四日目の朝・恋敵
ギードはいつものようにパンケーキの朝食を作る。
匂いが家の中に広がり始めるとハートが部屋から顔を出す。
「お、おはようございます」
恥ずかしそうに洗面所へ向かい、ギードが用意してある温めのお湯で顔を洗っている音がする。
戻って来てすぐにギードの横に立ち、もぞもぞしながら口を開く。
「お手伝いさせてください」
そんなハートの言葉にギードは微笑み、「気にしないで」と席に座らせる。
山盛りのパンケーキが食卓に置かれ、スープを温めているとタミリアが部屋から出て来た。
「おわよー」
まだ寝ぼけ顔でぼんやりしている妻をギードが洗面所へ連れて行く。
そんなふたりの姿をハートはうらやまし気に見ていた。
「いってらっしゃい」
「はあい」「行ってきます」
ギードに見送られてタミリアとハートは今日も店の剣術の稽古に参加するために出かける。
相変わらずギードはハートに昼食用のお金を渡す。
「あのー、いいんですか?、こんなに」
大金におろおろするハートにギードはいいんだよと手を振る。
「二人分だしね。タミちゃんは食いしん坊だから普通の人より多く必要でしょ」
それはハートも驚いていた。タミリアが食べる量は普通ではないのだ。
「それにしても私のことを信用し過ぎではないですか?」
自分より背の低いギードを多少見下ろしながらハートが聞いている。
「そうだね。きっとそれは君を信用したいからだと思ってくれない?」
「え?」
「一緒に暮らす者として、君を信用したいからこそ、お金を預けているんだよ」
ギードとしては、大切なタミリアを任せるのだ。だからこそ、その相手を信用しない訳にはいかない。
「信用しているという証拠ですか」
ハートはそう言って納得してくれた。
二人を送り出したギードは、軽く部屋の掃除や後片付けをする。
昨夜帰って来た時、食事の後や食器もちゃんと片付けが済んでいた。
(ハートさんだよね。あの細面の獣人の女性は山の上のお嬢様だったし)
案外気が利く青年のようだ。
ギードは思い出す。
初めての町で懸命に何かを探していた自分の姿を。
「そうか。ハートさんは自分に似ているのか」
タミリアと出会った頃の自分に。
「……どうやらタミちゃんの好みの異性であることは間違いないな」
黒く染まってしまっている今の自分には無い、頼りなさや気弱さは、タミリアが好みそうなものだった。
ギードは何となく彼を信用している自分と、同時に嫌悪している自分を感じていた。
もしかしたら、あの人族の青年はギードの恋敵となるかも知れない。
ギードは、はあ、と深いため息を吐く。
自分はすでにタミリアの好みから外れてしまっている。これは不利な戦いだ。
一からやり直さなければならない。あの『始まりの町』でタミリアに出会った最初のころから。
「なんてこった」
今までの努力が、積み重ねた想いや月日が、無駄なものになってしまった。そんな虚無感に襲われる。
ギードは庭というにはまだ荒れ放題の家の裏手に出た。
久しぶりに魔法を使わずに干した洗濯物が風になびく様を眺める。
魔力量がどれだけ減っているのか不明なため、生活に使う魔法は最低限に抑えた。
眷属精霊に魔力を開放されるまで少ない魔力をやり繰りしていたので、そういった家事は得意だ。
「まあ、やれるだけのことはやるさ」
タミリアを誰にも渡す気はない。
ギードは改めて『大神』とズメイに対する黒い思いが溢れるのを感じていた。
◆ ◆ ◆
ハートはタミリアと森の小道を町に向かって歩いていた。
昨夜、犬の女性獣人のサナリを迎えに来た馬車の轍が続いていた。
御者がいつの間にか立派な道が出来ていて驚いていたのを思い出す。
「はー、魔法ってすごいんですね」
ハートの言葉にタミリアがこてんと首を傾げる。
「そう?。王都では生活に魔法を使うのは普通だったけどなあ」
この世界に生まれた者は、『魔核』といわれるものを身体に持っている。
その核の魔力量は様々だが、ほとんどの者が生活に使える魔法の量くらいは持っていた。
タミリアのように異常に多いことがわかると、魔術師の学校に放り込まれたりする。
「タミリアさんもたくさん魔法を使われるのですか?」
そんなことを言われてタミリアはふと考え込む。
「あ、ごめんなさい。記憶が無いんでしたー」
「んー、たぶん、お母さんが魔法を使ってたからその血筋かも知れないわ」
「そうなんですか」
魔力量はだいたい親から子へと遺伝する。
タミリアも子供のころのことは少し覚えているようだった。
「それに剣術は父に教わったような気がするの」
にっこり笑ったタミリアの顔は、脳筋というには幼い感じがした。
両親の話を聞いて、ハートはふと呟いた。
「タミリアさんのお子さんもきっとお強いんでしょうね」
魔法を自在に操るエルフと剣術が得意な人族の女性との間に生まれた子供。きっとかわいくて強いに違いない。
ハートは一人で勝手にうんうんと頷いている。
「えっ、そ、それは」
タミリアの顔が真っ赤になる。
その日の稽古では、ハートが何故かタミリアにボロボロにされていた。
◆ ◆ ◆
その頃、ギードは海岸に来ていた。
「こんにちは、グリオさん」
漁師の熊獣人を訪ね、魚を獲るのに許可は必要かを確認していた。
「自分で食べる分を獲るのは構わんが、誰かに売るとなると販売の許可はいるな」
「わかりました。漁具を扱っている店を紹介していただけませんか」
「獲れるかどうかもわからんのに高い道具を買う必要もないだろう」
と、グリオはギードに自分ので良ければと、使っていない竿を貸してくれた。
「とりあえず、これでやってみるといい」
古いが丈夫そうな竿だった。釣り針や餌も貸してくれるそうだ。
「漁師は生活のために魚を獲るから舟を使って網で大量に獲るが、あんたはこっちで十分だろう」
「ありがとうございます。あー、やはり海用は竿が違うのですね」
ギードはドラゴンの領域の湖で暇な時間を利用して釣りを楽しんでいたことがある。
その時は王都で買った初心者用で、川や湖での釣り用だったが、グリオの竿は海釣り用の大型の竿だった。
どこかのほほんとしたエルフに何やら胸騒ぎを覚え、グリオは付き合うことにした。
浜から港の外側へ出る。入り江をぐるりと囲む岩場を伝い歩く。
「あまり先端にはいかんほうがいい。あの辺りは海獣がいるでな」
「海獣ですか。いい肉になりそうですね」
怪しい笑顔を浮かべるエルフに、熊の漁師はますます嫌な予感がした。