チャプター12 宿敵
そういう可能性があるんじゃないかと考えたことはあった。だが考えたことはあってもそれが現実になるとは思わなかった。何より見てきた人の全てが魔族に虐げられていたものだから。
だからこそ目の前の光景が信じられなかった。魔族が人を虐げる世の中で、まさか魔族に肩入れする人間が本当にいるなどとは。
「ん~?なんだね君は、どこから入ってきた」
目を見開いて硬直するシルバーナイトに気が付いた白衣の男は一旦作業を中断し、酷く億劫そうに振り返った。
男の身長は160と少し。その体は細いうえに病的なほど青白く、どこか死人の肌を思わせた。加えて室内は薄暗く、作業机の発する弱い光しか光源が無いため、それがより一層男の不気味さに拍車をかけていた。
「あなたはいったい…?」
何とか絞り出した言葉は酷く掠れていた。まだうまく目の前の現実を認められないでいた。しかし目の前の男はさして気にしておらず、それどころか彼の方を見もしないで一人で勝手に捲し立てた。
「全くいつもいつも、良いかね」
白衣の男は首を振りながらうんざりしたように言った。
「いつも言っているだろう、私は君たちと違って忙しいんだ、この研究は崇高なものであってこれが遅れることがあってはならない、なぜなら私のこの研究は」
「あの」
「君たちの要望に答えてあげているんだから緊急のときか私にとって有意義な報告があるとき以外にここを訪れるなといくら言えば」
「……」
シルバーナイトは奥歯をかみしめた。話がかみ合わない。根本的にどこかおかしい。同じ人間であるはずなのに、まるで未知の存在と無理やりコミュニケーションを試みようとしているみたいだった。
べらべらと捲し立てる男に業を煮やしたシルバーナイトは男の肩を掴み、無理やりこちらに体を向けさせた。ここではじめて彼に気づいたとでも言う様に男は目をしばたき、眼鏡をかけ直してシルバーナイトを凝視した。
「おや?君は何だ?何時からそこにいた?」
「僕は」
「待て、その銀色の鎧…」
シルバーナイトの言葉を制し、男は考え込むように額に手を当てて埋没した記憶を掘り起こし、それから納得したように頷いた。
「なるほど、君がシルバーナイトとやらか」
「…えぇ、そうです、僕がシルバーナイトです、それで?あなたは何者ですか?なぜこんなところで一人でいるんですか?」
「私かね?私はビクター・シュタイン、他の者からはドクターと呼ばれている」
「ドクター…、ドクター?ドクターだと?」
シルバーナイトは眉を顰めた。その単語は魔族たちから奪った書類の中に度々出てくるものだった。
「じゃああなたが魔獣の製造者のドクターなのか」
「魔獣?あぁ、あの出来損ないの事か、何だね、まさか君もあれを欲しいなんて言わないだろうな?あんな失敗作を」
シュタインはまだ何かべらべら喋っていたが、シルバーナイトの頭の中は二つの単語に支配されており、最早聞いてなどいなかった。
失敗作?出来損ない?頭の中にその二つの単語が何度もループし、不意にある記憶が呼び起こされた。数日前の夜のあの男の言っていたことが不意に呼び起こされた。出来損ない。失敗作。
シルバーナイトは目を見開いた。
つまりはそういう事だ。あの日、彼らを死ぬことより悍ましい肉の牢獄へ縛り付けたのは、外ならぬ目の前の男だという事だ。
そう察したのと同時にシルバーナイトの目から動揺は消え去り、代わりにメラメラと怒りの炎が宿り始めた。
問いただそうと一歩踏みだしたが、それと同時に部屋の明かりがつき、周囲が見渡せるようになると再び硬直して動けなくなった。
部屋には言うも憚られるような悍ましいものに溢れていた。バラバラになった人間の四肢は当たり前。頭を切り開かれ、脳が露出した状態で標本にされた人間、まったく異なる種類の動物を継接ぎして作られたキメラ、一体何を調合すればそんな色になるのか分からない、用途不明の毒々しい色の薬品の数々。
しかしそんな数々の驚異的な物に目もくれず、シルバーナイトの目はある一点に釘付けになっていた。
彼の見つめる先にはガラス製のシリンダーがあった。その中には裸の魔族の男が薬品の中で目を閉じて収まっていた。その隣に同様に薬品に満たされたシリンダーが複数並んでおり、やはり中には魔族が収まっていた。
「な、あ…これは、これは…」
シルバーナイトはよろよろとシリンダーに歩み寄り、呆然と見上げながら呻いた。
「んん~、クローンがそんなに気になるかね?」
「クローンだと!?」
シルバーナイトはばっと振り返り、シュタインをあらん限りに睨みつけながらオウム返しした。しかしシュタインはシルバーナイトの怒気を前に平然としており、あっけらかんと言い放った。
「そうだよ、これはクローンさ、本来は複製した肉体に精神を移して永遠に生きられるようにするためのモノだったんだが、どうもそうするとほぼ全ての者が発狂してしまってね、それなら意味ないと失敗作として処分しようとしたんだが」
シュタインはやれやれとばかりに首を振り、ふぅ、と息を吐いた。
「何処から聞きつけてきたのか魔王が現れてそれを譲ってくれと言ってきたんだ、それから強化した生き物を提供してくれともいわれたね、始めは断ろうとしたよ、当然だろ?何せそんなものにかかずらっていては私の崇高な研究が遅れてしまうからね、でも魔王はそうすればお前の研究費を出してやるというから私は受けてあげたわけさ、私としては失敗作の処分を向こうがしてくれるわけだし、何より研究もできるから断る理由が無いんだよね」
「…」
あまりに衝撃的な事に何も言うことが出来ず、呆然としているのを良い事に、シュタインは嬉々として知りたくも無い話を滔々と語っていた。
シュタインの話をぼんやりと聞きながら、シルバーナイトは心の中で呻いた。
何という事だ、こんな人間がいるのか。これ程他者の命を無頓着に扱える者がいるのか。
そこまで考え、シルバーナイトはそのことが誤りであると気付いた。いや、違う。こいつの様に他者を全く躊躇なく大量に殺すことのできる者は、確かいたはずだ。
まだ初心だった頃に、「あの日」に、そういう者がこの世界に存在すると思い知らされたじゃないか。
彼の胸の内には「あの日」を境にぽっかりと穴が開いていた。最早二度と塞がる事の無い大きな穴が。穴の中には未だ「あの日」の炎が燃えていて、救えなかった数多の人の悲鳴と呻き声がいつまでも響き渡っていた。まるで忘れるなとでも言うかのように。
シュタインの他者を顧みぬ言動に彼は既視感を覚えた。そう、それはロサンカを焼き尽くしたフィーアと全く同じ、他人を自身の快楽のために躊躇無く殺める事の出来る唾棄すべき怪物に他ならなかった。
途端にシルバーナイトの脳裏に再び「あの日」の光景が鮮明に映し出された。燃え盛る町、死んでいく数多の人々。救えなかった命。自らの無力が証明された日。自分がいかに無価値であるか思い知らされた日。そして真に人の命の重さを自覚させられた日。
そして無辜の人々をまるで自身にその権限があるかのように無慈悲に消し去ってゆく者達への憎悪が生まれた日。
仲間たちに励まされ、再び立ち上がった時に誓ったのだ。もう二度とこのようなことは起こさせないと。例えどれだけ傷つこうとも理不尽に立ち向かい人々を救うと。
憎悪と怨嗟の炎は際限なく膨れ上がり、穴からとめどなく溢れ、体を突き破って銀の炎となって現れた。その瞳は無慈悲に殺されていった人の思いを現すように、狂おしいほどの憎悪と憤怒に燃えていた。
彼の思いに呼応してバキバキ異音を響かせながらシルバーナイトの形状が変化してゆき、数多の人の無念をたたえた血の如く赤いマントが生成され、彼の怒りを表すように赤々と輝いていた。
「何故だ…、何故こんな事が平然とできる?なぜそんな風に命を弄べる?答えろドクター!!!」
「何のため?決まってるじゃないか、人を救うためさ、当然じゃないか、何を言っているんだ君は」
シュタインは怒れる騎士に対し平然と言い放った。目の前の怪物の態度に救世の騎士の瞳孔が細まり、吹き上がる銀の炎はより一層激しさを増す。
「救うだと?戯言を抜かすな!何人もの人を殺しておいて、命を冒涜しておいて言う台詞がそれか!」
「命を冒涜?人を殺す?すまないが君が何を言っているのか理解できないのだが」
「ふざけているのか?ならばそこにある標本は何だ、そのバラバラの四肢は何だ、つい最近お前が薬を注入して殺した人々は何だ!」
シルバーナイトは声を荒げて言うが、シュタインは本当に理解できないといった感じで首をかしげていた。
「???実験材料に研究器具の事かい?確かに実験に失敗してごみを出すことはあるけど、人を殺したことは無いなぁ」
その一言が決定打となり、シルバ-ナイトは目の前の怪物との対話を止めた。最早彼の中に残っていた同族を殺すことへの躊躇いも消えた。
この怪物を生かしてはダメだ。この男を生かしておけばこの先もっと多くの人が不幸となろう。そうなる前に、ここでこいつの命を取る。
「もういい、お前はもう口を開くな」
騎士は拳を握りしめ、目の前の怪物を睨みつけた。しかしシュタインはやはり動じた素振りを見せず、唯そこに立っていた。
「…君も私の研究に否定的のようだね」
ぼそりと呟くと同時に、シュタインの目からシルバーナイトへの興味も関心も消えた。何の感情も感じないガラス玉のような無表情の灰色の瞳と、憎悪と憤怒に燃える銀の瞳が交差した。
シルバーナイトが首から上を撃ち抜こうと一歩踏み込もうとしたその時、アルバートから警告が飛んできた。
『シルバーナイト、よけろ!』
「っ!」
アルバートの警告の直後に下から殺気を感じ、シルバーナイトは咄嗟に後ろに飛びのいた。
次の瞬間、シルバーナイトがいた場所の真下から床を突き破って何者かが奇襲を仕掛けてきた。




