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あのあと有栖はしばらく放心はしていたが、ちゃんと家に帰り調査結果をまとめて依頼主である圭介へと報告した。

彼は彼氏がいたことには少しだけ残念そうにしたが、それでも彼女があのエミちゃんだとわかっただけでも良かったと納得したようだった。


「あの、彼女には……」

「本当に会うかどうかは、正直迷っています。彼女にお付き合いしている人がいるのならやめるべきだともわかってます。でも、この気持ちに区切りをつけたいのも確かです……なのでもしも、もし声をかけようと思った時は、また月野さんに依頼してもいいですかね?」

「まあ、見知らぬ男性に幼少の頃の知り合いだなんて声をかけられるよりは、あちらも安心すると思いますので」

「じゃあ、お願いします」


どこか晴れやかな顔でありがとうございましたと頭を下げた圭介からは、その日のうちに依頼料が振り込まれていた。

いつもならば無事任務が完了した達成感とまとまったお金に喜んでいるところだが、どことなくスッキリとしない原因は一つだろう。

じっとりとソファに身を沈めながら持っていたマグカップを眺めていると、革靴の底でわざとらしくゆっくりと階段を上る音を立てながら店の常連客が二階へと上がってきた。


「随分と浮かない顔ですね。依頼失敗したんですか?」

「失礼なこと言わないでくれます?依頼は無事遂行したしお金も振り込まれました。っていうかここプライベートスペースなんだけど勝手に入るなそもそもアンタこんなに頻繁に来て暇なの?」

「あれ、僕そんなに頻繁に来てますかね?」


彼の来店ペースが頻繁にというのかどうかはわからないが、客がそんなにいないから多くて隔週程度の来店頻度でも多く感じてしまう。

しかし有栖にとって今はそんなことはどうでもいいのだ。

スッキリとしない気分を投げつけるように一息にいらいらをぶつけた先の男は、そんなものは食らってもいないかのように勝手に椅子を引いて座る。

休憩室兼探偵事務所兼有栖の寝床でもあるこの二階部分に勝手に上がってきては時間のある限り入り浸る男は数日前に見かけた時と同じスーツを着ていて、有栖の気分はさらに下がっていった。

そう、彼こそがあの日エミちゃんと待ち合わせて帰路についていた彼氏さんだったのだ。

まさか知り合いだとは思いもしなかったのもあり、それを隠したわけではないけれど何となく圭介に言えなかったことが有栖がすっきりしていない理由だ。


「だから勝手に座んなって」

「僕はオーナーからここはフリースペースだって聞いてますけど」


彼の言う通り、確かにここはフリースペースとして開放されており、時々講談会やワークショップが開かれたりもする。

閉店後や使っていないときは自由に使っていいよと言われて好きに使っているに過ぎない有栖はそれ以上何も言えなくなってしまった。

そうでなくても彼、雨宮あまみやりょうには幾度か探偵業でお世話になっているために強くは出られないのだ。

コーヒーなんて入れないよと吐き捨てるように言えば、やはりどうってことのないようにお構いなくと返事が返ってきた。

本当にいけ好かない奴だ、と有栖はさらにソファへと身を沈めた。

そんな有栖を涼は観察するように見つめていたが、ふと思い出したように声をあげた。


「そう言えば、ヨーゼフ・オークシャンの初版本が入荷されたって聞いたんですけど」

「まだ来てない。オーナーの次の出勤日に持ってくるって言ってたから」

「ああ、そうですか。フライングしたな」


最後はぽつりと漏らすように呟いて頬杖をつきコツコツと指でテーブルを叩きながら、ロフトから見える階下を眺める涼の横顔は声のトーンと変わりなく無感情なものだった。

彼がここに通い始めてからもう一年ほど経つが、あまり表情が変わるところを見たことがなかった。

最初こそにこやかではあったがそれはわかりやすく作り笑顔だったし、彼が基本見せる顔といえばほぼ無表情か嫌味な笑みくらい。

それでいて有栖の舌論とも同等に渡り歩くほど頭の回転が速く、職業もそれらしく警視なんていうお似合いなエリート職だ。

偉ぶることもなくどれだけ年下のはずの有栖が慇懃無礼に振舞っても、対する彼はいつも敬語で丁寧に話しかける。

それが余計有栖にとって何を考えているんだかわからない得体のしれない存在としていた。

良きライバルであり良きアドバイザー。

推理小説のトリックについて議論をして、幾度となく助けられたり言葉を交わしたことがあっても有栖は涼のことをほとんど知らない。

どんなことで笑うのか、どんなことで怒るのか。

彼女の前ではどんな風に笑うのか、彼女のためにどんな風に怒るのか

、彼女にならば弱さを見せるのか。

そんなことを考えていればズキリと頭が痛んで有栖は被りを振る。


「月野さん?」

「……何」

「具合でも悪いんですか?」


呼びかけられて顔を向ければ心配そうな黒い瞳が有栖を見つめていた。

その瞳を縁取るまつげは思ったよりも長いんだな、とまた馬鹿げたことを考えそうになりつつも頭痛はやまない。

ズキズキとした痛みはこれまでに何度か感じたことのあるもので、何かを思い出しそうだと有栖はそれを探るように頭を回した。

あと少し、あと少しで忘れている何かを思い出せそうな気がしたが、それを邪魔するようにハーブティの香りが思考を遮った。


「そういうのはあまり無理して思い出さない方がいいですよ」


ことりと音を立てて置かれたマグカップにはこういう時のためにと常備している茶葉で、なんで場所を知っているんだとか何勝手にキッチンを使っているんだとか言いたいことは山ほどあったけれど、酷くなる一方の頭痛にそれを甘んじて受け取った。

ちょっと癖のあるハーブの香りが口に広がって、それがやんわりと頭痛を和らげていくように感じ、それと同時に抗いがたい眠気が襲う。


「……オーナーが出勤したら連絡しようか、三宅君が」

「あなたじゃないんですね。僕、あなたが店長らしいことしてるとこ見たことないんですけど」

「そりゃあいっつもタイミングが悪いね」


そうしてうつろうつろとしながらもいつも通り悪びれもない言葉をかければ涼も同じように返してくれる。

小さく楽し気に笑ったような吐息が漏れたような気がしたけれど、有栖の瞼はもう持ち上げられなかった。

沈みゆく意識の中で、いつもよりも優しい涼の声を聞いた気がした。




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