チャプター10
『気をつけろ!鮫の矮小な脳は痛みなどすぐ忘れて飛び掛かってくるぞ!注意せよ!』
「「了解」」
二人が返事を返した直後、一体が正面から二体目が背後から同時に迫ってきた。正面はシルバーナイトが、背後へはエレメントウェポンがそれぞれ対処した。
正面の鮫は先ほどと同様に眼前で飛び跳ね、首から上を食いちぎろうと大口を開けた。びっしりと生えた凶悪な牙が迫るなか、彼は冷静に打撃を与えたときの感覚を思い出していた。
鱗は固く、ゴムのようだった。その上痛みによる怯みは期待できないときている。この状態であの硬い鱗を突き破るには…?いや、そんなことわざわざする必要はない。幸いにして敵はわざわざ弱点を晒してくれている。これを利用しない手はない。
シルバーナイトは迫りくる大口にあえて踏み込み、その大口へ右腕を突っ込んだ。化物鮫が口を閉じ、右腕を噛み砕こうと力を入れる前に、彼は右腕にフォトンエナジーを送り込み、爆発させた。
外部からならともかく口腔内から爆破されればさすがの防御力も無意味だった。頭部を吹き飛ばされた鮫は力なく地面に転がった。
一方エレメントウェポンも同様の戦法で化物鮫を下していた。大口を開けた化物鮫の口内へ左手の雷剣を投擲、空中で感電している隙に、彼女は右手の雷剣を口の中へ深々と突き刺した。
体内を電撃で焼かれた鮫は地面に落下し、のたうち回り、断末魔の悲鳴を上げると程なく力尽きた。
二人は残身し、アルバートからもう魔獣がいないといわれるまで周囲を警戒し続けた。
「ふぅ、これで魔獣は排除されました、もう安全なはずですよ」
「おっさんも災難だなぁ、あんなのに追っかけられるなんてさ」
警戒を解いた二人は男へと振り返り身の安全を告げた。しかし、男はしきりに周囲を見回し、いまだ何かを恐れているようだった。
「どうしました?あなたを追っていた魔物は排除されましたよ」
「違うんです」
男はシルバーナイトへ首を振って見せた。それから男はうつむき、自身の身に起きたことをぽつりぽつりと語りだした。
「私は、私たちはこの村付近にあった魔族から逃れた者たちからなるコロニーに身を寄せておりました」
男は話している間も周囲へせわしなく視線をさまよわせ、心ここにあらずといった感じだった。
「ですがそのコロニーも魔獣の襲撃に会い壊滅しました、何とか魔獣を振り切った私たち生き残りは魔獣の影におびえながら、森の中を当てもなく彷徨っていました」
男はその時のことを思い出していたのか、悲しそうに瞼をぎゅっと瞑り、俯いた。
「…そして、そして私たちはアレと出会ったのです」
「アレとは…?いったい何に出会ったというんです?」
シルバーナイトが男へと聞いた瞬間、男はガバッと顔を上げ、目を剥きながら捲し立てた。
「アレ!ああ!あの男は薬を取り出しまして、まず突っかかってきたマイケルに飲ませました!そして…ああ!皆死にました!みんな死んだんです!息子のアインも!道具屋のコルクも!」
男の突然の豹変ぶりに二人は思わず閉口して、血を吐くような嘆きを聞いた。すると男はシルバーナイトの肩を掴み、血走り、狂気的な光をたたえた眼で彼を睨みつけながら言った。
「私はあなたたちに言いましたね?違うと!私が追いかけられていたのはアレではありません!魔獣じゃない!私が追いかけられていたのは…!!」
男は突如言葉を切り、顔面蒼白になってシルバーナイトを、いや正しくは彼の背後を凝視した。
二人も反射的に振り返った。
村の反対側の入り口に人影があった。人影は酔っぱらった千鳥足のようなおぼつかない足取りで、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
シルバーナイトは訝し気な眼を人影へと向け、二人を遮るように位置を変え、エレメントウェポンは背後の男へ声をかけた。
「お、おいおっさん、生存者はあんた以外にいないんじゃなかったのか?」
「ああ…ああ…」
彼女からの問いに男はただ呻き声を漏らすばかり。
「ともかく生き残りがいたみたいでよかったよ」
『何を言っているのだ君たちは、この場にある生体反応は君たちだけだぞ』
「え…?」
聞き間違いかと思った。
「え?い、今なんて?」
『生体反応は君ら以外なしといったんだ』
『魔力反応もないよ、どうしたの?何か変なものでも見えたの?』
「じゃ、じゃあ僕らが今見ているのはいったい…?」
そうこうしている間に人影は彼らの視認距離まで近づいてきており、近づいてきた者の姿を認識した二人は絶句してその場に立ちすくんだ。
男と同じような貧相な身なりは血によってさらに汚れており、裂けた腹から腸が垂れており、それを引き摺りながら千切れかけた腕を伸ばしてぎこちなく歩いてくる。
「何だ、こいつは…」
シルバーナイトは絶句しながら何とか声を発した。
死者はもう間近に迫っていた。鼻が曲がるほどの腐臭がした。
後ろの二人はまだ衝撃から立ち直っていないため、自分が動かなければいけないことはわかっている。わかってはいるが体が動かなかった。
死者が彼を掴んで引き摺り倒した。信じられない力だった。死者はシルバーナイトへ馬乗りになり、歯をむき出しにして彼に噛みつこうと迫った。死者の歯が鎧にあたる寸前にようやく彼の体は動きだした。
心はいまだショック状態にあったが、危機に対し体が反射で動いた。今まで積み重ねてきた染みついた経験と鍛錬が彼の重くなったケツを蹴っ飛ばしたのだ。
シルバーナイトは噛みいてきた顔面に拳を叩き込んだ。拳を叩き込まれた頭部は床に落ちた果実のように弾け、生きる死者はようやく本当の死を迎えて地面に崩れ落ちた。
「こ、これは…」
荒い息を整えながら、彼は後ろへと振り返った。
「お、おい、まだ終わってねぇ!」
幾分か落ち着いたエレメントウェポンはシルバーナイトへ警告を発した。
振り返ると、反対側の入り口から同じ様ないでたちの死者たちがわらわらとやってくるのが見えた。
「ああ…」
男は後ずさり、腰が抜けた様にその場にへたり込んだ。
「お、おいおっさん!」
「エレメント、彼は後だ!い、今は彼らを何とかしないと!」
「そんなこと…言われなくったって」
エレメントウェポンは怒鳴るように言うが、次第に尻すぼみになった。普段の彼女から考えられないほど弱弱しい物言いだった。しかし、それも仕方のないことだ。
『何だ!?どうした!そこに何かいるか!?』
『こっちには何も映らないよ!どうして!?何で魔力の反応もないの!?こんなのおかしいよ!』
通信からはアルバートとジェシカの困惑の叫びが聞こえるが、今の二人にそれに答えるような余裕なんてものはなかった。
二人はただがむしゃらに迫りくる死者を殺すことに意識が完全に向いていた。
エレメントウェポンは炎剣を投擲し爆発させ、できる限り遠距離で戦おうとしていた。しかしあまりにも数が多く、しだいに近距離で切り殺すことのほうが多くなってきていた。
シルバーナイトは死者たちの顔面を次々叩き壊し、確実に殺していった。だが、死者の顔面を叩き潰す度、彼らの記憶が流れ込んできた。自身が何か別の者へ変化していく嫌悪、体が腐っていく悍ましい感覚、そして死への絶望が理不尽への憎悪が余すことなく流れ込んできては彼の心を蝕んでいた
「がああああああああああ!!!」
流れ込んで来る数多の嘆きを心のうちに抑え込み、彼は無茶苦茶に手を動かし死者を死者に戻していった。
その間、彼はひたすら心の中で謝り続けた。
遅れてすまない、助けられなくてすまない、こんなことでしか助けられなくて済まない、すまない、すまない、すまない。
気が付くと、死者は最後の一人となっていた。二人の体は荒い息をつき顔に付着した血をぬぐい取った。
死者は周りに散乱する死体になど気にも留めずに、奇妙な唸り声を上げながらシルバーナイトへと迫った。
最後の死者はまだ小さい子供で、腰にはボロボロのぬいぐるみが紐で括り付けてあった。彼は小さな死者へ歩み寄り、これ以上苦しまないように優しく首の骨を圧し折った。
シルバーナイトはこの感触を生涯忘れないように、自らの記憶に刻み付けた。
それから彼は振り返り、エレメントウェポンを引き連れて今度こそ男へ身の安全を保障すべく、そしていったいどんなことが起きたのか聞くべく声をかけた。
「教えてください、いったいあなたたちに何が起こったのですか?」
「そうだよ、こんなの…こんなの普通じゃないぜ」
「…昨晩の話です、巨大な熊型魔獣からどうにか逃げ切り、その際に見つけて無人の廃村で呼吸を整えているときのことです、いきなり背後からいきなり見ず知らず男に話しかけられました」
男は深い溜息を吐きながら昨晩の出来事を話し始めた。
「なんて話しかけられたんですか?」
「話しかけたなんて言いましたが、きっとあれは独り言でしょう、マイケルに薬を飲ませた後、私たちが何を言っても返答を返さなかったのですから、ただ一つだけ、覚えている言葉があります」
「それは何ですか?」
「『やはり失敗か、データは取れたが出来損ないがこんなに出てしまった、処分は、野に放たれた魔獣がするだろう、出来損ないは出来損ない同士仲良くやり給え』と」
それだけ言うと男はうなだれ、すすり泣いた。
「ククーッ、私は悔しい!あの時何もできなかった自分の無力に!それ以前にあんな理不尽なことをしでかした者が憎い!憎い!憎い!」
男は慟哭した。
「騎士様、あなたが最後に殺したのは私の息子です!息子を!友をあんな目に合わせた魔族が憎い!あの男が憎い!どうか、どうか仇を!」
「…えぇ、安心してください、必ず仇は取ります、必ずしでかしたことへの報いを、死を」
シルバーナイトは静かに答えた。その瞳はすさまじい憤怒と憎悪で鈍く光っていた。




