宮廷の薔薇
私の名はマーガレット・ネルソン。
栄えある銀河帝国のネルソン子爵家の当主である。我がネルソン子爵家は300年前、銀河帝国の開祖アドルフ大帝より時の当主ホワイト・ネルソン氏が宇宙海賊の討伐の功績で子爵に叙せられるより前から、代々軍人を輩出して、軍の重鎮を担ってきた家系だ。無論、私も帝国軍に籍を置き、帝国に反旗を翻して50年近くも戦争を続けているエディンバラ貴族連合軍を相手に日々命を懸けて戦っている。
まだ19歳の私の階級は大佐、役職もドレッドノート級宇宙戦艦エレファントの艦長と軍の重鎮には程遠いが、いずれは亡き父上がご先祖様達の勇名を辱めない働きをしたいと思っている。
だが今、私がいるのは最前線ではない。銀河帝国皇帝の居城・アヴァロン宮殿だ。
軍人であるのと同時に私は貴族。貴族には貴族のしきたりや習慣がある。それは戦時下という非常事態でありながら、軍務より優先すべき事というのが銀河帝国のトップに君臨する大貴族達の考えだった。
このアヴァロン宮殿は、人類史上最高の建築物であり、最高の芸術品と評す者もいる。宮殿のあちこちには、この豪華絢爛な風景に負けず劣らずの、華麗な衣装に身を包む貴族が集って優雅に談笑にふけっていた。
ここにいると今が戦時下だという事もつい忘れそうになる。それほどこの宮殿で見える景色は優雅で平和そのものだった。
だから私はここが、いや、このアヴァロン宮殿を含む帝都キャメロットが好きになれない。こうしている間にも銀河のどこかでは戦火に家を焼かれて泣いている民が、戦場で戦い命を落とす兵士がいる。しかし、ここはそうした現実を遠い世界の事として見向きもしようとしない環境を作り出していた。
私はその事が我慢ならず、帝都に戻るよう命じられても理由を付けて最前線に残った事がしばしばある。
それでも私の立場が危うくなりはしなかったのは、亡き父上が軍の上層部に対して強い影響力を有していたからだ。亡くなった父上の恩恵は今でも生きており、私を守ってくれていたのだが、それにも限界はある。
今日は帝国軍の軍令全般を司る軍令部の最高責任者、軍令部総長ヘンリー・ウェリントン公爵が自身の邸で開くパーティに招待され、それで帝都へ帰ってきた。最初は断ろうかとも思ったのだが、招待者は軍の重鎮であり、その力は勿論、最前線にも及ぶ。ウェリントン公爵に睨まれるのを恐れて上官や同僚達から戻るように半ば強引に説得され、私は帝都へ帰ってきたわけだ。
私が宮廷の大廊下を歩くと、周りにいる貴族達は一様に私を見つめる。紳士方は興味本位で私の顔と身体を吟味し、淑女方は私の服装を嘲笑っているのだ。
ふと左側に目を向けると、一面ガラス張りの壁があった。私はそのガラスに映り込んだ自分の姿を見る。
よく母上から絹のように美しいと褒めてくれた茶色の髪は、私の身を飾る数少ない装飾品だ。正直、ファッションに興味は無いが、身嗜みは人の上に立つ者にとっては大切な事だからな。髪の手入れは前線にいる時も毎日欠かさず行なっている。私はその髪を後ろで1本も纏めて真っ直ぐ腰まで垂らしている。
父上からはよく私の蒼い瞳は宝石のようだと褒めてくれたものだ。
胸は、・・・年相応とだけ言っておこうか。
前線で共に戦う部下達からは、私は凛々しくてカッコいいと言ってくれる。貴族の令嬢ではあれば、凛々しいはともかく、カッコいいと言われて喜ぶ者はそうはいないだろう。しかし私は綺麗や可愛いと言われるよりもカッコいいの方が嬉しかった。
そんな私は今、この宮廷にいる淑女達のような豪華なドレスではなく、軍服を身に纏っている。軍人にとって正装は軍服であり、何の問題も無いのだ。わざわざ煌びやかな衣装を着る義理は無い。
それに私はこの軍服を気に入っている。各所に金色の装飾が施され、両肩には階級章の役割も持つ金色の肩章が装着されているとはいえ、基本的には黒一色のこの服は、確かに宮廷では地味に見えるが、それだけ無駄がなく動きやすい。
尤も私の他にも帝国軍には女性軍人は大勢いるし、私と同じ理由で宮廷に足を運ぶ者は多くいるが、彼女達は皆、地味な軍服よりも豪華なドレスを好んでいる。
それもあって宮廷の女性陣は私をまるで野獣でも見るかのような目で私を嘲笑ってくる。
「おやおや、これはネルソン子爵夫人ではありませんか。また前線に出られていたとお聞きましたが、戻っておられたのですね」
そう言って私に近付いてきたのは、私よりも1つ年上の青年貴族ロスリング伯爵だ。金髪の綺麗な美男子で、多くの貴族令嬢を虜にする宮廷の貴公子と名高い。宮廷で娯楽や色恋に耽るような男に興味は無いのだが、この男は私が帝都に戻る度に言い寄ってくるしつこい奴なのだ。
「これはロスリング伯爵。ごきげんよう」
私は貴族の令嬢らしくお淑やかに振舞って頭を下げた。
本当なら言葉を交わすのも嫌なのだが、私の家は子爵家。そしてロスリング家は子爵よりも上位の伯爵家。無碍にしては実家や親類に迷惑が掛かる恐れがある。私1人で事が済むのなら、この男を1発殴ってやっても良いのだが、家族に累が及ぶのは避けたかった。
「ふふふ。やはりあなたは美しい。なぜそんな地味な服を着ているのです?以前、私が贈ったドレスはお気に召しませんでしたか?」
「あぁ、あれは私のような者には勿体なさ過ぎるので」
前回、帝都に戻った折、ロスリングは私のためにと10着以上ものドレスを贈ってきた。贈り物をくれるのは嬉しいが、ドレスなどはっきり言って迷惑でしかない。私はその日の内にそのドレスを実家に送ってやった。なので1度着た事はない。
「ご謙遜を。あなたはこの宮廷に咲く薔薇だ。どの花よりも気高く美しい。軍人など止めてこの帝都で暮らしてはどうです?何でしたら、私が父上に頼んで手配させても構いませんよ」
ロスリングの父親は帝国軍の軍政を司る軍事省の高官。確かにその権限を使えば、必要な書類と事務は全てやってもらえるだろう。しかし、私に軍を止める意思はない。
「ありがたい仰せですが、我が家は代々軍人を務め、帝国の恩ためにこの命を捧げる事を家風としております。かのアドルフ大帝の御世より続く我が伝統をどうかご理解下さい」
「・・・では、致し方ありません」
ロスリングはあっさりと身を引いた。
それも当然、銀河帝国において開祖アドルフ大帝は、神の如く崇め奉られている。いや、正確には崇めるように強要されている。そんな大帝陛下の御世より続く伝統は、やや誇張されて神聖視されがちなのだ。それに逆らおうとする貴族はこの銀河には1人もいないだろう。
だが、このまま身を引くほどロスリングは物の分かりの良い男ではない。
「それでは、私の妻となって頂けませんか?あなたのような美しい女性は、この宮廷を、いや、この銀河のどこを、ぅ!」
ロスリングが雄弁を語り終える前に私の忍耐は限界に達した。
腰から下げている剣に手を掛けて一気に引き抜き、銀色に輝く刃がロスリングの首元へと突き付けた。と言っても、勿論この剣は儀礼用の物で人を斬るなど到底できはしないが。しかしそれを承知のはずのロスリングは突然の事に動揺したのかビクビクと怯え切っている。まったくとんでもない軟弱者だ。
「私を口説きたければ、弁舌ではなく剣技で語りなさい!私は、私よりも弱い男に貞操を捧げるつもりはありませんので!」
私は高らかに宣言してやった。これはロスリングに対してのみ発したものではない。周りにいる、私に下心丸出しな視線を送る男どもに向けての言葉でもあった。
「・・・わ、分かった。失礼をした」
本当にみっともない声だ。そのまま恐怖のあまり鼻水を垂らし、涙を流しそうな勢いにも思える。
剣を鞘に戻し、私は満面の笑顔を向けて最後に言ってやった。
「伯爵は先ほど私に言いましたね、私は宮廷に咲く薔薇だと。薔薇にはそっと触れねば怪我をしてしまいますよ。どうかお気を付けを」
お読みいただきましてありがとうございます。
本編も読んで下さった方であれば、もしかしたら気付かれたかもしれませんが、今回の話は本編の最初の方で語られたネルソンのエピソードを掘り下げた内容になっています。