14. 「会うのを心待ちにしておりましたよ、アルツェ」
十数分の休憩を終えたアルツェは広間の中心に跪き、両手を当て、目を瞑って唱えます。
広間は封鎖したので、今度こそ邪魔は入りません。
ガチリ。
彼女は姿を消し、背後からは大きな解錠音が響きます。
細い光が背から差し込んだのに合わせて、私は振り向きました。
「アルツェ」
壁の一面が完全に開ききり、私は考えなしに駆け寄ってしまいます。
「痛っ……」
そして、額を思い切りぶつけました。
私が壁で防御したことで鼻を痛めた、不憫な雪狼を思い出します。
反射的に悲鳴をあげてしまいましたが、彼と違ってぶつけた箇所は痛みません。
「……くはないですね。アルツェ、眩しくって何も見えません」
そうなのです。ずっと暗闇で過ごしてきた私の目は、なかなか光に慣れてくれません。
だんだん光度は下がり、彼女の姿がくっきりと映ります。
「はじめまして」
やはり私の女神です。
「会いにきたよ、ダンジョンさん」
いつも少し遠くから眺めていた笑顔が、そこにあります。
彼女は透明な壁にそっと手を当て、私の返事を待っています。
「会うのを心待ちにしておりましたよ、アルツェ」
私も透明な壁越しに手を重ね合わせます。
彼女の声は軽やかで、とても聴き心地の良いものでした。
出会ってから三日を要し、ようやく対面を果たしたのです。
「……少しは『触れ合える』と思っていたので残念ですが、こうして直接顔合わせができて、声を聴けただけでも十分に幸せですね」
複雑な心境の中、私は彼女の灰色から虹色に揺らめく瞳を見つめます。
彼女は悪戯っぽくくすくすと笑うと、壁を撫ぜてみせました。
「ほら、父さまがダンジョンコアと友人だったって話、覚えてる?」
かの『勇者』に壊されたというダンジョンコアでしょうか。
アルツェの語るお話ですから、覚えておりますよ。
「……ええ、もちろん覚えています。それがどうかしたのですか?」
「ダンジョンコアって、割れるんだよ。ひとかけ投げてみてくれるかな」
まさかそれで死ぬとは思いませんが、自分の一部を割るのには少し抵抗があります。
しかし、他ならぬアルツェの頼みです。紫水晶のような生え方をしているダンジョンコアに近付き、ひとかけを恐る恐る手折りました。
「っと、ありがとう。それじゃあ……」
ゴクリ、唾を飲むような音。
彼女は飴玉ほど大きさの欠片を、思い切って呑み込んでしまいます。
心配のあまり、私はその手首を掴みました。
「なっ、喉に詰まらせてしまいますよ! ダメで——」
「わぁ、危なっ」
そのまま後ろに倒れて、私は彼女を押し倒す形になってしまいました。
「——あれ?」
彼女の手首を二度見します。手首を握るのは、私の手です。
「ってことは……」
この暗い部屋から、出られてしまいました。
「いたた、悪戯しちゃってごめん。先に話しておけばよかったかな」
申し訳なさそうに苦笑する彼女に頭を撫でられ、私は爆発しそうになりました。
「って、てて、うわーーーー!!」
私がアルツェを押し倒しています。しかも撫でられています。
どうしてですか。私は混乱の極地を味わっています。
でも、また『気持ち悪い』なんて言われたくありません。
「あ、アルツェ、ごめん、ごめんなさ……むぐ」
慌てて身を起こそうとするのを引き止めて、アルツェはぎゅうっと抱き締めてくれます。私の思考は完全に停止しました。十割がこの最上級の癒しで埋められています。
前世言われた言葉なんてものは、脳内から吹き飛んでしまうくらいです。
「えへへ。ダンジョンさん、もう少しこうしてようよ」
背中をぽんぽんと叩く彼女の手が、腕の中にある彼女の温もりが、私を安堵させてくれました。
「お礼なんて今更かな。でも、ちゃんと伝えたかったの。……助けてくれて、ありがとう」
強張っていた身体中の力が、ゆるゆると抜けていきます。
私は彼女の背に手を回し、抱き締めました。
「あのね、踏破されたダンジョンには『ダンジョンマスター』がいるんだって」
「……うん」
「父さまもダンジョンコアを分けてもらって、ダンジョンマスターになったんだ」
追憶に浸れたのか、嬉しそうな表情を浮かべていたアルツェ。
でもね、と彼女は目を伏せます。
「父さまが『勇者』に殺されて、私たちを守ろうとしてくれたダンジョンコアも壊されちゃった。ダンジョンマスターの権限が『勇者』に移ったみたいでさ」
「そこまでしても『勇者』と呼ばれるんですね」
「ん……許せないけど、仕方ないよ。魔王は悪い奴だって思ってるんだから、人間たちは」
私の頭を抱き寄せて、彼女は耳許に囁きます。
「だからね、他のやつらにダンジョンコアを渡しちゃいけないよ」
幼いはずのアルツェがやけに妖艶な仕草をしたように見え、私は目を反らしました。
この時ばかりは耳を朱く染めないで済むことに感謝します。
「わ、わかりました……」
そもそもアルツェ以外に渡す予定などありません。
私が害虫を駆除したのだって、彼女を傷付けたからです。貴女以外に興味などないのに、どうして渡すと思ったのでしょう?
「——そうだ、名前をつけるって約束していたよね」
その言葉に目を輝かせ、激しく首肯します。
私は良識あるダンジョンですので、アルツェの姓を貰いたいとは口にしません。
しかし、名付けはある意味婚姻以上に密接な関係なのではないでしょうか。
「それなら、考えておいたの。例えば——」