が投げられた。


 今度は、私は動かない。

 身体に力は入れず、ただ重心をわずかにずらす。

 掌を斜めに掲げる。


 ――“そこに居るべきだった自分”が、そこに“居なかった”。


 小石は、指の腹をかすめるようにして、地面に転がった。


 


 「……そう、それでいい」

 師匠の声が、背中から届く。


 


 振り返ると、彼女はいつもの椅子に腰かけ、静かに微笑んでいた。

 その目元に、かすかに赤い光が滲んでいる。


「もう……十分よ。マルヴィラ。

 あなたは、私が伝えたかった“型”を超え、自分の中に“技”を宿した」


「……でも、まだ完璧には――」


「完璧は要らないわ。

 これは“殺すための剣”じゃない。“護るための型”。

 だからこそ、今はまだ……未完成のままでいい。

 あとは――あなた自身の命の形に、ゆっくりと馴染ませていけばいい」

 


 私はその言葉を、胸の奥に刻むように、深く頷いた。


 


「師匠は……?」


 私は、問いかける。

 けれど、すでに知っていた。


 師匠は……本来は、重傷の身だった。

 でも、治療を進める前に……私を練り上げる方を、優先した。


「一つだけ約束して」


「……はい」


「“必ず、生きて帰ってくること”。

 たとえどんな結果になっても……メグさんを護って、自分も、生きて」


 


 私は、胸に手を置いた。


「誓います。……どんなに怖くても、どんなに敵が強くても、

 私は“護るために在る”。この型と共に、戦い、生きて帰ります」


 


 師匠は、その言葉に目を細めた。


「……あなたの中の“力”は、もう暴れない。

 ちゃんと、自分の意志で、導けるようになったのね」


 

 その言葉が、私にとって――最高の認定だった。



 


 朝が、近づいてくる。

 森が、再び息を吹き返し、鳥の声が小さく響きはじめた。


 私は、師匠の手を握る。

 温かく、細く、それでも芯の強さを感じる手。


「……本当に、ありがとうございました」


「お礼はまだ、早いわ。あなたは、まだ“旅の途中”。

 生きて帰ってから、聞かせて。

 私も、必ず……生きて、帰るわ……」


 師匠は、そう言って、静かに目を閉じた。


 そして師匠は……病院に、運ばれていった。



 私は、静かに頭を下げた。

 あの手の温もりと、あの声の余韻を胸に――

 

 メグちゃんの命を、託されたのだ。


 その重みと温かさを胸に、私は足を進める。


 


 マクベス大佐――あの嵐を超えるために。

 メグちゃん、小父さん達……そして、ケイト。

 みんなと、生きて帰るために。


 


 “水鏡”は、私の中で息づいている。


 今度は、私が――命を護る側になる番だ。



 そして、静かに稽古場を後にする。

 

 背を向けても、師匠の気配は、ずっと私の背中に残っていた。


 修行を始めてから、ひと月半と、少し。

 ギリギリ、間に合った……安堵感と、使命感を抱えながら。


 そして私は、静かに、帝都へと歩き出した。

 メグちゃんと共に、生きて帰るために。 




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