1. ダンジョンに転生しました。
人の口に戸は立てられぬ、と言います。
友人は私に語らせた恋愛相談を、そっくり意中の女性に伝えてしまったのです。
華の女子大生になっても、彼女は自他共に認める親友でした。
気の迷いだよね、と私の恋情を否定されるまでは。
幼少からの付き合いでしたから、喪失感はひとしお大きく胸を抉ります。
絶望のままに内定を蹴り、遺言書をしたためて行政書士に託しました。
死んで迷惑をかける良き両親もおりません。もし存命していても、無縁墓に放り込んでくれるのが目に見えています。
私に人生をくれたのは、彼女だけ。
ですから、遺言書は敢えて『無条件で彼女に全てを遺贈する』としました。
彼女が葬儀を行いたくなくとも、財産が彼女に渡るように。
このやり方に、一切の下心が無かったとは言い切れません。
根底には、行き過ぎた執着心があったからです。
人として恥ずべき感情ですが、
「爪痕を残せたら」
「財産を利用するたび、私を思い返してくれたら」
と。愛する人にまで忘れられるだなんて、あまりに酷ですから。
そうして崖からの飛び降り自殺を図った私。
今世、気が付いてまず己の正気を疑いました。
——私はダンジョンになっていたのです。
走馬灯かと思い込んでいたのも、この突飛さでは当然のこと。
絶え間なく移ろう景色を眺め、ようやく気付く運びとなりました。
これは現実だったのか、と。
「眺めるだけなんて、心を病みそうですね」
仄かな蒼に光る結晶体を背凭れに、ダンジョン内のフロアを眺めます。
人に持ち得ない無数の視界。その先に干渉できたことは一度としてありません。
ここには音もなく、独り言でも呟かないと発狂しそうでした。
「自我が保てなくなってしまいます」
一寸先すら見えない暗さで、指を滑らせた限りでは乳房や丸い体つきを感じ取れます。胸から下が鉱石のようではありますが、大まかには人型です。
推測するに、私は女性の姿をしているのではないでしょうか。
しかし、人型をしているくせに生理的な欲求は存在していません。
睡眠は取れず、夢に逃げるのも不可能なのです。
「——ここに独りは、寂しいですよ」
彼女がいない世界に意味はありません。
だから死を選んだのに、ここでも独り、なのですか。
じわじわと精神を蝕む徒労感。ついに自我を手放そうとした、そのとき。
『恨めしい、憎い、誰か』
どこからか、苛烈な意志を乗せた声が聴こえました。
意識を傾けてゆくと、なんと絶世の美少女が行き倒れているではありませんか。
端正な顔には擦り傷があり、肩下まで乱れた白銀色の髪。
瞼が力なく閉じるにつれ、灰色の瞳はどうにでもなれと諦めを宿します。
「……た」
ぼろきれ同然の服に靴の痕跡を見つけ、かっと頭に血が上る怒りを覚えました。
薄汚れた中に佇む彼女に強く惹かれ、これは一目惚れなのだと自覚します。
「助け、たい」
不意に口から零れ落ちた呟き。転生してから無感情を保つ私でしたが、胸底には鮮烈な欲求が芽生えつつあると気が付きました。
そうやって彼女を想うだけで、全方位を壁が塞ぎました。
「えっ?」
あっさりと視界の向こうへ干渉でき、私は呆然とします。
ぐんっと現実味が増し、思考が巡り始めました。
これで彼女を死に至らしめる魔物や獣、人には遭遇しないでしょう。でも、既に怪我を負っていたり、飢餓状態に陥っていたなら?
ぞっとした私は、慌てて侵入者たちの遺品を吸収し、漁りました。
発見できた食料は、乾いたパンが一切れと水筒に残った水がわずかだけ。
干し肉などは魔物や獣に食い荒らされてしまっていたようです。
「大分衰弱していますが、食べられるんでしょうか」
布に包まれたパンと水筒を転がせば、虫の息の彼女は肩を跳ねさせました。
「良かった、生きているんですね」
ずるりと片腕を支えに上体を起こし、手掴みでパン切れを口に運びます。
水筒の水を流し込んでごくりと呑み下した彼女は、周囲を見回し一礼しました。
彼女は、私を見ていました。
「——あ」
今世、初めて『私』の存在を認めてくれたひと。
前世思慕した彼女ではないのに、どうして惹かれているのでしょう。
幸せです。
「あぁ、これは、ふふっ……」
ダンジョンとして生を享けて初の高揚感に浸り、甘酸っぱいこの感覚を噛み締め、余すことなく味わいます。
私は世界でもっとも幸福を享受しているダンジョンかもしれません。
「——なんて可愛らしいんでしょう、養いたい」
今世の初恋は、成就してくれるのでしょうか。