二日目の朝・探索
ギードはいつものように陽が昇る前には目を覚まし、タミリアの腕からそっと這い出る。
この部屋は三階だが、窓は裏庭に面していて、人影もない。
身支度を終え、エルフの身軽さでギードはその窓から外へと身を躍らせた。
宿は港に近い。海沿いに町の外へ向かってゆっくりと歩いて行く。
すでに漁師たちは動きだしている時間のため、なるべく町の隅を目指し、気づかれないよう気配は消している。
本来ならエルフであるギードは風の精霊の助けを借り、屋根伝いに走りたいところだ。
しかし、ここには精霊たちの姿がない。
眷属たちのいない状態で魔力量がどれだけ残っているのかもわからない。
おとなしく歩くことにした。
ようやく建物が途切れ、緑が多くなって来た。
この町は海岸沿いに一本の大通りと、それに山へと続く道が交わる。海岸の道に平行する小道に住宅が並んでいた。
その中心地を外れると辺りは斜面を細かく区切った段々畑になっており、様々な野菜が作られている。
そこを早足で通り過ぎ、町を縁取るような木々の中へと入って行く。
森とは言えないまばらな木々。手入れを必要としていないほどすでに整備されている。
それは山の上のほうを見ても同じだ。
この町は綺麗過ぎる。
(やはり魔力が多いな)
ギードはこの町に来てから感じていた。この土地自体に魔力が溢れている。
商国の元となった荒れ地の土地とは正反対だ。
おそらく魔力の結界のせいではないかとギードは思う。
結界のせいでこの土地に魔力が溜まり続けているのだろう。
ギードが見たところ、住人である獣人たちは魔法を使っていない。
魔石を使った魔道具は確かにあったが、その消費量はたかが知れているだろう。
(それにしては精霊の姿が無いのは何故だ)
普通に考えれば、これだけの余剰魔力があるなら精霊は生まれ放題のはずだ。
(生まれないように操作されているのかな)
『大神』の結界の中だ。そういう制限がかかっていても不思議ではない。
綺麗に整備された林から、わざと荒れ放題にしたような雑木林の中に入る。
下草が多く歩き辛くなるが森育ちのギードには問題がない。
そこから頂上を目指す。
頂上付近になると白い神殿の建物が目の端に入る。今はまだ近寄りたくない。
気配はきっちりと消しているので、気づかれてはいないと思うが油断は出来ない。
慎重に、さらに山の奥へと進む。
やがて空が白み始める頃、ギードは目的地と思われる場所に着いた。
神殿の裏手から不自然な獣道があり、その先に少しばかり拓けた場所があったのだ。
そのまま先に進もうとして、足を止める。
ギードが真っ直ぐに伸ばした手は、ふいに目の前の何もない空間に阻まれた。
「思った通りだ。ここが境界線か」
結界はスープの椀を伏せたような形をしていた。
海上の結界は見ることは出来ないが、こうして山の上まで来れば、ここに結界の端がある。
「ここから先は結界の外か」
ギードは振り向き、頂上から港町を見下ろす。
整い過ぎた白い石造りの美しい街並み。獣人にしては穏やか過ぎる住人たち。
それがギードのこの町に対する印象だった。
宿屋のだいたいの位置を確認し、今度は境界線をなぞるように坂を下って行く。
道なき道を藪や川、大岩などに邪魔されながらも無事に海岸までたどり着いた。
巧妙に隠されている結界の境界を確認して、宿屋に戻った。
そんなに遅くなってはいないはずだが、何故か裏庭にハートの姿があった。
「あ、ギードさん!。良かったー」
早朝、裏庭で顔を洗っていたらしいハートが、ギードが開けておいた窓を見て、泥棒でも入ったのかと思ったらしい。
タミリアにも心配させてしまったようで、ギードは窓から出入りしたことを詫びながら、
「ハートさんも早起きなんですね」
と、微笑んだ。
(余計なことを)という心の中の声は聞こえないはずだ。
「心配させたお詫びに自分が朝食を作りましょう」
女将さんたちもおろおろしていたので、ギードはそう言って厨房に入った。
「いやいや、そんなことはさせられません」
「気にしないでください。妻にいつもの朝食を食べさせたいだけですよ」
遠慮する女将やごつい体格の料理人を制し、一つ一つ道具や材料を確認する。
(悪くない。王都と遜色ない設備だ)
料理人と相談しながら手早く用意に入る。
旅人などほとんどいないこの町では、宿泊客はそんなに多くない。
家の修理などの都合だったり、兄弟が多くて家に居られない若者などが借宿している。
ギードたちが泊まっている部屋も実は裕福な方がお忍びで使うための部屋だそうだが、使われた形跡は無かった。
とりあえず、朝食が必要な人数を確認してもらい、すぐに作り出す。
タミリアがわくわくしながら待っている様子が見えた。
甘い匂いが食堂に漂い始める。
「え、これは」
「パンケーキですが、お嫌いですか?」
ギードはいつものように、タミリアの目の前にパンケーキの山をどんっと置く。
材料が多少違うため味は少し劣るが、それでもなるべく近いものを選んだ。
「あとで材料費はお支払いしますね」
女将にはそう言って、とっておきだと思われる甘味も使わせてもらっている。
恐る恐る口に入れたタミリアとハートが、目を丸くする。
「美味しいいい!」「んー!」
他の客はそれを見て、同じように一口食べて驚き、称賛し始める。
「まあ、女性向けなので、男性はもの足りないでしょうから、他にも何か出してあげてください」
料理人にそう言って、ギードはタミリアの隣に座る。
大量のパンケーキを食べ終えたタミリアと一緒に、ギードもお茶を飲み始める。
満足気なタミリアの顔にギードも安心したようだ。
「あの、今日は何か予定はあるのですか?」
ハートは、どうせ暇なので町を案内しましょうかと提案する。
「いえ、もうすぐ忙しくなりそうですからー」
ハートが首を傾げていると、ハクローが食堂に入って来た。
「こちらにいらっしゃいましたか。おはようございます、ギード様」
「あー、呼び捨てで結構ですよ。どうでしたか?」
ギードはハクローに椅子を勧める。
「はい、何件か候補をお持ちしました」
ハクローは手に持っていた数枚の紙をギードに見せる。
「ありがとうございます。では実際の物件を見せていただいても?」
「承知いたしました。ご案内させていただきます」
ハートとタミリアは訳がわからないまま、二人の後を追って立ち上がった。






