一日目の深夜・確認
ギードは長椅子で寝たふりをしたまま、タミリアの寝息を聞いている。
ただ静かに時間だけが闇の底に沈んでいるギードのすぐ傍を流れていく。
(眷属たちと連絡も取れず、魔力共有も収納も使えない)
まるでエルフの森にいた頃の自分のようだと、ギードは思う。
誰もいない。何も出来ない。
ギードはそんな自分に価値があるのかと問う。
(それでも)
タミリアのために何が出来るだろうか。それをずっと考えている。
(子供たちのところへタミリアを返す)
それが一番の優先事項。たとえ、タミリアの記憶が戻らなくても。
ゆっくりと目を閉じ、自分の中の魔力に触れる。少しづつ魔法を使って見てはいるが、問題なく習得している属性は全て使えそうでほっとした。
(これで少しはタミちゃんのために動ける)
ただ魔力量は落ちているはずだ。一気に使えば魔力切れを起こす可能性もある。
気をつけなければならないと、ギードは肝に銘じた。
やはり眠れない。起き上がったギードは、静かに窓を開け、空を見上げる。
夜空には星が見えるが、ギードにはそれ以外のものも視えている。
(やはり……)
昼間はギードの気が動転していたせいもあり、よく見えなかったが、今ははっきりとそれが視えている。
(結界だ。それも『大神』の結界かな)
それは一面の空を覆う透明な膜。魔力の高いものにしか視えないだろう魔力の檻。
この町は『神』による結界にすっぽりと包まれていた。
今のギードでは手が出せないほど幾重にも重なっている。
まるで全てを拒否するように。または何かから大切なものを守るように。
(おそらく、あの結界を通る時に精神攻撃を受けたんだな)
『大神』の狙いは肉体的な傷ではなかったようだ。だからこそふたりは無事だった。
ギードは眷属の中でも一番古い付き合いである土の最上位精霊コンにもらった首飾りを取り出す。
コンの最強の防御魔法を込めたはずの魔法石は見事に砕け散っていた。
しかしこの魔道具のおかげでギードの記憶は守られた。
命よりも記憶を奪い、この町に放り込んだ『大神』の狙いはいったい何だろうか。
『神』というのは案外俗物的だ。
願いを叶えるために「対価」を要求し、気に入らなければ命も奪う。
それがこの世界の『神』という存在。
(永遠の時を生きるなんて、退屈なんだろうな)
ドラゴンのズメイは『大神』にギードのことを頼んだのかも知れない。
記憶を奪い、タミリアと切り離すように。
だが、ふたりは離れなかった。
おかげで『大神』の退屈しのぎにふたりで付き合わされることになったらしい。
窓を閉め、ギードはタミリアの寝台に近づく。
先ほどから何度も寝返りを打っている彼女の、髪にそっと触れる。
精神を落ち着かせる魔法をかけようとしたその時。
「んー、ギドちゃーん」
「うげ」
ギードは腕を掴まれ、そのままタミリアに抱き寄せられた。
毛布の中に引きずり込まれ、眠り始めるタミリアの腕の中にいつも通りの抱き枕状態で収まる。
そして、逃げることを諦めたギードもしばしの安眠を得ることになった。
◆ ◆ ◆
水の最上位精霊であるルンは、エグザスを連れて元・連合国の首都の海岸に戻って来た。
そこで待っていた眷属仲間たちと落ち合い、エグザスを陸に引き上げ、介抱した。
「はっ、ここはどこだ」
エグザスが意識を取り戻したのは夕方近くだった。
「エグザス様、申し訳ありません」
頭を下げる眷属たちにエグザスは怒りより申し訳なさでいっぱいだ。
「いや、謝るのは俺のほうだ。俺はギードたちを守れなかった」
精霊に頭を下げる聖騎士に今度は眷属たちが慌てた。
「いいえ、そんなことより、ギード様は今どこに」
リンは冷静に問いかける。
「わからない」
エグザスにも、眷属たちにも、それはわからない。
全員で商国の地下室に移転魔法で戻った。
「どういうことだ!」
商国の森の館の地下室にギードの眷属たちが集まっていた。
声を荒げるコンに、ルンが肩を竦め、涙目になっている。
「止めなさい、コン。ルンのせいではないじゃろ」
老猫姿の『幻惑の森』の主は、コンを窘めながらも気持ちはわかるのか苦い顔をしている。
それでも彼女を責めるのは間違いだ。
ルンが見たのは、ギードたちが海に落ちる直前に姿が消えたところまでだ。
「消えた、のか?。眷属なら居場所はわかるんじゃないのか」
エグザスの問いに眷属たちは首を振る。
コンの話では、眷属たちとの繋がりが薄くなって、まるで遠くて届かない状態らしい。
「何故かわかりませんが、ルンの話ではおふたりの姿が消えた直後からです」
コンが忌々しそうな顔をしている。かなりお怒りのようだ。
「絆が切れたわけではありません。ですが、声も魔力も届かないのです」
ルンの声は震えている。
エグザスはしばらく考え込んだ後、顔を上げた。
「ここで議論していても答えは出ない」
そして眷属たちを見回して、
「俺は王宮へ報告に行かねばならん。お前たちはどうする」
と聞いた。
「どうする、とは?」
火の最上位精霊であるエンの言葉に、エグザスは辛そうな顔を見せた。
「……子供たちにどう伝えるか、だ」
時が止まったように眷属たちが静止した。
「俺は、それも含め、王宮で皆と相談して来る。誰か一人だけ付いて来てくれ」
眷属たちはそれぞれ不在中のギードに頼まれた仕事がある。
「それなら、私が行きます!」
ルンはエグザスに連れて行って欲しいと頼んだ。最後までその目で見ていた自分が行かなければならない。
「わかった」
エグザスと眷属たちは頷き合った。
「あー、その前にだな」
エグザスの腹が盛大に鳴った。
「すまん。飯を食べさせてもらえないだろうか」
緊張の崩壊は眷属たちを少し冷静にした。
風の最上位精霊であるリンが食事の支度に向かい、ルンが王都の『湖の神』と連絡を取り合っている。
「私はドラゴンのユラン様に報告して来ます」
コンはギードに「何かあったらユラン様に伝えるように」と言われていた。
エンにエグザスの世話を頼み、コンの姿が消える。
「ふぅ」
座り込んだエグザスは、空腹だけでなく、まだ体調が完全ではなかった。
「大丈夫ですか?。長時間、水に浸かっていたのですから、あまりご無理されませんように」
エンは部屋の温度を上げ、エグザスの体調を気遣う。
「ああ、ありがとう。しかし気が重いな」
これから向かう王宮での顔ぶれを思うと、エグザスの気持ちはさらに滅入っていた。