17-10 秘密会議の余燼の中で
ペドロ・アコスタ視点
静まり返った会議室に、わずかな熱の残滓だけが漂っていた。
誰もいない広間に、しばしの沈黙の後、三人の男が残った。
帝国のトッド侯爵、ミツォタキス侯爵――
そして、共和国元首たる私、ペドロ・アコスタ。
会議が終わったというのに、私たち三人の視線にはまだ、少女――マーガレット・ルマーロがいた場所の余韻が、色濃く焼きついていた。
先に沈黙を破ったのは、老侯爵ミツォタキスだった。
「……しかし、何者だ、あの娘は」
その声は、驚きと、僅かな敬意を含んでいた。
「戦術眼、状況把握能力、情報の整理力。
そして交渉の場での駆け引きにすら長けている。
……あれほどの人物が、“あの出自”であるというのが、にわかには信じがたい」
トッド侯爵も、ゆっくりと頷いた。
「私はあれほどの若者を、私と家臣たちのどの家でも見たことがない。
それどころか、帝国のどの士官学校でもな。
……仮に我が家にいたなら、後継者として育てただろう。
それほどの逸材だ。スカウトする余地はないのか?」
私は、肩を竦めて、ゆるやかに首を振った。
「彼女が“望む未来”を考えれば……難しいでしょうな」
「……望む未来?」
ミツォタキスが眉をひそめた。
私は、ふと懐かしむような声で答えた。
「彼女は、必死に戦っています。
命を懸けて、恩人である“お姉さん”を取り戻そうとしているし、そのために私たち大人の矛盾をも、覚悟して受け入れている。
ですが――あの娘が本当に望んでいるのは、恐らく“平穏な、普通の生活”ですよ」
二人の侯爵は、一瞬、言葉を失ったようだった。
「あれほどの者が……普通の、生活?」
ミツォタキスは呆気に取られたように、繰り返した。
私は静かに頷いた。
「誰からも追われず、奪われず、傷つけられず。
“家族”が一緒に笑って食卓を囲める、そんな日々を――彼女は、ただ望んでいる」
「俄かには、信じられん」
トッド侯爵が呟いた。
「彼女と話をして、私は思いました。
あのマーガレット・ルマーロという娘は、戦うために生まれたのではありません。
生き延びるために……戦わざるを得なかっただけです」
室内の空気が、ふっと沈む。
彼女が背負ってきた年月を思うと、あの堂々たる態度の背後に、どれほどの孤独と痛みがあったかを想像せずにはいられなかった。
やがて、ミツォタキスが問うた。
「だが……あの知識、あの語彙。教えた者はいないのか?
あれは、独学の域を遥かに超えている」
私は、ゆっくりと頷いた。
「そう思われるのも無理はありません。
ですが、彼女には“教師”がいました。
まずは……彼女の両親を含め、帝国人の生存者たちです」
「帝国人……まず、は?」
ミツォタキスが静かに反応する。
「ええ。遺棄されたコロニーの中でも、彼女の周囲にいた大人たちは皆、帝国の民でした。
事故当時、3区に取り残された者たちです。
そして、やがて産まれた彼女に、知識を、言葉を、生活の作法を教えた。
しかし……その多くは、過酷な環境の中で、病や事故で命を落としました。両親を含めて」
「……残された者が?」
「今も彼女の側にいるのは、“小父さん”と呼ばれる三人の男性たちです。
彼らが語ってくれました。最初のうちは、皆と同じように、愛情をもって教育していたと。
ですが、仲間を次々と失っていく中で、ある時から方針を変えたといいます」
私は、一呼吸おいて言った。
「“最後、自分ひとりになったとき、どう生きられるかを、彼女自身に考えさせる”。
そう教えるようになった、と」
「……酷な話だ」
ミツォタキスが低く呟いた。
私は、そっと首を横に振った。
「そう思うのも当然です。
ですが――“あの娘”は見事に応えたのです。
知識も、技術も、そして数多の危機に対する直感までも。
すべてを、自らの中に取り込み、形にしていった。
彼女は、小父さんたちの想像を超えて……生き延びたのです」
そして、思い出すように微笑んだ。
「もっとも、彼らの方針も少々、行き過ぎた部分があった。
三人が彼女を突き放す形になってしまったとき――
それを軌道修正し、彼女に再び温かい愛情を注いだのが……ケイト・エインズフェロー女史と、彼女の友人であるマルヴィラ・カートソン女史でした」
「彼女がケイト女史を恩人と慕っている理由は、そんな所にあったのか……」
トッド侯爵が呟いた。
「マーガレット君の当時の状況を見たケイト女史は、三人を叱り飛ばしたそうです。
それがきっかけで三人とマーガレット君は和解しました。
そして以後はケイト女史とマルヴィラ女史が、彼女に――帝国女性としての在り方、強さ、生きるためのしたたかさ。
そういったものを、愛情たっぷりに教えたのだと、彼らは語ってくれました」
私の言葉に、二人は目を見張った。
「帝国の貴族階級とは異なるが……エインズフェロー女史の父親は、良く知っている。
彼からもケイト嬢の話は聞かされていた。
話を聞く限り、あの二人は――帝国社会の中でもまれながら、知性と気品、そしてしたたかさ、心の強さを身につけた女性たちだった」
トッド侯爵は、呟いた。
「そうして、マーガレット君は十五歳ながら、非常に自律的な一人前の女性へと育っていった。
それでも今もなお、小父さんたちを“家族”として慕ってくれる。
それが何より嬉しい――と、三人は話してくれたのです」
しばしの沈黙。
三人の間に、重く、だが確かな思いが流れた。
「……あの娘が、国を動かす時代が来るかもしれん」
トッド侯爵が静かに呟いた。
私は、それにすぐには返答しなかった。
少しだけ目を伏せたのち、ひとつだけ、言葉を紡いだ。
「彼女は、自分がそういった存在に祀り上げられるのは……好まないでしょう」
あの娘は、何より平穏を望んでいるのだ。
「その時が来るかどうかは、我々がこれから何を選ぶかにかかわらず。
彼女が――何を、自ら選ぶかでしょう。
我々は、若人たちの選択を、見守るだけですよ」




