12-09 記憶を失ったドク
前話に引き続き、メグ視点
「主を連れて来るので、待っていてくれるか」
クロミシュがそう言い、部屋を出て行った。
しばらく待って、クロミシュの押す車椅子に座って現れたのは、眼鏡を掛けた白髪の男性。病院の入院服なのか、薄い前合わせの服を着て、白衣を羽織っている。
彼の右足は、腿の半ばから先が無い。
「やあ、私に何か用だと言う話を議長から聞いたが、君達かな……おや、オイバレス姉弟じゃないか。二人とも採掘から戻って来ていたのか。鉱石採掘システムに何か異常があったか?」
彼はアイちゃんとクレトさんの姿を見て言った。
「いえ、ドク。システムには異常は無かったけど……帝国軍が3区のコロニーに踏み込んできたから、採掘場は放棄せざるを得なかったの」
「それは……残念だったな。備蓄は出来たとはいえ、また調達先を探さないといけない訳だ。それで、初めて見かけるそちらの方々は?」
ドクが初めて私達の方を見て言った。
「彼等は……3区に帝国軍が踏み込んできた原因。あの採掘場の上に浮かんでいた廃棄コロニー、3区の生存者達なんだ」
クレトさんの紹介に、ドクは驚いた。
「嘘だろう? あのコロニーは十数年前に放棄されたという話じゃなかったのかね」
「俄かに信じられないかも知れないけど……その放棄の原因になった事故当時から、あのコロニーで生きて来た人達だって、彼等は言うんだ」
クレトさんは、驚くドクに更なる私達の情報を告げた。
ドクは、私達を見て目を丸くする……バートマン中佐としての記憶を無くしているというクロミシュの情報は本当らしい。
「貴方……ドクと言ったかな。昔の記憶が無いとアイーシャさんから聞いたが、本当なのか」
グンター小父さんが問いかける。
「ああ……ここの人に拾われた時には、私が誰なのか、判らなくなっていた。便宜上、ドクター、とかドクと呼ばれているが、私が誰なのかは全く思い出せん。何か、頭の中で鍵が掛かっている様な感じだな。
ところで、君達の事を教えてもらっても?」
ドクは……バートマン中佐は、やはり過去の事を思い出せない様子。
「儂はグンター。十七年前の事故以来、3区のコロニーで暮らしておった。当時からの生存者はあと二人いるが、ここの面会の人数制限のために船に残っている。
横にいるのがマーガレットで、事故の後に3区で生まれた友人の子だ」
私はドクに頭を下げる。
「マーガレットの横に居るのが、アンドロイドのニシュ。元はレーニシュという名前だったそうだ」
「私はランドル・モートン。帝国軍中尉だが、3区に踏み込んできた連中とは別口でね。彼等と、今日こちらに来ていない後二人の生存者を、部下と一緒に3区から逃がす手伝いをしていた」
グンター小父さんによるニシュの紹介。ランドルさんは自分で紹介した。
「自己紹介有難う。君達があの3区コロニーで生きて来た事や、脱出の経緯も気になるのだが、まず一番気になる事を聞くとしよう。君達は、私に何の用かね?」
ドクはそう私達に訊いた。
「乗ってきた船に、ロックされた十七年前の通信記録があるの。それを解除する手掛かりが欲しくて、貴方を尋ねて来た」
私の言葉にドクは頷いた。
「ああ、つまり技術的アドバイスが欲しいという訳かね」
グンター小父さんが後を継いでくれた。
「それもあるが、貴方の過去の記憶も手掛かりになると思ってな。残念ながら、そちらは余り期待できないようだが」
「……過去の私の事を、何か知っている様だ。こちらでは過去の私の事は誰も知らないみたいでね」
あれ?
「ええと、クロさん。あなた、ドクの過去の事は、さっき教えてくれたじゃない」
私は、ドクの後ろに控えているクロミシュに訊いてみた。
「キーワードをドク以外の人から聞くまでは、ドクの過去の事は一切話せない様に制約が掛けられていた様だ。先程話したのは、そのキーワード……つまり、私の本名と、ドクの本名を君達が話したからだよ」
クロにそんな制約が掛けられていたの?
「クロ、私の過去の事は今まで通り言わないでくれ。答えを先に聞いてしまったら、謎解きは楽しく無いからな」
「貴方なら、そう言うと思っていましたよ」
ドクはこの状況を楽しんでいる様子。
「有難う、クロ。だが昔の事は何も知らない今の私に、それ以上のことはわからん。
そこでだ、君達が知る昔の私の事を教えて欲しい」
ドクはバートマン中佐としての彼の情報を求めた。
彼は、失った記憶を取り戻したいと言うより……知的好奇心を満たしたい、という感じに見える。
かなりの変わり者のようだ。
「ちょっと相談させて。小父さん、どうする?」
「事故前の彼がどうだったかは、儂から少し話せると思うが……日記の事は、メグの方が上手く説明できるんじゃないか」
小父さんと相談した結果、事故前の事は小父さんが、事故の話は私がすることになった。
「先に訊いておくが……長い話になるかも知れん。時間は構わないか?」
小父さんが、ドクとアイちゃん達に断りを入れる。
「折角の機会だ。私は構わんが、ここの面会室の利用時間は大丈夫かな、アイーシャ君」
「一時間の予約だけど延長申請が必要そうね。プラス二時間の延長を申し込んでおくわ。それが限度よ」
ドクが頷いてそれを了承したのを見て、アイちゃんが壁の端末に何かを打ち込み始めた。
限度一杯の延長を申し込むってことは……ドクの意向は、心ゆくまで謎解きを楽しみたいってことなんでしょうね。
「まず、3区にいた頃の貴方……ダニエル・バートマン帝国軍中佐のことだ。
3区の事故前の事までを話そうか」
そう言って、小父さんがドクの過去の事を話し始め、私も推測を交えて補足した。
バートマン中佐は、3区コロニーの管理責任者、そして恐らく採掘場の管理システム全体を把握するシステム管理責任者として、十年以上その地位にいた。
しかし、3区下のデルタ採掘場でリオライト鉱床が枯渇し、デルタの存在意義が薄れると、軍がデルタの放棄とクーロイのコロニー統治を移管する事を決めた。アルファとベータ――それぞれ1区下、2区下の採掘場のこと――はリオライト鉱床が健在のため、宇宙軍が引き続き管理する。
十年の赴任中クーロイを離れられないバートマン中佐の為に、軍は中佐の家族を3区に住まわせ、その家族の世話と中佐の護衛の為に二体の戦闘アンドロイドをつけた。護衛がクロミシュであり、家族の世話をしたのがレーニシュ……私の隣にいるニシュだ。
自治政府を立ち上げ統治を請け負う事になったのが、自身の統治する星系が宙賊の襲撃を受け荒廃し、その復興資金を必要としていたカルロス侯爵だった。
グンター小父さんとライト小父さんは、自治政府への引継ぎを行う軍側の準軍属として、セイン小父さんと私のお父さん、お母さんは自治政府側として、事故当時3区コロニーにいた。
「理解した。私がデルタ採掘場から鉱石を遠隔採取する仕組みを作れたのも、その採掘場の管理システムについて、記憶を失う前の私が元々把握をしていたからか。断片的にではあるが、今の私がどうやって覚えたか分からないシステムの知識に、色々助けられた自覚はある」
ドクは頷いた。クロをドクを黙って見ている。
「次に、十何年か前にあった、その3区コロニーの事故について教えてくれ。
過去の私がどう関わっていたのかもね」
「まずは、貴方が当時書いていた日記の記載からだ。一部は推測もあるようだ」
小父さんが、中佐の日記に書いてあったことの要点を話し始めた。
デルタ採掘場で戦略物資リオライトの鉱脈が枯渇する以前、宇宙軍のクーロイ駐留部隊が、クーロイ星系の中心から大きく離れた外縁部にある、氷に覆われた準惑星『トラシュプロス』へとリオライトを横流ししていた。
トラシュプロスでリオライトを受け取っていたのは……当時、帝国内を荒し回っていた宙賊『クロップス宙賊団』だった。デルタのリオライト鉱脈が枯渇した頃、クロップス宙賊団は帝国から姿を消した。
しかし数年後、クーロイが軍政から自治政府による統治へ移管される中、宙賊団の残党が突然トラシュプロスへ現れた。
彼らは再びリオライトの供給を宇宙軍クーロイ駐留艦隊へ要求。
軍は騙し討ちで残党を殲滅したが、その際にトラシュプロスの惑星表面の氷が巨大な氷塊となって飛び散った。
その後タイミング悪く、クーロイの中心恒星イーダースに大規模な恒星フレアが発生。
影響を受けたクーロイ駐留艦隊が機能不全に陥る中、飛び散った巨大な氷塊がフレアの影響によるものか、突然軌道が変わり、3区コロニーへの衝突軌道に入ってしまう。
機能不全の駐留艦隊には、それを防ぐ事も検知することも出来ず……巨大な氷塊が、逃げ遅れた数百人の残る3区コロニーに衝突した。
「ちょっと横から失礼。聞きたいんだけど、どうして数百人も逃げ遅れる事になったの?」
アイちゃんが横から質問してくる。
「クーロイが、他国にも接しない最辺境の星系だからかな……氷塊の軌道変更の発見が遅れた駐留艦隊は責任の所在を巡って内部分裂し、3区コロニーの管理チームも住民への周知を怠って我先に逃げ出した。立ち上がったばかりの自治政府も、事情を知った幹部職員が出張名目で続々と星系を逃げ出し、機能不全に陥ったようだ。中佐の残した日誌にはそう書かれていた」
グンター小父さんの回答に、アイちゃんやクレトさん、セルジオさんが目を剥いて驚きの表情をする。
ドクは……眉を顰めて、こめかみを両手でもみほぐしている。
「どこからか情報を聞いて逃げ出した者もいた様だが、多くの3区住民がコロニーに取り残された。
それに3区の中に、避難情報の放送を出させない様に妨害する者もいた」
続く小父さんの説明に、ドクが怪訝な顔をする。
「正気の沙汰じゃないな。
コロニーに巨大な氷塊が迫る中、一体誰が避難指示の妨害なんぞするのかね」
ドクが当然浮かぶだろう疑問を述べる。
「トラシュプロスの存在や、そこで行われていたリオライトの横流しは、宇宙軍の駐留艦隊内だけの機密事項だった。つまり本来バートマン中佐は知る由もない情報だった」
「それをどうにかして、私が知ったと?」
グンター小父さんは頷いて話を続ける。
「ああ。中佐は駐留艦隊内の暗号通信を傍受してその機密を知り、駐留艦隊へ直接抗議した。避難勧告の妨害は、恐らく機密を知った中佐を消すべく放たれた刺客が、中佐を3区から逃がさない為に行ったのだろう」
アイちゃん達は、その刺客達の行為にゾッとしたのか、蒼い顔をしている。
一方ドクは……斜め上を向いて腕を組み何かを考えている様子。
「まるで……その刺客は、3区から脱出する手段があったかのようだ」
小父さんは頷いた。
「3区コロニーは大型宇宙船を改造したもので、自力でクーロイ星系に航行して来たが、非常時はコロニー本体を切り離してコックピット部分だけで小型宇宙船として脱出できる構造になっていた。氷塊は予測上、そのコックピット部分に直接衝突しない計算だったから、刺客達は中佐を始末してその宇宙船で脱出する腹積りだったんだろう。だがその目論見通りにはいかなかった」
「ほう、それは……ああ、待て。私に予想させてくれ」
ドクは、何故刺客が管理エリアで脱出できなかったのか推測したいと言った。
「脱出を妨害したのが過去の私なら……例えば、その刺客には解けない形で航法コンピューターにロックを掛ける位はしそうだな。制約が無ければ、それこそ爆破したか……いや、違うな」
ドクは純粋に謎解きとして楽しんでいる様子。
「儂等にとっちゃあ娯楽じゃないんだが。
儂もその時コロニーに取り残されていたんだぞ」
ドクの様子に小父さんは腹を立てた。
「……いや、済まない。私の知らない自分がどうやったのかが気になって」
流石に悪いと思ったのか、ドクも謝罪した。
「日誌に書いてある内容が正しいなら、中佐はその機密の証拠となる通信記録にプロテクトを掛けて、消せないようにした。そして宇宙船の航法コンピューターに嫌がらせのロックを掛けて、その刺客達が脱出できないようにした。中佐は刺客の手を脱して採掘場へ降りた」
小父さんの説明に、ドクは余計な茶々を入れず、頷きながら聞き入っていた。
「中佐は採掘場からカタパルトで脱出した。採石場から鉱石を運び出すために使っていた物だな。刺客達はコロニーを脱出できないまま、氷塊がコロニーに衝突した」
「グンター殿といったか。君達はその衝突の時、脱出できなかったのか?」
小父さんは頷いた。
「儂が居たのは、軍から自治政府への3区コロニーのメンテナンス引継ぎチームだった。だが、軍側の上官が中佐の暗殺者だったようで儂等の事は放置されていた。自治政府側の上司はサボタージュで3区にはおらず、事故の数日前からは全く連絡が取れなくなった。周りの情報が一切入って来なかったんだ」
「それは……確かに、脱出する必要性など分からなかったか」
ドクの零した言葉に、小父さんは頷いた。
「儂等が気付いた頃にはコロニー間のシャトルも停止していて、3区から脱出する手段が無かった」
ドクは、小父さんの話を聞いて何かを考え込んでいる。
アイちゃん達は蒼白い顔をしたまま、黙っている。
しばらく経ってから、ドクは口を開いた。
「君達は先ほど、機密情報が記録された通信記録のロックの解除を求めた。それは、通信記録の破棄を目的とするためか? それとも、その情報を開示するためか?」
「情報開示の為だ。その通信記録のロックだが、中佐が……記憶を失う前の貴方が掛けたと思われる、データの持出に対するロックは解除した。しかしデータの参照に関するプロテクトが、恐らく刺客側によって掛けられている。それを解除したい」
ドクは、ゆっくりと頷いた。
「では何のためにその機密情報を開示したいのだ?」
「……儂等を助けてくれた恩人がいる。彼女達は、3区でひっそりと生きていた儂等に食料や医薬品を援助し、宇宙軍が押し寄せて来た時もアイーシャさん達に繋ぎを付けてくれた。だが、儂等を逃がしてくれた代わりに、彼女達が帝国軍に捕えられた。この情報を開示し、帝国軍、そしてこの一連の首謀者……帝国皇帝を失墜させることで、彼女達を助けたい」
小父さんが帝国皇帝の名前を出した事で、ドクの表情も険しいものになる。
「その通信記録にある機密情報が、帝国皇帝の仕業であると証明するわけか。であれば、今回君達が3区から逃げた事も、侯爵や君達の恩人が捕えられた事も、全て不当となるのだな」
ドクの言葉に、私も小父さんも頷く。
「だが、相手は巨大な帝国の元首だ。どうやって失墜させるというのだ」
「帝室から距離を置いている貴族に流す。今はそれ以上の事は思いつかない」
ここでアイちゃんが口を挟んできた。
「帝国は貴族側と皇帝が対立してるわ。クーロイに攻め込んできた第四皇子?が代わりに統治してるらしいけど、それに対する正当性も無いし、そもそもカルロス侯爵の拘束が不当だって貴族側が申し立ててるみたい。貴族側の旗頭はトッド侯爵と言ったかしら。そちらに流せば、カルロス侯爵の解放の助けになるかもしれないわね」
アイちゃんが、帝国側の現状を教えてくれる。
「トッド侯爵……たしか、ケイトさんの実家が、お世話になっている貴族じゃなかったか」
「その認識で合っている。それに君達を助けるための私達の活動も支援して下さっている」
トッド侯爵と聞いて、小父さんとランドルさんが話している。
「状況は理解した。私としても、ラミレス共和国には随分と世話になっているし、カルロス侯爵の解放をこの国が求めるなら、私も協力することは吝かでは無い」
ドクは、協力を応じてくれた。
「だが記憶を失っている今の私に、協力できる事は限られている。そこでだ。私にはすでに答えが出ているが、折角だから君達に幾つか問いたい事がある」
ドクは、そう言って私達に不敵な笑いを見せた。
答えが出ている、って何?




