十八日目の夜・オトメの祈り
ハートは祈る。
私はきっと女性として生まれたはず。
かわいい物が大好きで、自分で工夫して小物を作ったりするのも好き。
誰かの愚痴を聞いたり、後輩の世話を焼いたり、そうやって日々過ごしていたい。
私は夢の中で私を見た。
白い手をしていた。後ろ姿も見た。
あれがきっと私の手で、私の身体。
『神』様、どうか私を返してください。
……じっと見守るギードの目の前で、ハートの姿が変わっていく。
ギードはハートの前に、背丈と同じ高さに箱のような結界を作る。
その内側に闇を入れ、表面にハートの姿が写るようにした。
「これが私?」
黒光りする箱の表面に、間違いなく女性の姿が写っている。
「魔道具で変装した姿、ですよ」
魔道具により服も想像した物に変えられている。
白い、上着とつながっているひざ下丈の長いスカートだ。
ただし、この服ごとハートはこの姿として固定され、他の物に変更することは出来ない。
魔道具を使うと、何を着ていようが、ハートはこの姿になるのである。
「脱いで着替えることは出来ますけど、その場合は元に戻った時に服がそのままなので破けたりしますから注意です」
女性の身体から男性の身体に戻る弊害だ。
この服であれば魔道具を使った時の服に戻るので、忘れないようにと説明を受ける。
腕も足も、ハートが夢見た通りのほっそりとした女性らしいものになっている。
背丈は少し低くなっているが、髪は背中まであり、胸もそれなりに豊かに盛り上がっていた。
「で、でもこれって」
「必ず本人とは違う種族になるんですよ」
この魔道具は決して同じ種族、同じ性別にはならない。
ハートの頭には白い狼の耳があり、映し出された姿にはふさりとした尻尾があった。
「白狼獣人ですね」
ギードの顔はやさしげに微笑んでいた。
ハートが感激の涙をこぼしかけた時、その姿が急に元に戻る。
「あ」
違う意味で涙がこぼれた。
ギードは結界を消し、ハートを椅子に座らせる。
「変装中はずっと魔力が必要になります」
ギードたちならば一度起動すれば自分で停止させるまで変身したままだ。
しかしハートの体内には『魔核』が無い。
魔石一つならこれくらいの時間しかもたないのである。
「その袋も差し上げます」
肉祭りで住民たちに魔石を持たせた時のように、その中に魔石を入れて起動させればいい。
「長い時間変装していたいと思ったら、魔石がたくさんいりますね」
借家に置いてある分もなくなったら充填してもらうようにと付け加えた。
「ありがとうございます。本当に、ありがとう、ござ、います」
ハートは何度も頭を下げた。
「ハートさん。まだ確定ではありませんが」
もしかしたらこの町の結界が破られるかも知れない。
向こうへ行ったタミリアが、このまま黙っているはずはないのだ。
おそらく彼女の脳筋な友人たちも一緒になって結界を壊そうとするだろう。
もうすでにその作戦は始まっているかも知れない。
「結界が?。では、そうなったら町はどうなるのでしょう」
「結界が無くなれば、おそらくこの町の魔力が発散されてしまうでしょう」
空気中の魔力はすぐにでも薄くなってしまう。
「獣人やハートさんのように魔力が元々少ない者には影響はそれほどないと思います」
今まで調整されていた作物や天候、住民の数、生息している獣の制限。
変わってくるそれらを今後どうするのか。
それは『女神』や領主が考えることだろう。
「あ、あの」
ハートは思い詰めたような顔をしていた。
「記憶はどうなるのでしょう。この町の住民や、私は」
閉ざされていた記憶は開放されるのだろうか。ハートはそれが気になった。
ギードは、んーと顎に手を当てて考えていた。
この町の住民たちは、この結界の中で産まれている。
そもそも奪われた記憶がないので、今と変わらないと思われた。
元々記憶を奪われていないギードも同じだ。
問題なのはハートである。
「ハートさんの場合、結界によって奪われた記憶が結界の崩壊で元に戻るのか。あるいは」
ハートはいつの間にか身を乗り出して聞いていた。
「元の記憶が完全に無くなって、この町での記憶だけになるか、ですね」
結界から出れば戻るはずだった記憶が、結界と共に消える可能性がある。
「そんなー」
乗り出していた身体を元の椅子にすとんと収める。
「ここで考えていても答えは出ないでしょう。『女神』様に会えたら聞いてみてください」
あまり時間はないかも知れないけれど。
とんとんと音がして、扉の向こうから女将が気遣うように声をかけて来た。
「そろそろ、お夕食の時間ですが、どうなさいますか?」
ギードは扉を開けて、女将を招き入れる。
「ハートさんはどうなさいますか?。下の食堂でも行って食べますか」
「あの、今はその、あんまり食欲がなくて」
ギードは頷き、女将にはパンに何か挟んだものをハートの部屋へ運んでもらうように頼んだ。
「エルフの旦那はどうなさるんですか?」
「自分は結構です。ちょっと出かけますので」
とんでもない、と女将が手を振った。
「ご領主様から誰も外に出るなとお達しがございました」
ギードは心配いらないとにっこり笑った。
「外の様子を見てくるだけです。では」
そう言ってハートたちが止めるのも聞かずに、ギードは小熊亭を出て行った。
追いかけようにも風が強くて外に出ることも出来ない。
ギードは結界を盾のように斜めに展開して、風除けにして歩いて行った。
一度振り向いて、ハートに向かって軽く手を振った。
ギードはコンに念話を送る。
(こっちの用事は終わったけど、そっちはどう?)
(眷属のほうは抑えました)
(ほお)
ギードは町外れまで来ると、風魔法に乗って空へと舞い上がった。
暴風の上に出ると、黒い森の上に銀青の髪のエルフが浮かんでいるのが見える。
下を向いた瞳が強く何かを睨んでいた。
その手が動くのを見て、ギードは一瞬で間合いを詰め、銀青のエルフの前に躍り出た。
「貴方の相手は自分がします」
ギードは、青い精霊戦士を抑え込んでいるコンを背後に庇う。
女性戦士が、コンの重厚な結界に押さえ込まれている。
その身体は結界に押し付けられており、助けるならば結界を消さなければならないだろう。
「どけっ」
美しいハイエルフの顔は、醜く歪んでいた。
女性戦士が押し付けられていた結界の壁がべこりと凹み、一瞬の隙にその姿が消える。
「逃げられました」
「仕方ないよ」
ギードは残念そうなコンを慰める。
「それに無駄でもなかったし」
やはり相手は侮れないハイエルフであることを知った。




