チャプター6
「はははははははははははははははははははは!」
彼は嗤っていた。今までさんざんこちらをあざ笑い、蔑み、虐げてきた者への精一杯の仕返しだった。その時の表情はもしこの先人生があるならば部屋に飾って一日中見ていたいほどのものだった。
本当に傑作だった。だが最後の一矢報いてやった高揚感も、落ちてゆくことへの恐怖などの思いもごうごうと耳元で唸る風が聞こえなくなるまでの間だった。その時には感情の赴くままに口をついて出た哄笑ももはや止んでいた。
意識が薄れ始める。
届かないとは知りながらも、無意識のうちに虚空へと手を伸ばす。願うことなら滝沢に一言謝りたかったなぁ。薄れゆく意識の元、願えたのはそれだけだった。
落ちてゆく。谷の底へ。奈落の底へ。文字通りのどん底へ。上井健斗は落ちていった。
-------------------------
健斗が崖に落とされた次の日、城の中のどこを見ても健斗がいないことに気が付いたビリア王女は、そのことを不審に思って王に健斗のことを問い詰めに行った。一歩踏み出すごとに胸の内の不安がどんどん大きくなっていく感覚を彼女は感じていた。
もう一年前のような思いは御免なのよ!
心の中の叫びはそのまま足取りの速さにつながった。
王女は走ってきた勢いのまま止まる時間すら惜しいと、その勢いもままバタンと豪快な音を立てて扉を開けた。
中にいた王はその音に驚き、音を立てて入ってきた王女を非難しながら入ってきた用件を聞いた。
「お父様!」
「これビリア!何度も言っているだろう。部屋に入るときは」
「そんなこと今はどうでもいいわ!それよりも聞きたいことがあるの。聞かせてください!今ここで!」
うんざりとした様子で手を振ってビリアを落ち着かせようとした王だが、王女はこれっぽっちも落ち着かずまくしたてるように質問をぶつけた。
「勇者は5人召喚されましたよね?」
「う、うむ。そうだな」
その有無を言わさぬ王女の雰囲気に、王はたじろぎながらも返答をする。腐っても王族というわけだ。威圧的な雰囲気に充てられても健斗よりもはっきりと返答ができていた。
「私、ここに来るまでに城中を見てきたのだけれども、4人はちゃんと居たわ。愛優は自室にいるわ。あ、なんで訓練時間なのに自室にいるとかの質問は無しよ」
「う、うむ」
「で、勇者ヒカリは訓練の真っ最中よ。今も元気に教官の指導の下、精鋭修練場で鍛錬に励んでいたわ。凄いわね。たった一ヶ月で教官を相手にそれなりに戦えるようになってたわ」
「それはそうだ。そうでなければ高い金を払ってまで雇っている意味がないからな」
「話を戻すけど、あの、ハァ…」
いったん彼女は話を区切って、正直考えたくもないといったように息を吐いて目をつぶった。
「あの二人も修練場で元気に修練場で手ごろな兵士を相手にスパーリングをしていたわ」
「おうおう!それはまことか!うむうむ、あ奴らに余はとても期待しておるので、その吉報を聞き満足じゃ」
忌々し気に加間と部座の二人のことを言うビリアに対し、王は手をたたいて喜んでいた。どうやら王は今の皮肉が理解できなかったらしい。
「そんなことはどうでもいいのよお父様!で、最後の一人の彼!ウエイケント!彼がどこにもいないのよ!城中のどこを探してもよ!おかしいでしょ!」
「なんだそんなことか。大方外にでも出歩いておるのだろう。それで」
「外?まだこの世界のことすらあまり知らない彼が外に?冗談はやめて。彼に何をしたのでしょう?まさか隔離でもしたの?答えて!」
「答えても何も余は知らぬ。なんで余がいちいちあのような使えもしない者の動向を把握せねばあらんのじゃ?」
「嘘よ!お父様は知っているわ!まさか・・・、まさかお父様!一年前のように彼に何かしたの?またあんな」
「ええい!余は知らぬと言ったら知らぬ!」
執拗に健斗の安否を聞いてくる彼女に、王はもううんざりだとばかりに手を振ってこの話を打ち切った。
「良いかビリア?私は王だ!私は父だ!そしてお前は王女だ!娘だ!私が役立たず一人どうこうしようがいちいち父である私に口を挟むでない!」
「それってつまり何かしたってこと?お父様!」
「ええい!この話は終わりだ!おい!ビリアを部屋からつまみ出せ!」
「「はい」」
「ちょっと!まだ話は終わってない!放しなさい!放して!」
王の命により部屋内で待機していた王の護衛が、彼女の訴えを無視し、王に命じられたとおりに淡々と部屋の外へと連れ出した。
外に追い出されたビリアは振り返ってまた中に入ろうとしたが、その目の前で扉は閉められた。
「ちょっと開けなさい!まだ私は納得していない!開けて!開けなさい!」
どんどんと扉をたたいて彼女は開けるよう訴えるが、その訴えもむなしく鍵をかけられたその扉が開くことはなかった。
「ッ……!」
縋りつくように張り付いた扉に、彼女は力なく寄り掛かった。彼女の端正な顔は悲しみと怒りによって歪んでいた。ビリアの脳裏にはあることが浮かんでいた。一年前、何も知らされずに戦地へ送られ、死んでしまった勇者を名乗らされた少年少女たち。こちらの都合に付き合わせてしまったかわいそうな彼らのことが、彼女の脳裏に浮かんでいた。
しばらくの間扉に寄りかかっていた彼女は、踵を返し早足に歩き去った。ある場所に向かいながら王女は歯を食いしばって、この怒りを耐えた。そうでもしなければ王の部屋へと戻ってドアに向けて魔法の一つでも撃ってしまいそうだからだ。撃ったところで魔術により考えられないほど堅くなっているあの扉を破れるとは思わないが。
そうこうしているうちに目的の部屋の前までついた。
王女はその部屋に入る前に深呼吸した。彼女に会うときに息を荒げたまま入るわけにはいかないからだ。呼吸を整えた彼女はドアを開けることを一瞬躊躇したのち、やけくそ気味に扉を押し開けた。
「ビリア!?どうだった!?上井君は?王様は何て言ってた?」
「ああ、待った!待って!すぐ聞きたいだろうけどちょっと待って!少し頭を整理させて…」
中に入るなり部屋の主である滝沢がビリアに詰め寄ってきた。一刻も早く聞きたそうな滝沢に対し、ビリアは疲れたようにそう懇願した。
「あ、ごめん」
「良いのよ…、あなたの立場なら私だってそうするだろうから」
そう言って彼女は少し顔を覆って、それから滝沢に向き直って話し始めた。
「じゃあ結論から言うわ。あなたもそのほうがいいと思うし。嫌良くないんだけれども」
「うん。お願い」
ビリアは少しためらったのち。一息に言った。
「彼、ウエイケントは…、ああもう!彼はお父様に殺されたわ!」
「嘘…!」
王女にそう告げられた滝沢はその内容に無意識に口を覆った。
「城中を探し回っていないときにもしやとは思ったけれども、お父様と話してほぼ確信したわ」
「な、何で?!なんで上井君は殺されなければいけなかったの?上井君悪いこと全然してないのに!」
彼女の疑問は尤もなものだが、王女は首を横に振って言った。
「アユ、あなたや私はそうなんだろうけれども父の考えは違うの。あの人は基本的に自分の利益しか考えていないの。一年前もそうやって召喚された勇者は死んだわ。後から彼等の死の真相を知ったんだけど…。本当に、道具のように捨て駒にされたのよ……」
顔面蒼白で呆然とビリアを見つめる滝沢に、彼女は手を取って、言ってもあまり意味はないと知りながらも励ましの言葉をかけた。
「……悲しむなとは言わない。嘆くなとも言わない。そもそも彼のことを思ってくれている人が果たしてどれだけいるのやら…。あなたは悪くないわ。悪いのは結局何もできなかった私なんだから」
「私ね、上井君に言ったんだよ・・・、何とかして見せるって…言ったのに、こんなのってないよぉ…」
感情を抑えきれなくなった滝沢はついに泣き出し始め、ビリアはただ黙って彼女の手を握りしめた。
「そう。そうやって全部吐き出してしまいなさい」
泣きじゃくる滝沢にビリアは自分の怒りと悲しみを悟らせないように精一杯柔らかな表情で優しくそう言った。
わんわんと泣きじゃくる滝沢の顔を眺めながら、ビリアは唇をかんだ。それは父への怒りのためか、それとも自分の力のなさを悔やんでか。
なんにせよ、彼女は今回も父の凶行を止めることができなかった。その悔しさを胸の内にしまい込んで、今はただこの自分より年下の心優しい少女の悲しみを黙って受け止めた。