ショタがゴツいバイクをカッ飛ばして脱獄キメる話
悪さをした人間は地獄に行く。だからショウは地獄にいた。
ショウは賢く優しく元気な11歳の少年で、親より先に死んで親を悲しませた罪で地獄にいる。
避けようのない事故死だった。ショウに咎は無いように思えても、地獄の法は融通が利かず厳格だ。
地獄の空は燃えるように赤く夜を知らない。空気は息をするだけで肺が焦げる熱さだ。灰が厚く厚く降り積もり押し固められた灰色の地面からは黒々とした溶岩石が突き出している。
地面に時折転がっている白い軽い小石で遊んではいけない。それは受刑者達の慣れの果て、つまり骨だから。
地獄の受刑者達の仕事は岩を運ぶ事で、大きな岩を担ぎ、焼けた地面を裸足で延々と歩かなければならない。重く、苦しく、辛い刑務だ。
監守は目敏く地獄の法と同じぐらい厳格で、彼らの目と足からは決して逃れられない。受刑者は大人しく13兆3225億年の刑期を全うするしかないのだ。
例え1000年を超える前に例外なく精魂尽き果て骨と皮の無残な姿になり、2000年を前にして骨さえ風化し地獄の大地となり果てるとしても。
そんな地獄の受刑者の一人になってしまったショウはめげなかった。
黒い暗黒の雲がかかる赤い空の下、毎日毎日毎日毎日歯を食いしばって岩を担ぎ運んだ。
虚ろな目をした他の受刑者達を励まし、足が焼け腕が震え肺が引きつっても空元気を絞り出し、笑い、みんなを元気付けた。
きっと自分の死で父と母は自分よりも苦しみ悲しんでいるのだから、自分だけが辛い思いをしているなんて考えてくさくさしていられない。
どうしても辛い時にはサボって休めるようにと、馬に乗った監守達の目を盗んで秘密基地も作った。
ショウも決して喜んで苦役に服しているわけではない。
だから秘密のサボり場を作ったのだし、脱獄を企てた事もある。
だが受刑者の一人が脱獄を図り、失敗して監守に捕まったのを見た時、企ては潰えた。
地獄には大きな大きな門がある。現世と地獄を繋ぐ、城のように大きな門だ。
門はいつも開いていて、現世の色々な景色が見える。雪が積もった雄大な山、若芽を食むキラキラした可愛い目をした小鹿、一緒に食卓を囲む幸せそうな家族。その全てが陰鬱な地獄に縛られた受刑者達の心を苛む。
門からは絶えず地獄送りにされた受刑者達が送り込まれてきているが、門を通って現世に戻った者は一人もいない。
監守がいるからだ。
デュラハンと呼ばれる地獄の監守は馬に乗っていて、門から現世に逃げようとする受刑者を追いかけ捕まえる。そして剣で刺し貫き、恐ろしい苦しみの絶叫を上げさせ、殺すのだ。
地獄には魂のあるものしかやってこないから、俊足のデュラハンの馬を振り切って逃げられる乗り物はない。
ゆえにデュラハンは絶対的な速さと死の象徴として地獄に君臨している。
罪を負い死んだ者が送られる地獄で死ぬとどうなるのかは分からない。
だが良いものであるはずがない。苦しみを絵に描いたような地獄より更に恐ろしいものに違いない。
逃げようとして、逃げられず、デュラハンに殺された受刑者の悲鳴はどんな苦しみと絶望よりも恐ろしく、その苦しみを目にし絶叫を聞いてしまったショウはゾッとした。一緒に脱獄を計画していた仲間は心折れ、以前より魂の抜けた従順さで刑務に励むようになってしまった。
13兆3225億年の刑期なんてとても耐えられない、とショウは思う。
だが逃げようとすればデュラハンに追いつかれ死よりむごい目に遭わされる。
一体どうすれば――――?
空元気でもいい、心が死んだら終わりだ。
苦痛をこらえ、ショウは空元気で笑いながら真面目に苦しい刑務に耐え続けた。
考え続けなければならない。この地獄の苦しみから、死から逃れるにはどうすればいいのか。
そしてショウの悩みの答えは地獄の門からやってきた。
その日、苦痛と悲鳴に溢れる地獄に一人の老人がやってきた。
ショウはちょうど他の虚ろな目をした受刑者達と一緒に黒く焼け焦げた一抱えほどもある岩を担ぎ上げようと四苦八苦していたところで、地獄の門からクラクションを高々と鳴らし走り出したバイクの第一目撃者の一人となった。
どんなトリックを使ったのか、白髪の老人はバイクに乗っていた。古ぼけた大きなバイクだ。魂ある者しか通れないはずの地獄に、機械であるはずのバイクを持ち込んでいた。
枯れ木のような老人にはしかし活力が漲っていた。走り出したバイクは躍動し、異常に気付いたデュラハンが次々と漆黒の馬を駆り追い始める。
たちまちこの劇的な追走劇は地獄の住人全ての知る所となった。誰もが老人がバイクを駆る目も覚める姿を追った。
ショウも言葉にできない清々しい胸の高鳴り、忘れていた高揚と共に老人を目で追い、たまらなくなってその姿を追い、持ち上げかけていたつまらない岩を放り出して駆け出した。
老人は使い込まれたゴーグルをしていて、茶目っけたっぷりに後ろを振り返り追いすがるデュラハンに舌を出し中指を突き立て挑発した。デュラハンの馬は首の無い主人の代わりに怒って嘶き加速するが、なんと老人のバイクはデュラハンをじわじわ引き離している。
バイクは灰を巻き上げ一陣の風になっていた。続々と数を増すデュラハンを引き連れ、地獄の大地を大回りしてUターン。現世への門に一直線だ。
行け。
おじいさん、お願いだ!
ショウは自分でも訳の分からない衝動に突き動かされ、疾走する老人とバイクを裸足で追いかけた。
誰も逃げ切った事のないデュラハンを、あの人なら、あのバイクなら振り切れる。
地獄始まって以来の脱獄者になれる!
ショウは老人に希望を託していた。
が、現実は非情だった。
軽快にバイクを走らせていた老人が苦しそうに胸を抑え、バイクから転がり落ちたのだ。
恐ろしい一瞬だった。バイクは灰を盛大に巻き上げながら長々とスリップし、岩にぶつかって止まった。老人は倒れ、呻き声をあげている。
「おじいさん!」
ショウは叫んで老人に駆け寄った。幸運にもバイクが巻き上げた灰が煙幕になり、追手から一時的に姿が見えなくなっている。
ショウに助け起こされた老人は胸を抑えて苦しそうに喘ぎながら、転倒して止まったバイクを指さした。賢いショウは察して頷き、バイクを起こして、老人を乗せ、押していく。
煙幕が晴れ始め、デュラハンの蹄が立てる地響きが近づいてくる。ショウは老人を気遣いながら姿勢を低くしコソコソと秘密基地に急いだ。
それからしばらくして。
ショウは秘密基地で老人を介抱していた。地獄には飲み水もベッドもない。できるのは平らな灰の上に寝かせ、ボロボロの服の袖で汗を拭ってやる事だけだ。
それでも献身的な介抱の甲斐あってか、老人はだいぶ具合が良くなった。
老人は助けてくれたショウに深く感謝した。
「本当に助かった。君がいなかったらどうなっていたか。君、名前は?」
「僕はショウ。おじいさんは?」
「儂の名前か? 儂は……おじいさんでいい。おじいさんと呼んでおくれ」
「分かったよ、おじいさん」
「ふ。ショウ、君は素直で気持ちのいい少年だな」
老人はゴーグルを外し、微笑んだ。しわくちゃのおじいさんの目は若々しくキラキラ輝いていた。
「君のような若く未来ある少年まで地獄に囚われるのか。全く、とんでもない事だ」
「おじいさん。地獄には生き物しか来ないはずなのに、どうしてあのバイクを持って来れたの?」
ショウは嘆く老人に単刀直入に切り込んだ。
不可解なバイクだった。未だかつて地獄に機械がやってきた事はない。地獄には魂あるものしかやって来られないはずだ。
ショウが疑問をぶつけると、老人はあっさり答えた。
「そりゃあ、魂があるからさ。このバイクは儂の魂だ。
コイツとはガキの頃からずっと一緒だった。ずっと一緒に走ってきた儂の半身、儂の魂だ。儂が若かった頃はコイツも新しく、儂が老いればコイツもオンボロになっていった。コイツは儂で、儂がコイツなのさ」
そう言って老人は笑い、まあ付喪神のようなものだろう、と付け足した。
ショウは納得した。ちょっと信じがたいが、実際にこうして目の前にバイクがあるのだし、そういう事なのだろう。
老人はバイクを優しく撫でた。老いた相棒を、あるいは自分自身の痛んだ足を労わるような優しさだった。
「おじいさん、元気になったら今度こそ脱獄するんでしょ? おじいさんならいける、手伝うよ」
ショウが拳を握って応援すると、老人は悲しげに首を横に振った。
「残念だが、どうやら儂はもう無茶な運転に体が耐えられんようだ。もう一度バイクに乗っても、もう一度スッ転ぶだけだろうさ」
「そんな……」
ショウは愕然とした。
残酷な話だ。
ショウは一人でもいい、地獄から現世に舞い戻る希望を見たかった。
もちろんショウ自身だって現世に戻りたい。デュラハンを振り切り、もう一度あの生に満ちた世界に戻りたい。
しかし難しい。ショウは11歳の少年だ。バイクの運転方法なんて知らない。
ならばせめて脱獄者を応援できれば、と思っていたのに。
落ち込むショウに、老人は少し躊躇い、提案した。
「ショウくん。君が良ければこのバイクを譲ろう……いや違うな。頼む、このバイクで奴らをぶっちぎって現世に戻ってはくれないか」
「えっ? で、でもおじいさん。そのバイクはおじいさんの大事なものなんでしょ? 乗れないよ」
「いいんだ。儂は罪を犯してここに来た。地獄に来ちまったと思った時にゃあ思わず逃げ出したが、思えば儂はここにいるのが当たり前の罪人さ。
だがこいつは違う。こいつには何の罪もない。こんな場所で朽ち果てるのは可哀そうだ。現世に戻してやりたい。青い空の下を、美しい星空の下をまた走らせてやりたい」
そういう老人の言葉は心からの悔恨と思いやりに満ちていて、彼にとって古ぼけたバイクがどれほど大切なものなのかひしひしと伝わってくる。
「でもおじいさん、僕、バイクなんて運転できないよ」
「儂が教えるさ」
「僕、11歳だよ?」
「そんなら儂が初めてコイツに乗ったのと同い年だ」
そう言って老人は笑い、年期の入ったライダーゴーグルをショウに投げて寄こした。
「さあ、コイツの乗り方をみっちり仕込んでやろう」
老人はニヤリと笑った。
それからショウは数日老人と秘密の特訓をした。
刑務の合間にデュラハンの目を盗み、老人にしごかれた。
ショウは賢く呑み込みが早く、たちまちバイクの扱いを覚えた。
バイクは大きかったが老人が改造道具を持っていて、ショウでも足が届くようにしてくれた。それでもショウの小さな体には不釣り合いなぐらいに大きかったが、不思議なぐらい手足に馴染んだ。老人がショウと同い年でこのバイクに乗ったというのはきっと嘘ではない。
気のせいかバイクが自分を乗せてくれているようにも思えて、ショウは朧気に走りたがりな古バイクの魂を感じた気がした。
短い教練の日々は瞬く間に過ぎ、ショウの脱獄の日がやってきた。
もっとバイクについて教えてもらいたい、とせがむショウの尻を老人は蹴とばして急かした。
曰く、習うより走れ。本気で走った10秒は、口と言葉だけの10日よりずっとたくさんの事を教えてくれる。
ショウは秘密基地の外の岩陰でバイクに乗って準備万端だ。エンジンをアイドリングしていつでも飛び出せる。
これまでの教練では徐行ばかりで、一度も全速力を出していない。全速力を出せばエンジン音で必ずデュラハンに見つかってしまうからだ。
「3」
岩から顔を覗かせ様子を伺う老人がカウントダウンする。巡回するデュラハン達は背を向けていた。
「2」
デュラハンの馬が首を横に振り、身震いして地面の灰を蹄で蹴っている。
ショウはライダーゴーグルを降ろした。緊張と興奮で心臓が飛び出しそうだ。
「1」
バイクのハンドルを握りしめる。遠くの現世への巨大な門を、その向こうの森の景色を見据え、前傾姿勢をとる。
「今だッ!」
老人の合図でショウはアクセルを思いっきり踏み込んだ。
バイクは盛大なエンジン音を地獄の空いっぱいに轟かせ――――煙を上げて停止した。
遠くで巡回していたデュラハンが数騎、一斉に振り返る。
老人とショウは顔を蒼ざめさせ、バイクは情けなさそうにエンジンを空転させる。
「くそっ! オンボロバイクめ、エンストしおったわ!」
「修理する!」
ショウは運転席から飛び降り、ドライバーとスパナを持って突貫修理にかかった。応急処置についても一通り習っていたのが幸いした。
ショウが冷や汗を流し大急ぎで直している間、老人は上着を脱ぎ棄て傷だらけの体を晒し、迫りくるデュラハンに向かって突っ込んでいった。
「ぬぉおおおおおおおッ、りゃああああああああああ!」
老人は老いさらばえ痩せていたが、枯れ木のような痩身のどこに隠されているのかというほど力強かった。小岩を持ち上げぶん投げて、デュラハンを狙い撃つ。
常識外の存在である死の化身・デュラハンは岩をぶつけられたぐらいではどうこうならないが、騎乗している漆黒の馬をよろめかせるぐらいの効果はあった。
「おじいさん、無理しないで逃げて!」
「なんの! ここが無理のしどころよォ!」
老人は笑って叫んだが明らかに空元気だ。
自分のために老人が無理をしている。ショウはますます急いだ。
デュラハン達は老人を、正確にはバイクを警戒していた。一直線にやってくるのではなく、数が集まるまで待ち、ぐるりと円形の包囲網を形成している。
無理もない。ずっと生物だけを相手に監守をし、死を振るってきた地獄の使いにとってバイクは未知の存在だ。老人の追走劇では危うく逃げられそうになった。
慎重な安全策として包囲網に訴えるのは必然とも言える。
その慎重さのおかげで修理が間に合った。
エンジンが息を吹き返す。
ショウが運転席に飛び乗る。
包囲を完成させた首無しデュラハン達が剣を振りかぶって包囲網を一気に縮めてくる。
「行けッ、ショウ! 俺の魂を地上に連れていってくれ!」
老人は大岩でデュラハンに果敢に殴りかかり、一秒でも時間を稼ごうと奮闘しながら激励した。
「おじいさんのバイクは受け取ったよ! さあ行こう、脱獄だッ!」
デュラハンの剣を背中に掠め、ショウとバイクは包囲を突き破り弾丸より速く飛び出した。
初めて全力でカッ飛ばしたバイクのスピードはショウの想像を遥かに超えていた。
早い! 速い! 迅い!
風より速く、何より速く。灰を巻き上げショウは猛スピードで走った。
苦役に服する受刑者達の横をすっ飛んでいくと、彼らは腰を抜かし口をあんぐり開け呆然と見送った。
エンジンは快調に唸りを上げ、追いかけてくるデュラハン達の怪馬の苛立った嘶きを上塗りし地獄の空を痺れさせる。
「あはははっ! 速い速い速い、速いぞ! ああ、僕は生きてるんだ!」
スピードと加速を全身で感じて、ショウは心から笑って叫んだ。横から剣を構えて飛び出してきたデュラハンを鋭いドリフトで躱し、ますます速く。
ショウは天性のドライバーだった。自分より遅いモノばかりを追いかけ、余裕綽々の狩りしかしてこなかったデュラハンを、魂の賭かった生気滾る走りをするショウは圧倒する。
横から前方から、次々とやってくるデュラハン達をショウはバイクと一心同体となり巧みなドライビングテクニックで次々と抜き去り引っかけ翻弄し転倒させていく。
「ん!? あれは……っ!」
絶好調で飛ばしていたショウだが、マグマの河に差し掛かった。川幅が何十メートルもある煮えたぎる溶岩の大河だ。死者が地獄の門から刑務場に移動する時はこのマグマに掛かるただ一つの橋を通るのだが、橋には剣を構えたデュラハン達がひしめき完全に封鎖していた。
いくらなんでもあの橋は越えられない。
まずい。
冷や汗を流すショウの足元でバイクが震え、赤ボタンの横の緑ランプがしきりに点滅した。
「……いけるって事?」
ショウの縋るような問いかけにバイクはメーターの針をめちゃくちゃに動かした。
オンボロバイクは故障が多い。点滅もメーターの挙動もただの誤作動ともとれるが、それでもショウは相棒を信じた。
ハンドルを切って橋からその真横に進路変更。思いっきりマグマの河に突っ込む!
「ああああああああああああああああああああッ!!!」
加速しきったバイクはマグマの上を疾走した! 橋に突っ込んでくるものとばかり考え待ち構えていたデュラハン達は驚き動揺し、タイヤで巻き上げられたマグマの波をもろに被って大騒ぎだ。
普通の走りならこうはいかない。後先考えないブレーキ知らずのスピードが可能にした走りだ。
マグマの河を渡り切り、再びタイヤは大地を噛みしめる。
走り出した時は遠く思えた地獄の門もすぐそこだ。地面の灰はほとんどなくなり、黒々とした溶岩石が突き出した凸凹の悪路をひた走る。
デュラハン次々と千切って破滅的な速度で走っていたショウは不意に悪寒を感じて振り返った。
すると、なんと後方から白いデュラハンが追い上げてくるではないか!
白いデュラハンは他の黒デュラハンより一回り大きく、スピードも段違いだった。
白デュラハンの登場に他のデュラハンは安心したように散っていく。
つまりそれだけの性能を持った奴だという事だ。
ショウは焦り、地獄の門との距離を測った。
大丈夫だ、ギリギリ足りる! 逃げ切れる!
「速く、速く! もっと速く!!!」
ショウは咆哮し、バイクもそれに堪えてけたたましくエンジンを唸らせる。
それでも異様な白デュラハンはみるみる距離を縮めてくる。
白デュラハンは禍々しい槍を抜き放ち、馬上でよりにもよって投擲の姿勢をとった。
「!?」
計算が狂った。剣で切りつけるのではなく槍を投げられたら、地獄の門をくぐって逃げ切る前に撃墜されてしまう!
「くっ! ごめん、耐えて!」
グッと槍を振りかぶったところでショウは一か八かメーター下の赤ボタンを叩いて押し込んだ。エンジン内に特製合成ガス燃料が吹き込まれ、排気管から炎を吹いてバイクは急加速する。
ショウの年齢の何倍も走り続けてきたオンボロバイクには無茶な加速だ。車体がガタガタと危険な震え方をして、装甲が剥がれ落ちていく。
ショウ自身もあまりの加速に耐えきれず座席から浮き上がって放り出されそうになり、ハンドルだけを手で握ってしがみついて宙を泳いでいる状態だ。
それでも速く!
もっと速く!
速さは全てを解決するのだから。
再びバイクに引き離された白デュラハンは恐ろしいほどに正確無比な投擲をした。
完全無欠、ショウを真っすぐ捉えた死の投擲は、しかし岩の出っ張りを踏んだバイクが跳ね上がり空を飛んだ事で車体を掠めギリギリで外れた。
白デュラハンの馬が怒り狂った咆哮を上げる。
ショウは現世へ続く地獄の門へ文字通り「飛び」込む直前に振り返り。
老人の姿を思い浮かべ、舌を出し、中指を突き立て。
思いっきり笑いながら門を潜った。
現世、夜。
人の気配の無い寂しい山の中の国道で、一人の若い女性が立っていた。ガードレール下の切り立った崖を覗き込み、死んだ目で靴を脱ぐ。
新卒一年目、彼女は疲れ果てていた。
たかが一年、されど一年。ブラック企業の激務とお前は使い捨ての無価値のカスだと刷り込まれる最悪の日々は心を折るには十分すぎた。
大学時代は綺麗だ可愛いと持てはやされた美貌には酷いクマと死相が浮かんでいる。
陰鬱な死が、彼女を捉えようとしていた。
誰にも知られずひっそり死のうとガードレールを乗り越えようとした女性は、かすかなエンジン音を聞いた気がした。
びくりと震え、固まる。なんのエンジン音だろう? 車にしては大きすぎる。ならバイクだ。
バイクが通り過ぎるまで身を隠そうとした女性は爆音と共に虚空から現れたバイクに驚き尻もちをついた。
「やった! 脱獄したぞ! 君もありがとう!」
虚空から現れ、アスファルトに長々とタイヤ跡を残し止まった、バイクに乗っているのはまだ小学生ぐらいの男の子だった。無骨で年期の入った、しかし妙に似合ったゴーグルを外し、バイクの車体を撫でて労っている。
「ん? あれ、どうしたのお姉さん。もしかして僕ぶつけちゃった?」
気づかわし気に心配する少年に、女性は慌てて立ち上がった。
「だ、だい、大丈夫」
「そう? でも大丈夫そうに見えないけど。まだ生きているのに地獄にいる人みたいな顔してるよ」
女性は黙り込んだ。
図星だ。そんなに死にそうな顔をしていただろうか?
しかしこんな幼い男の子に暗い自殺の話なんてしたくない。
女性は無理に笑顔を作って誤魔化した。
「ちょっと……道に迷っちゃって。私は大丈夫だから」
「そうなんだ。大変だね、お家は遠いの?」
「ん、割と遠いかな。ねえボク、お父さんとお母さんは?」
突然現れた少年に混乱していたが、冷静になってみると夜中に少年一人というのは危ない。両親は子供を一人にさせてバイクにまで乗せ、何をしているのだろうか。
内心怒りながら優しく尋ねると、少年は元気よく答えた。
「今からお父さんとお母さんのところに行くんだよね。そうだ! お姉さんも送るよ。ついでだし。後ろに乗って?」
「ええ? 運転できるの? っていうかダメよ。君免許持ってないでしょう」
「いいから、いいから」
朗らかに笑う少年にはどうしてか大人顔負けの貫禄があり、女性はいけないと思いながらも流されるようにタンデムシートに乗り、少年の小さな腰に腕を回した。
「ねえボク、本当に大丈夫? 事故を起こしたら死んじゃうよ?」
女性は恐る恐る聞く。
「大丈夫」
ショウはゴーグルをかけ、エンジンをふかし、心配するお姉さんに胸を張って答えた。
「だってバイクは死より速いんだよ」
そうして二人は美しい星空の下を勢いよく走り出した。