18-07 『この記録が、誰かに届くことを祈って』
第四皇子 元側仕え ジュゼッペ・タンクレーディ視点
俺達は作業を終え、作業船を宇宙港の隅のヤードに停めた。
それから0区に戻り、用意していたホテルに腰を落ち着けた。
一室に集い、俺たちはようやく――あの金属箱を開けた。
中身は、古びたノートが三冊、そして擦れた表紙のついた薄型のデータパッチが置かれていた。
私は手袋を外し、そっと一冊目の手記を開く。
「本記録は、3区コロニー管理区域担当医師であるマンサ・アムラバトが、3区滞在中に記したものである」
冒頭にそう書かれていた。
崩れた文字は、時間と湿度でわずかに滲んでいたが、それでも、しっかりと意志が込められていた。
ページをめくるごとに――記録は、静かに、だが確かに語り始めた。
◆
最初のノートは、17年前の事故の直前から始まっていた。
マンサ・アムラバト。
かつて帝国軍の医療部隊に所属し、のちにクーロイ自治政府に出向。
だがその実、彼女はある“内偵チーム”の一員だった。
対象は、3区コロニーシステム管理官、ダニエル・バートマン中佐。
他になり手もおらず、彼の任期は異例の長期化を続けていた。
無理もない。ここは、帝国内でも最辺境。
しかも管理官の業務は、おいそれと持ち場を離れられない。
余りに長期化したため、中佐に至っては――特例により、家族も呼び寄せていた。
だが帝国の規定では、長期任務の責任者には、不正防止のため内偵が義務づけられていた。
そのための内偵チームだったのだ。
ただ、奇妙なのは。
中佐に対する内偵の調査命令は――なんと、グロスター宮廷伯の名で出されていた。
「私達内偵チームには、真実のすべてを知らされていたわけではない。
ただ、天体が徐々に3区に近づいてくる中。
“中佐が、皇帝に不都合な情報を握ってしまった”という、その情報のみがもたらされた」
読み進めるうちに、彼女が見たものが記されていく。
バートマン中佐はどうやら……3区へ近づきつつある天体について、クーロイ駐留警備艦隊と、口論になったらしい。
その際に、彼は”不用意な一言”を話してしまった。
それが――内偵チームへの命令が、変わった理由だったそうだ。
それだけの理由で、中枢は――内偵チームに“暗殺命令”を出したのだ。
「私たちは躊躇った。
だが上から送り込まれた“武官”――リロイ・マックバーン少尉には、ためらいがなかった。
無言で、冷酷に、彼は動き始めた」
管理エリアの他の職員を、職務放棄して1区や2区行きのシャトルで逃げるよう仕向けて。
その後、シャトルを出せなくして、逃げ道を塞いだ。
そうして、ただ一人管理エリアに残る中佐を追い詰めた。
――しかし、計画は失敗に終わった。
詳細は、内偵チームリーダーのクレッグ中尉や、マックバーン少尉からは、知らされなかった。
どうやら、中佐は、作戦実行前に採掘場へ逃げ込んだようだ。
しかし、彼を追う間もなく――運命を決定づけた“天体衝突”が起こる。
「一瞬にして、全てが変わった。
クレッグ中尉、マックバーン少尉達、暗殺の実働チームは、管理エリアに取り残され。
私たちサポートチームは、他の生存者達と共に、管理エリア近くの高級住居区画に閉じ込められた。
ここで生き残ったのは、内偵チーム含めても、二十名程度だった」
◆
二冊目の記録は、生存者としての日々が中心だった。
事故後、コロニーの外にはデブリ回収部隊が現れた。
でも生存者達は、自分たちのいた区画からは、なぜか外に出ることができなかった。
中枢の命令により、内偵チームが出口を封鎖していたのだ。
理由は「中佐の暗殺に動いていたことを、一般に知られないため」。
そして、密かに内偵チームのメンバーだけが、徐々に回収されていった。
マンサにも、回収の誘いがあった。
だが……彼女は、この場に残された、唯一の医者だった。
残された傷病者の治療、食糧・酸素の管理、心理的崩壊と向き合いながらの日常。
彼等を残して、自分が脱出することに――言いようのない、罪悪感。
だから、彼女は頑なに脱出を拒み――残る事を、選択した。
そして、ある日彼女は気づく。
「残された者の中に、一人の女性がいた。
彼女の腹は、わずかにふくらんでいた」
その女性――名は記されていない。
ただ、繰り返し「彼女は強かった」「彼女のために、生きようと思った」と記されていた。
マンサは再三にわたる脱出命令を無視し――その女性と共に残る選択をする。
「この遺棄されたコロニーで、彼女と、その子の命だけが――私を医師として、人間として繋ぎとめていた」
「他の内偵仲間たちは、作業船に乗って退去していった。
誰一人戻ってこなかった。残された者達は――見捨てられたのだ」
◆
三冊目は、最終局面の記録だった。
コロニー内で伝染病が発生したこと。
残されたワクチンが期限切れのもの……しかも、たった“一人分”しかなかったこと。
「私達は、迷わなかった。
皆の一致した意見のもと、そのワクチンを、彼女の娘に打った。
その娘が未来を持つ者であると、私達は信じていた」
「大人たちは、自らの体力で乗り切ると決めた。
だが、誰もが理解していた。
それは――ただの希望にすぎないということを」
そして、手記の最後には、こう記されていた。
「今、私の体にも発熱が始まっている。
けれど、後悔はない」
「あの子だけでも、生き残ってくれたなら――それでいい。
でも、せめて……あの子の母親も生き残ってくれたら。そう、願ってやまない」
「この記録が、いつか誰かの手に届くことを、祈っている」
そして、ノートの最後には。
この時まで、3区を生き延びていた……十人の生存者達のリストが、震える字で残されていた。
ラッケル・ドナート
グンター・シュナウザー
ダン・サイモンズ
ライト・ミヤマ
ファレン・リッカルト
セイン・ラフォルシュ
ライノ・ルマ―ロ
メリンダ・カルソール=ルマーロ
マーガレット・ルマーロ
マンサ・アムラバト(記)
そして、そのリストの後ろには、こう書かれていた。
「例え、誰一人……生き延びることが出来なくとも。
ここに、私達が生きていたことを記す」
「願わくは……皆が、ここで、細やかな幸せを嚙みしめて、生きてきたことが。
少しでも、この記録を見た人たちに……伝わらんことを」
◆
会議室の中は静まり返っていた。
誰も言葉を発する者はいなかった。
ガレッティが、静かに目を閉じた。
「……マンサ・アムラバト。彼女もまた、闘っていたんだな」
ジェマイリが、データパッチを回収しながらぽつりと呟く。
「この記録、……殿下に届けられるか?」
「届けよう。……これは、皇帝による隠蔽と放棄の、動かぬ証拠になる」
私は、手記の最後の一行を再び思い出していた。
『――あの子だけでも、生き残ってくれたなら』
きっと、それは……あの少女。
名を、メグという――宇宙軍の追跡の手を逃れ、どこかへ脱出していった、あの歌声の持ち主。
この記録が照らすのは、ただ過去の罪だけではない。
生き延びた者がいたこと。そこに“命を繋ごうとした意思”があったということ。
それが今、ようやく――時を越えて、誰かの手に届こうとしている。




