10. 『はぐれ者同士、一緒に生きて見ませんか?』
ぽかんと驚いて、彼女は罪悪感に顔を陰らせます。
私の過去を知らないとはいえ、家族のいる前提で話しかけていたものですから、申し訳ないことをしたと思わせてしまったのかもしれません。
『ありがとう、お話を聞いてくれて』
やけに幼びた表情。涙で濡れた睫毛を瞬かせると、彼女は嬉しそうに目元を緩めました。
粗熱が取れたホワイトビーフストロガノフにスプーンを差し、口に運びます。
彼女にとって、その一匙はしょっぱく感じられたかもしれません。少し目を赤くした彼女は、心配して寄り添ってくれていた雪狼たちを目一杯撫で回します。
『美味しい。いつもありがとう』
もしかしたら、最期の願いは叶ったのかもしれません。私の存在を認めてくれる彼女に、どれだけ救われていることか。彼女に出会い、そして助けたいと想えなかったら、いつまでも無力に存在していたかも知れないのです。
「ああ、そうか。前世も今世も、恩人を好きになってしまったんですね、私は」
前世の想い人にも同じことが言えたのです。虐待から救ってくれた彼女を眩しく感じることこそあれ、嫌われたからと恨んだり憎むことはありえません。神さまだったのですから。
湿っぽい空気を払うように、彼女はくすくすと笑います。その笑顔が、堪らなく愛おしい。
『隠しごとがあったの。……でも、あなたになら、いいのかな』
腹を空かせている食いしん坊な雪狼に昼食を分けてあげながら、彼女は朗らかに笑んでみせました。すっかり気分は良くなったようです。
料理を味わいながら皿を空にし、彼女は佇まいを正しました。
交わした言葉で埋め尽くされたページを捲り、彼女は真新しいページに筆圧のある文字を書き連ねます。
『——私は魔王の娘、アルツェ・ヘディカ。できれば、アルツェと』
私は何も言えなくなりました。転がり込んだ幸運に、動揺しまくりです。
一旦手を止めて、彼女はまた思い返すように、ここではない遠くへ視線をやります。
『長くなるけど、聞いて』
有無を言わせぬその文に、私は頷きます。
「『もちろんですよ、アルツェ』……アルツェ。ふふっ、アルツェって名前なんですね」
前置きが『魔王の娘』なんていうことより、彼女の名前を知れたことがよほど衝撃的でした。ついつい彼女の名前を反芻してしまいます。
彼女の語るものは、俄かには信じがたい。いえ、信じたくない話です。
彼女の父親は、前世の概念にある魔王と違い、心根は優しく善な者だったと言います。
魔族の中でも魔物を従える力が強く、彼の束ねる魔族は『人間を襲う魔物を従える力』に偏見や差別のある人間たちと共生してきました。
王都に魔物の襲撃が訪れたときも、協定通りに王都を守ったのです。
にも関わらず、人々は魔物の襲撃を魔王の為した非道とし、魔族の殲滅に踏み切ります。傷付いた人々の怒りを、全て魔族に背負わせてしまおうと画策したのです。
魔王は奸計に陥れられ、ついには『勇者』とやらに命を奪われました。
彼女は人間を信じれなくなりました。主犯と嘯かれる魔王だけでなく、魔族は全て捕らえられて『王からの温情』で扱き使われることになりました。劣悪な環境に、耐え難かったのです。
ついにアルツェは反抗しました。
気が付いたら、彼らは息をしていませんでした。アルツェの呼び寄せた魔物たちが喰い殺したからです。
『かの魔王と同じだ』
アルツェはダンジョンで殺され捨てられ、魔物の餌になると決まりました。
事情を知らず安請負いした破落戸は、どうせ魔物に喰われるだろうと好き勝手にするだけして、殺さずに捨てたのです。
不幸中の幸い。多くの魔物は最上位に君臨するアルツェを襲うことはありませんでした。
お陰で私は、彼女に出会えたのです。
あまりに理不尽なお話。どう慰めればいいのかわかりません。ただひとつわかるのは、アルツェのそれは作り話ではないことと、その理不尽は人間の手によるものだということ。
彼女は一言、謝りました。
『私は魔族を助けたい。だからごめんなさい、あなたを利用することになるかもしれない』
遠慮がちな言葉に脱力しました。彼女に頼られて、嫌なわけがありません。彼女と同種族相手なら、少しはためらいもあったかもしれません。
「……魔族と人族の間には、隔たりがあるのでしょう?」
くすりと笑って返事をします。
「『アルツェ、心配いりません。あなたに頼られるのは、とても幸せなことですから』」
彼女は目を丸くして、相好を崩しました。壁に手をやって、文字をなぞります。
それ以上の格式張った言葉は要りません。
「『アルツェが新たな魔王になればいいのです。そうしたら逸れ者同士、一緒に生きて見ませんか?』」
こくりと彼女は頷いてくれます。現時点の私にとって、精一杯のプロポーズのようなものです。あんまり遠回しなので、きっと伝わってはいないでしょうが。