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女神の箱庭  作者: 空野 氷菓
綻びの英雄達
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勇者の初恋


 「オレは竜退治の騎士なんだぜ」


 少年は、そう言いました。

 春風の吹き抜ける宮殿の中庭、白亜の噴水からはキラキラと、ほどよく温かい透明な水が吹き出していました。

 噴水の縁石に腰掛けた少年の足元には、彼の瞳と同じ色、若草が伸びています。その合間をチョロチョロと走り回るのは、木から下りてきた栗鼠で、その毛並みは少年の髪と同じ色でした。


 「オレは、竜を五匹倒したんだ」


 少年は、パンパン、と、自分の胸を片手で叩きます。


 「炎の赤竜、水の青竜、風の緑竜に、光の白竜と、闇の黒竜」


 上質な革の胸当てと篭手、そして二振りの長剣を身に付けて、少年は少し得意げでした。


 「ローグ国王騎士団、竜退治の騎士ラルフと言えば、このオレよ」


 まだ齢にして十六か十七か。濃いチョコレート色のピッタリとした革長靴を履いた足はスラリとしていて、男らしい逞しさよりも少年らしいしなやかな輪郭を持っていました。

 あどけなさすら残る顔立ちで、屈託のない微笑みを浮かべ、竜退治の騎士はコンコンと腰の長剣を叩きます。


 「自慢じゃないけど……いや、自慢だけどさ、オレ、世界を一回、救ってるわけ」


 まさしくその通りでした。

 この少年騎士は、騎士団歴五二三年に、一斉に蘇った世界の五つの災い、五匹の竜を倒した騎士でした。


 春風の吹く中庭には、光が溢れています。

 遠くから宮殿の厨房係達がパンを焼く甘い香りが漂って来る、午前の後半。もうあと少しで天頂に至る陽の光は、噴水を囲む木々の新緑に当たり、そして砕けると、葉の隙間を縫って無数の木漏れ日となり降り注いでいました。

 足元には栗鼠がウロチョロと走り回り、甘いパンの匂いを運ぶ春風が髪を揺らす、長閑な午前。

 少年騎士は誇らしそうに胸を張っています。


 「だからさ、もう一回くらい、サクッと世界なんて救えちゃうと思うわけ」


 底抜けに明るくて、いつだって前向きで。


 「確かに、前より更にヤバい匂いはするけどさ。でも、一回、出来たんだ。二回目だってやってやるさ、きっと」


 しかし、単なる楽天家ではないのです。

 軽快で軽やかで強気な言葉の裏には、そこにある脅威をしっかりと認識し、その上で、まるで緊張感なんて無いかのように明るく振る舞う強さがありました。

 その強さこそが、絶望に飲まれた大人達を動かし、まだ団結も知らぬ年頃の少年少女達を一つに纏め上げ、災厄に惑うていた騎士達の王国を立て直して、世界を守り抜いたのです。


 希望を見失わず、されど絶望をも睨み続ける。

 苦難からも歓びからも、決して逸らされぬ瞳。

 それこそが、世界を滅ぼすに足る五つもの災いを撃退した、騎士の国の至宝。


 女神がきたる日に備えて、その魂の記録を保管した、勇者の瞳でした。


 「貴方の働きを期待します、竜退治の騎士ラルフ」


 少年と並んで噴水の縁に腰掛けた女神は、微笑みました。

 太陽よりも眩しい金の髪に、空よりも鮮やかな青い青い瞳。

 かつて〝神様〟が〝うつくしいもの〟として最初に作り出した存在。

 最初にして最後、唯一の、〝神の娘〟です。


 「任せろ。世界は、俺が取り戻してやるぜ」


 少年騎士はトントンと自分の胸を再び叩きました。


 「〝神様〟だか何だか知らないが、テメェだけの都合で世界終わらせられちゃ困るってぇの」


 終わってしまった世界の片隅。女神が自分の力を全て注いで辛うじて残した最後の場所。

 光の降り注ぐ、世界の残滓。

 閉じた箱庭の宮殿で、かつて世界を救った勇者は笑いました。


 「この世界は俺が守るよ」


 最後に残った一欠片の世界。

 世界が終わる、その日の為に女神が魂を保存していた歴戦の勇者達と、そして、幾許かの良き人々が暮らす、小さな小さな、一つの宮殿と、その周辺だけの箱庭。


 やがて〝神様〟に気付かれれば、きっと、壊されてしまう事でしょう。


 けれども少年は、それを食い止めてみせると誓うのです。

 保存された勇者の魂は、世界が終わった後にこの箱庭で目覚め、そうして、この箱庭を守る事を受け入れたのでした。


 「せっかく俺が一回守った世界なのに、それを終わらせようってんだ。いいぜ、なら〝神様〟とだって、喧嘩してやんよ」


 身軽に立ち上がった少年は、女神に手を差し出しました。


 「だから、女神様、アンタは何も心配しなくて良いんだ」


 女神は少年の手を取ります。

 グローブ越しにも、まだ若く、これから男になっていくはずの細く瑞々しい指先の感触の、少年らしい手でした。


 「さ、そろそろ昼御飯だ」


 女神の柔らかくて小さな、ほっそりとした手を握り、少年は少しだけ頬を染めて歩き出します。

 甘いパンの香りがする厨房に向けて、希望に溢れた足取りで。


 「女神様、女神様、今日の昼はなんだろうな?」


 振り向いて無邪気に、嬉しそうに微笑む少年に、女神は、ええ、と微笑み返しました。


 「貴方の好きな物なら良いのですが……」


 「じゃぁさ、じゃぁさ、肉だと良いなぁ」


 軽い足取り、弾む声。

 春風の吹く中庭には光が溢れて。


 「ええ、それならきっと、お肉もあるでしょうね」


 女神はクスクスと微笑ましそうに頷きます。


 「私の加護が、きっと貴方に幸運を」


 「ああ」


 少年騎士は頬を染めて嬉しそうに頷きました。


 「俺さ、ずっと昔、世界を救う前から……」


 光溢れる季節の若草の瞳は、蕩けそうに揺れます。


 「竜達が起きて、それをどうにかしなきゃって、仲間と、この剣を貰いにアンタの神殿に行った時から、アンタのこと……」


 かつて試練の果てに女神と邂逅し、二振りの名剣を授かった勇者は、そこで声を止めて。


 「……ラルフ?」


 あどけなく首を傾げたうつくしい女神に、いいや、と、少年は気恥しそうに首を振りました。


 「……アンタが味方してくれるなら、どんな幸運だって引き寄せてやると、そう思ってるんだ、あの時から」


 本当に言いたかった言葉は、まだ言えないと飲み込んで。

 擽ったそうに笑い、キュッと、女神の手を握る力を優しく強めて。


 「俺、絶対に、もう一回、アンタの世界を、守るから」


 不意に振り向いて立ち止まり、真っ直ぐに見詰めてくる、救世の瞳。


 「……ええ、信じています、私の勇者」


 女神は両手で少年の手を握り返しました。

 桜色の潤った唇で、鈴の鳴るような可憐な声で、その名前を呼んで。


 「ラルフ……どうか、身勝手な私の、身勝手な願いを許して」


 「身勝手じゃない。アンタはいつだって俺達を守ってくれる、幸運の女神様だ」


 少年は微笑み、頷きました。


 「世界を終わりにしたくないなんて、とっても女神らしい、最高の願いじゃないか」


 その願いを叶えてみせると。

 まだあどけない、瑞々しい新緑のような勇者は、誓います。


 「ラルフ……」


 優しい女神は一粒、真珠のような涙を流しました。


 「女神様……?」


 「私の、ラルフ……」


 狼狽えて、頬を染めながら女神の頬を伝う涙を拭う勇者の為に、女神は泣きました。


 かわいそうに。


 どうして、世界を一度救った少年騎士は。

 どうして、世界を救った、そのすぐ後に。


 あっさりと、まだ若い命を終えたのでしょう。


 どうして、世界の誰もが、若草のような瑞々しい英雄の死に、涙しなければならなかったのでしょう。


 輝かしい少年の未来を奪った、不知の病。


 女神の加護を受けていたはずの勇者を襲った、あまりにも呆気ない不運。


 ああ、この子は疑いもしない、と。


 女神は泣きました。


 来る日に備え、勇者の魂を、その一等輝く瞬間で刈り取り、保存し続けた女神は、純心無垢なまま永遠に時を止めた勇者の為、涙を流しました。


 「ラルフ……若草の勇者……」


 かわいそうな、やさしい勇者。

 かわいそうな、かわいい少年。


 女神は慈愛と自己嫌悪を込めて、少年の真っ赤な頬に触れています。


 「ごめんなさい、ごめんなさい……」


 恋も病も、死も、残酷な予定調和。

 女神の前に立つに足る勇者と、己の価値を示してしまった、その刹那に。

 恋に落ちた、その瞬間に。

 若草のうちに刈り取られ、やがて女神に盲目のまま尽くす未来が決した事を。

 幼い勇者は知らぬでしょう。


 一等輝く瞬間で保存された魂は、永遠に、何も疑わず、何も知らぬまま輝くでしょう。


 春風のような暖かく柔らかい初恋を抱えたおさない勇者は。


 再び目覚めた小さな箱庭で。

 世界が終わった、その後に。


 始まるは、〝神〟を殺す大戦争。


 何も知らぬまま。

 少年は、禁忌を目指すのです。


 それが最善と信じて。

 嘘で歪んだ女神を愛し。


〝神様〟すらも殺そうと、誓うのです。


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