14-07 理性を休ませ、感性を呼び覚ます
セルジオ視点。最後だけ視点が変わります。
前回の解説。
一万二千字ほどの長文ですので、ご注意を。
「なんだか、不思議な感じだ」
今の体験は、僕のこれまでの経験には全くなかったものだった。
言葉で説明できない、だけど、体でわかる。
なんか、そんな感じ。
「今のこれって……この体験って、一体何なんだろう。
良かったら……教えてくれないか」
導いてくれた彼女に訊けば、今の体験が何だったのかを教えてくれるかな。
「私の、というか――私がお母さんから聞いた解釈でいいなら」
僕は頷いた。
「セルジオさんが体の中に感じたもの……。
それはセルジオさんが抱えていた、表に出せていなかった感情のエネルギーなの」
「感情の、エネルギー?」
感情という言葉と、エネルギーという言葉が、僕の中で結びつかない。
「不満、飢餓感、欠乏感、寂しさ、悲しみ……。
いろんな言葉で表現されるような、鬱屈した感情を抱えて、セルジオさんはここに来たわ」
「……うん、そうだね。
今なら、そうとわかる」
確かに、ここに来る前の僕には、いろんなドロドロしたものが中で渦巻いてた。
僕はゆっくりと頷いた。
「そう言った感情が良くないものだと思って。
思いの丈をぶつけたら、お父さんを傷つけてしまう。
そうしたら、余計嫌われてしまうんじゃないかと怖くて。
それで、お父さんにぶつけられずにいた……違う?」
彼女の言葉は、父さんとの話し合いの時の僕のもどかしい感じを、的確に表現していた。
言われてみれば……確かに、そんな感じだ。
しっくりくる。
「……うん」
自分の事を的確に言われたことに、恥ずかしさを覚えながらも、僕は頷いた。
「相手にぶつけたら、鋭い刃を向けるかのように、傷つけてしまいそうって感じたという事。
それだけ、セルジオさんが抱えていた感情には、大きなエネルギーがあるの。
そこまでは、いい?」
彼女の今の話は、分かりやすい。
確かに、僕が抱えていた感情が、父さんを傷つけかねない程のエネルギーを持ってる、って言えると思う。
「一方で、嬉しい、楽しい、ありがとう……そんな感情。
こういう感情を覚えたとき、エネルギーって意味では、どうかな。
たとえば、とても嬉しい事があった時、セルジオさんはどう感じる?」
嬉しかった事かあ。
「そういう時は、ワクワクして……とても嬉しかったら、大きくバンザイしたり、飛び跳ねたりしたくなるかな」
僕の答えに、マーガレットさんは笑みを浮かべて頷いた。
「そうね。バンザイしたり、飛び跳ねたり……つまり、体を動かしたくなるってこと。
嬉しい、楽しいといったポジティブな感情にも、そうした体を動かすだけのエネルギーがあるって言えるわ。先ほどのネガティブな感情に比べたら、エネルギーとしてはそれ程大きくないかもしれないけどね」
確かに。
そういう感情にも、何かしらのエネルギーがあるらしいのは分かった。
「さっきやったことを簡単に言うと、セルジオさんがここに来るまでに溜めていた感情――そのエネルギーの使い方を変えたってことなんだけど、これだけでは何の事か分からないと思うわ。
これを説明するためには、『理性』と『感性』について、説明が必要ね」
「……理性と、感性?」
理性については、なんとなくだけどイメージはある。
感性ってなんだろう。
「セルジオさんって、学校で勉強した後も、モンタルバンさんに課題を課せられたりして……自由が無くなるほど、とっても一杯勉強してたって言ってたよね」
確かに、山ほどの課題を押し付けられ、一杯勉強した。
「それは思考する力――『理性』の力を今まで鍛えてたってことなの。
自分の知識を増やして、考える力を伸ばして。それを、自分の力にすること。
そのこと自体に、セルジオさんは不満を抱いてたわけでは無さそうに思う」
それは、理解できた。
「うん。確かに、勉強自体は別に良かったんだ。
他の人との交流が何もできなかったり、自由がなかったりしたのが、不満だっただけで」
不満だったのは自由の無さ。
押し付けられたとはいえ、勉強はやればやるだけ身に着くから、嫌いではなかった。
必要性がわからない、かなり古い歴史の課題だけは不満だったけど。
「理性は、本来……成果を、結果をより良くするための力。
アウトプットと言ってもいいかしら。
勉強すればするほど、物事を達成するのが簡単になったり、質が良くなったり」
「言ってることは、わかる」
なるほどと思って頷いた。
「理性を使う方向性を表す言葉はね。
例えば――力を出す、考える、集中する、ジャッジする、記憶を辿る、予測する……これらは全て、頭を使って結果を出すための方向性を指すの。
これらの方向性に、ある共通点があるの、わかる?――難しいかな」
彼女の言う方向性――理性で行う動作?については、理解できた。
でも、共通点?
「なんだろう……全然、わかんないや」
まるで思いつかない。
「これらの方向性の指す共通点は……ある程度の限られた情報しか扱えないって事。
例えばね、並んでいる料理から食べたい物を1つ選ぶ時。
2つや3つ、多くて4つかな。その中から1つを選ぶのは、そんなに難しい話じゃない。
でも、そこに1000皿の料理が並んでて、食べたい物1個だけ選んでって言われたら?」
そんなの無理、って直感的に思った。
「多分、本当にそんな場面が来たら……目の前の何皿かを適当に絞って、そこから選ぶかな」
食べ物をねだりに来たこと、根に持ってないかな、彼女。
ふとそんな事が気になった。
「そうね。セルジオさんが『絞って』って言ってくれたけど、そうやって選択肢を絞らないと、理性の力が発揮できないってことなの。
集中する、なんて方向性は正にそう。それは必要な情報を限定するための方向性だから。
つまり、理性は……膨大な数の情報を、一度に処理することが不得手なの。
とりあえず、そういうものだと思ってくれているだけでいいわ」
なるほど。
なんとなくだけど、彼女の言っている事はわかる。
僕は、頷いた。
「理性の話はまだわかりやすいから、これくらいにして。
感性は……今ここで起きている事を体で感じ取る力。
こちらは、インプットとも言えるかしら。
例えば、こうして話している相手のことを、より深く感じられるようになれば……それだけ、相手の考えが共感できたり、また相手の話すことが腑に落ちたり」
なんとなく、理性とは違うってことは、分かる。
「今の私の説明も、セルジオさんは勉強する時みたいにうんうん唸って考えてないでしょ。
私の話を聞いて、なんとなくこうかな、みたいに思ってる気がする。
それはセルジオさんが意識しないで感性の力を使ってるって事。
今は、そんなものなんだ、くらいに思ってくれればいいわ」
課題をこなすときにうんうん唸って、って見て来たことの様に彼女が言うけど。
確かに今の説明を聞いて、一生懸命に考えたりしてない。
言われてみれば、そうだな。僕は頷いた。
「感性を使う方向性は――力を抜く、感じる、ぼんやりする、想像する、追体験する……頭ではなく身体を使って、情報を得るための方向性といってもいいかな」
ん?
「なんだか僕には、想像するって言葉が、身体を使うことと結びつかない」
今、モヤッとしたと思ったことが、するっと言葉に出て来た。
ちょっと不思議な感じ。
「なるほど。
でも、想像することは身体を使う方向性だってことは、ちゃんと説明できるの。
例えば、そうね……。
イモやニンジン、タマネギやお肉が、とろみの付いた茶黄色いスープに入ってて、それが白いライスの上に掛けられている。これを聞いて何が想像できる?」
「カレーライス」
いちいち料理で例を出してくる。
本当に根に持ってるんだろうか。
「その味とか舌触り、温度とかは?」
「うん……、いつも食べてる味が思い浮かぶ」
彼女は頷いた。
「そういった味、舌触り、温度とかの複雑な情報って、頭で覚えてるんじゃなくて、セルジオさんの身体が覚えている情報なの。
味だけ、舌触りだけ……切り取った情報ならまだ何とか言葉で説明できるけど、それでも似たようなものと比較してみると、味一つ取っても物凄い情報量が含まれてるのが分かると思う。
例えば同じ鍋から取ったカレーでも、作った日と翌日で味も変わるわね。
違うってことは分かるけど、詳しく説明してと言われると難しいわ」
今日のカレーはちょっといつもより辛くて、でもコクがあるね、とか。
そういう事かな。
「カレーライスと聞いて思い浮かぶのは、そういったことが全部合わさった組み合わせ。情報量としては膨大よ。
これは理性で、頭を使って覚えられる量の情報じゃないの」
いつもカレーライスを食べてる、軍大学の食堂の雰囲気とかまで思い出せる。
味とか、そういう直接的な感覚だけじゃなくて、昼休みの温かい光とか、周りの騒がしい雰囲気とか。そういうもの全部の組み合わせで覚えているってことは、わかる。
「もう一つ、例を挙げると……。
今、セルジオさんの真後ろにナイフを持った男がいるって想像したら、どう感じる?」
思い浮かべてみて、身体がゾッとした。
思わず振り返ってみる。
誰もいなくて、ほっとして、彼女の方へ向き直る。
「怖がらせてごめんなさい。
でも今ゾッとしたでしょ。それは身体が反応したってこと」
確かに、身体の反応だと言われたらその通りだった。
「想像するって、入って来たいろんな情報を、身体が覚えている情報と照らし合わせて、なにが起きそうかを推定することなの。
身体が覚えている事には、今まで体験したことだけじゃなくて、本能的なものも含まれるの。
それで危険が迫ってると推定したら、即座に体に反応を起こす。ゾッとする、背筋が寒くなるっていうのは、この体の反応なの。
体に反応が起きるからこそ、身体を使ってると言えると思うの」
ああ、そうか。
彼女の言う内容も『想像』って確かに言えるけど。
僕が最初に『想像する』って言葉を聞いて思い浮かべたのとは違ったんだな。
「ああ、つまり君の言うのも『想像する』って言うけど。
例えば……こんなことが起きたらいいなって思い浮かべる事とは違うんだね」
彼女は目を見開いた。
「ああ、なるほど。身体を使うってことに結びつかないって言ってた理由って、そっちを思い浮かべてたからなのね。納得したわ。
セルジオさんの言うそれって、私なら『妄想』って呼ぶわね。
頭の中だけで妄想するのは、確かに理性の働きだわ」
彼女は頷いた。
「理性と感性の話を整理するとね。
理性は、限られた情報を使って、頭で考えて結果を出す力。
一方感性は、膨大な量の情報を、身体を使ってシンプルに整理する力」
今までの説明を、彼女が端的に表す。
例を挙げて今まで説明してくれた内容を思い浮かべて、短い言葉にちゃんとまとめられているなって納得して、頷いた。
「理性も感性も自分の中に元々あるもの。使う時は意識せずに使ってしまうの。
これらは違う特性があるから、本来はそれぞれの使いどころがあるんだけど。
でも私達はその本来の使いどころで……特に、感性を使いにくくなってるの。
ここで、セルジオさんが今日ここに来た理由……お父さんとのコミュニケーションをどうするか、っていう悩みに戻るわ」
ここでようやく、僕の元々の問題に立ち戻った。
これまでの彼女の説明は、僕の抱えていた問題を説明するのに必要だったってことなんだろう。
「例えば数学の問題を解いていて、答え合わせをしたら答えが間違っていたとするわ。
その時、計算の過程を見直してみて、どこが間違っていたかを探すじゃない。
同じことが、セルジオさんの中に起きていたの」
ん? どういうこと?
「大丈夫、順を追って説明するわ。
まず、今までのモンタルバンさんの仕打ち、そしてそれに対してお父さんが何も自分にしてくれなかったこと。それによって、不満、悲しい……いろんなネガティブな感情が、セルジオさんに湧いてきた。
そういった感情には大きなエネルギーがあるってことは、最初に話したわね」
頷いて、続きを促した。
「その大きなエネルギー――鬱憤って言ってもいいかな。
それをそのままお父さんにぶつけたら、相手を傷つけてしまいそうって考えた。
そもそも、そうした不平不満をその場で相手にぶつけるのって良くない事って、そういう、一緒に過ごす人たちとの共通認識がある。そこから外れると、周りに責められるって思って苦痛に感じるの。
だから、その不満をひとまず自分の中に押し留めた。これは理性の働きなの」
つまり、それって……不満を溜めてるってことだよね。
理性の働きだってことは、なんとなくわかる。
「でもこの鬱憤――ネガティブな感情のエネルギーはとても大きくて、いつまでも抱えていられないわ。
だから解決する方向にエネルギーを持って行きたくて、原因はどこなんだろうって探すの。
ただ、この問題に関係する要素はとても多いのね。お父さんの考え方、仕事の忙しさ、お母さんとの関係、セルジオさんの思い……いろんな要素が絡んでるわ。
こんな膨大な情報を扱うのは、本来は、感性を使う領域なの」
複雑な問題だとは思ってた。
だから、色々考えなきゃって思ってた。
「でも、大きなエネルギーを自分の中に押し留めようとして、理性が働き続けてる。力いっぱい押さえつけてないと溢れてしまうからね。
理性が働き続けている時って、入ってくる情報も限定される。だからここで、本来感性を使う領域なのに……それに気づかずに、働き続けてる理性を使って、原因を探そうとしてしまうの。
理性を使っちゃうから、数学の問題の間違い探しと同じ事を、こんな複雑な問題でやってしまうわけ」
言われてみれば……彼女の言っている事は納得できる。
「本来感性を使うべき場面で理性を使うとどうなるか……。
例えば、相手がどう思っているか、どう感じているかを頭で理解しようとしたり、予想したり。
でも理性は話した通り、ある限られた情報に絞らないと処理できないの。だから頭で考えても、考えるべき要素が多すぎて分からなくなる。
それで相手がどう思っているか分からなくて、何か一つ決めつけをしてしまったり、あるいはわからないまま頭の中でグルグル考えがループしたりするの」
彼女の例えが、父さんとの話し合いの時の僕を、あまりにも的確に言い当てていて。
「それ……さっき父さんと話そうとしていた時の、僕だ……」
思わず、そう呟いていた。
「膨大な量の情報から、理性を使って問題の原因を探そうとすると……ある情報に注目して、まず仮設を立てる。でも他の要素に当てはめると、やっぱり違うってなっちゃう。
これを延々と繰り返してしまうの。
さっき言った、考えがループしてる、っていうのはこれね。
簡単な言葉で言うと……空回りしちゃうの」
「空回り……たしかに、そうかも」
一言で表現されたその言葉が、すとんと腹に落ちた。
「セルジオさんにさっきやってもらった事――あれが何だったのかに立ち返るとね。
抱えていた鬱憤のエネルギー……その使いどころを、理性ではなくて、感性で使う方向に持って行くためのものだったの。
感情のエネルギーを、そのまま一塊のエネルギーとして使うのではなくて……そのエネルギーをいろんな情報の集まりとして捉えて、感性を使って処理してもらったの」
また、彼女の話が分からなくなってきた。
「特にネガティブな感情に、なぜあれだけ大きなエネルギーが生まれるか……それは大体の世の中の事は、一つの問題に色々な事象が積み重なるからなの。
今回のセルジオさんの問題で言うとね。
自分の食べたい物が食べられない、買い物が自由にできない、お父さんに自由に会いに行けない、お父さんと話が通じない……そうした一個一個の事象――実際に起きた事に対して、起きるその都度不満が溜まってしまう。
溜めた不満はその都度吐き出せなくて、どんどん溜まる」
それについては凄く良くわかる。
大きく頷いた。
「結果的に、その鬱憤は実際は一個一個の事象で起きたことに対する鬱憤が積み重なったもの。
溜まり溜まった不満には一個一個、実際に起きた事がつながってるから、そこには膨大な情報が詰まってる。
ただ理性で処理しようとすると、限られた情報しか扱えないから、そのエネルギーをひとかたまりの情報として扱うの。
どういうことかって言うと。その溜まり溜まった鬱憤をひとまとめにして、理性が考える単純な言葉――レッテルを貼っちゃうの。例えば『不満』とか『イライラ』とかね」
ああ、確かに。
シンプルに『不満が溜まる』って言っちゃうね。
「そうしたレッテルって理性によって単純化された言葉だから、あいまいで、その鬱憤そのものを直接表す言葉になってない。
何に対する不満なのか、言葉ではわからないから……次に理性がやるのが、間違い探し。
つまりエネルギーを解消するために、悪いもの……原因を探すの」
この彼女のいう事も良く分かる。
単純な一個の、あるいは一人の原因を探しちゃうんだ。
思い当たる節はいっぱいある。
「でもね、何度も言うけど、元々このエネルギーは一個一個の事象で溜まったものの積み重ね。相手を理性で理解しようとすると空回りするって言ったことが、ここでも起きるの。
つまり、原因が分からなくて、エネルギーのぶつけ所が分からなくて空回りしたり。
あるいは、間違った原因――たまたま今、自分を不満にさせた相手にこのエネルギーを全部ぶつけちゃったり。
あるいは、自分が悪いんだって、自分にエネルギーをぶつけちゃったり」
うわ……言われてみれば、全部心当たりがある。
一個一個、どんな場面で不満が溜まったのかを思い浮かべられるのに。
それでも目の前の人にぶつけちゃったり、自分を責めたり。
「さっきセルジオさんがやったのは、理性でこのエネルギーのぶつけ所を探す代わりに、感性を使って整理すること。
不満のエネルギーを――個別の一個一個の事象で溜まった鬱憤の情報のまま、つまり膨大な情報として、感性を目一杯働かせて整理してもらったってこと」
感性を目一杯……。
「感性が膨大な情報を処理するのに向いているからと言っても、あれだけ溜まりに溜まったエネルギーをシンプルに整理するのは、片手間じゃできないの。
感性を目一杯働かせてなんとかって言うくらい。それくらいの情報量があるのね。
そのために私がやったのは、セルジオさんの感性が目一杯働く環境を整えたの。
目を閉じる。深呼吸をする。体の中を感じる。言葉ではない声を出す。体を動かす。不規則に動く……これら全部、理性を一旦休めて、感性を目一杯働かせるのに必要な事。
私はセルジオさんの様子を見て声を掛けることで、その方向に進むのを手助けしたくらいよ」
言われてみれば、やったことは全部、その方向性に沿った事。
「やってるうちに、大きなうねりが中で起きたと思う。
あれが、本当に感性が目一杯働くぞって合図。
あの波にセルジオさんが乗れたからこそ、溜まり溜まった不満が全部整理できたの。
そのうちにうねりが収まっていったのは、その整理が大分進んで、一つの原因へと収束に向かっていったから。
最終的に、一つの原因――自分が本当はどうしたいのか。
それがセルジオさんには分かったと思う」
確かに、そんな感じだ。
終わった後、自分がどうしたいのか……結論が出ていた。
僕は頷いた。
「今まで話したことを整理するとね。
感性は本来、そうした膨大な情報をシンプルに――意識して使いやすい形に整理するのが役目。
理性はそのインプットを使って結果を出すためのもの。
理性の代わりに感性を目いっぱい使って、溜まりに溜まった鬱憤を整理してもらったの。
だから今、セルジオさんは……自分がどうしたいかが分かっていて。
それに向けてどうすればいいか、整理された状態ってことね」
確かに、あれだけ積もり積もっていた不満が――シンプルな言葉に整理された。
でも、エネルギーは……鬱憤はだいぶ治まった、とはいえ。
「ただ、整理はされて、どうすればいいか方針は出たけど。
問題そのものが解消したわけじゃない。
いざ自分で解決できるのかって意味では、セルジオさんはまだ不安なんだと思う」
……そうか。僕が今感じていた、一抹の不安。
その正体が分かった。
「そうだね。さっきやったことで、自分がどうしたいかわかった。
でも……また父さんと話をするときに、また頭で考えてしまわないか。
それが不安だ」
マーガレットさんは頷いた。
「そうね。セルジオさんの問題ってコミュニケーションの話だからね。
相手の話す言葉だけじゃなくて、視線、仕草、本人の気付いていない癖……。
人と話して、相手をわかろうとすることって、本当は膨大な情報を整理する必要があるの。
だからそういう時こそ、感性を働かせなきゃいけない筈なの」
言ってることはわかるんだけど。
「でも父さんと話すときって、父さんをこの部屋に連れてきて、さっきみたいに出来る訳じゃない。そういう普段の場面で感性を働かせるには、どうすればいいの?」
彼女は、くすっと笑った。
「私がさっき整えたのは、目一杯働かせるための環境。
普段はここまでの事は必要ないわ。
ほんのちょっと感性を呼び覚ましたら、後は少しずつ働いてくれる」
さっきまでの事はしなくていいのか。
でも、どうやって呼び覚ますの?
「一番大事なのは、今の相手の事を、自分の身体で、感覚で受けとめる……そういう心構えをすること。
良し悪しを判断する前に、相手が今何を感じているか、その状態を肌で感じると言えばいいかしら。
頭で理解しようとするんじゃなくて、まず共感してみるってことかな。
そういう心構えをすることが、感性を働かせる基本になるの」
「……理解、じゃなくて……共感……」
彼女の言う『理解』っていうのは、頭で相手の状態を推し量って、わかろうとすること。
そして『共感』は……心と体で、相手の事を感じ取ること。
どちらも『わかる』って表現できるけど。
そのわかり方は明らかに違う。
「そのためにはまず、自分の身体を意識すること。
手段としては、先ほど話した、目を閉じる、深呼吸する……色々あるんだけど。
お父さんと話すっていう状況で言うと、大きくコツは五つかな」
「どんなコツなの?」
すぐ出来そうなコツなら、教えてほしい。
「一つは、お父さんをじっと注目しようとしないこと。
見ようとすればするほど、理性の働きが強くなるの。
目をつぶって話をするのは難しいでしょうから……焦点を合わせずぼんやりお父さんを見るようにするの。力を入れず、そんな風にぼんやり見てる方が感性が働きやすい」
じっと睨みつけていては、感性は働きにくいって事ね。
「もう一つは、深呼吸ね。といっても、頑張って息を吸おうとしては駄目。
さっきやったみたいに、まず息を吐き切って。それから身体の力を抜けば、あとは自然に体の中にたっぷり息が入ってくる。
吸おうとせずにまず吐ききる事。これが、感性を働かせる深呼吸のコツね。
苦しくなってきたら、呼吸が浅くなってることが多いの。この時は理性が優位になってるから、今言ったような深呼吸を意識して」
これはさっきやった事だし、覚えている。
頷いて、次のコツを聞く。
「次に、自分の話す声に意識を向けること。
呼吸にも関わるんだけど、理性が優位の時ってぼそぼそっと口先だけで話すような話し方になってしまうの。
お腹から、自分の体の中から声が出せているか。
自分の話す声に意識を向けるのもコツね」
自分の声、か。
さっきみたいに、体の中から声が出てるいるかどうか。
これも、さっきを思い出せばいいかな。
「あとは、リラックスすること。
肩、胸、顔の表情筋もそうだけど……身体に変に力が入ってないか、それに意識を向けること。
体に力が入ってるときは大抵、理性で相手の話を判断しようとしているってこと。
力が入ってるな、って意識するだけでいいの。後は勝手に体が緩んでくれるわ。
これも、さっき一杯動いた後……体から全部力が抜けてた状態と、比べればいいと思う」
さっきのアレの後、身体はだいぶ楽になってた。
あの状態と、父さんと話している間の自分の身体。それを比較するのか。
「リラックスできてたら、あとは、身体に感じた違和感を無視しない事。
お父さんのいう事、態度など……何かに反応して体に違和感を覚えたら。
それを無視しないで、感じてみて。
感じたら、何でもいいからそれを言葉にしてみて。
さっきみたいにはできなくても、違和感に意識を向けるだけで、大分変わるわ」
「相手をぼやっと眺める、深呼吸、話す声、リラックス、違和感を意識……」
僕は、それを覚える為に、聞いたことを繰り返した。
マーガレットさんは頷いた。
「それだけできていれば、あとは、何とかなると思うわ。
頑張ってね……というのも変ね。
リラックス、リラックス」
僕は頷いた。
敢えて、ここで言葉にはしなくても。
もう僕は、体でわかった。なんとなくだけど、イメージできた。
「……一つ、聞きたい。
何か食べさせてくれって言いに来たこと、根に持ってる?
だったら、謝らないと」
彼女はきょとんとした後、僕の言いたいことをわかったのか、くすくす笑った。
「ああ、私が食べ物を何度も例に挙げたからね。
別に根に持ってるわけじゃないわ。
自由が欲しいって時に、何か食べさせてってセルジオさんが言ってきたから……きっと、セルジオさんって味覚が鋭いんじゃないかって思って。
だから感性の話をするのに、身体が覚えてる味覚の記憶をセルジオさんに思い起こさせるのが、分かりやすいかなって思っただけなの。ふふふふっ」
彼女につられて、僕も笑った。
「マーガレットさん……有難う」
そして自然と、ここまで導いてくれた彼女への感謝が零れた。
でも彼女は、首を振った。
「全て、セルジオさんの中にあったものよ。
私は、ただ……それを使えるように、ほんの少し手伝っただけ」
「いや。その君の言う、ほんの少しの手助けがどれだけ僕を救ってくれたか。
ただ僕のあるがままを見守ってくれたことが、どれだけ心強かったか。
本当に、有難う」
彼女の導きが無かったら、今、僕はこんな状態になっていない。
今でもまだ、空回りしながら、苦しんでいただろう。
深い感謝を感じ、彼女により深く頭を下げた。
「今度、何かの形でお礼がしたい」
「気にしなくていいわ」
だけど、彼女はまた首を振った。
「私も……お母さんの教えを、また一つ思い出せたの。
こんな機会をくれたセルジオさんには、感謝してる」
そう言って、彼女も頭を下げた。
顔を上げた彼女に……今まで見たことのない、内から自然と零れたような笑みが。
その笑顔が――僕には、とても、眩く見えて。
急に、マーガレットさんの顔がまともに見れなくなった。
なんでだろう。
どきどきして、鼓動が早くなって。
急に、顔が熱くなって。
何がなんだか分からない。
「そ、それこそ。僕が、頼んだんだ。
また、何か……今度、お礼をする。
そ、それじゃあ、帰るね」
訳がわからないまま、なんとか彼女にお礼を言って、その場を慌てて後にした。
* * * * *
(メグ視点)
お母さんの受け売りだけじゃなくて、私の解釈もいくつか入ったけど。
うまく説明できたかな。
でもどうしたんだろう、セルジオさん、
急にしどろもどろになって、慌てて出て行ったけど。
部屋の外で見守ってくれていたらしい小父さん達が、なんだか慌てて入って来た。
「なあ、あいつと何か!……ああ、いや、なんだ。
メグの方はいつも通りか」
ライト小父さん、何かあったの?
「向こうは明らかに……けど、メグのその様子じゃあ、脈は無さそうだね」
セイン小父さん。脈が無かったら死んじゃうよ?
「いーや、これからどうなるか分からん。
セルジオの奴、出入り禁止にするか」
グンター小父さん。何言ってるか分からないけど。
出入り禁止にするようなことは何も無かったってば。
それからも、小父さん達はああだこうだ言ってたけど。
なんか、よくわからなかった。
不意に、グンター小父さんが私の頭をポンポン、と叩いた。
「外で見ていて――メリンダさんを思い出した。
お母さんと同じことが、メグにもできるようになったんだな」
え?
「ああ、僕達が仲間内で喧嘩した時。
メリンダさんがああやって、一人ひとり、本音を聞き出してね」
「そうそう。メリンダさんは別に、その内容を誰にも話してないのに。
自然と、みんな仲直りするんだよな。
あれ、不思議だったなあ」
セイン小父さんも、ライト小父さんも。
「まあ、セルジオの奴は、後でどうにかするとして。
メグ――よくやったな」
そう言って、グンター小父さんが私の頭を、またポンポンと叩き。
セイン小父さんが肩を撫でてくれて。
ライト小父さんが、背中をさすってくれて。
ちゃんと……ちゃんと、お母さんの事が、小父さん達の中にも生きてるんだって。
しっかりと、私の中にも生きてるんだって、知れて。
お母さんのこと……久しぶりに、目一杯思い出して。
私は……小父さん達に励まされながら。
久々に、大泣きした。
前話および当話については、(株)エドウィンコパード・ジャパン様の
長年にわたる活動に基づく知見が多く含まれており
当該社の許諾を得た上で掲載しております。
そのため、無断引用、特に商用利用については固くお断りさせて頂きます。
Dear Edwin,
I met you only once, only for one day, but my life has been changing a lot since then.
I have great thanks to you for healing my helplessness feelings, helping to have hope to the future,
and also I am alive today - I believe it is not too much to say.
You already have departed to the better place, your songs at that time still echoes in my mind.
And also, great thanks to friends living with Edwin's wisdoms.
I may not have been able to write this without your help.
Best regards,
Akihiko




