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全身に強い衝撃を受けたと思えば、次第に痛みを訴え始める身体。

悲鳴と喧騒を聞きながら意識を手放した有栖が次に目を覚ましたのは白い天井の見える病院のベッドの上だった。


「?わたし……?」

「有栖!よかった!目を覚ましたのね!」

「おねえちゃ、ん?」


ぼんやりとここがどこだかを探るように目を動かしていれば視界に心配げに、それでもとても嬉しそうな姉-星羅せいらが有栖の顔を覗き込んできた。


「覚えてる?あなた大学の帰り道で事故にあったのよ」

「じこ……あ、猫。猫は?」

「猫ちゃんは無事らしいよ。すぐに逃げてっちゃったみたいだけど」

「そう…よかった」


星羅になぜ自分がここにいるのかを簡潔に説明されればその時の記憶がまざまざと蘇ってきた。

大学へ入って二年目の梅雨時、いつも通りの帰り道で道路のど真ん中に座る猫を見かけた。

そしてその猫に向かって走ってくる車が目に入った瞬間に体は勝手に動き出していて、後はもう一瞬の出来事だった。

猫の代わりに轢かれた自分は病院に送られ運よく一命を取り留めたのだろう。

聞けば一週間ほど眠っていたようで星羅はすぐにナースコールで看護師と医師を呼び、家族にも連絡しに行った。

それから医師による診察で心身ともに異常なしとされたが、しばらくは安静にということでもう数日は入院することとなったのだった。


「でも本当に良かった。あなたが救急に運び込まれたって聞いてどれだけ心臓が止まりそうだったことか。アマミヤさんだって心配して忙しい中でもできるだけ時間を作って見舞いに来てくれていたのよ?」

「……アマ、ミヤ?」


いまだに涙ぐみながら語り掛ける母の言葉に有栖は聞きなれない単語を聞いて不思議そうに繰り返した。


「有栖?あなた、アマミヤさんがわからないの?」

「アマミヤ…アマミヤ?え、ごめん、ちょっとわからない」


どれだけ記憶を探っても思い当たる人物が浮かんでは来ず、それどころか記憶の中で所々抜けているところがあることが分かり、母は慌てて医師の元へかけていった。

再度医師による診察を受けた有栖は一種の逆行性健忘症ではないかと診断された。

普通事故の瞬間や事故以前の記憶がなくなることが多いが、有栖の場合は極近しい家族や接することの多い友人知人以外を忘れるという少々特殊な例で、医師も治るかどうかわからないというものだった。

こればっかりは薬も治療も手の施しようはなく、自然と戻るのを待つしかないという医師の言葉を家族は涙ながらに聞いていたが、有栖だけは落ち着いて聞いていた。


実感がわかないのだ。

忘れていても今の有栖は知らないのだから悔しがりようも哀しがりようもなかった。

それから日々入れ代わり立ち代わり、友人や親せきが数人ずつお見舞いに来ていたが、その半分(だいたい親戚が多かった)ほどのことを有栖は覚えていなかった。

見舞いに来る側もそれは承知ではあるので落胆の色は見せるが、それでもしかたないとこれからよろしくねと改めて自己紹介して帰っていく。

中には何で覚えていないのかと自己中心的な怒りを見せるような人もいるが、そういう人は有栖も生理的に嫌悪感を抱いていたので元より社交辞令的な交流しかしていない仲だと判断して具合が悪くなったフリをしてお帰りいただいた。

そうすれば元々娘を溺愛していた上に事故のことで過保護に拍車のかかった両親は娘に理不尽な感情を押し付けた上に具合まで悪くさせたとその人を遠ざけてくれた。

その人たちには悪いが、その選別もあって退院後も有栖はだいぶ生きやすくなったように思える。


そんな中、たった一人だけ部屋の手前でひっそりと有栖の様子を伺うように佇んでいる男性がいた。

ドアの傍からこちらに近づくでもなくこっそりと見守るように、それでも彼は入院中ほとんど毎日有栖の病室を訪ねていた。

最初は母が病院まで来るための運転手かとも思ったが、それにしては母がいない時間にも来ていることが多い。

年齢が自分にも近そうなのもあって、大学の関係者かと思い出そうとすればそれを邪魔するかのように有栖の頭は痛んだ。


有栖には彼が誰なのかわからない。

遠い親戚でも学校の友人でもない、けれど家族でもない。

でも、絶対に知っているはずだった。

仕立てのいいスーツを着込み、ただただ有栖のことを見つめる瞳は何の感情もないようでいてほんの少しの悲しみが滲んでいた。

その瞳を飾るまつげは長くて、有栖は彼のその瞳を知っている。

見舞い人の相手に疲れ切って微睡みの中で聞こえていた声を、知っている。

ああそうだ。

あの瞳は、あの声は…彼は……




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