3. 夕食会(不完全版)
現在うつ気味で、執筆が困難な状態です。
何度見返しても世に出せる作品に見えません。
しかし読者さま方を待たせ続けるのも辛かったので、一先ず投稿してしまうことにしました。
精神状態が安定するまでは適宜推敲(本筋は変えず、表現のみのクオリティ向上を計ります)を行い、回復後に更新を再開します。
膝まで隠すには丈の足りないポンチョに袖を通せば、指先だけがちらつきます。
じんわりと胸元に広がる暖かさ。不意に小さな呟きが落ちました。
「どうしてでしょうか。心が澄み渡るような、とても良い心地なんです」
気恥ずかしくなり、彼女から隠れるように襟を目元まで押し上げます。
人差し指でくちびるをそっとなぞれば、感触が思い出されるのです。
「シオン」
「ぶわっ」
まさか独り言を聞かれたのでしょうか。私は驚いて声が裏返りそうになりました。
「……っはい、なんでしょう?」
アルツェは未だ朱色が残る顔で、申し訳なさそうに眉を下げます。
「それ、手伝ったほうがいいのかな?」
タオルに並べられた小鳥を見下ろす彼女のお陰で、何をしていたのか気が付きます。思い返すだけで赤面しそうな甘い行いによって、忘れていました。
「いえ。焦げてしまわないよう、お鍋を見ていてください」
彼女はあるだけの肉を回収して、ドアの向こうへと身を翻しました。
下処理しやすく美味な小鳥ではありますが、ずっと同じ作業を繰り返していると気が滅入ってしまいます。
「アルツェと出会う前に比べれば、生温いものですよね」
彼女はお玉杓子にレモン汁を絞り入れ、塩胡椒を揉み込んだ鳥肉に刻んだ香草を散らしました。大鍋と仕込み終わった肉を見比べると、難しい顔をしてみせます。
レストランのドアが開き、彼女がひょいと顔を出して言いました。
「大鍋じゃ足りなかったみたい」
好奇の目を向けると、彼女は仕込みを終えた鳥肉を並べ始めます。
トレンチコートを脱ぎ捨て、白龍へと変化したアルツェ。
白いワンピースの袖から腕を抜いているので、彼女は現在裸です。
「なっ」
西洋のドラゴンよろしく、口から炎を吹き出して見せたのだから、驚きました。
突飛な行動に慣れてきていた私は、それっきりで未処理の鳥肉と見つめ合います。
「なんだ、火を吹いただけですか」
包丁片手に作業に戻りかけて、また顔を上げました。
「——それで勇者を倒せないのですか?」
降って湧いた思い付きで声をかけたのがいけなかったのです。
彼女はそのままこちらを向き、にべもない一言を放ちました。
「むり」
そのときになって、運転中の人に話しかけてはいけない訳に納得します。集中が途切れると、事故を起こすから。それは異世界でも通用するみたいです。
自然の摂理に従い、炎は私の顔面に直撃し、視界が赤と白で染まりました。
「あっっつ!!!」
人として生きてきた名残で、反射的に叫びます。
転がって纏わり付く火を消してから、我に帰って顔を触ります。
「……く、ないですね。」
体感温度は人肌でしょうか。黒煙に視界が遮られ、どこからも私が見えません。
でも、焦げ臭いが鼻を突くので、ポンチョがお亡くなりになった気がします。
「あぁ、シオンのポンチョが。……ごめんね、焦がしちゃった」
煙が晴れていき、全貌が明らかになりました。
本体は無事ですが、端々が焦げてしまったようです。
不幸中の幸いで、黒い生地に焦げ付きは目立ちません。
しょげ返って地面に鼻先を擦り付ける彼女に、私は戸惑います。
「これって、不器用で収まらないのでは……?」
これが人間相手では『不器用』で済まず、大ごとになるかと思われます。
まさか魔王もそんな風に恨みを買った訳ではありませんよね?
「幸い私は無事でしたが、並みの人間なら死んでいますからね。気を付けてください」
「気を付ける。人を燃やしたことはないよ、鳥肉なら燃やしたけど」
「ダンジョンコアも燃やさないでください」
「私の炎じゃ絶対に燃えないよ、この温度じゃ火傷もしない。でも、ごめんね。怖がらせちゃったみたいで反省してる」
私は恐るべき新事実にはっと息を呑みます。
彼女が断言するほど融点が高いらしい、ダンジョンコア。
「ぶ、武器や防具に加工されたり……」
誰とも知らない肌に触れるなど、想像するだけで血の気が引きます。
ふるふると怯えているうち、妄想は斜め上の方向に舵を切りました。
「ああ、でも、アルツェの武器や防具なら悪くないかもしれませんね」
「……シオン。残念だけど、それはありえないよ」
「ええっ、触れたくもないということですか?」
次第に涙で視界が歪んできます。大人なのに情けなくて、余計に泣けそうです。
彼女は慌てて左右に手を振ると、補足しました。
「ダンジョンコアは割れやすいから、武器や防具には適していないの。宝石みたいに綺麗だから、高値で売られるけどさ」
言われてみれば、軽く手折れる強度でしたね。
「だいいち、一欠片を呑み込んだりしたんだよ。好きじゃなきゃできっこないよ」
何よりも深く交わっているように感じたのは、私だけでしょうか。
恋人とゼロ距離で触れているとわかるだけで、絶大な安堵をもたらします。
「アルツェ、好きですよ」
艶のある無垢な鱗に抱きつきます。ほああ、すべすべしています。
ひんやりつるすべの鱗が生えたお腹に頬擦りしました。これはつよい。
四六時中引っ付いていられる触り心地ではありませんか。
「……アルツェ?」
返事がないのでふと見上げてみれば、しゅるしゅると人型に変化する彼女。
真っ赤になった顔を両手で抑えて左右に振っています。その激しさは、脳震盪を起こさないか心配してしまうほど。
「ううぅ」
喉から絞り出すような唸り声を上げ、今度は耳朶まで朱く染め上げます。
断りもなく抱きついてしまったのは反省すべき汚点でしょう。私は名残惜しいながらも手を退けて、背筋をぴんと伸ばし正座しました。
お叱りを覚悟した日本人の第一段階です。
「……アルツェ」
「し、シオンはずるいよ。私よりずっと大人の余裕があって、それに……」
じわじわと距離を詰められ、思わず身を仰け反らせてしまいます。
彼女は寂しそうに眉を下げると、私の手首を掴み、引きとどめました。
「——私のこと、ずっと子供扱いしてる気がする」
彼女は不満げな表情で、拗ねたように顔を背けました。
ぱっと浮かぶのは心配のあまり生き物全てに遭遇しないよう遠ざけたことくらい。
過保護な親のようで、子供扱いと捉えられても仕方がありません。
「ごめんなさい。アルツェは幼びた容姿をしているものですから、万が一にも傷つかないようにと心配しました」
恋人に対する言動として適切ではありませんでした。
欠点を補い、支え合うのが理想的な恋人のあり方です。
少なくとも私は、そう認識しています。
「でも、これからは見逃します。代わりに、アルツェの傷付く姿に動じてしまうのは許してくださいませんか?」
アルツェはこくりと頷きます。
「私もシオンのことを言えないよね。火傷しないってわかってても怖かった」
彼女には申し訳ありませんが、こんな風に心配して貰えるのは幸せです。
自然と眉が下がり、微笑みました。
「でしたら、私の心配を笑い飛ばせるくらいに強くなって下さい」
いずれ先代の跡を継いで魔王を宣言するなら、勇者を打ち払えるように強くないといけませんからね。
「私に心配されるようでは、まだまだ子供です」
「——わかった、強くなるよ。父さまみたいに優しくって、みんなに慕われて」
ぐぐっ、と右手を強く握るアルツェ。
彼女が笑う拍子に牙が見え、瞳にかかる影は父の仇の『勇者』や酷い仕打ちを加えてきた人々を映しているようでした。
「父さまとは違って、守るためなら非道い事もできる魔王にもなってみせる」
これには驚きました。幼びた顔に似合わず、覚悟の決まった、凛とした表情です。
思わず撫でようとして、ぴたりと止めます。これも子供扱いに入るのでしょうか。
彼女の顔色を伺うと、不満げなそれではなく。
「シオンに撫でられるのは好きだし、やめないで」
本人のお墨付きを得て、そっと手を伸ばしました。
彼女の銀髪に手ぐしを通し、ひと束に口付けを落とします。
「アルツェの髪、いつでも艶やかで綺麗ですね。滑らかで香りも良くて大好きです」
擽ったそうに目を閉じて身を任せるアルツェと、その口元に浮かぶ小さな笑み。
無防備な姿には庇護欲と独占欲を煽られてしまいます。
「こんなに美しく可愛く健気では、他の方に奪われてしまうかもしれません。きっと役に立って見せますから、いつまでもアルツェの傍にいさせて下さいね」
物の弾みで、メンヘラまっしぐらな台詞を吐いてしまいました。
分泌されないはずの冷や汗が流れた気がしたのは、きっと気のせいです。
ぱっと手が離されたのに、掴まれていた手首を眺めます。
「……んな、救ってくれて、優しくて、美味しい料理を振舞ってくれて」
彼女は手の甲を目元に翳し、くちびるを冷たく引き結びました。
「役に立たなくたってシオンが好きなのに、変なことを言わないでよ」
人差し指と中指から垣間見える目は、左下に視線を落としています。
彼女の言葉には包容力があり、つい甘えたくなってしまって宜しくない。
「そうですね。強くなってもそう声を掛けてくれたら嬉しいです」
彼女は挑発と受け取ったらしく、目の中に熱意の炎を燃やしています。
「……お料理を放っておいても良いんでしょうか?」
「あっ、そういえば。やだな、冷めちゃってるよ……」
できたてだった料理が冷めていたことに、彼女は肩を落としました。
火を通すだけの焼き直しを経て、二人だけの夕食会が始まります。
栄養が偏らぬよう、サラダも一品作らせていただきました。
雪狼たちが料理を貪る姿を眺める私の意識が引き戻されました。
彼女はカトラリーを上手に使いこなし、フォークを刺して口に運びます。
「ちょっと焦がしちゃったけど、大丈夫かな?」
「大丈夫です。焦げたって美味しいですよ、アルツェのお料理は」
口に含んで味わうと、その一切れもアルツェが呑み込みます。
彼女が満足げに笑うので、悪い気はしません。
「それにしても、随分と野趣溢れた郷土料理なのですね」
「龍人はお腹を壊さないから、自然と楽な方にね。羽毛と皮と内臓だけ取り除いて、そのまま食べることもあるくらいだし」
香草や野菜類を食べるところから見て、龍人たちは雑食です。
小鳥を咥えていたアルツェから、食事姿も想像がつきます。
「……そもそも龍人とは言うけど、人族とは中身がまるで違うんだよ」
それはそうでしょう。沢山の侵入者を傍観してきましたが、炎を吹いたり魔物を従えたり空を飛んで小鳥を口に咥えてくる人族は見かけたことがありませんから。
フォークの先が口内に消え、皿の上の料理が粗方片付きました。
私は彼女を見上げ、手のひらを合わせました。
「ご馳走様でした、アルツェ」
身に染み付いた習慣は一朝一夕で拭えるものではありませんね。
彼女が嬉しそうに微笑むので、前世の経験が良い形で活かせました。
「一息ついたら魔族を救けに向かいますか?」
彼女の従える魔物は既に百匹を超えます。魔族を制圧した勇者に対する戦力として足りるかは疑わしいですが、救出する分には足りるでしょうか。
首を横に振り、彼女は苦笑します。
「今すぐにでも助けに行きたいけど、このままじゃ返り討ちにされるだけだよ」
「これでも駄目なのですか……」
そこまで言われると、勇者はどんな化け物かと考えてしまいます。
彼女は私の落胆を吹き飛ばすように、快活に笑いました。
「魔王として初めてのお仕事だね、シオン。従えられる魔物を作りにいこうか」