チャプター6
目の前で上半身を裸にした健斗が背中を向けて、私に回復魔法をかけてもらうのを待っている。
一年前はお世辞にも褒められるような体ではなかったけど、今では見違えるほど逞しくなった体。その逞しくなった体にはところどころに痛々しい痣がついてる。特に腕と背中の痣がひどくて、バフォメットと呼ばれたシカの魔物の攻撃をガードした腕なんか内出血を起こしていた。
シルバーナイトを着たことで切り傷なんかは負わないけど、衝撃でこんな風に痣ができる。
腕や背中の痣だけじゃなくて、体の所々にもあまり目立たない小さい痣がちらほら目に入った。
彼の背中を眺めながら、こうやって回復魔法をかけたり軟膏を塗ったりする際はいつも歯がゆい思いをする。彼にだけ負担をかけている。彼だけこうやって傷ついて。そんな思いが湧いて出てくるのだ。私だって戦いたい。そう訴えてもお父さんと健斗に止められてしまう。
お父さんと健斗の言い分はこうだ。
「ダメだ!絶対にダメだ!私は君を命にかけて守ると誓った!君に戦いなど決してさせないと誓った!私は君を失いたくないんだ!わかってくれ…頼む」
「ジェシー。人には適材適所というものがある。俺がオフェンス、君らはサポート。それに、血を流す人はできる限り少ないほうがいい。そうでしょう?」
余計なお世話だ。私だって戦えるはずだ。そのための鍛錬だってちゃんと積んでいる。そう思っても、お父さんと健斗の懇願するような言い方で、結局は私が折れちゃって、その思いを心の奥底に戻してしまう。
「大丈夫さ!俺だって強くなってる!それに君たちが作ってくれたシルバーナイトがあれば無敵さ!」
健斗はお父さんに向かってそう言って笑って見せた。でもその笑みはどう見たって無理している人の顔だ。こんな風にくたくたになって傷ついてるのに、それでも彼は私たちを心配させないように無理して笑ってる。
健斗は1年前では考えられないほど体は鍛え上げられたけど、それ以上に鍛えられたのが心だ。魔獣という新たな脅威を目の前で体験してきたはずなのに、彼は折れないで、それどころか私たちを気遣って見せた。
彼は強くなった。身も心も。背は変わらなかったけど。私はどうだろうか。一年が経って身長は延びた。胸だって。うん。まあ少しは大きくなったはずだ。じゃあ心は?なんてとりとめもないことを考えながら回復魔法をかけていると、不意に健斗にこう言われた。
「何考えてるかはよくわからないけど、君が気に病むことはないよ。ちょっと負担が増えただけさ。何てこたない」
何を言っているのだこの馬鹿者は。くたくたのボロボロのくせしてまだそんな口をたたくか。少し叱ってやろうと口を開こうとして「君には感謝してるんだぜ。君がいなけりゃ、僕はとっくに死んでた。いつもありがとう。君がいてくれて本当に良かった」と礼を言われた。
私はしかりつけてやろうと開きかけていた口を開けたまま、思わず回復魔法を施していた手を止めてしまった。
そういうの、ずるい。そういうこと言われると何も言えなくなってしまう。それに、そういうことをさらりと言ってこないでほしい。この男は私が年頃の女だということを忘れているのではなかろうか?
顔が赤くなって熱い。心臓が早鐘を打っているのを感じる。健斗がこっちを見てなくて本当によかった。見られたら、きっと恥ずかしくて治療どころではなかっただろうから。
健斗は私に感謝して、私がいてよかったと言ったけども、それは私も同じだ。あなたがいなければ、私はきっと…。
そこまで考えて私はプルプルと頭を振た。今は余計なことを考えるよりも先に彼の体を癒すほうが先だ。私はただ黙って彼の体の傷を少しでも早く治すように回復魔法の威力を高めた。少しでも早く彼を癒し、次の戦いに備えてもらうために。
背後からお父さんに視線を感じた。振り向かなくてもわかる。また私の心配でもしているのだろう。ちょうど健斗の治療が終わったところだ。変なことを考えさせないようにさっさとご飯でも食べさせてやろう。おなかが膨らめば前向きな考えが自然と浮かんでくるだろうからね。
「おとーさん!健斗の治療も終わったからご飯にしよう」
お父さんにそう声をかけて、私はダイニングルームへと足を運んだ。
「さあて、いっちょ作りますか」
私は気合を込めて頬を張った。
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「君が昨日初めて相対した巨大シカ、魔獣バフォメット。それからオオカミを改造して作り上げた一番よく戦うランペイジウルフ」
魔獣バフォメットとの戦いから一夜明け、健斗は出撃前に軽く魔獣についてのおさらいをしていた。
「最後に半年ほど前に戦った魔獣の試作品と思わしき熊型魔獣の3種類が今のところ確認できた魔獣だな」
「クマシカオオカミねぇ…。なんでよりによってそんななんだ?」
「手っ取り早くとらえられて量も多いからだろうな。こっちからすればいい迷惑だが」
「多分まだまだいろんな種類の魔獣を作ろうとしてるんだろうね。全く、生き物に対してのリスペクトってモンがまるでない連中だ」
「まったくだ」
二人は魔法陣に向けて歩を進めながら魔獣について語り合った。
「君の尽力とアイフ王国の勇者たちの尽力により思った以上に魔族に占領された場所を取り返すことができた」
魔法陣前についたアルバートは魔法陣の前で作業していたジェシカの横で足を止めた。健斗はそのまま魔法陣の中心へと歩いた。
「勇者たちに村や町の解放を任せて、私たちは最短距離で幹部がいるロドニー王国を目指す」
健斗は頷いた。
「その前にロドニー王国手前にある都市ロサンカを今日攻めるわけだ」
「そうだ。だが気をつけろよ。あそこは大きな都市だ。魔族兵もわんさかいる。当然多くの魔族兵をまとめるために支部長クラスが複数人いるぞ」
「加えて魔獣もね」
ジェシカが作業をしている手を止めないで付け加えるように言った。
「敵は山盛り。加えて強力。対してこちらは3人。外部からの協力もあまり期待できないときた」
「じゃあやめるかね?」
「冗談抜かせ。例えくたばったってやめるもんか」
「おーし!準備完了!いつでもいけますぜ!」
転送の用意ができたとジェシカに知らされた二人は無駄話をやめた。健斗は背部に収納していた頭鎧を被り、アルバートはジェシカに転移を実行するように言った。
「ジェシカ」
「はいはーい!任せてねー!」
ジェシカはそう言うや否や魔法陣に魔力を込め始めた。魔法陣から光が発せられ、その光は徐々に強くなり、健斗の体を覆い始めた。
「健斗」
「何だい?」
アルバートは光に包まれ、転移に備えていた健斗に向けて声をかけた。
「多分、いやほぼ確実に彼女もロサンカに来ると思う」
「なんでそんな断言できんの?」
「さあな。こればっかりは勘だとしか言えん。ともかく彼女に会ったら」
「勧誘。もしくは協力関係に持ち込め。でしょ?」
「ああ、頼む。さすがに君一人に任せるわけにはいかないからな。協力者が増やせるならばそれに越したことはない」
「向こうが応じてくれればね」
健斗は肩をすくめた。
「応じるとも」
アルバートは断言した。
「それも勘?」
「そうとも」
「エネルギー充填完了!転移開始!」
そうこうしているうちに転移をできるようになったらしく、ジェシカが言い放ったのと同時に健斗は光に包まれて転移された。
「さー位置についてバリバリ行きます…お父さんどうしたの?」
無事に転移が実行できたことを確かめたジェシカはさっそく定位置につこうとして、アルバートが無言で眉間にしわを寄せているのに気が付いた。
「どうしたのお父さん?そんな眉間にしわ寄せちゃって」
「ん?ああ。すまないジェシカ」
ジェシカに声をかけられたアルバートは頭を振って、それから自分の定位置へと向かった。
「…健斗が心配?」
「…嫌な予感がしたんだ。さっきから胸がざわついてどうも落ち着かない。こういう感覚があるときは決まってよくないことが起きたんだ。それも特大の」
アルバートは不安げに知詰めるジェシカを一瞥し、それから視線を転移魔法陣の中心、健斗が立っていた個所に目を向けた。
老騎士は言い様の無い胸騒ぎを覚え、戦いに出た若き戦士に向け、つい祈ってしまった。
どうか無事に生きて帰ってきてくれと。
ジェシカは不安そうに魔方陣を凝視する父を見つめながら、ごくりと生唾を飲んだ。




