三日目の月明かり・獣人族と人族
否定も肯定もせず黙り込んでいるハクローに、食事がようやく終わったギードは、
「あなた方に自分たち夫婦を害する気がないことはわかりました」
と、言った。
ギードが警戒していたのは毒を盛られること。
小食なのは本当だ。
だが無作法を承知の上で、ここまで小分けにして口に運んでいたのは、少量ならば猛毒でも処置できるからだ。
それを知ったハクローはあからさまに怒りの表情を見せた。
しかしギードは続ける。
「今のところ記憶がない妻を傷つける意味はないでしょう。でも自分は違う」
ハクローが「記憶持ち」を危惧していたのと同じように、ギードもそのために危害を加えられることを警戒していたのだ。
ギードは重い空気を払うかのように、食後のお茶を頼もうと小さな銀の鐘を振った。
ギードは基本的には小心者だ。臆病で用心深い。
今では多くの属性魔法も使えるようになってはいるが、基本的には土の精霊魔法だけを使うエルフだった。
しかし、他のエルフと比べると格段に落ちる魔力。弓矢の腕前。そして容姿。
そのために幼い頃にエルフの森を追われ、聖域へ逃げ込んだ。
そこで守護者である老木の精霊に育てられたのである。
心に刻み付けられた傷は消えることはなく、今でもあまり他者を信用出来ない。
もしかしたら、これからのギードの行動がこの閉鎖された町に影響を及ぼすかも知れない。それは十分に考えられた。
それでもギードは出来るだけ静かに、余計な者たちには知られない内にここから出ようと思っている。
「自分には記憶がある。今までの漂流者のように領主様に保護されるつもりはないです」
ハクローをわざと怒らせたのは出来るだけ彼らに頼らず、干渉も受けたくないという意思表示だった。
秘密裏に結界の外で交易をしていることを悟られた彼らは、今以上にギードを警戒するか、取り込む方向に動くだろう。
ギードは相手の弱みを握った上で、わざと胡散臭い笑顔を浮かべる。
「どうするつもりだ」
「それはこれから考えますよ」
ハクローから見るとギードは神殿のエルフとは大違いで頼りなく見える。
(エルフにも色々いるということか)
ギードがこちらを挑発していることはわかっていた。獣人の性がハクローに嫌悪感を抱かせ、彼に近寄りたくないと思わせる。
ぐぐっと自分を抑えてハクローはもう一つの目的を果たそうとする。
「ギード、さん。あんたはハートをどうするつもりだ」
ギードは一瞬首を傾げ、「ああ」と思いついて顔を上げる。
「あの人族の青年ですか。いや、彼については妻が気に入っただけですね」
「はあ?」
ハクローが驚いた顔をしているが、ギードにとってはそれ以上でもそれ以下でもない。
「男性とはいっても弱くて護衛にもなれない。異性として魅力的かといえばそうでもない」
「いや、あれはあれで人気がありますよ」
むっとした顔でハクローが言うと、
「ああ、そういうお店の従業員でしたね」
と、ギードが思い出して納得する。
「でも」
ギードはハクローを真っ直ぐに見て言った。
「あれは獣人の性的対象にはならない」
異種族間の婚姻は難しい。それは子供が出来にくいからだ。
特に獣人族が異性に求めるのは種族の存続のためとはっきりしているので、子供が出来ないとわかっている相手にそういう興味は持てない。
ギードは商国で獣人である従業員たちの結婚と出産に何度も立ち会って来た。
彼らはごく自然に子孫を残せる相手を選ぶのだ。
ハートがいくらこの町で人気があろうと、獣人の伴侶を得ることはない。
「そうでしょう?」
ギードの言葉に「ふんっ」と白狼の獣人の青年は横を向いた。
「だからこそ、そういう意味では女性客には友人というか話し相手になり易いのでしょうがね」
外見上は同じ女性ではないので容姿を競うこともなく、異性を取り合うこともない。
安心して何でも話せる相手ということだろう。
「では、ハートは奥さんの友人として扱うということだな」
(おや?)
ギードはハクローの様子をまじまじと見る。
ハートとタミリアは人族同士なのだから、そこは異性の気になる友人とか、恋愛対象とか言い出すと思っていた。
「使用人にするつもりだとでも?」
ハクローがギードを見ようともしないということは、そう思っていたということなのだろう。
この町の領主一族は、神殿のエルフには絶対服従の使用人のようなものだ。
ギードというエルフに、後輩であるハートがそういう扱いを受けるのではないかとハクローは心配している。
「人族は我々獣人とは違って思っていることがあまり顔に出ないからな」
嫌だと思っていても口に出さないハートを、漁師のグリオも心配していた。
「それはハートさんが心優しい青年だからだと思いますよ」
言葉も解らず、記憶もない自分を救ってくれた相手だからだろう。
どうでもいい相手なら遠慮なんてしない、とギードは人族との短くない付き合いで学んでいる。
珍しいことだとギードは思う。
この白狼の青年は何故そこまであの人族の青年が気になるのだろう。
獣人である男性が、人族である青年を気に掛ける。
同族でもなく、異性でもなく、ただの職場の友人として。
(まあいい。今はそこまで構っていられない)
「とりあえず、自分たちにはハートさんを使用人にする気はありませんから」
友人と呼ぶには知り合ってまだ日にちが浅い。
「気になるならいつでも遊びに来てください」
と言ってギードは席を立った。
食堂の外に出ると、月が煌々と町を、海を照らしていた。
ギードは一度砂浜まで出て、ゆっくりと風景を楽しみながら借家に向かって歩き出す。
月の光に、自分の影が白い石畳に伸びて、それに子供たちの影が絡まる幻を見る。
遠い波音が子供たちの声のように耳の奥に響く。
姿が消えた。
それだけでは地位のある者や仕事が忙しい者は動けない。
(子供たちは、おそらくまだ何も知らされていないはずだ)
自分の眷属たちや、タミリアの友人たちの顔を思い浮かべながら、ギードは彼らがまだ様子を見ている段階だろうと推測する。
(エグザスはルンが助けているだろうしな)
それは心配していない。海に落ちる寸前まで眷属である水の最上位精霊の気配はちゃんとあった。
同行していたはずの聖騎士の姿はこの町にはない。
やはり、『大神』の狙いはギードだけだったのだろうと思う。
(帰ったら絶対怒られるなあ)
ギードは、自分の想像の中でも心配性の眷属精霊にがみがみと文句を言われていた。