五日目の深夜・港町の始まり
ハートは苛つくハクローの顔を横目で見ながら、向かいに座るギードと顔を合わせる。
「サナリさんが以前話してくれたんです」
彼女の父親は昔、役所に勤めていて、この町の歪さに気が付いた一人だった。
色々調べているうちに、突然、金を渡され、役所を辞めさせられたという。
「今はもう何も言わないそうですが」
おそらく娘に悪影響が出ることを恐れたのだろうと思う。
ハートはハクローに「そうですよね」と顔を向けた。
彼もその経緯は知っている。母親の死後からサナリが神殿に不信感を抱いていたことも。
ハクローは顔を背けた。
「この町はー」
ハートが話そうとすると、
「いい、わかった。俺が話す」
白い狼獣人の領主の息子は少し落ち着いたようだ。
ギードは立ち上がり、お茶を淹れなおして配る。
「タミちゃん、眠かったら先に休んでいいよ」
すでに遅い時間だ。
これから語られる話を聞いているだけでも、深夜になるだろう。
精神年齢が子供で止まってしまっているタミリアには辛い時間になる。
「ううん。ここにいる」
一人になるのは嫌らしい。
◆ ◆ ◆
「ここは二百年ほど前の大戦で逃げて来た獣人たちが作った町だ」
妖精族と人族との大戦。獣人族のほとんどは人族側に付いた。
身体能力が人族よりも高い獣人たちは大いに活躍したらしい。
しかし、戦いの終わりの頃には人族は味方だった獣人族さえ「人族ではない」という理由で迫害し始める。
妖精族との戦いでほぼ勝利したことが彼らをつけ上がらせたのだろう。
何もかも人族のお陰、自分たちが一番強いと勘違いをしたのだ。
「何艘かの船で逃げだした獣人たちが流れついたのがこの町だった」
当時、すでに建物はあったが、誰も住んでいない町だったらしい。
「エルフ様の話では、以前は人族の普通の港町だったが、酷い流行り病で住人のほとんどが死に絶えたそうだ」
病の伝染を恐れた他の町からも見放され、わずかに生き残った者たちもこの町を去った。
「では、獣人たちの船が着いた時はすでに『女神』様と代理のエルフはいたのですね」
「ああ、そう聞いた」
ふたりはその頃にはすでにこの町にいた。誰もいないこの町に。
「獣人族の代表が『女神』様にこの土地に住まわせて欲しいとお願いしたそうだ」
ハクローは大きく肩を上下させ、一息吐き出す。
「その時の『女神』様が出した受け入れ条件が、記憶を消すことだった」
ハートとタミリアが口をぽかんと開けて驚いている。
「そこまで逃げて来た獣人たちは、どうせ辛い記憶ばかりだからとそれを承諾したんだ」
今までの記憶を消し、新たなる人生を始める。
そうしてこの獣人たちの町は始まったのだ。
「領主一族だけは、記憶を残されたんですね」
ギードの言葉にハクローは頷く。
「そうだ。だが、もうその当時のことを覚えている者はいない」
今の住人たちはすべてこの町で産まれた。この町以外の記憶は無いのだ。
「何だかおかしな条件ですね」
ハートは考え込む。
ギードはふっと黒い顔で笑う。
「そりゃあ、何か不都合があったんだろう。その『女神』たちにとって」
自分たち二人だけで静かに暮らしていた場所に、よそ者が大量にやって来る。
もしその中に過去の自分たちを知る者がいたらー。
それを恐れたのだろう。
「誰もいない町に『女神』様とエルフの二人だけ。そこからおかしいのさ」
ギードはエルフを嫌っている。
『神』というものについても良い印象は無い。
そんな二人をギードが擁護するわけがない。
不敬だと怖い顔で怒りを表すハクローにギードは、ふっと笑う。
「力のある者は弱い者のことなんぞ何とも思ってないよ」
受け入れはしたが、彼らをただの風景の一部ぐらいにしか思っていなかったのではないか。
「そんな!、それは酷いです」
ハートはギードの考えには納得出来なかった。
「そうだそうだ。こんなに獣人に都合のいい環境が整っているんだぞ」
それが理由で獣人族が愛されているとでも思っているのか。
ギードは呆れるしかなかった。
「過去の過ちを他のモノを大切にすることで代償とするのはよくあることだよ」
それにこの町はもうすでにー。
「まあ、『大神』と対立している時点で『女神』様とやらは不利だと思うけど」
ギードは予想していた以上に領主の息子が『女神』やエルフを心棒としている様子にうんざりした。
(さて、結界の話はどこまで話せばいいのやら)
ハクローに睨まれながら、ギードは気持ちが暗くなるのを止められなかった。
◆ ◆ ◆
ギードはしばらく黙っていた。
ハクローがこちらの話を聞く態度ではなかったからだ。
今は何を話しても無駄な気がして、ギードは話を戻した。
「何の話でしたっけ。ああ、ハートさんの魔力の話でしたね」
「え、あ、そうでしたっけ」
ハートがぼけた声で返事をして、ハクローも毒気が抜けたように静かになった。
「ハートさんに『魔核』が無いのは確認しています」
それが異世界から来たという証拠にはならないが。
「『女神』様がそう仰っていたのなら、そうなのだろう」
ハクローにも非常に珍しい人族だというのはわかってもらえたようだ。
「だからこの町に適応出来たんでしょう」
「あー、そうか」
下手に魔力がなかったせいでハートは助かったのだ。
良かったですねとギードに笑顔を向けられても、
(あれ?、何だか誤魔化された気がする)
ハートは苦笑いを返すしかない。
「では明日にでも、小熊亭で海獣の肉を配る際はきちんと説明するように話してくださいね」
「ああ、わかった。だが、お前もそれに立ち会ってくれ」
とうとう「お前」呼ばわりになってギードは苦笑する。
ギードは椅子に座ったまま、頭がぶつからないよう器用に舟をこいでいるタミリアを起こす。
「ほら、タミちゃん。部屋へ行こう」
ハクローを外へ見送ったハートが戻って来て、就寝の挨拶をして部屋へ入って行った。
が、すぐに男性にしては高い声が響く。
「きゃあああ」
タミリアを部屋で寝かせていたギードは、飛び込んで来たハートを、自分の口に指を当てて静かにするように促す。
「だって、だって、あの、ふかふかのお布団がー」
仕立て屋で注文した寝具をハートの部屋にも運んでおいた。
「この家で寝台は二つだけだから、あれはそちらの分ですよ」
「うっうっ、うれしい!」
それは良かった、とギードはうれしさのあまり呆けている青年を自室へ放り込んだ。