六日目の朝・企み
商国の客間でしばらくの間静養させられていたエグザスは、体調が戻り始めていた。
「おじちゃん、どこ行くの?」
ギードの館を出たところで泉の前の広場で遊んでいた獣人の子供たちに捕まる。
「あー、ちょっとなー」
わーわーきゃーきゃーと子供たちが集まって来た。
相変わらず商国の獣人たちの数は増え続けているようだ。
「遊んでー、遊んでー」
「いやーその、用事があってな」
かわいらしい獣人の子供たちに囲まれ、無下に断れず、服を引っ張られるままに輪の中に入って行く。
子供たちを撫でたり、抱き上げたりと忙しいエグザスを窓から眺めていたコンはため息を吐く。
「いつまで彼の足止めが出来るかな」
ギードと一番長く過ごしてきた眷属精霊である彼は、エグザスの監視も務めている。
コンの指導の元、商国の帳簿を学んでいる少年が顔を上げた。
「大丈夫です。僕らが絶対エグザス様を外には出しませんから」
この子はケット・シー族と猫の獣人との間に生まれたケット・シーである。
獣人の体力と妖精の魔力、ケット族の知恵を持つこの少年は森の主である長老猫が目をかけて育てていた。
「あなたがそう言うならお任せします。お願いしますね」
「はい」
金色の猫目を輝かせて少年が頷く。
その部屋に白い狐の獣人の少女が入って来た。
ギード家の双子と仲の良い獣人の子供で、白いふさりとした尻尾が美しい。
「どうしました?、ヴィキサさん」
この少女は今『泉の神殿』の神官見習いである。
コンが声をかけるとヴィキサは自身を落ち着かせるように胸に手を当てて、ふうっと息を吐きだす。
おっとりとした彼女には珍しく少し慌てていたようだ。
「神殿のほうへ『泉の神』様がお戻りになられました」
「なんだとっ」
コンは慌てて外へ飛び出した。
その後を追う白い獣人の少女は、入って来た時と同じようにおっとりと動き出した。
何かわからないけど大事らしいので、金目の少年は急いで「幻惑の森」の主に知らせた。
「お帰りなさいませ」
光の珠となっている『泉の神』の前に、コンが大袈裟に礼を取る。
(聞きたいことがたくさん有る。早く早く、聞かせて欲しい、主であるギード様のことを)
一緒だったはずのギードを切り離して戻って来た『神』にコンは敵意さえ向けている。
心なしか弱弱しく光る『泉の神』は、それには気づいていても何も出来ない。
金目の少年から連絡を受けた他の眷属たちも集まってくる。
『泉の神』の使者である水の最上位精霊ルンが一歩前に出て、膝を折る。
「『決して枯れることのない泉に宿りし神』様、再びお目にかかれてうれしゅうございます」
眷属一同がきちんと『神』に対する礼を取る。
光の珠の『泉の神』は神殿の祭壇にふわふわと浮かんで、彼らを見下ろしていた。
(すまぬ。ギードたちとはぐれてしまった)
声というよりも意識なのか、それぞれの頭の中に声が響く。
「私はあの時、お側におりましたが、あの稲妻が走った後、どうなったのでしょうか」
心配そうな顔でルンが訊ねると、光の珠はまた弱弱しく瞬く。
(そうか、そうだったな。 すぐ近くに其方の気配はあった)
まるでため息を一つ吐いたような間があり、眷属たちは顔を上げた。
(ギードたちは『大神』によって、隔離された場所へと送られた)
その時、『泉の神』はギードの意識から無理矢理に剥がされてしまったのだ。
『泉の神』がすぐに戻らなかったのは、自力で何とかギードたちを取り返そうとしていたためらしい。
「そ、それでは、ギード様は無事なのですね!」
コンの言葉にその場にいたエグザスが驚いて固まった。
もしかしたら怪我などで動けなくなっている、その可能性を忘れていたらしい。
(そこは大丈夫だ。まだ『大神』も彼らの命まで取る気はなさそうだった)
しかし、その身体は目の前から消えた。
「その送られた場所はおわかりにならないのでしょうか」
(焦るでない、コン。そしてギードの眷属、友人よ)
そうして『泉の神』は『大神』から預かった言葉を告げる。
(これは試練である。『大神』様はそう申された)
「試練、ですか」
エグザスは複雑そうな顔をしている。
それならそうとその場で詳しく説明してくれればよかったのに。
(大海の航海には危険が付きまとう上に、何日も何日も同じ、変わらぬ海の景色を見続けることになる)
ズメイの背で見た真っ暗闇をエグザスは思い出す。
夜の海は時間も方角も解らない世界。
(無事に還れるかどうかは本人次第である)
眷属たちがぴりっと緊張した。
(今回、見知らぬ場所へ彼らを送ったのは、何もない土地で生き残れるかどうかを試すためだ)
だから眷属たちとの絆も、憑依していた『泉の神』も完全にではないが、切り離された。
「それはおかしいな」
眷属たちの後ろ、神殿入り口から不遜な声が響いた。
「『神』は願いを聞き届ける時は供物を要求するが、そんな試練を課すなど聞いたこともないぞ」
跪いていた一同が振り返ると、勇者の姿をしたガンコナー族のサガンが立っていた。
「お前はそんな戯言を真に受けて、おめおめと帰って来たわけか」
光の珠は悔しそうに揺らめく。
サガンはこつこつと床を鳴らし、一歩一歩祭壇に近づいて行く。
「同じ『神』なら気づいてたんだろ?」
それはおかしい、と。
「ああ」
光の珠がゆらりとその形を変える。言葉はきちんと声として耳に届いた。
薄い青に透き通った身体へと変化したが、それはギードの正装姿だった。
眷属たちがうれしそうにその姿に見とれている。
「あの一帯の海におかしな結界があった」
本当はお前たちには話す気はなかったと『泉の神』はサガンを睨みつけた。
これは自分の失態なのだ。
『泉の神』は策を練り、もう一度ギードたちをその場所から救出するために向かおうと考えていた。
だが、実際にはその方法はまだ思いついていない。
「ほお、じゃあ俺たちと組もうぜ。一緒にギードたちを『大神』の手から救い出して、あいつらに一泡吹かせてやろうじゃないか」
ぐっと片手を握り締めていたサガンの気配が怒りで染まっていた。
「私もそれに混ぜてもらえぬか」
いつの間にか祭壇の前に、炎のドラゴンであるユランが人化した姿を現していた。
サガンがにやりと口元を歪める。
「『聖騎士』と『妖精族』と『最上位精霊』に加えて、『神』と『ドラゴン』か。頼もしいな」
サガンのくぐもった笑い声が神殿に響き渡った。




