18-08 拳銃のかわりに、選択を
第四皇子側仕え ロヴロ・ミルヌイ視点
帝都に戻った殿下に下されたのは、「謹慎」という名の、静かな幽閉だった。
宮殿の一室。広すぎるほどの空間に、音はなかった。
伝え聞くところによれば、殿下と皇帝の対面は、わずか数分。
その最後に、皇帝はこうだけを言い残したという。
「……存外、役に立たなかったな」
殿下は、頷くことも、反論することもなく、そのまま部屋へ戻られた。
それ以来、カーテンを閉め、灯りもつけず。
引きこもるようにして日々を過ごされている。
私は、ただ傍にいた。
世話係として、護衛として、そして最後に残った“側仕え”として。
謹慎中の殿下は、何をするにもやる気が起きず、
それでいて、やたらと考え込む癖があった。
食事中に手が止まり、そのまま何十分も動かないことすらある。
私はそのたび、声をかけ、肩を叩き、あるいは意味もない話題で、殿下に話しかけ続けた。
時に、殿下は突如として落ち込み、感情の起伏も激しく、
私はその様子が、常に気がかりだった。
そんなある午後、旧知の名が記された封筒が届いた。
――差出人、フィリベルト・ガレッティ。現在はクーロイ自治政府勤務。
中身は一見、ごく普通の手紙だった。
隣星系の天候、果物の酸味、シャトルの点検頻度、そして古いレシピ帳への言及。
だが私の目には、文の一つひとつが、鋭く引っかかっていった。
(……果物。酸味。シャトル。レシピ帳?)
私たちがかつて定めていた「符丁」は、日常語に隠された情報網だった。
「果物の酸味が、前より強くなった」
→ “環境の変化、敵の手が緩んだ”
「シャトルの定期点検が不規則に」
→ “監視の目を逃れて移動した”
「古いレシピ帳を十七冊購入」
→ “17年前の事故の証拠を発見した”
(……本当に、見つけたのか)
私の指が、震えていた。
私はすぐ、殿下の部屋へと向かった。
扉を開けると、重苦しい空気が出迎えた。
カーテンは閉ざされ、昼間にもかかわらず、室内は夜のように暗い。
殿下は机に座り、両手で何かを包み込むように持っていた。
――それが拳銃だと気づいたのは、一歩踏み込んだときだった。
「……殿下」
呼びかけにも、返事はなかった。
殿下はただ、拳銃を見つめながら、微かに吐息を漏らされた。
「役に立たなかった……結局、僕は。誰にも、何にも」
その目に宿っていたのは、怒りではなかった。
虚無――自分自身の輪郭を失った者の、焦点の合わぬ瞳。
私は、ためらわなかった。
ゆっくりと歩み寄り、拳銃をそっと受け取り、何も言わず――棚の奥に収めた。
「殿下。……”あれ”を」
私は、胸元の第二ボタンを指した。
殿下は一瞬戸惑われたが、すぐに気づき、第二ボタンに指を添える。
そこに仕込まれた、盗聴防止フィールドのスイッチを押した。
ようやく、二人だけの空間になった。
私は、手紙を差し出した。
「ガレッティ様から届いた手紙です。
……例の符丁が使われていました」
そして私は、符丁の意味を一つ一つ、殿下に語った。
「“監視が緩んだ”。“17年前の事故の証拠を発見した”。“移動経路の確保に成功”。」
「――殿下。彼らは、目的を果たしつつあります」
沈黙。
だがその空白は、確かに崩れ始めていた。
「……本当に、証拠が?」
殿下が、わずかに顔を上げられた。
「はい。私の判断では――確実に。
決定的な記録が発見されたと見て間違いありません。
式典での混乱で、会場が破壊され。
管理区画が切り離されて生存者達が逃亡しました。
今や、あそこは“何もない”と思われています。
でも、だからこそ、探す者にとっては絶好の機会だった。
そして、あの符丁が届いたということは――」
「……あの方の罪を、証明できると?」
私は、強く頷いた。
殿下は、拳銃の代わりに、手を握りしめていた。
まるで、希望の重さを、掴むように。
「……ミルヌイ。私は、どうしたらいい?」
私は、首を横に振った。
「違います、殿下。
私はお尋ねします。
――殿下は、どうしたいのですか?」
沈黙。
だがそれは、絶望ではなく、考えるための時間だった。
「今このまま……何もせず朽ちていきたいのですか。
それとも、この情報を知った上で、
殿下自身の信念に従って、歩まれますか?」
殿下は、伏せたままの目を閉じ、
やがて、小さく息を吸い込まれた。
「君は、私に……拳銃の代わりに、選択を突きつけるのだな」
「はい。私は殿下の側仕えです。
殿下が本当に望むものを見抜き、掘り起こし、そして……支えるのが、私の務めです」
しばらくの沈黙ののち、殿下は立ち上がられた。
ゆっくりと、カーテンへと歩み寄り、重たい布を自らの手で開かれる。
差し込んだ陽光が、その横顔を照らした。
「……じゃあ、始めよう。
今からだ。全部を、覆してやる」
その声には、生気が戻っていた。
私は、静かにうなずいた。
殿下は生きている。
まだ、ここに在る。
ならば私は――この方の背を支え続けるだけだ。




