18-01 居残りと紅茶と、頬に刻む報復の日常
第七突撃部隊司令部 総務経理グループ ミレーヌ・ヤハタ曹長視点
今日の業務を終えた私は、自室の窓辺に腰を下ろす。
シャワーを浴びる気力もなく、ただ、ぼんやりと外を眺めていた。
窓越しに見えるクーロイ0区の街並みは、故郷ハランドリ星系の実家から見た景色に、少し似ている。
けれど、決定的に違うのは――この世界が、巨大な筒の内側にあるということだ。
湾曲した地平。
天井に見える“空”の向こうに、上下逆さまの街灯が瞬いている。
ここが宇宙の片隅の人工コロニーである現実を、視界の端が静かに告げてくる。
クーロイ星系最大の居住区、0区。人口一万強。
周囲の衛星コロニーを含めても、全域合わせて二万に届かない。
つい最近までこのちっぽけなコロニー全体が、帝国軍第七突撃部隊――分厚い装甲と高機動車両を誇る、うちの部隊――に包囲されていた。
名目は、叛乱容疑。
……冗談だと思った。心底。
帝都星系を含む五十近い星系を支配する帝国が、たった二万人のクーロイ自治政府に反旗を翻されたなどというのは、与太話にすらなっていない。
けれど、上層部は突如命令を下し、部隊は動いた。
しかも、ただの進駐だけじゃない。
遥か昔に「非常時の象徴」として名目だけ残っていた“監察官”の称号を掘り起こし、その座に第四皇子を据えて。
そこからは、もう何がなんだか。
3区で行われた慰霊式典への部隊乱入。
侯爵、中将、市民団体代表――皆ごっそり拘束。
証拠なんて無い。意味も無い。ただ、命令だから従った。
私たちは軍人だから、命令には逆らえない。
でも、本当に意味が分からなかった。
進駐も、強制徴発も、撤退も。すべては“上”の都合。政治劇だった。
でも、現場はその“演目”の尻拭いをさせられるのだ。
私は、戦闘部隊の一員ではない。
司令部付き、経理担当。叛乱なんて言葉とは無縁の立場だったはずだ。
それでも、巻き込まれた。
――食糧の現地徴収? いや無理でしょ、人口規模的に。
そう上申した。でも、握り潰された。
結局、現地の政府から徴収できたのは、賞味期限ギリギリの不味いレーションパック。
当然クレーム続出。しかも誰も上の人間は食べない。
私たち下士官と、現場の兵士達で消化する羽目に。
更にごみ問題。
3区――十七年前に事故で遺棄されたはずのそのコロニーは、事実上クーロイ全体のゴミ捨て場になっていた。
そこを部隊が“作戦の一環”で破壊してくれたおかげで、進駐初日から0区のあちこちにゴミがあふれ山積みになった。
しかも溢れたゴミの大半が、私達部隊が持ち込んだものと知っては、涙も出ようものだ。
誰もしてくれないから必死になってやったら、『現地政府と信頼関係を築いたから』、という理由で居残り組に任命された。
ゴミ処理のために。
……私、経理で入隊したんですけど!?
「“居残り組”なんて貧乏くじ、申し訳ない」
そう言って去っていったのは、元上司のラミス少尉。
――申し訳なさそうな言葉とは裏腹に、妙に晴れやかな顔で。
あなた、私の上申を握り潰した張本人でしたよね?
多分、面倒くさいって理由だけで。
今度会ったら、あんたの顔、左右に引き伸ばして三倍の横幅にしてやる。
「あー、やめやめ」
また気分が沈んできた。
こんなこと考えてたら、疲れが増すばかりだ。
シャワー浴びて、寝よう。
明日も朝から仕事が山積みなんだから。
翌朝、まだ夜の気配が残る時間に宿舎を出る。
司令部までは徒歩五分。冷たい空気を吸い込みながら歩くのにも慣れた。
0区中央駅――かつて部隊が強制的に占拠していた場所。
以前はこの中に入って勤務したんだけど。
今の私はそれを脇目に、今では居残り組の本部になっている建物に入る。
まぁ、雑居ビルだけど。
まるごと空いていたのを自治政府が貸してくれた。
人数的にも、今の私たちには十分すぎる立地だ。
今日は珍しく、ビルの入口の鍵が開いていた。
こんなに早く出勤してるのは、あの人しかいない。
扉を開けると、ふわりと香る、柔らかくて濃い紅茶の香り――。
「おはよう、ヤハタ曹長」
やはり、執務室にいた。ヌジャーヒン准将。
司令官席に座るその人は、いつも通り穏やかな笑みを浮かべ、白磁のティーカップを手にしている。
「おはようございます、准将閣下」
敬礼すると、准将は目を細めてうなずいた。
「今日は少し香りが強めの茶葉を選んでみたんだ。良ければ、一杯どうだい?」
そう言って、私に差し出されたティーカップからは、深い香りが立ち上っている。
ありがたく受け取り、両手で包み込む。
ほんのりと温もりが伝わってきて、指先の冷えが和らいでいく。
一口すすると、芳醇な香りとまろやかな渋みが口に広がった。
いつもよりも、ずっと深い味。
「……とても、美味しいです」
思わず漏れたその言葉に、准将は満足そうに微笑んだ。
「だろう? これは私の故郷で栽培されている特別な茶葉でね。
クーロイでは手に入らない、貴重品だよ」
故郷。その響きに、胸の奥がふと締めつけられる。
――私も、実家に帰りたい。
進駐時は時々帰れた。
でも今は、ずっと仕事漬け。
日曜も祭日も何もない、ゴミと折衝と報告書に埋もれる毎日。
ふと、准将の視線がこちらに向けられる。
「君は、たしかハランドリ出身だったね。実家には……帰れているかい?」
私は、正直に答えた。
「いいえ。処理場の施設長との折衝が、ほぼ毎日ありますから」
クレーネン施設長との日々のやり取りが、まるで戦場のようだ。
……いや、クロイスバルト小隊長が「戦場だ」って断言してたっけ。
ヤードに溜まった回収品を巡って、どこでどう処理するかの折衝。
処理量の調整を少し誤れば、コストが跳ね上がるし、再利用品の精度に直結する。
地味で、厄介で、でも誰かがやらなきゃいけない仕事。
――その内情を見透かしたように、背後から静かな声がした。
「施設長との折衝を、ヤハタ曹長一人に任せている現状は……我々も心苦しく思っているのですよ」
振り返ると、副司令官のラーケン中佐が、いつものように仏頂面で立っていた。
「居残り当初から、交代要員の派遣を本部に要請していたんだ。……准将がね」
え、准将が?
思わず視線を向けると、彼は穏やかなままで、しかし真っ直ぐにこちらを見ていた。
「私が紅茶を淹れることしか取り柄のない“お飾り司令官”だってことは、君も知っているだろう?」
それ、陰で私も言ったことあります。ごめんなさい。
「私は軍務に秀でているとは言えない。
でも、皆のために、よりよい環境を整えるのが自分の役目だと思っている」
「……准将はその一心で、全部“個人の伝手”で手配してきたんだ。
軍の公式ルートなんて、一切使わずにな。
俺はその裏で、実務を回してるだけだ」
准将って……好みの紅茶を仕入れてるだけじゃなかったんだ。
ひょっとして、准将まで昇進してるって事は――実はすごい人脈持ち?
中佐の語気にも、長年の信頼が滲んでいるし。
この二人――案外いいコンビなのかもしれない。
数日後。
いつものように、施設長との折衝を終えて戻った私に、中佐が声をかけた。
「交代要員の手配がついた。三十分後、宇宙港からのシャトル便で到着する。
駅まで迎えに行ってくれ」
――やった、ついに!
「了解しました。それで……どなたが?」
「准将から“事前情報を与えるな”との指示だ。行けば分かる」
……なにそれ、嫌な予感しかしない。
宇宙港からの乗客を乗せたシャトルが、駅の2番ホームに滑り込む。
降りてくる乗客の顔を順に見ながら、私はひとつ深呼吸した。
――誰が来るのか、分からない。
でも、准将がわざわざ隠すなんて、碌な人選じゃない気がする。
乗降口が開き、人影が数人見えた。
そして、私は見た。あの顔を。
忘れもしない、離任当時のあれほど、憎らしいほど爽やかだった――
でも今は……明らかに青ざめている男の顔を。
私の機嫌は急上昇。
めちゃくちゃ感謝します、准将。
――これ以上ない笑顔を浮かべ、その男に歩み寄る。
「……お久しぶりです、ラミス伍長」
元・少尉。私の元直属上司。
あの“上申握り潰し事件”の当事者。
階級章を見ると、見事に“伍長”にランクダウンしていた。
少尉バッジはもう、どこにもない。
「お、おう……ヤハタ軍曹」
彼の表情は、「察してください」という顔でいっぱいだった。
だけど、もちろん察するつもりなどない。
私が付けている階級章も見てない人に、配慮する理由はない。
「まさかとは思いますが、私の上申を握り潰した件がバレたんですか?」
「ち、違っ――」
遮るように、私は微笑んで続けた。
「でも、ロップス元少佐には話が通ってなかったと聞いていますから。
結局、少佐と一緒に処分されたんですよね?
撤収後に、仲良く一階級降格」
きつくもない、柔らかな口調で言ってやると、彼はそれ以上何も言えなくなった。
……うん、これでひとまず“顔の横幅三倍事件”の正当性は確保された。
さあ、報復だ。
帰り道、人気のない通路で、私は彼の両頬を思いっきりつまみ上げた。
「痛っ、痛い! や、ヤハタ軍曹、やめろ――」
「階級章が見えないんですかね。私は軍曹ではなくなりました」
手を緩めてあげない。
「なっ……なんで高々二、三年目で曹長に……痛いと言ってるだろ!」
「元少尉殿が押し付けた、施設長との折衝業務の責任者だからです。
私一人が担当の、名ばかり責任者ですけど。
いつまでも責任者が下っ端軍曹では、部隊の顔が立たないでしょう」
そう言って、引っ張る手をさらに強めた。
それでも結局、三倍まではいかなかった。
面の皮が厚すぎて一・五倍程度だったけど、それでもスッキリした。
准将と中佐には、あとでちゃんと報告しておこう。きっと笑って許してくれる。
司令部に戻ってから、頬を真っ赤にしたラミス伍長を中佐に引き渡した。
中佐は、ラミス伍長を会議室に引きずり込んだ。
会議室では、ロップス大尉も待っていた。
少佐から大尉に降格している彼は、少し前に招集されている。
離任までは仲良しだった二人だけど、さてさて今後はどうなるかな。
ちらっと見た大尉の目は、伍長には冷たかったけど。
准将も一緒に会議室に入ったが、五分と経たずに戻ってきた。
「よく見つけましたね、あの人」
出て来た准将にそう声をかけると、准将は困ったように笑った。
「上級士官だったら割と簡単に見つかるんだけどねえ。
伍長くらいまで落ちると、探すのが難しくて。
……でも、ちゃんと責任は取ってもらわないと」
「ありがとうございます。おかげで、顔の横幅を三倍に――いえ。
せいぜい一・五倍が限界でした。面の皮が厚くて」
「はははっ。彼、会議室に入ったときからずっと頬が赤かったからね。
曹長が報復したのかなと思ってたんだよ。
本当にやったんだ。あはははっ」
准将は心底楽しそうに笑って、報復を黙認してくれた。
少しだけ、胸が軽くなった。
会議室で伍長への訓示が続いている間に、私は処理場のクレーネン施設長へ連絡を入れた。
明日の折衝には交代要員を連れていくこと。
しばらくは私と二人体制で任務を回して、彼に引き継ぎを進めていくこと。
通話越しに、施設長の笑い声が弾けた。
「ようやくミレーヌちゃんの交代要員が来たんだね!
良かったよ、これで私も休みが取れるってもんだ」
施設長のその答えに驚いた。
「もしかして……私がずっと一人でやってたせいで、施設長も休み取れてなかったんですか?」
「そうだよー。
他の奴にやらせると、宇宙軍だからってミレーヌちゃんがいびられるか、逆に若い女性相手に下心まる出しで来るかでさ。どっちも鬱陶しいでしょ?」
……その気遣いに、なんとも言えない気持ちになった。
「それは……すみません。本当に、ありがとうございます」
「気にしないでー。ミレーヌちゃんが頑張ってるの、私はちゃんと見てるから」
この人の、こういうとこ、ほんと好きだ。
和気あいあいとしたやり取りの中で、ふと聞き慣れない単語が出てきた。
「でもさすがに、そろそろ別の奴に担当させろって“総務長官”に言われてさあ」
「ひょっとして……“長官代行”じゃなくなったんですか?」
「うん、行政長官が戻ってきて、クラークソンさんは総務長官に正式復帰だってさー。
で、新しい担当者も決まったよ。明日来るなら、呼んでおくから」
……新しい人? また下心まみれだったら嫌だな。
「そいつはミレーヌちゃんのこと、そういう目では見ないから安心してー。
私は会ったから分かるよ」
うーん、施設長の言葉は信用していいけど、ちょっとだけ不安が残る。
そして翌日。
ラミス伍長を伴い、処理場を訪問。
施設長室に通されると、クレーネンさんの隣に――え?
「ジェマイリさん……どうしてここに?」
殿下の側付きだった、あの人。
撤収前、時々司令部に顔を出して、お菓子を差し入れてくれてた。
女子の間でもかなり人気が高かった、ちょっと優男風の人だ。
「ヤハタ軍曹……いや、曹長に昇進ですか。お久しぶりですね」
「あら、ミレーヌちゃん、彼と知り合いだったの?」
施設長が、私達のやり取りに目を丸くする。
「ええ、まあ……殿下の御側付きとして司令部に出入りされていたので」
「殿下の思いつきで……私とガレッティは、今は自治政府に“出向”中なんですよ」
優しく微笑みながら言うジェマイリさんの声に、うっすらと疲労がにじむ。
名前の挙がったガレッティさんも、殿下の側付きの一人。
冷徹な、いかにも頭いいですって顔をしてるけど、案外優しい人なのは知る人ぞ知る。
そんな側付き二人が、自治政府出向なんて。
なんだか、政治の香りがする――嫌な方向の。
でも、今は根掘り葉掘り聞かない。関わらない方がいいことも、ある。
私達はすぐに話を、今後の折衝に戻した。
「それで今後の回収品の折衝は、ヤハタ曹長とラミス伍長の二人で担当ということですか?」
ジェマイリさんの言葉に、横のラミス伍長が驚く。
「えっ? 折衝を、彼女と二人で……?」
驚く伍長の顔に、私はにっこり笑いながら応じた。
「何をおっしゃっているんです。違いますよ。
私と交代で折衝業務ができるように、私が引継ぎしながら、ジェマイリさんと施設長にビシバシ鍛えていただく予定ですから」
恐らく、私と伍長が二人で出てきて折衝するとでも思っていたんだろう。
私に任せりゃいいって高をくくっていたに違いない。
引継ぎ中は二人で出ると思うけど、いつまでもそれじゃあ、私が休めないじゃないの。
自分の想像以上だったことに気付いて、ラミス伍長の顔が真っ青になる。
それを横目に、ジェマイリさんが苦笑まじりに言った。
「階級は伍長の方が上だけど、立場は逆のようですね」
「ええ、准将と中佐の正式なお墨付きを頂いてます」
そう言うと、施設長が笑いながら肩をすくめた。
「早くラミスさんを一人前にしてくれないと、ミレーヌちゃんが休めないからね」
「……了解しました。全力で、鍛えますよ」
ジェマイリさんの微笑はそのままだったけど。
ラミス伍長を見るその目は――笑っていなかった。
伍長が、もう一度顔を引き攣らせたのは言うまでもない。
「ラミス伍長の方が階級は上ですから、引継ぎ後の責任者は貴方ですからね」
そして、私がとどめを刺した。
私は思う。
かつては、クーロイに来てからは苦痛でしかなかった。
けれど今――こんな人たちと一緒に働けるなら。
……皮肉と紅茶と、少しの因果応報。
それに、ほんの少しの“信頼”があれば。
――案外、この場所も、悪くないのかもしれない。




