十四日目の夕方・仕方ない
ハートは立ち上がり、ハクローに言い訳を始めた。
「あ、あの、違うんです。その」
「どういうことだ?」
ハクローは、ハートではなくギードを見た。
「そのままですよ」
ギードの眷属がこちらに来たということは、確実に町を出る準備は進んでいるのだ。
「自分たちは静かに、この町の住民たちには知られないうちに出て行くつもりでしたが」
ハートがついてきたいと言い出した。
「自分は考え直すように言いましたよ」
目を逸らしていたハートがハクローに睨まれ、項垂れる。
「わ、私はまだ、考え中です」
ハクローが長い沈黙の後、口を開いた。
「それで、それが俺に何の関係があるんだ?」
彼の言葉はハートにとって予想も出来ないものだった。
「え」
ハートは口をあんぐり開けている。
ギードは無表情だ。
「ふうん。じゃ、ハートさんはこちらでもらっていっていいんですね」
ハクローは顔を背けると、
「本人がそう望んでいるなら仕方ない」
そう言って立ち上がった。
「先輩?」
「話がそれだけなら、失礼する」
ハクローは兄の姿をした精霊の側へ行き、出来るなら家族全員に会うかと聞いた。
「それは遠慮しておこう」
ザンはそう答え、ハクローもそれは予想していたのか頷いた。
十年以上も前に亡くなった子供に今さら会っても、親の心の傷を抉るだけだ。
「それでは」
ハクローはもう一度ギードに黙礼して、出て行った。
「あ、あの」
先ほどからハートは何か言おうとするが、どうしても言葉を発せずに終わっている。
(もうちょっと言い方っていうものが。あーでも、ギードさんらしいっていうか)
ハート自身、こんな空気になってしまったのは自分のせいだとわかっている。
口止めもしなかった。
「ハートさんの言いたいことは、わかっています。でも、こちらにはもう時間が無い」
手荒い手段だとギードもわかっていた。
しかしもう先伸ばしにしておけない事情がある。
ギードはハートを長椅子に座らせ、ザンに相手をさせておく。
「コン。向こうの状況を教えてくれ」
「はい、ギード様」
自分の向かいの席にコンを座らせ、タミリアは好きなようにさせておいた。
コンはまず、同行していたエグザスとルンの無事を知らせた。
ギードが一番気にしているだろうとわかっていたからだ。
ほっとした表情のギードに、子供たちや商国の従業員、教会には極力知らせないようにしていることも話した。
「ありがとう。助かるよ」
「しかしながら、私が動いたことで王宮には知らせがいったかと思われます」
「うん。それは仕方ないね」
諜報の凄腕であるスレヴィがいる。
確実に王太子には筒抜けになるだろう。
「他の眷属たちはどうしてる?」
「はい。皆恙なく仕事に励んでおります」
ギードは頷き、懐から紙を取り出すと、何かを書き始めた。
「これを持って一度向こうへ戻ってくれ」
コンはそれを受け取りながら、嫌そうな顔をした。
「私はこちらでギード様をお守りしようと思っておりますが」
「いや、こっちは特に命の危険はないよ」
敵だと思われる神殿は動きが無い。
しかし、このまま黙って見逃がしてくれるかは疑問だ。
「それよりも、生身の身体を三人分、結界から外に出すんだ。それ相当の穴が必要になる」
「はい」
「その準備をコンに頼みたいんだ」
土魔法の最上位精霊であるコンでなければ出来ない。
ギードがそう言うと、コンは仕方なさそうに頷いた。
コンはギードが地中に埋めた魔力線を辿って来た。
結界は深く長い。そんな地中を移動出来るのは土の精霊であるコンぐらいだ。
やはり闇の精霊たちは結界の中か、深い地中でしか動きが取れなかった。
地中の結界の外まではたどり着いたが、ギードから預かった袋を地上に出すことは出来なかったのだ。
それを土の精霊たちが補佐して、袋を地上に押し出してくれたらしい。
エグザス一行は陸地は発見したが、ただの山林だけで、町は見つけられなかった。
おそらく結界で隠蔽されているのだろう。
しかしギードの魔力を探していた時に、その装飾品の小袋を見つけた。
「この近辺にいるのは間違いなさそうだな」
袋はあまり汚れていなかったのだ。
ギードは全員に一度見せるために『結界の壁』まで連れて行った。
森となった雑木林の奥、緑より黒に近い木々に囲まれた小さな広場。
「ここが『結界の壁』の一部だ」
見た目はただ森が続いているように見えるが、手を伸ばすとそれ以上奥へは行けないのがわかる。
「ほんとだ」
ハートが恐る恐る手を出して触り、タミリアはどんどんと叩いている。
「コン。こちらに来てから誰かと連絡取れたか?」
「いえ、結界内に入った辺りで切れました」
やっぱりかー、とギードは渋い顔になる。
結局コンには連絡係として、行ったり来たりしてもらうことになりそうだ。
「これ、なあに?」
タミリアがギードが綻びに打ち込んである楔を見つける。
「ここにひび割れがあるのでござるよ」
ザンがひょいとその綻びの支柱を抜いた。
「お、おいっ」
ギードが慌てて止めようとするが、ザンは平気そうにその穴に指を突っ込んだ。
「おや?。主様、何か来るでござる」
地面が、いや、結界の壁が揺れている。
「な、なんだ」
ザンが「ぎゃ」と言って尻もちをつき、ハートが駆け寄った。
ギードはすぐにタミリアの腕を掴んで抱き寄せ、コンは一帯に結界を張った。
綻びから黒い触手を纏わりつかせた赤い精霊の玉が飛び出した。
「ギードさまあああ」
玉は一瞬で大柄なエルフの男性の姿になった。
「エンかっ」
「はい!、ご無事で何よりです!」
ギードはザンに、
「お前たちと触手は壁の向こうへ抜けたのか?」
と聞いたが、ザンは首を横に振った。
「ということは、エンは向こう側からひび割れを作ったのか?」
「はいっ!」
サガンたちと同行していたルンからギードの痕跡を知らされた眷属たちは、すぐその場に集まった。
「コンが地中に潜って行ってしまって戻って来ないから、我らも行けると思ったのです」
リンが結界の中にギードの闇魔法の触手を見つけ、エンはそこに思い切り全力の攻撃を行った。
「うまい具合に裂け目が出来ましたので、それに飛び込みました」
ギードは脳筋眷属に頭を抱えた。
「お前、それ一歩間違ったら結界の層の中に閉じ込められてたぞ」
この『神の結界』は何層かで形成されているのだ。
エンは、ぽかんとしているタミリアに気が付いた。
「奥方様、お待たせいたしました。このエンが模擬のお相手をいたします!」
ギードとコンが同時にエンの頭を叩いた。




