12. 「おそらく悪い人なので、とりあえずボコします。ふぁっきゅー」
アルツェの講義はお昼寝を挟んで夕方まで続きました。
日が陰る頃には雪狼たちも目を覚まし、下のフロアへと向かう彼女を追います。野生の狼にとって、テリトリーを捨ててまで追うのは、並大抵の覚悟じゃできません。
彼女の信頼に加え、テリトリー内の獲物の少なさが後押しとなったのでしょう。
「あれ? 邪魔ですね。……冒険者、というより盗賊か何かでしょうか」
彼女が向かう階段の先、粗野な装いの男たちがたむろしているのを見つけます。
ひとつ下は灼熱のフロア。犬や狼には汗腺がありませんので、この先を進めば熱中症で倒れるでしょう。彼女をこの先守るにも不安がちらつきます。
「一応伝えておきましょうか。『アルツェ、階段下に人間たちがいます』っと」
『わかった。この子たちにも警戒させておく』
いえ、いざとなれば私が片付けましょう。
都合よく雪狼たちがいたテリトリーが空いています。獲物も少ないですし、フロアの生態系に被害を与えにくそうです。両手で二つの区画を意識して、交換します。
「よし、できました」
男たちは火山地帯だった区画が雪山に変わったせいで、薄着のまま凍えています。
周囲を見渡すも、雪狼のテリトリーはそう狭くなく、見える限りは雪山で覆われています。彼らからしてみれば、雪山のフロアに転移させられたと誤解してもおかしくない状況です。
は、と口元を覆いました。転移させられたと誤解したなら、彼らはエリアを移動して凍えから逃れようとするはずです。
「あ、アルツェと鉢合わせしてしまう。まずいかも」
彼らが階段近くにたむろしているというのを失念していました。男たちはそれぞれ荷物を取り、雪を一掴みして言葉を交わし、慌てて階段へと駆け寄ります。
ちょうど階段を下っていたアルツェと目があい、彼らは幽霊に出くわしたように面食らいます。
すっかり血の気をなくして蒼褪めたアルツェは、その場にへたりこんでしまいました。アルツェを傷付ける者は全て私の敵です。
彼女をこんなに怯えさせる奴らは滅しなければなりませんね。
「おそらく悪い人なので、とりあえずボコします。ふぁっきゅー」
ええ、それで話は終わりでした。復讐というには乱雑で呆気のないやり口でしたが、害虫が彼女の視界に一秒でも長く映り続けるのが許せなかったのです。
私は下のフロア、彼らの真下に魔物たちの巣を配置しました。
「えいや、骨も残さず喰らってしまえー!」
掛け声と同時に、フロアの床を空洞と入れ替え、男たちは重力に身を任せて落下します。
彼らは大口をあけた魔物たちに喜んで受け入られました。餌として、ですが。
一仕事を終えて、私は無い汗を手の甲で拭います。
「ふぅ、害虫の排除は完了しましたよ。大丈夫ですよ、アルツェの体も心も、私がぜーんぶ守りますからね!」
恐る恐る階段から大穴を覗き込むアルツェに、魔物たちは揃って尻尾を振ります。
いつも人間を食らう姿しか見ない魔物たちですが、彼女にかかると忠犬のようです。ええと、なんていうんでしたっけ。……いとうつくし。可愛いです。
口から溢れている血飛沫とかは知りません。スプラッタと可愛さの衝突事故です。
「……あれ、もしかしてこうすれば簡単に降りられたのでは?」
機転を利かせられなかったようです。フロアは一層が目測数十メートルあるのですが、階段やスロープを設置すれば問題ないでしょう。
「『アルツェ、落ち着いて』……いえ、見れるわけがありませんね。それならこうして……」
過呼吸を起こして胸元を抑えるアルツェを落ち着かせるため、分身体を作り上げます。できる限り細部まで作り込めるよう、操作できるよう、私は密かに鍛錬を重ねてきました。
言葉を交わせなくても良いのです。
雪で作られた体で、アルツェを優しく抱き締めます。そうして頭を撫ぜてやりました。彼女の双眸からは大きな雫がぶわりと溢れます。
肩をしゃくり上げさせて泣く彼女に、私は慈しむような眼差しを向けました。
「アルツェ、いつだって私は見守っています。アルツェの敵は全て排除してあげます」
だから、そんなに泣かないでください。私はアルツェの笑顔が大好きなんです。
全てを捧げるくらいには愛していますよ、アルツェ。