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「ある人のことを調べてほしいんです」
そう言って男性、横瀬圭介はカバンからタブレットを取り出し、トントンと軽く操作してから有栖へと画面を見せた。
そこに映し出されていたのは何の変哲もないアカウントだった。
しいて言うならば写真だけの投稿が目立つ、本当に自分が発信したいときに発信したいことだけを投稿するようなアカウント。
その写真だって綺麗な風景、何の変哲もない日常、季節を感じたりその時々に思ったことが見る人にも伝わるような、そんなものが主なものだった。
この人にストーカーをされているのだろうか?と仮定にそって予想しつつ圭介を促せばどうやら違うようだ。
「実は私の出身は関西のほうなんですが、小五の時一年だけこっちに住んでいたことがあって、その時に仲良くしていた子がこの子なんじゃないかと……それを確かめたいんです」
「どうして確かめたいんですか?」
「それは……」
「すみません。実名や個人情報の登録が必須でないSNSで無記名となっているアカウントの身元を調べるというのは一歩間違えれば犯罪です。理由を聞いて納得しなければうちじゃなくてもお断りするかと」
「……ええ。そうですね」
有栖の言葉に圭介は途端に声のトーンを沈めてしまった。
その様子からここに来るまでに何軒か断られているのだろう。
よっぽど言えない理由なのか、それともその理由自体が探偵を動かせるものではなかったか。
彼の場合は後者だった。
「会って、謝りたいんです」
「謝りたい?」
視線をテーブルに落としたまま、圭介はもう何度もして跳ねのけられてしまったのだろう説明をぽつりぽつりと語り始めた。
先ほどの通り、小学校五年の時に一年だけこちらの学校に通っていた圭介少年は持ち前の明るさですぐにクラスメイトや学年も違う周辺の子供たちと仲良くなった。
その中で彼はエミちゃんという年下の女の子と出会った。
いつもきれいなお洋服を着て、公園で泥だらけになって遊ぶ子たちをじっと見つめている子だった。
内気な子が混ざりたいのかと思い声をかけても首を振って公園のベンチでみんなのことを見守っているだけ。
つまらなくない?と聞いてもみんなが楽しんでるところを見るだけで楽しいよ、と控えめに笑うような子。
圭介は子供ながらにもそれが我慢をしているのだとわかってしまった。
他の子に聞けば彼女の家はおばあさんが厳しくてお洋服を汚して帰ると怒られてしまい、しばらくお外で遊ばせてくれなくなるのだと教えてくれた。
でもエミちゃん自体は優しくて可愛らしくみんなから愛されるような子だったらしく、仲間外れにされるでもなくいつも誰かしらが入れ代わり立ち代わりに汚れない遊びをしているらしい。
圭介もそれ以来エミちゃんの話し相手やおままごと、カードゲームで遊んでいた。
三歳年下の彼女は圭介をお兄ちゃんのように慕い、懐いてくれていたそうだ。
可愛らしく素直に自分を慕ってくれるエミちゃんを圭介が好きになるのも時間の問題だった。
けれどもうすぐ春になり圭介がまた引っ越さなければならいという話が出たそんな時、二人は喧嘩をしてしまった。
それは子供らしい、些細なことから始まった喧嘩だった。
どんどんと原因からずれていく喧嘩の末に圭介は大嫌いだとエミちゃんに言ってしまった。
そしてそれにエミちゃんが傷ついた顔をして、走って逃げていってしまった。
追いかけて謝れるほど圭介も大人ではなく意固地になったまま、エミちゃんもエミちゃんで公園に遊びに来ることが減ってしまい、そのまま引っ越すことになった彼は謝る機会を失ってしまう。
それ以来、大嫌いと言った時のエミちゃんの顔がずっと頭に消えないのだそうだ。
話を聞いて有栖は確かに依頼を受けるには弱い理由だと思った。
けれども、それにしては彼の必死さが気にかかりもっと深い理由を聞かせてほしいと先を促した。
「これが自己満足だということはわかっています。でも、どうしても僕は、もうこれ以上の後悔はしたくないんです」
圭介が何軒断られても諦められなかった理由はまた別の想いにあった。
今から三年ほど前、圭介の祖母が亡くなった。
圭介は祖母との仲は普段から良いとは言えず、職のことで決定的な仲たがいしてしまったのだそうだ。
圭介の職業はスタントマンやアクションを主にした俳優で、その不安定で危険な仕事を祖母は反対したのだそう。
指図するなと祖母のいる家には寄り付かなくなり、ずっと離れて暮らしていたらしいが、三年前に祖母が亡くなり葬儀と遺品整理のために帰省した。
そこで彼は見つけたのだ。
圭介の子供の頃からの写真や思い出はもちろんのこと、あんなにも反対していた俳優業についても詳しくまとめられていた。
小さく載った雑誌の切り抜きは名前だけであろうが取ってノートに貼り付けてあり、舞台のチラシに至ってはこれまで出演してきた全てのものがファイルに収まっていた。
切り抜きのノートにはとても細かい字で圭介の活躍を喜び、身を案じる言葉が綴られていた。
誰よりも彼の身を案じ、それゆえの反対だったのだと知り、圭介は祖母の遺影の前で生きている間に言えなかったことを何度も謝り泣いた。
「それからは後悔のないように大事なことは口にするようにしています。そうするようになってからなんとなく仕事が増えてきたような気もしました。そんな時に、このアカウントを見つけたんです」
少しだけ有名な舞台に出た時のこと。
いつものように少なからずついてくれているファンからの差し入れや観劇のお礼の投稿についたコメント。
当たり障りのない舞台の感想ではあったけれど、何となく彼はそのアカウントページを見に行った。
それはもしかしたら、そのアカウント名が笑となっていたからかもしれない。
たくさんの写真の中にはアカウントの持ち主の顔がわかるようなものはなかった。
たまにある室内の様子や、移りこんだ手やスカートの裾から性別は女性だとわかる程度。
そんな写真の中で彼はあるものを見つけ、一気に小学生の時のことを思い出した。
その投稿自体はよくあるいいものを買ったという紹介写真だったのだが、その後ろにあるぬいぐるみが映っていたのだ。
「このぬいぐるみなんですが…これ既製品ではないんです。私の祖母が作ったもので、これを持っているのは親戚かエミちゃんだけなんです」
圭介の祖母はあまり仲が良くなかったと言っても孫や親せきの子供はみんな平等に扱うような人だった。
なので手慰みに作ったぬいぐるみを子供たちに配り、ご丁寧なことに圭介にも渡していた。
貰った当時圭介はもうすでにぬいぐるみを喜ぶような年ではなかったが、そのぬいぐるみだけは素直に受け取っていた。
そのぬいぐるみを貰ったのはちょうど五年生の時。
圭介はエミちゃんにあげるつもりで貰い、予定通り彼女にプレゼントしていた。
そして祖母の葬儀の際に奇跡的に貰っただろう子供たちが全員そのぬいぐるみをまだ持っており、彼らはそのぬいぐるみを棺に入れて祖母のお供にしたのだった。
ただ一つ、圭介の分を除いて。
「飽き症だった祖母はその時以来ぬいぐるみを作っていません。そして親戚に渡ったものは全部祖母と共に空へ送られました。つまりこのぬいぐるみを持っているのはエミちゃん以外にいないんです。そう気付いてしまったら当時のことを思い出してしまって、あの時のことを謝らずにいられなくなりました」
やはり動くには弱い理由。
けれど、その藁にもすがるような圭介の様子に有栖はこの依頼を受けることにした。
「彼女が今もそのことを覚えているとは限りません。今更謝られても困ると思うかもしれない。逆に覚えていたとしても、もしかしたらもう二度と会いたくないと思っているかもしれません。あなたの謝罪を受け取るかどうかは彼女の判断に委ねられるべきものです」
「ええ……」
「そもそもそのアカウントがエミちゃんなのかどうかも、不確定なものです。なので、とりあえず会うかどうかは別として、彼女を探してみましょう」
「ッ…受けて、いただけるんですか?」
「結果がどうであれ、恨まないでくださいね」
「はい!」
有栖が受けてくれたことに、まだ何もわかっていないというのに圭介はありがとうございます!と何度も頭を下げた。