十五日目の昼・矛盾
『女神』の半透明の身体は、ゆらゆらと陽炎のように揺れる。
ギードは彼女が何を嘆いているのか、よくわからない。
「で、それがどうしたのです?」
何も知らない森の民は平和だろう。
見知らぬ土地で、自分を憐れみながら、お気に入りの男性と過ごす『女神』は幸せなのではないだろうか。
「其方にはわからないのです」
子供の用にぷいっと顔を背ける。
「ええ、わかりかねます」
ギードは『女神』のカップに酒を継ぎ足す。
「でも、それが『神』なのですよね」
ギードは自分の薬草茶の水筒を取り出しカップに注ぎ、それにも酒を少し垂らす。
翡翠色の半透明の身体が揺らぎを止めてギードをじっと見ている。
「『神』は大きな力を持つ者の総称だ。『女神』様もそうでしょう。力の弱い者を気まぐれに害し、死さえも与える」
「私はそんなこといたしません」
「何故です?」
ギードは自分のカップを両手で包み、顔を上げた。
「貴女様は、力の弱い者に力を与え、庇護し、知恵を授けた」
それがどうしたのだという気配が漂う。
「同じことではないですか?」
『女神』は目を見開き、息を飲む。
それが相手にとって、良いことか悪いことかを考えていない点で同じなのだ。
「自分自身、『泉の神』によって成りたくもないハイエルフにされ、闇属性となってしまいました」
「あ、ああ」
身に覚えがあるのだろう。『女神』の顔が歪む。
この『女神』もまたエルフの青年に良かれと思い力を与えた。
その結果が、森の民の嫉妬と欲望を呼び、森を出るきっかけとなった。
その上、何百年と経つ間に、あの純真な青年エルフは横柄なハイエルフに変わってしまった。
「やはり、私などいないほうが良いのですね」
半透明の身体は崩れ去り、弱弱しく光る珠となる。
「どうして、そういう考えになるのでしょう」
ギードは面倒臭いという目で、斜めに珠を見る。
「『神』というのはそういうものなのですよ?」
ギードがどんなに嫌だと訴えようと、そんなことは『神』には関係がないのだ。
「『女神』である貴女様にも、誰がどう思おうと関係ないんです」
ハイエルフに説教される『神』というのもおかしなものだとギードは唇を歪めた。
『女神』が珠となったということは、これ以上話し合う気はないということだ。
ギードはカップのお茶を飲み干して、立ち上がる。
「自分には貴女様をどうこうする気はありません」
エルフの森の民に「『母なる木の女神』様はここにいる」と教えたところで、誰がギードの言葉を信じるだろうか。
この町の獣人たちに「『女神』様はエルフの森の神です」と言ったところで、森も知らない彼らは首を傾げるだけだろう。
「貴女はこのまま、この町で自由に暮らせばいい」
ギードたちは勝手に出て行くだけである。
「邪魔さえしなければ、こちらは何も言わないし、何もしませんよ」
防音と遮断結界を解こうとしたギードの影の中から、するりと黒い塊が出て来た。
ふよふよとした塊から子狼獣人の姿になったザンは、ギードの顔を見上げて許可を求めた。
「あ、あの」
大きなため息を吐いてギードが頷く。
頷き返したザンは、光の珠を見上げた。
「我らにも少し、話をさせてもらえないだろうか。『女神』様」
自分の町の住民だということはわかったのだろう。
光の珠は再び半透明の女性の姿になった。
「何でしょう?」
『女神』の言葉は、子供が相手だということで柔らかい。
ザンはギードの側を離れ、とてとてと『女神』の近くへと移動した。
「我らはこの町で亡くなった住民や漂流者の意識の塊でござる」
この身体は闇属性であるギードの魔力により、闇の精霊が作ったのだと説明する。
『女神』はどういう顔をしていいのかわからず困っていた。
「我らは、その、『女神』様のお役に立てたのであろうか」
「え?」
「我らはこの町で産まれ、育った。『女神』様のお力で守っていただいたことを感謝している」
ザンは『女神』に会えたことをうれしいと話す。
「例え誰かが我らの死を悼んでも、我らは『女神』様のお心に沿えたのならばそれでいいのですじゃ」
ギードは黙ってそれを聞いていた。
「私の心に沿う?」
「はい!。『女神』様がしたいようにされたのであれば、それでいいのでござる」
それが失敗だったとか、役に立たない死であったのなら、それが彼らの後悔になる。
『女神』の視線がギードを見る。
「これが『神』のしたいことなら、それでいいということ?」
「『神』とはそういうものだということです」
ギードは大きく頷いて見せた。
『女神』はしゃがみ込んでザンと目線を合わせた。
「其の方らは私を恨んでいないのですか?」
『神』の力により、『神』の勝手で命を落とした者たち。
ザンは首を傾げる。
「何故お恨みするのでしょう?。我らは皆『神』の子です」
おそらくこの町ではそう教えているのだろう。
「う、うぅ」
『女神』の身体が揺れ、崩れ落ちて珠となる。
「ザン、こっちにおいで」
おろおろしている子狼獣人を呼び、その頭を撫でる。
「どんなに理不尽だろうと、それが『神』の意志ならば、我らはそれに従うのみです」
ギードは顔を上げて光の珠を見上げる。
「それが普通なんですよ」
大きな力の前には誰も成す術はない。
「だからこそ、『神』にはその力を使うならば、庇護している者たちのことも考えて欲しいんです」
「えー、ギード様。さっきと反対のことゆってるでござるよ?」
あははと笑いながらギードはザンの頭をくしゃっと撫でる。
「考えた上でなら、こっちは受け入れるさ。文句言うやつがいたって無視してくれていいんだ」
依怙贔屓、結構。独断、まあいい。
だが、『神』自身さえ後悔するような考えなしが一番困るのだ。
「そっかあ」
とザンが答え、光の珠がゆるく揺れて消えた。
とんとん、と誰かが扉を叩く気配がした。
「あ、いかん」
ギードは自分の結界を解いた。
ハクローのようにザンの元の姿を知っている者がいると面倒なので、ザンが影の中に入ってから、扉を開ける。
「女将さん、どうしました?」
扉の前で女将さんが困った顔をしていた。
「あのー、奥様が下の食堂でお昼を召し上がってらっしゃるんですが」
「おや、そうなんですか」
もうそんな時間になったのかと、急いで階段を降りる。
皿を積み上げたタミリアの横でハートが申し訳なさそうにぺこりと頭を下げていた。
「あ、ギドちゃん。支払いよろしく!」
ぷっとギードは笑い出し、ハートも、付き添いのエンも楽しそうに笑った。