十八日目の午後・不穏な雲
ハートは広場に集まっている住民たちを見て途方に暮れていた。
皆、ギードやタミリアを心配する言葉を口にしてはいるが、その言葉が何か違うモノを内包している気がして仕方がない。
しかも先導している者がトラットと、そしてサナリだった。
サナリは細面で長身の犬獣人の女性で、確か神殿のやり方には反感を持っている。
「あのー、先輩」
ハートは隣にいるハクローの服をつんつんと引っ張った。
「んー?」
「これ、本当に大丈夫ですか?」
ハクローもため息を吐きつつ、顔を歪めている。
「俺にはわからん。だが、こうなった以上どうしようもない」
「そーですよねー」
ハートもつい空を見上げて現実逃避したくなった。
とにかく、このまま住民が増え続けても動けなくなるだけなので、神殿まで行くことになった。
ハートたちもいつも通り、町の中心を斜めに上る坂道をゆっくりと進み、神殿を目指す。
がやがやと進む一行には悲壮感など全く無い。
先頭のサナリとトラットだけが異様に張り切っているのが、ハートには不安でしょうがない。
町中を下町から山の上へと列が続く。
昨夜の捕縛騒動を知らない住民も否応なく知ることとなった。
顔を顰める者もいたが、気さくなタミリアとギードという漂流者を知らない者はいなかった。
そんなに大きな町ではない。
興味があるという獣人が多かったのである。
「つまりは皆、野次馬なんですね」
はあ、とハートは盛大にため息を吐いた。
何故か神殿前に着いた時には、人数が倍ほどに膨れ上がってしまっていたのだ。
「何事だ」
領主である大柄な銀狼の獣人が慌てて出て来た。
たくさんの使用人たちも一斉に出て来て、対応に追われている。
銀狼の獣人は息子の白狼を見つけるとこっちにやって来た。
「ハクロー、いったいなにがあった」
「あの黒髪のエルフのことで、皆が捕縛の理由をお聞きしたいと」
「なんだと!」
領主は目を剥いて驚いた。
「それだけのために、これだけの数が集まったというのか」
これだけの数ではさすがに神殿に入ることも出来ない。
「ただいま『女神』様に訊ねてくる故、しばらく待て」
領主はそう言って神殿の奥へと消えていった。
神殿の奥の部屋では、『女神』と代理のエルフのが話し合っている。
「あのエルフを解放いたしましょう」
無表情な『女神』に対し、銀青のエルフは顔を真っ赤にして反対した。
「そんなことをしてはいけません。神殿が間違ったことをしたと受け取られます」
『女神』にとってはその通りだった。
ギードを捕らえる気など彼女には欠片もなかったのだから。
「貴方はどうなさるおつもりだったのですか?」
今さら他人行儀な『女神』の物言いに、代理のエルフはさらに苛立ちを見せる。
「あれは消してしまえばいいのです。『神』に対する反逆を企てたとでも言って」
「恐ろしいことを」
『女神』は長年の付き合いであるエルフの顔を見つめる。
「貴方はそんな者ではなかったのに」
慈しむように、やさしい言葉をかける。
はっと顔色を変えた代理のエルフは、恥じ入るように顔を逸らした。
「わ、私は『女神』様のためにー」
その時、領主が飛び込んで来た。
「も、申し訳ありません。『女神』様、どうしても住民が聞きたいことがあると」
「聞きたいことですか?」
「はい。何故あのエルフを捕らえたのかと」
『女神』は目の前で深く礼を取り跪く領主に、
「私が参ります」
そう言ってふわりと身体を浮かべた。
慌てて銀青のエルフも立ち上がり、『女神』の後を追って神殿の入り口へと出向いた。
しかし、そこには誰もいなかった。
「え?」
先ほどまで大勢の住民がいたはずだ。
少し遠いがまだその者たちの声がざわざわと聞こえている。
「何があったのだ!」
領主は側にいた使用人にさっさと報告しろと怒鳴った。
「はい。先ほどあの黒髪のエルフがやって来て、帰ると言って皆を連れて行きました」
「なんだって!」
いつの間にか牢を抜け出したギードが、集まった住民の前に現れたそうだ。
「捕縛のことは何と言っていたのだ」
「あ、はい。ただの勘違いだったと」
それで住民たちはあっさりと引き上げて行ったというのだ。
獣人というのは熱し易く冷め易い。
何はともあれ、危ない状態を回避出来たことで銀狼獣人はほっとしていた。
しかし、それを気に入らない者がいる。
「何事もなく収めてもらったのです。ありがたく思うことにしましょう」
そう言った『女神』の言葉も、まるで自分が切り捨てられたように感じた銀青のエルフは怒りに震えていた。
「ゆ、許せん」
小さくこぼれた言葉を聞き取れた者は『女神』くらいだった。
一瞬にして銀青のエルフの姿が消えた。
「は?」
その場にいた領主や使用人たちは何が起こったのかわからなかった。
『女神』だけは「早まるでない!」と大声を出して止めようとしていた。
「まったくもう」
『女神』は領主に向き直り、住民に御触れを出すように指示した。
「今日はもう誰も外に出るなと伝えてください」
「は。しかし何故でございますか?」
『女神』は高台の神殿から見晴らしの良い港町を見下ろす。
「嵐が来ます」
その半透明の翡翠色の指が示した先、ギードの黒い森の上空に不穏な雲が浮いている。
「誰も近寄ってはなりません」
「は、はい!」
領主の指示で大勢の使用人が慌てて町へと降りて行った。
ギードは住民たちと一緒に坂道を下っていた。
(ギード様。お客様が先に森においでになったようです)
コンから知らせが届く。
(ああ。じゃあ、先に御もてなしを頼むよ)
(承知いたしました)
ギードたちの一行は、港に近づくほど数を減らし、広場に着く頃には顔見知りだけになっていた。
「ハートさん。これから小熊亭で食事をご一緒しませんか」
「ひとりでは寂しいので」とギードはハートを食事に誘った。
そういえば、ハートはごたごたのせいでお昼を食べそこなっていた。
ハートは「先輩もー」と声をかけようとしたが、仕事の時間が迫っていることに気づいた。
「もうこんな時間か。それでは失礼する」
そう言ってハクローもトラットを連れて店のほうへ行ってしまった。
ハートはその背中をしばらくの間見送っていた。
「やはり寂しいですか?」
その様子を見ていたギードが声をかける。
「あ、いや」
それよりもさっきの神殿での話を詳しく聞かなければと、ハートは気持ちを切り替えた。
「行きましょう」
「はい」
その頃になってようやく領主の使いが、それぞれの家へ外出禁止の指令を出しに訪れていた。




