2. 美味しく甘い口移し
数十羽の小鳥を後ろ足と口に掴み、アルツェは羽先を下ろします。
「ただいまっ」
「お帰りなさい、アルツェ」
小鳥たちを咥えたまま首を傾げ、彼女はあちらこちらを見回しました。
「あれ、シオンはどこ?」
「アルツェの翼の下ですよ」
身長は百七十センチ近くあり、座高の方は八十センチくらい。ぺたんと座った私の二倍以上ですから、まず二メートルはありましょう。
身長差が逆転してしまいましたね、私より上だなんて。
「見つけた」
笑おうとしたのか、可愛い牙の生えた口が開きます。その拍子に、咥えていた小鳥たちは落下してしまいました。
べったりと返り血が付着しており、なかなか刺激的です。
「全く、仕方ありませんね」
私は知らずのうちに微笑んでいました。その口元をタオルで拭います。
「んっ。んふふ……」
彼女は僅かに息を吐き、鱗のある頰を擦り付けました。それはそれは愛らしく、その仕草ひとつに胸がきゅぅっと苦しくなるほど。
私のために首を下げてくれたから、出来た芸当なのです。
愛おしく思わない訳がないでしょう。
でも、理性が吹き飛びそうなので……そろそろやめていただきたい。
「シオン、汚しちゃってごめんね」
「いいんですよ。それより、こちらは使いますか?」
差し出すのは狩猟の必須品、腸抜きフックのついたバードナイフ。
「え、なにそれ?」
「鳥の腸抜きに使う道具ですね」
打ち捨てられた街には、肉料理を扱う屋台が並んでいました。石鹸や消毒液はそこかしこにあり、食文化の発達と衛生観念の高さが伺えます。
そして、安全な調理には下処理があって然るべきなのです。
「ありがとう、使わせてもらうね」
白龍姿から戻った彼女は、ずり落ちそうなトレンチコートとマフラーを掴んで、ナイフを受け取ります。腸抜きは返しのついた枝でも行えますが、こちらの方が優秀です。何度使っても折れませんし。
私が立つと、彼女は上目遣いでおねだりしました。
「……シオンも下処理、手伝ってくれたりする?」
その言葉を待っていました。準備していた甲斐がありますね。
隠し持っていた手袋二組みを見せれば、彼女は目を丸くしました。
「元々手伝うつもりでしたが、誘ってもらうのも良いですね」
いえ、正直とても嬉しいです。
アルツェが傍にいないのは落ち着かず、せめてもの手慰みにと準備を進めていたら、いつの間にかやれることはやりつくしてしまっていました。
たらいの何杯分にも水を汲んでおいたので、血を流すのに困りませんよ。
「さ、料理法をお聞かせ願えますか?」
前世では料理や狩猟を趣味と実用に活かしておりましたので、新しいレシピは是非ともご教授願いたいところです。
「それは一先ず腸抜きをしてからで。料理しながら教えるよ」
「承りました、目で盗みます」
袖を縛って首にかけていたトレンチコートを外し、小鳥をタオルに並べ始めます。どれも頚動脈を鋭利なもので切られており、血抜きは十分に行えているようです。
私が手本を見せると、それを見まねでやってのける彼女。
「お上手ですね、血抜きもしっかりできていますし」
小鳥の解体は手間になりません。
一口に言えば、頭を落として羽を毟り、内臓を除去するだけ。まさか狩猟経験が役に立つ時が来るとは。これがアルツェの役に立つのは感慨深いものがあります。
砂肝には小さな実が収まっていました。草食だとしたら、味には期待できますね。
「アルツェ、これで五匹目です」
親指に力を入れ、撫でるように羽を抜きます。それが済んだら腹にナイフを入れ、心臓や肺など腸抜きフックでは取り除けない部位を除去していきます。
最後に血の塊などを水で流し、いらない臓物は取り分けておきます。
「これで腸抜きは終わったよ。それも手伝っていい?」
「雪狼たちを待たせたくないのでしょう? できた分から調理してしまってください」
「でも、それだとシオンが疲れちゃう」
「ダンジョンコアは疲れませんよ」
筋肉痛知らずのこの体ですから、食事も摂れませんけれどね。
「目で盗めないんじゃ……」
気遣いはありがたいのですが、心配は無用です。出会ってすぐ、彼女の裸を目撃してしまったのを思い出しました。
「——見れますから」
「見え、えっ?」
「見えてますよ、アルツェが大はしゃぎで小鳥をしとめていたところも、湯浴みしていたところも。……ううっ、不可抗力ですから」
一時白い視線を感じましたが、彼女はすぐに笑います。
「シオンも裸だし、これでおあいこかな」
胸から下は完全に結晶体ですし、際どいところは守り抜いております。
でも『アルツェのあんなところやこんなところが見えた』と言えば、それこそ変態扱いされかねません。ここは黙っておきましょう。
下処理を終えた小鳥を拾い、厨房へと向かう彼女。
「エプロンを着せてやりたい……」
メイド服も良さげです。くっ、待つ間に縫い物でもしていればよかった。
アルツェ関係でのみ、私の欲望は尽きるところを知りません。
「ここは深呼吸を。すーはー」
彼女は嫋やかに厨房へ立つと、小鳥の産毛を炙っていました。
食べ応えが良いようにという配慮でしょう。
「うっ可愛い」
危ない危ない、心肺停止するところでした。彼女という大切な恋人ができた今、そう易々と死んでやるわけにはいきませんからね。
禅でも組めば落ち着くのでしょうか。いえ、無心に下処理へ励むのが良いでしょう。
「ふむふむ、塩胡椒を揉み込んで中に香草を入れるんですね」
と思いきや、外にも刻んだ数種の香草を散らしています。
鍋に油を敷き、レモン汁などをかけた鳥肉をまるごと蒸し焼きに。
「て、手際がいい……これは料理好きの匂いがします」
そうなのです。そこまでやる手つきが完全に趣味人のそれです。
気さくな姿勢が好感を持てます。料理に関して、私と語らえるかもしれません。
「じゅる、美味しそう」
それはもう、下処理をする手が止まるくらい。
匂いを意識すると、空かないお腹が空いてきてしまいます。
「シオン、新しい肉を取りに来たよ!」
レストランのドアを開き、アルツェは元気よく飛び出しました。
その前には、胃のあたりを抑えてうずくまる私がひとり。
「……ってあれ、どうしたの?」
「これが肉欲に負けた者の末路ですよ、アルツェ……ううっ」
「やっぱりお腹空いたんだ。シオンの分も用意するから待っててよ」
いえ、私はご飯を食べれない筈なんですが。
「はい、どうぞ」
眼前の皿を見れば、我慢は出来ません。
ナイフとフォークを手渡され、私は一切れ含みます。
「っ、味がする……!」
今までずっと満たされなかった何かが埋まった感覚。
飲み込むことこそ出来ませんが、舌の上で転がすと確かに味を感じ取れます。
「——でも、食べれないみたいです」
飲み込もうとすると、嚥下できずに戻って来てしまうのです。
折角アルツェが作ってくれた料理を無駄にしてしまうのは、忍びなく。
咀嚼もしないまま難しい顔をしていると、頭上に影がかかりました。
「ん」
口元に柔らかな感触があります。
より一層舌の上に感じる味は強くなり、瞬きをひとつ。
「はむ、んく」
口の中にあった一切れは、彼女の胃へと収まってしまいました。
私の視覚は全てを見ていました。
彼女がいきなり距離を詰めたのも、赤みが差した顔のまま、口移しをしたのも。
「ふぁ……」
「ごちそうさま、シオン」
「にゃ、なにを……」
「何って、口移しだよ」
強気にくすくす笑って見せますが、上気したその顔では説得力がありませんよ、アルツェ。妖艶な仕草で唇に指先を当ててみるのも、今の私には致命的らしく。
「うっ、アルツェがえっちすぎる……っ!」
私は両手で顔を覆い、その場に転がりました。
蚯蚓がうねるような勢いでのたうちまわっています。
「えっち、へんたい」
「湯浴みを見ていたんだから、お互い様じゃないのかな?」
変態扱いの危機再び。私は素早く正座へと移行します。
「あっ、あれは不可抗力でして……」
必死の弁明を他所に、彼女は何やら探し物をしている様子。
「ええと……あったあった。シオンに似合うと思うよ、これ」
彼女が出したのは、軍服風の黒いポンチョでした。
思い返せば、アルツェに与えた着替えの中にあった一品だとわかります。
しかし、何故こうも脈絡なく?
「ずっと裸じゃお互い様じゃなくなっちゃいそうだから」
彼女自らの手で被せられたポンチョ。
茫然と固まっていた私は、それに裾を通しました。